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ヒロインズ・リンク 〜戦隊ヒロインプロジェクト〜  作者: スパイク


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1208/1262

深すぎる海より美月の理解が浅い!?――土屋凜花とヒロ室東海(仮称)、焼津“駿河湾深層水ブルーフェスタ”大作戦!

焼津の朝は、港の匂いがした。


潮の匂いだけではない。魚市場の活気、トラックの音、氷の白さ、海鳥の声、そしてどこか腹の減る匂い。港町というものは不思議で、まだ何も食べていないのに、歩いているだけで「まぐろ」「かつお」「しらす」「桜えび」という単語が頭の中に並び始める。


土屋凜花は、会場へ向かう車の窓から焼津の港を眺めていた。


「焼津って、やっぱり海の町ですね」


隣にいた杉山ひかりが嬉しそうに頷く。


「そうだよぉ。焼津は魚のまちっていう印象が強いけど、それだけじゃなくて、駿河湾そのものの恵みを生かしてる町なんだよぉ」


「駿河湾深層水ですね」


「うん。今日はそこをちゃんと伝えたいねぇ」


今日のイベントは、


『YAIZU DEEP BLUE HEROINE FESTA ~駿河湾深層水と港町の恵みを未来へ~』。


焼津市らしい魚のまちとしての魅力と、駿河湾深層水という未来型の地域資源を、子どもから大人まで楽しく知ってもらうためのイベントである。


出演は、土屋凜花を含むヒロ室東海(仮称)の面々。


山田真央、稲生明日香、伊吹真白、山本あかり、河合美音、杉山ひかり、赤嶺美月。


そして当然のように。


呼んでいないのに。


いた。


「……たつを」


控室に入った美月は、深層水ボトルの展示台の横に立っているタツノオトシゴを見て、もう驚きもしなかった。


「お前、今日呼ばれた?」


たつをは無言でフリップを出す。


《よばれてない》


「ほな帰れ!」


《まだ きてない》


「来とるやろ!」


《きぶんは これから》


真央が腕を組んで感心した。


「朝から哲学だがね」


凜花は笑いながら、たつをの前にしゃがんだ。


「たつを、今日は駿河湾深層水のPRイベントだからね。ちゃんとしてね」


たつをは小さく頷き、フリップを出した。


《まかせろ》


美月が疑いの目を向ける。


「不安しかないわ」


たつをはもう一枚めくった。


《みづきよりは ふかい》


「何がや!」


《りかい》


控室がいきなり爆笑に包まれた。


美月はフリップを奪おうと一歩出たが、たつをは妙に素早く展示台の陰へ逃げた。


「こいつ、今日もうウチを浅い方向へ持っていく気満々やな!」


凜花は口元を押さえた。


「でも、まだイベント始まってませんよ」


「始まる前から沈められとるんや!」


「深層水だけに?」


凜花がつい言ってしまい、美月が振り返った。


「凜花さんまで!」


ひかりはそんな二人を見て、柔らかく笑っていた。


「大丈夫だよぉ。今日は焼津の魅力をちゃんと伝えようねぇ」


イベントが始まると、最初の紹介役はひかりだった。


静岡市出身のひかりにとって、焼津は地元そのものではないが、同じ駿河湾沿いの身近な町である。清水、焼津、藤枝、島田。静岡中部の空気を知っているひかりだからこそ、焼津を他所行きではなく、あたたかく紹介できる。


ステージに立ったひかりは、いつものおっとりした声で話し始めた。


「焼津ってねぇ、魚のまちとして全国的にも有名なんだよぉ。港にはかつおやまぐろが集まって、昔から海と一緒に暮らしてきた町なの」


客席の親子連れや年配客が頷く。


「でも今日紹介したいのは、魚だけじゃないんだよぉ。焼津の前に広がる駿河湾は、日本で一番深い湾って言われていて、深いところでは約二千五百メートルにもなるんだよ」


「えー!」


子どもたちが声を上げる。


ひかりは嬉しそうに続ける。


「その深い海の水、駿河湾深層水は、冷たさが安定していて、清浄で、栄養分も豊か。食品や水産、研究、いろんな分野で生かされているんだよぉ」


凜花が横から滑らかに受ける。


「つまり駿河湾深層水は、焼津の海の底から届く、未来を支える地域資源なんです♡」


完璧な流れだった。


ひかりの丁寧な説明。


凜花の華やかなまとめ。


焼津の魅力が、きれいに伝わっていく。


その時、美月が元気よく手を挙げた。


「はい質問!」


凜花は嫌な予感を覚えつつ、笑顔を保った。


「どうぞ、美月さん」


「つまり、めっちゃ深いところの水やな!」


凜花は一拍置いた。


「……ものすごくざっくり言うと、そうです」


「ほな、ウチの声も深層水で冷やしたら静かになるん?」


美音が即答した。


「理論上、無理です」


ひかりも笑いながら言う。


「美月ちゃんの声は低温安定しなさそうだよぉ」


真央が乗る。


「常温でも沸騰しとるがね!」


たつをがフリップを上げた。


《みづきは ひょうそう》


「浅い言うな!」


《さらに うすい》


「追い打ちすな!」


客席は大爆笑だった。


凜花は笑いをこらえながら進行を戻そうとした。


「ええと、深層水は深い海から――」


たつを。


《みづきは あさい》


「戻すな!」


その日のたつをは、名人芸だった。


美月が何を言っても必ず一枚上回る。


美月が「深い水や!」と言えば《あさい せつめい》。


美月が「港の未来や!」と言えば《きゅうに まじめ》。


美月が「ウチも理解深めるで!」と言えば《すいしん 3センチ》。


ついに美月はステージ上で叫んだ。


「誰が水深三センチや!」


凜花は笑いすぎて、マイクを持つ手が震えた。


だが、美月はやらかすだけでは終わらない。


むしろここからが強い。


客席の子どもが「深層水ってなに?」と母親に聞いているのを見つけると、美月はすぐにしゃがんで目線を合わせた。


「ええか。海のめっちゃ深いところから来た、すごい水や!」


子どもは目を輝かせた。


「すごい水!」


「せや! 焼津のすごい水や!」


凜花はすかさず補足する。


「その“すごい”の中に、冷たさが安定していること、きれいなこと、栄養分が豊かなことが入っているんです」


子どもは頷く。


「深い海のすごい水!」


ひかりが小さく拍手した。


「美月ちゃん、入口を作るのは本当に上手だねぇ」


凜花も感心する。


「説明は浅いのに、距離の詰め方は深いですね」


美月が振り返る。


「褒めてる?」


「七割くらい」


「三割どこ行った!」


イベントはそのまま「深層水きき水チャレンジ」へ進んだ。


深層水を利用した水、深層水塩を使った塩飴、冷たいスープ、焼津かつお出汁の試飲。来場者が順番に体験し、どんな味か、どんな使い道があるかを知るコーナーである。


凜花はイベントコンパニオン仕込みの笑顔で案内する。


「ただ飲むだけではなくて、焼津の産業や食文化にどう生かされているかを知ると、もっと面白いですよ♡」


ひかりは地元静岡勢らしく柔らかく説明する。


「焼津は魚のまちだけど、海そのものを大切にしてきた町でもあるんだよぉ」


美音は成分や利用方法を冷静に補足する。


真白は展示装置に興味津々で、配管やポンプの図を見ながら目を輝かせる。


あかりは列整理が上手い。


明日香は家族連れへの案内が丁寧。


真央は地元スタッフや来場者から一瞬で情報を聞き出し、喋りながら場を温めていく。


そして美月は、深層水を一口飲んだ。


「……深い味やな」


凜花が疑いの目を向ける。


「本当に分かって言ってます?」


「深層水やから深いんやろ!」


たつを。


《かんそうが あさい》


「やかましい!」


さらに司会から、「美月さん、駿河湾深層水を一言でPRしてください」と振られた。


美月は待ってましたとばかりにマイクを握る。


「海より深い! 美月より浅い!」


会場が一瞬、止まった。


凜花が静かに言った。


「自分で言いましたよね?」


美月も固まる。


「あっ」


真央が腹を抱えた。


「自虐キャッチコピーだがね!」


たつをは迷わずフリップを掲げた。


《さいよう》


「採用すな!」


《こうしき》


「公式にすな!」


《しょうひょうとうろく》


「するな!」


会場は大爆笑だった。


ところが、この失言が妙にハマった。


子どもたちは「海より深い! 美月より浅い!」と真似し始め、年配の来場者まで「あの元気な子、面白いねえ」と笑っている。


美月は調子に乗った。


「ええか、深層水いうのはな、深い海から来た、すごい水や!」


凜花が横から入る。


「説明が一ミリも増えていません」


「覚えやすいやろ!」


「それは否定できません」


「ほら!」


美月のファン対応は絶妙だった。


説明は雑。


理解も浅い。


しかし来場者の距離を詰めるのが抜群に上手い。


写真撮影では子どもの高さに合わせてしゃがむ。年配客には大きな声でゆっくり話す。緊張している子には「失敗してもええねん。ウチ見てみ、失敗しかしてへん」と笑わせる。


凜花はその様子を見ながら、内心で認めていた。


美月は知識で勝負するタイプではない。


だが人を笑わせ、場を温め、相手をイベントの中へ引き込む力がある。


それは、ステージ経験のある凜花から見ても簡単に真似できるものではなかった。


「美月さんって、やっぱりすごいですね」


「今度はちゃんと褒めてる?」


「八割くらい」


「二割どこ行った!」


「深層に沈めました」


「うまいこと言うな!」


焼津らしい港町グルメPRコーナーも盛り上がった。


まぐろ、かつお、黒はんぺん、しらす、桜えび。さらに深層水塩を使った限定メニュー。


凜花が美しく紹介する。


「焼津は“魚のまち”として全国に誇れる場所です。港で食べるまぐろやかつおって、本当に特別なんですよ♡」


美月はマイクを持ったまま言った。


「魚界の四番打者は、まぐろやな!」


あかりが真顔で聞く。


「魚に打順があるんですか?」


真白も真面目に続ける。


「かつおは何番ですか?」


明日香まで、


「黒はんぺんは守備位置どこですか?」


凜花が頭を抱えた。


「美月さんのせいで、魚介類が野球チームになりました」


美月は胸を張る。


「かつおは一番や。俊足巧打や」


美音が少し考えて言った。


「黒はんぺんは代打の切り札では?」


凜花が振り返る。


「美音さんまで乗らないでください」


たつを。


《さくらえび ちいさいけど はしる》


「走らへん!」


真央が笑いながらまとめる。


「焼津フィッシュ打線、完成間近だがね」


「完成させないでください!」


凜花の制止もむなしく、会場の子どもたちは「まぐろ四番!」「かつお一番!」と盛り上がり始めた。


イベントは大成功。


そう思われた、その時だった。


スタッフが慌てた様子で隼人補佐官のもとへ駆け込んできた。


「限定配布用のディープブルー・ボトルが一部見当たりません!」


空気が変わった。


ディープブルー・ボトル。


駿河湾深層水PRの目玉として用意された、青いラベルの小型ボトルセットである。次のステージで来場者に配布する予定だった。


盗難ではない。


おそらく搬入ミス。


だが、港のイベント会場は広い。


深層水展示ブース、魚介販売ブース、冷蔵車、仮設倉庫、作業用台車、似たような青い箱。


時間はない。


隼人補佐官が時計を見る。


「配布開始まで十五分です。現場対応に移ります」


凜花は即座にマイクを持った。


「私がステージをつなぎます」


さすが元アイドル。


現役イベントコンパニオン。


マイク一本あれば十五分は持たせられる。


凜花は笑顔で客席へ向いた。


「みなさん、ここからは焼津ディープブルー延長戦です♡ 駿河湾深層水クイズ、もう少しだけ付き合ってくださいね」


来場者はむしろ喜んだ。


その裏で、ヒロ室東海(仮称)の面々が動く。


美音は港の導線を見る。


「深層水ブースではなく、魚介販売エリア側へ誤搬入された可能性があります。冷蔵資材と一緒に動かされたのかもしれません」


真白は地面の台車跡を見つける。


「この車輪跡、途中で左へ曲がっています。深層水展示の方ではありません」


真央はスタッフに次々と聞く。


「青い箱、最後に見たのどこだがね? 台車? 冷蔵車? 魚の方? あ、二つあった? それ早よ言わなかんやつだがね!」


あかりは配布待ちの列を落ち着かせる。


「こちらでお待ちください。順番にご案内します」


明日香は子ども連れへ丁寧に声をかける。


「少しだけクイズの時間が延びます。もうすぐ始まりますからね」


ひかりは海風が強くなっていることに気づく。


「案内板が風で見えにくくなってるよぉ。列を少し内側へ動かした方がいいら」


美月は声量を生かして誘導する。


「深層水ボトルは逃げません! でも列は広がるので、ちょっと詰めてくださーい!」


ステージ上の凜花が即座に突っ込む。


「列も逃げません!」


「似たようなもんや!」


そんな中。


たつをが消えた。


「たつをは?」


美月が一瞬だけ周囲を見る。


「まあええか」


探さない。


しかし、この時ばかりは違った。


たつをは、誰にも言わずに動いていた。


小さな体で、港の作業エリアをちょこちょこ歩き、冷蔵コンテナの前で止まる。


そして、フリップを出した。


《ここ》


近くにいた美音が気づいた。


「そこですか?」


《たぶん》


「たぶん、では困ります」


たつをはコンテナ脇の青い箱を指さす。


《あおい》


真白が駆け寄り、ラベルを確認した。


「ありました。ディープブルー・ボトルです!」


美音がすぐに隼人へ連絡する。


「発見しました。魚介販売ブース用の保冷資材と誤って冷蔵コンテナ側へ移動されたようです」


美月も駆け寄る。


「たつを、お前、ほんまに見つけたんか!」


たつを。


《みつけた》


「たまに有能やな!」


《たまに いうな》


「常にではないやろ!」


《きょうは しゅやく》


「それは言い過ぎや!」


たつをはさらにフリップを出した。


《ぜんぶ ぼくの てがら》


美月が即座に突っ込む。


「九割みんなや!」


《みづきは いちわり》


「少なっ!」


《こえ》


「声だけかい!」


しかし、今回ばかりはたつをの大活躍だった。


彼が冷蔵コンテナ横の青い箱に気づかなければ、配布ステージは間に合わなかったかもしれない。


美音と真白が運搬ルートを整え、真央がスタッフへ連絡し、あかりと明日香が列を維持し、ひかりが風対策を行い、美月が来場者を笑わせながら誘導する。


凜花はステージ上でクイズを続けていた。


「では問題です。駿河湾深層水の特徴、低温安定性、清浄性、もう一つは?」


子どもが手を挙げる。


「えいよう!」


「正解です♡」


そこへ美月が箱を抱えて戻ってきた。


「ディープブルー、帰還や!」


会場から拍手。


たつをが横でフリップを出す。


《ぼくが みつけた》


拍手がさらに大きくなる。


たつを。


少し。


誇らしげ。


美月が言う。


「今日の主役はたつをやな」


たつを。


《もっと いって》


「調子乗んな!」


無事、配布ステージは予定通り始まった。


トラブル対応そのものが一つのショーのようになり、来場者との一体感はむしろ強くなった。


最後の挨拶で、凜花は晴れやかな表情でマイクを握った。


「今日は焼津の海の深さ、魚のまちとしての魅力、そして駿河湾深層水の可能性を、たくさんの方に知っていただけたと思います」


「深い海から届く恵みを、これからもみんなで大切にしていきましょう♡」


ひかりも続ける。


「焼津って、海の力をすごく感じられる町なんだよぉ。今日来てくれたみんなにも、その魅力が伝わってたら嬉しいです」


最後に美月がマイクを握った。


「焼津最高やー! 深層水は深い! 美月の理解はこれから深める!」


会場は大爆笑。


たつを。


《がんばれ》


美月が一瞬、感動しかけた。


「急に優しいやん」


たつを。


《むりせず》


「やっぱ小馬鹿にしとるやろ!」


イベントは大成功に終わった。


焼津の魚。


駿河湾深層水。


港町の活気。


ヒロ室東海(仮称)の連携。


たつをの意外な有能さ。


そして美月の浅層水キャラ。


全部、来場者の記憶に残った。


夜。


新幹線ひかり号。


赤嶺美月は指定席に座っていた。


イヤホン装着。


スマホを両手で持つ。


表情は真剣。


目的は、もちろん。


偵察。


本人はそう言い張っている。


RINKA MODEが始まった。


画面の向こうで、凜花が手を振る。


「りんか民のみんなぁ、ごきげんよう♡ 今日は焼津から帰ってきたよ~」


コメントが流れる。


《陛下おかえり》


《焼津行きたくなった》


《深層水勉強になった》


《凜花様の説明わかりやすかった》


凜花は嬉しそうに笑う。


「駿河湾深層水、すごかったでしょ?」


「日本一深い駿河湾の恵みなんだよ。冷たくて、きれいで、栄養分もあって、いろんな使い方ができるんだって♡」


《深い海より陛下の美貌》


《陛下は清浄性高い》


《低温安定してないくらい可愛い》


凜花が笑った。


「みんな、褒め方がだんだん専門用語になってきたね♡」


美月も少し笑っていた。


「りんか民、たまにうまいこと言うな」


その時。


コメント欄に、来た。


《美月の理解は浅層水》


美月の眉が跳ねた。


「来たな」


《海より深い、美月より浅い》


《自分で言ったから逃げられない》


《浅月》


《水深3センチ》


美月は思わず声を上げた。


「誰が水深三センチや!」


前の席の乗客が振り返った。


美月は即座に頭を下げる。


「すんません」


そしてコメント欄を開いた。


本人見てるで。


入力。


送信ボタンに指が乗る。


止まる。


「アカン。これでは偵察にならへん」


削除。


コメントは容赦ない。


《魚界の四番打者=まぐろ》


《かつお一番打者説》


《黒はんぺん守備職人》


《焼津フィッシュ打線》


美月は小声で反論した。


「黒はんぺんは堅実な二番やろ!」


また前の席が動く。


「すんません」


画面の中で凜花がコメントを読む。


「ちょっと、りんか民。美月さんのこと、いじりすぎないの」


美月は満足げに頷く。


「せやせや」


凜花は真面目な顔を作った。


「美月さん、説明はちょっと浅かったけど」


「浅かった言うた!」


「でも、来場者との距離の詰め方は本当に上手だったんだよ」


美月の機嫌が戻る。


「凜花さん、分かっとるやん」


凜花は続ける。


「特に“海より深い! 美月より浅い!”は、子どもたちがすぐ覚えてくれて」


「そこ拾うな!」


凜花は笑いをこらえようとした。


しかし、こらえきれなかった。


「ごめん、あれは本当に面白かった♡」


美月は座席で小さく叫んだ。


「フォローどこ行った!」


コメント欄が爆発する。


《陛下公認浅層水》


《浅月爆誕》


《美月の理解、取水不可》


《水深3cmでは取水できません》


《深層水じゃなくて美月水》


美月はまた入力する。


本人ここにおるで!!


送信。


直前。


止まる。


削除。


「冷戦や……耐えろ……」


凜花はまだ笑っている。


「でもね、本当に美月さんのおかげで、深層水って言葉を覚えてくれた子どもたちも多かったと思うの」


「美月さんって、いつも一生懸命だから、バカにしちゃダメだよ」


美月は少しだけ胸を張る。


「ええこと言うやん」


凜花はにっこりした。


「まあ、理解はこれから深めるって本人も言ってたし♡」


「もう一回浅い言うたな!」


《次回までに深めよう》


《美月、潜水開始》


《浅瀬からの挑戦》


《深層水リベンジ回希望》


美月はスマホを握りしめた。


「誰が潜るか!」


怒っている。


かなり怒っている。


だが、少し笑ってもいる。


そこへ凜花が、今日のクエストの話を始めた。


「あとね、今日はちょっとしたトラブルもあって。ディープブルー・ボトルが見つからなくなっちゃったんだけど」


《クエスト発生》


《ヒロ室東海(仮称)出動》


《たつを有能だった》


凜花が頷く。


「そう。たつをが見つけてくれたの。本当に助かった」


《たつを主役》


《たつを深層水の神》


《たつを>美月》


美月が止まった。


「……最後の何や」


入力。


たつを>美月はない。


止まる。


削除。


「危ない。普通に反論するとこやった」


凜花は画面の向こうで笑っていた。


「今日のたつをは本当に頑張ってくれました。美月さんも誘導で頑張ってくれたよ。声、大きいからすごく聞こえたし」


《声量だけ深層》


《理解は浅層、声量は深層》


《美月の声、駿河湾最深部まで届く》


美月は立ち上がりかけた。


「届くか!」


その瞬間、車内放送が流れた。


「まもなく、新大阪です」


美月は一瞬だけ顔を上げた。


「あ、降りる駅や」


スマホを見る。


コメント欄を見る。


《美月、降り損ねそう》


美月は笑った。


「誰が降り損ねるか!」


コメント入力。


本人見てるで。降りるわ。


指が止まる。


「いや、これも偵察にならへん」


削除。


《浅月、終点まで行け》


「行かへんわ!」


入力。


新大阪で降りるわ!


止まる。


削除。


その間に列車は減速する。


ホームへ入る。


美月はまだスマホを見ている。


凜花が画面の向こうで言う。


「美月さん、きっと今日も見てるのかな?」


美月は固まった。


「えっ」


コメント。


《本人見てる説》


《ひかり号で偵察中》


《そろそろ降りろ》


《新大阪ですよ》


美月は思わず画面へ向かって叫んだ。


「なんで分かんねん!」


前の乗客が振り返る。


「すんません!」


車内放送。


「新大阪、新大阪です」


扉が開く。


美月。


まだ座っている。


コメント欄。


《降りろ美月》


《浅層水、下車》


《美月、ここで降板》


美月がようやく我に返った。


「アカン! ほんまに降り損ねる!」


荷物を掴む。


イヤホンを抜く。


スマホを落としかける。


通路へ出る。


前の乗客に頭を下げる。


「すんません、降ります!」


扉へ向かう。


発車メロディ寸前。


ギリギリ。


ホームへ飛び出す。


扉が閉まる。


美月は新大阪駅のホームで息を切らした。


スマホを見る。


配信はまだ続いている。


凜花が笑いながら言っていた。


「りんか民、美月さんをいじりすぎないの。降り損ねたら大変だから」


コメント。


《もう遅い説》


《ギリギリ降りた説》


《新神戸まで行ってほしかった》


《深層水より深い乗り過ごし》


美月はホームで小さく叫んだ。


「危うく新神戸行くとこやったわ!」


周囲の人が見る。


美月はまた頭を下げた。


「すんません……」


画面の中の凜花は、なぜか少し楽しそうだった。


「でも本当に、美月さんは一生懸命なんです。イベントでも、トラブルの時も、ずっと動いてくれてたし」


美月は少しだけ照れた。


「凜花さん……」


凜花はにこっと笑った。


「まあ、“本人見てるで”って書くのを我慢してる顔、想像するとちょっと面白いけど♡」


美月はホームで固まった。


「見透かすな!」


コメント欄。


《陛下、完全に分かってる》


《本人見てるで未遂》


《新大阪下車成功》


《美月、偵察失敗》


《冷戦なのに相手に読まれてる》


美月はスマホを握りしめた。


もう書き込まない。


書き込めない。


書き込んだら負け。


いや、もう負けている気もする。


でも認めない。


凜花は最後に、焼津の話へ戻した。


「焼津、本当に素敵な場所でした。魚のまちとしての活気もあるし、駿河湾深層水みたいな未来につながる資源もあるし」


「りんか民のみんなも、ぜひ焼津に行って、海の恵みを感じてみてね♡」


そして、いたずらっぽく笑う。


「あと、美月さんの理解も、いつか深層水くらい深くなるといいね♡」


コメント。


《無理》


《水深3cmからの挑戦》


《浅月がんばれ》


《たつを先生に教えてもらおう》


美月は新大阪駅のホームで、深く息を吸った。


「……りんか民」


一拍。


「お前らとの冷戦は、今日でさらに深まったからな」


深層水だけに。


ただし、相手側はその冷戦の存在を知らない。


凜花も多分、半分くらいしか知らない。


たつをはきっと知っている。


そして面白がっている。


こうして、**『YAIZU DEEP BLUE HEROINE FESTA』**は大成功に終わった。


焼津の魚。


駿河湾深層水。


港町の活気。


ヒロ室東海(仮称)の連携。


凜花の安定した現場力。


ひかりの丁寧な地元紹介。


美月の浅すぎる理解と深すぎるファン対応。


そして、クエストで意外な大活躍を見せたたつを。


焼津の深い海は、この日も青く静かに広がっていた。


ただし。


赤嶺美月の理解と、りんか民との停戦交渉だけは。


まだ。


浅瀬でバシャバシャしていたのである。

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