SAGAMIHARA SECRET GARDEN――白石邸を包む影! KANA☆WAVE、緑の防衛線 ――誰も知らなくていい秘密がある。陽菜の笑顔の裏で、“東洋のマタハリ”が一度だけ牙をむく。
厚木・海老名を走り回ったKANA☆WAVEの任務は、最後に妙な宿題を残して終わった。
捕らえたジェネラス・リンクの工作員が吐き捨てた一言。
「町田だ……町田……」
それを聞いた平塚美波は眉間に皺を寄せ、
「町田は東京だろうがよ」
と至極もっともな指摘をした。
すると水無瀬澪が、
「でも神奈川っぽいよね」
と言い出し、南部沙羅まで、
「カナちゃん号も走っていますし……」
と余計な補足を加えたため、
「だから話をややこしくすんなよ!」
という美波の絶叫で厚木・海老名任務は終了した。
しかし。
ジェネラス・リンクの情報は、工作員本人の地理認識よりは正確だった。
数日後。
仙台。
ノースフロント仙台分室。
菅野真結――まゆちゃんの巨大モニターには、町田周辺の膨大な通信履歴が表示されていた。
町田。
境川。
相模原。
また町田。
再び相模原。
端末は都県境などまるで意識せず動いている。
真結は一つ一つのログを重ねていった。
車両。
人物。
時間。
通信。
それぞれ単独で見れば大した情報ではない。
だが、まゆちゃんの解析力は、膨大な「普通」の中から、ほんのわずかな「普通ではない」を拾い上げる。
同じ白い車が同じ道を通る。
同じ人物が違う服装で現れる。
一台の端末がごく短時間だけ電源を入れる。
そして。
すべてを重ねると。
相模原市内。
市街地から少し離れた、緑の多い一帯へ収束する。
真結が小さく呟いた。
「……町田だけじゃない」
新橋ヒロ室とのオンライン回線が開く。
モニターの向こう。
波田顧問。
芹沢遥室長。
「厚木・海老名で回収したデータを追いました」
真結が地図を表示する。
「工作員が言った“町田”という情報は間違いではありません。ただし活動範囲は東京都側だけではありません」
遥、
「神奈川へ戻ってる?」
「はい。境川周辺を何度も越えています。特に相模原市側で反復行動が多いです」
地図が拡大。
相模原。
政令指定都市。
東側には大きな市街地。
駅。
住宅。
商業地。
しかし西へ向かえば景色は変わる。
津久井。
丘陵。
畑。
森。
湖。
山。
都市と豊かな自然が一つの市の中に同居する、神奈川でも独特のスケールを持つ街だ。
今回、異常が集中しているのは、その緑の多い一帯だった。
真結がポイントを表示。
波田が画面を見る。
一瞬。
顔が止まった。
「……陽菜んちの近くだな」
遥、
「白石さんのご実家?」
「そう」
真結、
「正確には白石邸そのものへ侵入した記録はありません。ただ周辺で複数の人物と車両が何度も反復しています」
遥、
「何か見張ってる?」
「可能性があります」
波田の表情がわずかに硬くなった。
その時だった。
♪~~~~♪
真結の机。
北洋製紙石巻工場から支給されているスマートフォン。
遥、
「…………」
波田、
「石巻?」
真結、
「はい……」
「出ていいよ」
「すみません」
真結は電話を取る。
「はい、菅野です」
『まゆちゃん、すみません。また秋山常務の件なんですけど』
真結の顔が変わる。
今までジェネラス・リンクの反復行動をミリ単位で追っていた情報分析官が、一瞬にして北洋製紙石巻工場総務部の頼れる先輩へ戻った。
「今度は何?」
『視察当日の夜なんですけど、海鮮居酒屋のコースが三つあって……どれ選べばいいですか?』
「ああ」
即答。
「一番高い極上海鮮コースじゃなくていいよ」
『え? 常務なのにですか?』
「むしろやめた方がいい」
遥が画面越しに聞いている。
真結、
「三陸浜の幸コースにして」
『何でです?』
「秋山常務、刺身は好きだけど刺身ばっかり続くと途中から箸止まるから」
『そこまで分かるんですか?』
「何回一緒に宴席やったと思ってるの」
真結は指を折り始める。
「最初に刺身盛り合わせ」
「次、焼き物」
「煮物」
「中盤で揚げ物」
「鍋があるなら後半」
「〆は海鮮茶漬け」
後輩、
『麺じゃ駄目です?』
「秋山常務、酒飲んだ後の麺ほぼ残すよ」
『へえ……』
「焼き魚選べる?」
『金華サバか銀ダラです』
「金華サバ」
『即答ですね』
「石巻まで来て銀ダラ選ばせなくていいでしょ」
波田、
「…………」
真結、
「あと飲み放題」
『普通プランでいいですよね?』
「駄目。日本酒付きにして」
『えっ』
「秋山常務、左党だから」
『日本酒派なんですか?』
「かなり」
『どのくらい?』
「置いてあると飲む」
『飲み放題ですけど?』
「だから置きっぱなしにしちゃ駄目」
後輩、
『……?』
「徳利を常時目の前に置かないで。頼まれてから出す」
『何でそこまで?』
「翌朝も視察あるでしょ?」
『あります』
「じゃあ飲ませすぎたらこっちが困る」
遥、
「総務ってそこまで管理するんですか……?」
真結はまだ電話中。
「日本酒は純米と辛口の二種類以上あるプラン」
『庄司部長は?』
「ハイボール」
『即答』
「庄司部長はハイボールがあればだいたい機嫌いい」
『じゃあ濃いめで?』
「濃いめにしない」
『何で?』
「酔うと面倒だから」
遥、
「…………」
さらに真結。
「庄司部長の隣に女性社員置かない」
『はい』
「若手男性社員を一人入れる」
「秋山常務と副工場長は絶対離す」
『犬猿の仲でしたね』
「そう。向かい合わせも駄目」
「できれば斜め対角線くらい離す」
「工場長は常務の斜め前」
「経理部長が来るなら常務の近く」
『席札つけます?』
「絶対つけて」
『開始十九時ですけど、何時から店入ればいいです?』
「十八時半には幹事入って」
『早くないですか?』
「秋山常務、十九時開始だと十八時四十分くらいに来る時あるから」
『二十分前!?』
「本社組は早い」
『まゆちゃん……もう当日だけ帰ってきてくださいよ』
「仙台からそのためだけに石巻戻れないよ」
『今ほとんど幹事してますけど』
「コース表と席順できたらメールして」
『またチェックしてくれるんですか?』
「見るよ」
『ありがとうございます!』
電話終了。
真結が画面へ戻る。
「……お待たせしました」
遥は何とも言えない顔。
波田は違った。
腕を組んで感心している。
「まゆちゃん、随分と小回り利く海鮮居酒屋だな」
遥、
「またそこですか?」
波田、
「飲み放題で日本酒付きに変えられるんだろ?」
真結が少し照れた。
「いつも工場で使わせてもらっていたので、事前に相談すると結構融通してくださるんですよ」
「いい店だな」
「波田さん、今ジェネラス・リンクの話です」
「ああ、そうだった」
真結も笑う。
しかし。
数秒。
大型モニターを操作すると表情が完全に仕事へ戻った。
「相模原で確認された不審者ですが、最も反復回数が多いのはこの区域です」
地図。
白石邸周辺。
波田の笑みが消えた。
遥もそれには気づいた。
「何か問題が?」
波田、
「……いや」
だが。
問題どころではなかった。
白石陽菜。
KANA☆WAVE最年少。
天真爛漫。
華やか。
そして本人は何も知らない。
その出生が、日本政府によって封じられてきた極秘事項であることを。
実父。
かつて日本国の頂点に立った元総理大臣。
だが男本人さえ、陽菜という娘が存在することを知らない。
実母。
杉本恵。
かつて世界の裏側で数々の諜報活動へ関与し、
「東洋のマタハリ」
という異名で恐れられた女。
現在は。
白石家の家政婦。
ただそれだけ。
少なくとも世間的には。
陽菜を娘として育てたのは養父・白石源三郎と、すでに他界した養母。
出生の核心を正式に知っているのは。
波田。
安岡真帆。
白石源三郎。
杉本恵。
たった四人。
芹沢遥すら知らない。
まゆちゃんも知らない。
美波はもちろん知らない。
そして陽菜本人も知らない。
――ことになっている。
ただし。
陽菜は、うっすら感じていた。
恵が自分を見る目。
体調を崩せば、誰より早く気づく。
幼い頃の癖を、源三郎以上に知っている。
誕生日だけ、ほんの少し寂しそうな顔をする。
陽菜は幼くない。
それでも尋ねない。
恵が隠したがっている。
だから。
陽菜も知らないふりをしている。
二人の間には、名前の付いていない親子関係があった。
そして。
その秘密が外へ出ることは許されない。
単なる、
「元総理大臣の隠し子発覚」
では済まない。
恵が過去に関わった複数国家の諜報案件。
当時の外交交渉。
各国情報機関。
秘密協定。
政権中枢。
それらが一斉に掘り返される。
極端に言えば。
白石陽菜という一人の少女の出生が露見しただけで、国際社会のパワーバランスが動きかねない。
少々大げさ。
というより。
かなり大げさ。
だが当局は、
「大げさなくらいでちょうどいい」
という姿勢だった。
ジェネラス・リンクは完全な事実までは知らない。
しかし、
《白石陽菜の出生には政府レベルの機密が存在する》
という断片をどこかで拾った。
そして今。
白石邸の周辺を嗅ぎ回っている。
波田は回線を切り替えた。
安岡真帆。
「真帆」
『はい』
「陽菜の件、触られてる可能性がある」
数秒。
声が変わる。
『どこまで?』
「まだ断片」
『KANA☆WAVEには?』
「絶対言わねえ」
『遥室長にもです』
「分かってる」
『ジェネラス・リンクは排除。ただし任務理由は別件にしてください』
「そうする」
美波への説明は単純だった。
「ジェネラス・リンクが、ヒロイン本人や家族の個人情報を集めてるらしい」
美波の眉が跳ねた。
「家族?」
「脅迫材料とか、揺さぶりに使うつもりだろうな」
完全な嘘ではない。
だが。
肝心な部分は一切言わない。
「陽菜は知名度あるし、白石家は……まあ、目立つだろ」
美波、
「目立つっつうか、家がデカすぎるんだよ」
波田、
「その辺含めてだ」
美波の顔が険しくなる。
「本人だけじゃ足りなくて家族まで嗅ぎ回んのかよ」
「そう考えてくれ」
「分かった。追い出すべ」
その一言で十分。
美波は理由に納得した。
そして。
その頃。
白石邸。
広大な敷地。
大きな門。
そこから母屋まで続く長い私道。
森。
芝生。
洋館。
温室。
庭園。
池。
一般家庭の「庭」という語彙を軽々と破壊する規模。
そこで杉本恵は窓越しに外を見ていた。
同じ白い車。
三日前。
昨日。
今日。
同じ男。
服装は違う。
しかし歩幅が同じ。
散歩しているように見える。
けれど景色を見ない。
見ているのは。
門。
防犯カメラ。
車。
出入りする人間。
恵の目が細くなった。
「……素人じゃないわね」
長年封印していた感覚。
空気の違和感。
視線。
足音。
立つ位置。
相手が何を見ているのか。
かつて国際舞台の裏側で何度となく命を救った勘は、五十代半ばになっても消えていない。
むしろ。
家政婦という平穏な生活を長く続けた今だからこそ。
異物は、より鮮明に見えた。
その朝。
陽菜が出掛ける。
「恵さん、行ってきます!」
「陽菜さん」
「はい?」
「今日の任務……少し慎重にお願いしますね」
陽菜、
「は~い」
明るい。
まるで遠足へ行くような返事。
恵、
「……」
陽菜が笑う。
「大丈夫ですよ。美波さんも、伊織さんも、エミリーさんもいますから」
「そうですね」
一瞬。
二人の視線。
陽菜は思った。
――やっぱり今日の恵さん、ちょっと変。
でも聞かない。
恵も言わない。
陽菜が屋敷を出る。
恵はその背中を見送りながら、小さく息を吐いた。
「胸騒ぎって、当たらない方がいいのだけれど」
だが。
今日は当たった。
KANA☆WAVEは相模原へ入った。
今回は巨大駅前でもなければ、市街地でもない。
市の西寄り。
緑。
丘。
畑。
林。
風。
細い道。
市内とは思えないほど自然の深い風景。
陽菜の表情が少し明るい。
「この辺、昔から知っています」
美波、
「今日は陽菜が地元ガイドだな」
「はい!」
「この先は?」
「道が二つに分かれますけど、右は行き止まりです」
澪、
「今日は私より詳しいね」
美波、
「当たり前だろ! 陽菜の実家の近くだぞ!」
澪、
「そっか」
沙羅、
「澪、ちょっと悔しそうですね」
「別に」
紗耶が周囲を見る。
「……あれ」
美波、
「出た?」
「あの人」
作業服。
工具箱。
電気設備の点検業者風。
美波、
「何?」
「偽物」
「今日は何で?」
「工具箱持ってるのに、設備を一回も見てない」
美波、
「紗耶センサー!」
紗耶、
「もう反応するの面倒になってきた」
その少し先。
澪。
「あの白い車もさっきいたよ」
柚葉、
「同じ車ですか?」
「うん」
仙台。
真結がすぐ照合。
『一致しました。直近三十分で四回周回しています』
美波、
「一周何してんだ?」
澪、
「暇なんじゃない?」
沙羅、
「工作員を澪基準で考えないでください」
柚葉、
「反復の中心は白石邸方面です」
美波、
「よし」
顔が変わる。
「ここから締めるべ」
敵も気づいた。
複数の人影が散る。
美波、
「住宅側へ追い込むな! 一般人優先!」
伊織、
「了解さー!」
エミリー、
「Got it!」
紗耶と沙羅が右。
伊織とエミリーが左。
柚葉はまゆちゃんと連携。
澪は後方。
陽菜は前方の一人を見つけた。
「美波さん!」
「何!」
「この先なら先回りできます!」
美波、
「無理すんなよ!」
「大丈夫です!」
陽菜は走った。
地元。
何度も通った道。
子供の頃から知っている。
ここを抜ければ向こうへ出る。
だから。
ほんの少しだけ。
緊張が緩んだ。
細い林道。
前。
一人。
「いました!」
男が止まる。
陽菜も止まる。
その時。
後ろから足音。
一人。
さらに横からもう一人。
陽菜、
「……え?」
三人。
囲まれた。
男の一人が陽菜を見た。
「白石陽菜だな」
陽菜の顔から笑みが消える。
「どうして私の名前を?」
男は答えない。
一歩。
陽菜が構える。
相手の狙いは明らかに違う。
殺すのではない。
捕らえる。
聞き出す。
連れ去る。
一人目が来る。
陽菜がかわす。
腕を弾く。
反撃。
男が下がる。
二人目。
後ろ。
陽菜が振り返る。
三人目が横へ。
「くっ……!」
狭い。
動きにくい。
一人なら十分戦える。
三人。
しかも捕獲を前提に連携している。
陽菜が距離を取ろうとした時。
静かな声がした。
「陽菜さん」
陽菜が振り返る。
「……恵さん?」
そこにいたのは。
杉本恵。
いつもの服。
小柄。
五十代半ば。
片手には買い物バッグ。
どう見ても。
近所へ買い物に来た家政婦。
工作員が苛立つ。
「何だ、あんた」
恵は返事をしない。
ゆっくりバッグを地面へ置いた。
そして。
「陽菜さんから離れてください」
工作員が笑う。
「帰れ」
恵、
「もう一度だけ申し上げます」
表情は穏やか。
「その方から離れてください」
その時。
別ルートから沙羅と澪が追いついた。
「陽菜!」
そして二人は。
見た。
工作員が恵へ腕を伸ばす。
次の瞬間。
恵が消えたように見えた。
実際は一歩だった。
ただ。
速すぎた。
男の腕を取る。
力任せではない。
角度。
重心。
一瞬。
男の身体が地面へ。
沙羅、
「…………」
二人目。
蹴り。
恵は半歩。
それだけ。
蹴りが空を切る。
恵が懐へ。
掌。
短い一撃。
男が大きく後退。
三人目。
背後。
恵は振り向きながらではなく、すでに次の動作へ入っている。
腕。
肩。
腰。
投げる。
男が地面へ転がる。
澪、
「…………」
沙羅、
「…………」
一人目が再び立つ。
恵は相手を見る。
その目。
さっきまで陽菜へ紅茶を淹れていた人間とは違った。
冷たい。
静か。
迷いがない。
男が突っ込む。
恵。
受ける。
流す。
肘を封じる。
体勢を崩す。
最後の一撃。
男が沈む。
数十秒。
三人。
全員制圧。
恵は一度息を整える。
袖口を直す。
乱れた髪を軽く整える。
地面の買い物バッグを拾う。
そして。
完全にいつもの顔へ戻った。
「陽菜さん、お怪我はありませんか?」
陽菜、
「だ、大丈夫です」
「よかった」
にっこり。
沙羅は口を半分開けたままだった。
「……あの人、何者??」
陽菜、
「恵さんですか?」
「そうです!」
陽菜は首を傾げる。
「私のことをいつも見守ってくれている家政婦さんです」
沙羅、
「ただの家政婦さんじゃないよ! あの動き!」
陽菜、
「そうですか?」
「そうです!」
「恵さんは若い頃、海外で生活していたそうで、護身術を習っていたって話していましたよ」
沙羅、
「あれは護身術のレベルじゃないよ!」
陽菜、
「そうかなぁ」
沙羅、
「そうだよ!」
陽菜はにこにこしている。
そして。
それ以上は言わない。
本当のところ。
陽菜も不思議には思っている。
ただの家政婦。
そのはず。
でも。
自分のことを知りすぎている。
自分を見る目が、時々家政婦の目ではない。
そして今日。
自分を守るために現れた。
あの顔。
陽菜の中にある、
――もしかして。
という小さな疑問。
でも恵が隠している。
だから。
陽菜も追わない。
知らないふりをする。
一方。
澪は恵を見る。
倒れた工作員。
また恵。
そして言った。
「……これ、黙ってた方がいいやつだね」
沙羅、
「澪!?」
「世の中には、見てはいけないものもあるから」
「何で急に人生の達人みたいになってるんですか!?」
澪、
「聞いても答えないと思うし」
沙羅、
「それはそうだけど!」
そこへ伊織。
倒れている男。
杉本恵。
一目。
武道家だから分かる。
姿勢。
重心。
呼吸。
動いた後なのに軸が乱れていない。
伊織が素直に言った。
「綺麗な身体の使い方ですね」
恵、
「ありがとうございます」
「昔、何か?」
恵は微笑む。
「少しだけ」
伊織は二秒見る。
「……そうですか」
終わり。
沙羅、
「伊織さん、そこで終わるんですか!?」
「本人が“少しだけ”って言ってるさー」
「信じてるんですか!?」
伊織、
「聞かれたくなさそうだから聞かないだけさー」
澪、
「ほら」
沙羅、
「何で私だけ好奇心旺盛みたいになってるんですか!」
その時。
美波も到着。
「陽菜!」
「美波さん!」
「一人で先走んなって言っただろ!」
「ごめんなさい!」
「怪我!」
「ありません」
「ならいい!」
陽菜、
「恵さんが助けてくれました」
美波が恵を見る。
「恵さん?」
沙羅が割り込む。
「美波さん、この人絶対普通じゃ――」
恵が深々と頭を下げた。
「白石家で家政婦をしております、杉本恵と申します」
美波、
「あ、いつも陽菜がお世話になってます」
沙羅、
「何で納得するんですか!」
美波、
「家政婦さんだろ?」
「家政婦さんが工作員三人を十数秒で倒します!?」
美波が倒れている三人を見る。
恵を見る。
「……護身術?」
陽菜、
「海外で習ったそうです」
美波、
「すげえな海外」
沙羅、
「まとめ方が雑!」
その後。
残るジェネラス・リンク工作員はKANA☆WAVEがきっちり制圧した。
伊織。
エミリー。
美波。
前線。
紗耶が動きを読む。
沙羅が逃走路を絞る。
澪が後ろを閉じる。
陽菜も今度は単独行動せず、美波の指示通りに動く。
柚葉とまゆちゃんが中継端末へ。
『接続確認』
柚葉、
「停止できます」
美波、
「やっちまえ!」
停止。
通信消失。
写真。
メモ。
断片的な調査資料。
そこには、
《白石陽菜》
《出生記録不整合》
《政府関係者》
《要調査》
という程度の記録しかない。
核心はない。
ジェネラス・リンクは、まだ秘密の入り口しか見つけていなかった。
その入り口も。
今日、KANA☆WAVEによって閉じられた。
波田の端末。
短いメッセージ。
杉本恵。
《問題ありません。陽菜さんにも皆さんにも気づかれていません》
波田。
《了解。助かった》
遥、
「何です?」
波田は端末を伏せる。
「何でもない」
「任務は?」
少し間。
「完了だ」
それだけ。
誰も本当の意味を知らない。
そして。
知らなくていい。
任務後。
陽菜が明るく言った。
「皆さん、せっかく相模原まで来たので、うちでお茶しませんか?」
美波、
「行く!」
澪、
「お菓子ある?」
「ありますよ」
「行く」
美波、
「お前、決断基準食い物だけだな!」
白石邸。
巨大な門。
開く。
KANA☆WAVEを乗せた車が中へ。
走る。
まだ走る。
沙羅が窓の外を見る。
木。
芝生。
庭。
「……陽菜」
「はい?」
「母屋は?」
「もう少しです」
美波、
「門入ったよな?」
「入りましたよ」
さらに進む。
澪、
「敷地内にバス停欲しいね」
美波、
「カナちゃん号呼ぶなよ!」
陽菜、
「そんなに広いですか?」
七人、
「広い!」
そして。
洋館。
白い壁。
大きな窓。
テラス。
温室。
庭園。
美波、
「……ホテル?」
陽菜、
「家です」
沙羅、
「知っていますけど認識が追いつきません」
陽菜、
「普通ですよ?」
七人、
「普通じゃない!」
そのテラスでは。
杉本恵がすでにティーパーティーの準備を終えていた。
白いクロス。
磨かれた銀器。
上品なティーカップ。
ポット。
季節の花。
スコーン。
クロテッドクリーム。
自家製の苺ジャム。
小さなキュウリのサンドイッチ。
スモークサーモン。
卵。
焼き菓子。
小さなフルーツタルト。
季節の果物。
紅茶は一種類ではない。
香りの良いダージリン。
ベルガモットの香りが立つアールグレイ。
陽菜、
「今日は恵さんが茶葉も選んでくれたんですよ」
美波、
「こないだまで厚木でシロコロ焼いてたチームとは思えねえな」
エミリー、
「Very elegant!」
伊織、
「いい香りさー」
澪。
スコーン。
一口。
「おいしい」
陽菜、
「恵さんの手作りです」
澪、
「もう一個いい?」
恵、
「もちろんですよ」
澪、
「恵さんいい人だね」
沙羅、
「そこだけで人物評価決めないでください!」
そして。
沙羅は忘れていなかった。
紅茶を一口。
恵を見る。
「恵さん」
「はい」
「先ほどのお話なんですけど」
「はい?」
「海外にはどちらに住んでいらしたんですか?」
恵は優雅にポットを持つ。
「いろいろなところですよ」
「いろいろって?」
「仕事の都合でしたので」
「どんなお仕事?」
恵、
「昔のことですから」
「護身術は?」
「少し」
「何系ですか?」
恵、
「沙羅さん、こちらのダージリンはいかがです?」
「いただきます」
恵が注ぐ。
沙羅、
「……じゃなくて!」
美波、
「何してんだお前」
「今質問してたんです!」
恵は微笑む。
穏やか。
余裕。
かつて百戦錬磨の情報機関員を相手に、嘘と真実を混ぜ、誘導し、逆に情報を持ち帰ってきた女。
沙羅の質問は鋭い。
だが。
恵にとっては。
赤子の手をひねるより簡単だった。
沙羅、
「さっきの投げ方ですけど」
「はい」
「相手が後ろにいましたよね?」
「いましたね」
「見ていなかったのに、どうやって?」
恵、
「気配でしょうか」
「気配で三人倒せませんよ!」
「そうですか?」
「そうです!」
恵がタルトの皿を差し出す。
「こちら、今日の果物で作りました」
沙羅、
「わあ、綺麗……いただきます」
一口。
「おいしい!」
恵、
「ありがとうございます」
沙羅、
「……ってまた!」
澪、
「完全に負けてるね」
沙羅、
「情報戦みたいに言わないでください!」
紗耶が笑う。
「情報戦なら、たぶん恵さんの圧勝だよ」
沙羅、
「紗耶さんまで!」
沙羅は諦めない。
「恵さん」
「はい」
「具体的に何か資格とか――」
「沙羅さん、サーモンのサンドイッチ召し上がりました?」
「まだです」
「陽菜さんもお好きなんですよ」
「じゃあ一つ……」
食べる。
沙羅、
「おいしい……」
三秒。
「だから違うんですって!」
美波が笑い始める。
「お前、さっきから全部食い物で止められてんじゃん!」
沙羅、
「恵さんが巧妙なんですよ!」
恵、
「そんなつもりはありませんよ」
にっこり。
沙羅、
「絶対あります!」
恵、
「おかわりはいかがです?」
「お願いします」
「ミルクは?」
「ストレートで」
紅茶が注がれる。
沙羅、
「……」
澪、
「また負けた」
「うるさいです!」
陽菜もくすくす笑っていた。
「沙羅さん、恵さんに質問してもいつもこんな感じですよ」
沙羅が振り返る。
「陽菜も質問したことあるんですか?」
一瞬。
陽菜の笑顔がほんの少しだけ変わる。
「まあ……昔ちょっとだけ」
「何を?」
「昔どこに住んでいたとか」
「それだけ?」
「それだけです」
本当は。
もっと聞きたいことがある。
――どうして私のことをそんなに知っているんですか。
――どうして私を見る時、時々そんな顔をするんですか。
――どうして私の誕生日にだけ泣きそうになるんですか。
そして。
――あなたは本当は、私の……。
でも。
言わない。
陽菜は紅茶を飲む。
恵も何も言わない。
二人の視線だけが一瞬合う。
陽菜、
「恵さん、この紅茶すごくおいしいです」
恵、
「ありがとうございます、陽菜さん」
「今度淹れ方教えてください」
「もちろんです」
それだけ。
紗耶は二人をちらっと見る。
何か。
普通の家政婦と雇い主の娘とは少し違う。
そう感じた。
だが。
聞かない。
伊織も聞かない。
澪に至っては、すでに三個目のスコーン。
エミリーはタルト。
美波はサンドイッチ。
そして沙羅だけが。
まだ諦めていない。
「恵さん」
「はい?」
「最後に一つだけ」
「どうぞ」
「海外で――」
恵がにっこり微笑む。
沙羅も身構える。
今度こそ食べ物に釣られない。
恵、
「陽菜さんが子供の頃、とても可愛かったんですよ」
沙羅、
「え?」
「写真をご覧になります?」
沙羅、
「見ます!」
陽菜、
「恵さん!?」
美波、
「見たい!」
紗耶、
「私も」
エミリー、
「Me too!」
澪、
「見る」
伊織、
「見たいさー」
陽菜、
「ちょっと待ってください!」
一瞬にして話題が、
杉本恵の正体
から、
幼少期の白石陽菜写真鑑賞会
へ完全移行した。
沙羅も夢中。
「陽菜、これ何歳です!?」
「やめてください!」
美波、
「かわいいじゃん!」
「今もかわいいです!」
澪、
「自分で言うんだ」
陽菜、
「そこは否定しません!」
笑い声。
その少し後ろ。
杉本恵。
紅茶を注ぐ。
微笑んでいる。
沙羅は十分後になってから、
「あっ!」
と声を上げた。
「また話そらされた!」
恵、
「何のことでしょう?」
満面の笑み。
沙羅、
「この人、絶対ただ者じゃない……!」
澪、
「もう諦めた方がいいよ」
「嫌です!」
「次来た時また聞けば?」
沙羅、
「そうします!」
恵、
「次回もぜひお越しください」
沙羅、
「……」
美波、
「完全に遊ばれてんぞ、沙羅」
「分かってます!」
また笑い。
夕暮れ。
相模原の緑。
規格外の白石邸。
テラス。
八人の戦隊ヒロイン。
紅茶。
お菓子。
笑い声。
陽菜が仲間に囲まれている。
恵は少し離れた場所から、その姿を見た。
かつて。
世界の裏側で恐れられた女。
国境を越え。
情報を奪い。
情報を守り。
時に追われ。
時に追う側にもなった。
「東洋のマタハリ」。
その名前を知る人間も、今では少ない。
今日。
ほんの数十秒だけ。
昔の自分へ戻った。
国家のためではない。
任務のためでもない。
世界のためですらない。
ただ。
あの少女を守るため。
自分が産んだ娘。
けれど。
今は娘とは呼べない少女。
陽菜がこちらを見る。
「恵さん!」
「はい?」
「一緒に写真撮りませんか?」
一瞬。
恵が止まる。
すぐに微笑む。
「私も、ですか?」
「もちろんです!」
美波、
「恵さんも入ろう!」
沙羅、
「逃がしませんよ!」
恵、
「何からでしょう?」
沙羅、
「そういうところです!」
八人の笑い声。
恵も小さく笑った。
その瞬間だけ。
家政婦でもない。
東洋のマタハリでもない。
ただ。
娘のそばで笑う一人の母親だった。
しかし陽菜は知らない。
知らないふりをしている。
恵も言わない。
それでいい。
まだ。
今は。
誰も知らなくていい秘密がある。
知らない方が守れる笑顔もある。
この日。
KANA☆WAVEはジェネラス・リンクの相模原における動きを完全に排除した。
八人が守ったと思っているものは。
陽菜。
白石家。
ヒロインと家族の個人情報。
だが実際には。
一人の少女の出生。
かつての政権中枢。
国際諜報史。
複数国家を巻き込みかねない国家最高機密。
そして。
何より。
名前を明かせない母と娘の、静かな関係。
その全部を。
本人たちも知らないまま守り切った。
陽菜がテラスで笑う。
恵はその笑顔を見つめる。
心の中だけで。
そっと願った。
――この子には、このまま笑っていてほしい。
相模原の森を、夕方の風が抜けていった。
KANA☆WAVE――相模原任務、完了。




