ヒロヒロ山陰どうでしょう カニの前では怒れない!?――美肌の湯、午前4時、そして知佳はまた騙された
松江で突如として丸投げされた企画――『ヒロヒロ宍道湖七珍! 七人七様・松江PR選手権』。
企画ゼロ。
台本ほぼゼロ。
準備時間もほぼゼロ。
そんな状況から、江波のどか、神門結衣、山根梨乃、一条知佳、金城伊織、杉山ひかり、館山みのりの七人は、どうにか一本のPR企画を完成させた。
その代償として、全員がまあまあ疲れていた。
夕暮れの玉造温泉。
宿泊先となる立派な温泉旅館へ到着した一行の前には、浴衣姿のノムさんとまさにゃんが満面の笑顔で立っていた。
ヒロインたちが宍道湖畔で必死に企画を練っている間に、二人は先回りしてチェックイン。
それどころか、一足先に温泉まで堪能していたのである。
「いやあ、玉造のお湯はええですねえ。肌がつるっつるになりましたわ」
ノムさんが自分の腕を撫でる。
のどかの眉間がぴくっと動いた。
「……ノムさん」
「なんじゃ?」
「ウチらが宍道湖で『企画どうする』『時間足りん』言うて頭抱えとる間に、あんた何しよったん?」
「温泉」
「聞いとらんわ!」
横からまさにゃんまで、
「いや、ええ湯でしたで。露天風呂の温度もちょうどよろしゅうて」
とのんきに加勢した。
「感想いらん!」
のどかは怒り心頭。
その隣では知佳も腕を組んでいた。
「これは一度、今後の制作体制についてきちんと話し合う必要がありますね」
「じゃろ?」
のどかが知佳の肩を叩く。
「知佳、夕食ん時に一緒に言うちゃろうや。出演者に企画まで丸投げするんはおかしいって」
「賛成です。今回たまたま形になったからよかったものの、再現性のある制作方法とは言えません」
「そうそう、それよ!」
「それに現場到着後に企画立案まで行わせるなら、最低限、事前に資料だけでも――」
「知佳」
「はい」
「難しい言葉んとこは任せた」
「最初からそのつもりだったんですか?」
こうして、のどか・知佳による即席の対ノムさん抗議連合が結成された。
今夜は言う。
絶対に言う。
松江の無計画ぶりについて、一言どころか三言くらい言う。
二人はそう固く誓った。
そして夕食会場の襖が開いた。
その瞬間である。
「…………」
のどかが止まった。
「…………」
知佳も止まった。
中央には、堂々たるズワイガニ。
赤い殻が照明を浴びて輝いている。
その横には、きれいな霜降りのしまね和牛。
さらに日本海の新鮮な刺身。
焼き魚。
煮物。
小鉢。
山陰らしい料理が所狭しと並んでいる。
さっきまで制作体制の問題点について熱弁していた知佳の目が、カニへ吸い寄せられた。
のどかもカニを見る。
そして、しまね和牛を見る。
もう一度カニを見る。
「……知佳」
「はい」
「さっきの話じゃけど」
「はい」
「明日でええ?」
知佳は二秒考えた。
「……私もそう思っていました」
対ノムさん抗議連合、活動時間約五分。
ひかりが吹き出した。
「ちょっと、二人とも! さっきまであんなに怒ってたじゃない!」
みのりも呆れる。
「旅館に入る前なんて、のどか『絶対言うたる』って言ってたよね?」
のどかは堂々と座布団へ腰を下ろした。
「人間いうんはな、許す心が大切なんよ」
結衣がカニを見た。
のどかを見る。
「……カニが出てきただけだが?」
「結衣、人を許すきっかけいうんは何でもええんよ」
「完全に買収されとるがね」
一方。
梨乃は、そんなやり取りには一切興味がなかった。
目の前のズワイガニを指差す。
「これ、全部うちが食べてもええだか?」
全員が振り返った。
「ダメ!」
「なんで?」
「七人分だから!」
「そげか」
梨乃は一瞬だけ残念そうな顔をしたが、すぐ復活した。
「じゃあ自分の分全部食べるわ」
「それは食べていいよ」
「やった」
まるで褒美をもらった大型犬である。
伊織はしまね和牛を一口。
ゆっくり咀嚼する。
目を細めた。
「……でーじ美味しいですね」
のどかが見る。
「昨日も食べたじゃろ?」
「昨日食べたものと、今日食べるものは別ですさー」
「おお、名言っぽく言うた」
みのりも和牛を一口食べる。
「でも本当に二日続いても全然飽きないね」
ひかりが笑った。
「むしろ昨日より真剣に食べてない?」
「二日目だからこそ比較できるんだよ」
伊織が頷く。
「そうです。正確な評価のためには繰り返し確認する必要があります」
ひかりが二人を交互に見た。
「それ、単にもう一回食べたいだけじゃない?」
二人は聞こえないふりをした。
宴席の端では、ノムさんとまさにゃんが酒を酌み交わしている。
「いやあ、ええ夜じゃのう」
ノムさんはすっかり上機嫌。
まさにゃんも、
「仕事終わりの一杯は格別ですわ」
と満足そうである。
のどかの目が細くなる。
カニの脚をほぐしながら、わざとらしく言った。
「そりゃあ、人に企画丸投げした後に飲む酒は、さぞうまいでしょうねえ」
「おかげさまで」
「褒めとらん!」
ノムさんは悪びれない。
「まあまあ、のどか。カニ食べんさい」
「そうやってごまか――」
カニを一口。
「…………」
もう一口。
「…………うまっ」
結衣が笑う。
「また負けたがね」
「これはしょうがないじゃろ!」
夕食が進む。
刺身を食べる。
「うまい」
和牛を食べる。
「うまい」
カニを食べる。
「やっぱりうまい」
気づけば、のどかの怒りは完全に蒸発していた。
食事の終盤。
のどかは腕を組み、裁判官のような顔をする。
「よし」
「何がよしなんですか?」
知佳が聞く。
「今回の松江企画丸投げ事件については――」
一同が注目する。
「カニとしまね和牛に免じて、不問に付す!」
ひかりが即座に突っ込む。
「ノムさんじゃなくて料理が罪を帳消しにしてるじゃない!」
ノムさんは杯を掲げた。
「カニさん、ありがとう」
「反省せえ!」
豪華夕食の後は、待ちに待った玉造温泉。
七人が大浴場の湯船へ身体を沈める。
「あぁ~~~~……」
のどか。
「ふぁ~~~~……」
梨乃。
二人から同時に魂の抜けるような声が漏れた。
ひかりが笑う。
「もう、二人ともおじさんみたい」
「ええんよ。温泉いうんはこういう声が出るもんなんじゃ」
梨乃も目を閉じたまま、
「これは出るわなあ」
と同意する。
温かい湯。
静かな湯気。
一日の疲労が身体から抜けていく。
ここで、知佳が静かに口を開いた。
「ちなみに、玉造温泉が『美肌の湯』と呼ばれるのには理由があります」
のどかが振り返る。
「ほう」
知佳の目が輝いた。
しまった。
完全にスイッチを入れてしまった。
「泉質は主にナトリウム・カルシウム-硫酸塩・塩化物泉です。硫酸塩泉は肌に潤いを与える作用があるとされ、塩化物泉は皮膚表面に塩分が付着することで保温・保湿を助けます」
「うん」
「さらに弱アルカリ性のお湯は、皮膚表面の古い角質や皮脂汚れを落としやすくするため、入浴後に肌がすべすべした感触になりやすいんです。また、天然の保湿成分として注目されるメタケイ酸も含まれていて――」
のどかが手を上げた。
「知佳」
「はい?」
「もうええ」
「まだ半分ですが」
「半分!?」
みのりが吹き出した。
のどかは呆れた顔。
「ウチは『なんで美肌なん?』くらいの軽い気持ちで聞いとるんよ」
「質問には正確に答えるべきだと思いました」
「正確すぎるんよ!」
結衣がくすくす笑う。
「でも知佳ちゃんの説明、分かりやすいがね」
「ありがとうございます」
梨乃は湯船の縁に頭を載せたまま、
「つまり入っとったら美人になるだか?」
知佳は考える。
「そこまで単純化すると語弊があります」
梨乃、
「じゃあ、もうちょい入っとくわ」
「聞いてました?」
のどかは腕を湯から出して眺める。
「でも確かにええ感じじゃね。明日の朝にはウチ、絶世の美女になっとるかもしれん」
結衣、
「今日と何が変わるん?」
「結衣、そこは『今でも十分美人ですよ』いうとこじゃろ」
「自分で言うんだねえ」
伊織は肩まで湯に浸かり、いつもの凛々しい表情を緩めていた。
「これは、ちむどんどん……とは少し違いますね。身体の力が抜けて、ゆったりするさー」
のどかが伊織を見る。
「伊織がだいぶ普通の二十歳になっとる」
伊織は目だけ動かした。
「普段の私は何歳に見えているんですか?」
「王道戦隊ヒロイン」
「年齢を聞いています」
その横。
ひかりは楽しそうに湯気の向こうを見回した。
「お肌がしっとりするのも嬉しいけど、こうしてみんなで温泉に入る時間っていいよね」
みのりが笑顔になる。
「分かる。今日はもう何も考えたくない」
ひかりが驚く。
「みのりがそんなこと言うなんて珍しい」
「松江で考えすぎたの!」
「モロゲエビの説明で汽水域まで行ったからでしょ」
「だって大事なんだもん!」
七人の笑い声が湯気の向こうへ消えていく。
平和だった。
本当に平和だった。
誰もが思った。
今日のヒロヒロはここまで。
後は布団へ入って朝まで熟睡。
――そんなまともな旅番組で終わるはずがない。
午前四時三分。
真っ暗な客室。
スマートフォンの画面に、のどかの顔が映った。
「皆さん……おはようございます」
コメント欄が高速で流れる。
《早い》
《まだ夜》
《何してんの支部長》
《嫌な予感》
その横には知佳。
本人は至って真面目である。
「現在、午前四時三分です。旅館や他のお客様には迷惑をかけないよう、できるだけ静かに進行します」
《知佳ちゃん真面目》
《なんで参加してるの》
《この人また巻き込まれてる》
のどかは小声で宣言した。
「題して――ヒロヒロ玉造温泉・午前四時寝起きドッキリ生配信!」
第一犠牲者。
山根梨乃。
カメラを向ける。
布団。
半分ずれている。
枕。
頭から外れている。
右脚。
完全に布団の外。
そして口。
開いている。
「…………すぅー……」
幸せそうだった。
あまりにも幸せそうだった。
のどかが囁く。
「ご覧ください。こちらが野生の山根梨乃です」
知佳が即座に、
「動物番組ではありません」
「いや、この寝姿はほぼ大型犬じゃろ」
同室の結衣もすでに起こされていた。
布団の中から梨乃を見る。
「ほんに幸せそうに寝とるねえ」
「警戒心ゼロじゃ」
梨乃が、
「んむ……」
と寝言を漏らす。
三人が固まる。
しかし起きない。
ここでのどかが秘密兵器を取り出した。
ピロピロ笛。
知佳が確認する。
「またそれですか?」
「実績と信頼のピロピロじゃ」
「その実績は必要ですか?」
のどかは、そーっとピロピロ笛の先端を梨乃の鼻先へ。
梨乃が鼻から息を吐く。
ビロロロロロロロロッ!
三人。
「――っ!!」
声が出せない。
のどかは両手で口を押さえる。
知佳は顔を背ける。
結衣は布団へ潜り、肩を激しく震わせる。
梨乃。
「…………すぅ……」
起きない。
コメント欄。
《wwwww》
《起きろw》
《強すぎる》
《ラブラドール》
《幸せそう》
のどかがもう一回。
ビロロロロロッ!
梨乃の眉が少し動く。
「……んー……」
寝返り。
そして、
「……すぅ……」
再び熟睡。
結衣は完全に限界。
布団の中で無音の大爆笑。
知佳も目に涙を浮かべている。
のどかが小声で言った。
「もうええ。こいつ無敵じゃ」
知佳も頷く。
「ある意味、ドッキリが成立しませんね」
梨乃はその後も一切目を覚まさなかった。
次のターゲット。
金城伊織。
静かに襖を開ける。
伊織はきちんと布団の中央で寝ている。
掛け布団も乱れていない。
寝相まで優等生。
沖縄らしい彫りの深い端正な顔立ちは、眠っていても整っていた。
長い睫毛。
落ち着いた寝顔。
知佳が思わず小声で言う。
「……綺麗ですね」
のどかも頷く。
「梨乃見た後じゃけえ、余計に差がすごい」
しかし知佳は知らない。
伊織はすでに起きている。
さらに――
のどかと伊織は事前に口裏を合わせていた。
本当の標的は伊織ではない。
知佳である。
知佳が聞かされている企画は、
『午前四時・琉球空手抜き打ち演武』
寝起きの伊織へ突然演武を要求して困らせる、というもの。
知佳は完全に信じている。
「伊織さんなら、さすがに驚くでしょうね」
のどかは口元を押さえる。
「そうじゃねえ」
知佳が伊織の枕元へカードを置く。
そして優しく呼びかける。
「伊織さん……伊織さん」
伊織が目を開けた。
カードを見る。
一秒。
二秒。
三秒。
「分かりました」
知佳の表情が止まる。
「……え?」
伊織は身体を起こす。
「午前四時から琉球空手の演武ですね?」
「はい……そうなんですが」
「問題ないさー」
「もう少し驚かれるかと思っていました」
伊織は立ち上がり、軽く肩を回した。
そして知佳を見る。
「では知佳さん」
「はい?」
「受け役、お願いできますか?」
知佳。
「…………」
指を自分へ向ける。
「私ですか?」
「そうです」
「なぜ?」
「演武ですから、技を受ける相手が必要さー」
「私は撮影補助として参加しているのですが」
「大丈夫です。ちゃんと加減します」
「加減の問題ではありません」
知佳、一歩後退。
伊織、一歩前進。
「危ない技は使いません」
知佳、もう一歩後退。
「そもそも私は運動着ですらありません」
伊織、もう一歩。
「軽い技だけにします」
「軽い琉球空手という言葉に安心感がありません!」
コメント欄。
《知佳逃げて》
《午前4時から受け役w》
《琉球空手VSクイズ王》
《知佳ちゃん顔www》
知佳はのどかを見る。
「のどかさん、これは企画として――」
「ぶふっ!」
のどかが吹き出した。
「……」
知佳が止まる。
のどかを見る。
伊織を見る。
伊織も笑っている。
知佳はもう一度のどかを見る。
そして。
すべてを悟った。
「…………まさか」
のどかがカメラへ向かって叫ぶ。
もちろん小声で。
「知佳への逆ドッキリ、大成功じゃ!」
伊織も頭を下げる。
「ごめんなさい、知佳さん」
沈黙。
知佳は半笑いだった。
完全に怒るほどでもない。
しかし笑って許すには二夜連続である。
頬が引きつっている。
「…………またですか」
のどかは床へしゃがみ込んで笑っている。
「知佳、ほんま人がええのう!」
「のどかさん」
「はい」
「私は昨日も騙されています」
「そうじゃったね」
「普通、一度騙された人間に同じような企画を持ってきたら、警戒されると思いませんか?」
「普通はね」
「では、なぜ私は信用したのでしょう」
伊織が申し訳なさそうに、
「知佳さんが人を疑わないからじゃないですか?」
知佳は一瞬黙る。
コメント欄が流れる。
《知佳ちゃんいい人》
《頭脳派なのに仲間を信用しすぎw》
《そこが好き》
《クイズ王、ドッキリだけ0点》
《お人好しすぎる》
《三夜連続希望》
知佳が最後のコメントを見つけた。
「……最後の方」
カメラを見る。
「好意的に見てくださっているのはありがたいですが、三夜目はありません」
《フラグ》
「フラグではありません」
《絶対ある》
「ありません」
のどかが横から、
「明日はどうしようかのう」
知佳が半笑いのまま睨む。
「のどかさん?」
「冗談じゃ、冗談」
伊織まで笑い出す。
知佳はため息。
それでも本気で怒らない。
だからまた騙される。
コメント欄はさらに盛り上がった。
最後はグレースフォース。
ひかりとみのりの部屋。
三人がそっと襖を開ける。
中を見る。
そして全員、固まった。
ひかりとみのりは並んだ布団で、いつの間にかお互いの方を向き、肩が触れそうなほど近くで眠っていた。
寝顔も穏やか。
妙に絵になっている。
のどかが静かに襖を閉めた。
「……やめよう」
伊織も即答。
「そうしましょう」
知佳も真顔。
「この二人だけの世界を壊してはいけません」
三人とも、なぜか神妙である。
コメント欄。
《尊い》
《そっと閉めろ》
《グレースフォース保護条例》
《文化財》
《国宝》
《立入禁止》
のどかがコメントを読む。
「文化財になっとるぞ」
知佳が真顔で、
「保存対象という意味では間違っていない気もします」
「知佳まで乗るん?」
伊織が小声で、
「平和を守るのも戦隊ヒロインの仕事さー」
のどかが深く頷く。
「今日はこの平和を守ろう」
こうしてグレースフォースは、
「尊いので保護」
という、寝起きドッキリ史上前例のない理由で無傷のまま朝を迎えることになった。
数時間後。
朝食会場。
梨乃は大盛りの白飯を幸せそうに食べていた。
「いやあ、よう寝ただが」
結衣が味噌汁を飲みながら、梨乃を見る。
思い出す。
鼻。
ピロピロ。
ビロロロロロッ。
「……ふっ」
「何笑っとるだ?」
「何でもないけん」
「変なの」
梨乃は何も知らない。
ひかりとみのりも機嫌よく朝食を食べている。
ひかりが言う。
「昨日、すごくよく眠れたね」
みのりも頷く。
「温泉のおかげかな」
午前四時に部屋の前まで怪しい三人組が来ていたことなど知る由もない。
一方。
知佳だけ少々寝不足。
ひかりが首を傾げる。
「知佳ちゃん、眠そうだけど大丈夫?」
「……いろいろありまして」
のどかが横でニヤニヤ。
知佳が見る。
「のどかさんは黙っていてください」
「何も言うとらんよ」
「顔がしゃべっています」
朝食後。
ノムさんが一行を集めた。
「さて皆さん。本日は米子へ向かうけえね」
「米子!」
梨乃が反応する。
ここまでは普通だった。
ノムさんが巨大なサイコロを取り出すまでは。
「移動手段は、こちらのサイコロで決めます」
七人。
「…………は?」
ボードが登場。
1 徒歩
2 レンタサイクル
3 タクシー
4 特急やくも
5 特急スーパーまつかぜ
6 山陰本線普通列車
沈黙。
のどかがボードを凝視する。
「ノムさん」
「なんね?」
「1」
「徒歩」
「2」
「レンタサイクル」
「米子まで?」
「そうじゃ」
「頭おかしいん?」
ひかりが慌てる。
「1は絶対嫌!」
みのりも、
「2も嫌だよ!」
結衣は若干青ざめた。
「今日一日が移動だけで終わるがね……」
伊織も真顔。
「徒歩は、さすがに企画以前の問題じゃないですか?」
知佳が距離と所要時間を頭の中で計算し始める。
「1が出た場合、本日予定されている米子での企画は事実上成立しないでしょう」
梨乃が素朴な疑問。
「なんでそんな目を入れただ?」
ノムさん。
「面白いけえ」
全員、
「面白くない!」
のどかがボードをもう一度見る。
そして別の疑問に気づいた。
「それとさあ」
「なんね?」
「4と5」
指を差す。
「特急やくもと特急スーパーまつかぜ、両方米子へ行くんじゃろ?」
「行くねえ」
「じゃあ、なんで別々の目なん?」
その瞬間。
まさにゃんがすっと前へ出た。
眼鏡の奥が輝いたように見えた。
鉄道ヲタクのスイッチが入った。
「そこをご説明させてもらいますとですね」
のどかは一瞬だけ後悔した。
まさにゃんが始める。
「まず特急やくもにつきましては、山陰本線から伯備線を経由して岡山方面へ至る都市間輸送を主たる使命としております。一方、特急スーパーまつかぜにつきましては、山陰本線を中心に鳥取県・島根県内を結ぶ都市間優等列車として設定されておりまして、この二列車は一見、玉造温泉から米子までという部分利用だけを抽出しますと類似の輸送サービスに見えますが――」
のどか。
「……」
まさにゃん。
「列車体系全体という観点から申し上げますと、運行区間、列車設定の経緯、使用車両、輸送目的、さらには伯備線系統との接続性において――」
のどかは梨乃を見る。
梨乃は窓の外を見ていた。
結衣はお茶を飲んでいる。
伊織は自分の荷物を確認中。
ひかりとみのりは、もう巨大サイコロを転がして遊んでいる。
唯一、知佳だけがまさにゃんの方を向いていた。
さすが知佳。
……と思った十五秒後。
知佳も静かに湯呑みを持ち上げた。
誰も聞いていない。
それでもまさにゃんは続ける。
「なお歴史的経緯を含めて整理いたしますと、国鉄時代の優等列車体系まで遡る必要がございまして――」
のどかは尋ねた本人だった。
なのにもう聞いていない。
「ひかり、朝ご飯のヨーグルト食べた?」
「食べたよ」
「おいしかった?」
「美味しかった」
まさにゃん、
「さらに車両面におきましても、現在のやくもとスーパーまつかぜでは運用思想そのものに――」
のどか、
「もうええ!」
まさにゃんが止まった。
「まだ前提説明の途中やで?」
「前提が長すぎるんよ!」
「せやけど違いを正確に説明しよう思たら――」
「聞いたウチが悪かった!」
「まだ本論入ってへんねんけど」
「入らんでええ!」
梨乃がぽつり。
「結局どっちも米子行くだな?」
まさにゃん、
「まあ、この区間だけ見るとそうやね」
のどかが頭を抱えた。
「それ最初に言え!」
そして運命のサイコロ。
担当を任されたのは、グレースフォースの二人。
ひかりとみのり。
大きなサイコロを二人で持つ。
七人が円陣のように取り囲む。
のどか。
「ええか。1と2だけはやめて」
結衣。
「ほんにお願いします……」
伊織。
「3から6なら問題ないさー」
梨乃。
「3がええなあ」
知佳が尋ねる。
「なぜ3なんです?」
「タクシーが一番楽だけえ」
「非常に合理的ですが、旅番組としてはどうなのでしょう」
梨乃は不思議そう。
「楽な方がええだが?」
誰も反論できなかった。
ひかりがみのりを見る。
「みのり、行くよ」
「うん」
二人は一緒にサイコロを構える。
なぜか周囲の緊張感だけは甲子園決勝九回裏。
のどかが祈る。
「頼むけえ、グレースフォース……」
結衣も両手を合わせる。
伊織まで静かに目を閉じる。
知佳は、
「確率上は三分の二で鉄道かタクシーですから――」
のどかが遮る。
「今確率の話せんで!」
ひかりとみのりが顔を見合わせた。
そして声を揃える。
「せえの!」
二人が同時にサイコロを放った。
巨大サイコロが宙を舞う。
床へ落ちる。
ゴロン。
ゴロン。
ゴロゴロゴロ――。
七人全員が身を乗り出す。
止まりかける。
「2!?」
「いや回った!」
最後にもう半回転。
停止。
上面。
4。
一秒の沈黙。
次の瞬間。
「うおおおおおおお!」
のどかが拳を突き上げた。
「やったあああ!」
ひかりとみのりは顔を見合わせ、満面の笑顔でハイタッチ。
「やったね!」
「やった!」
結衣は本気で胸を撫で下ろす。
「よかった……ほんによかった……」
梨乃も大喜び。
「歩かんでええ!」
伊織が静かに頷く。
「理想的な結果さー」
知佳も、
「移動時間、体力消耗、快適性を考えると非常に合理的な結果ですね」
のどかは二人を指差す。
「ようやったグレースフォース! 今日のMVPじゃ!」
ひかりが笑う。
「まだ朝だよ!」
すると。
まさにゃんが再び一歩前へ。
「ほな、せっかくですんで今回乗車する特急やくもについて、車両面から少しご説明を――」
七人全員。
「もうええ!」
玉造温泉駅。
七人がホームに並ぶ。
旅館で食べた豪華夕食。
美肌の湯。
午前四時の生配信。
梨乃のピロピロ。
知佳への逆ドッキリ。
尊すぎて守られたグレースフォース。
そしてサイコロ。
わずか一晩とは思えない密度だった。
のどかが温泉街の方向を振り返る。
「いやあ、よう食べた。よう浸かった。よう笑うた」
知佳が横から言う。
「そして私はまた騙されました」
「まだ言う?」
「二夜連続です」
「根に持っとる?」
知佳は半笑い。
「持っていないように見えますか?」
「見えん」
「正解です」
梨乃が首を傾げる。
「知佳、何に騙されただ?」
全員が梨乃を見る。
梨乃だけは、今朝まで自分の鼻先でピロピロ笛が二度も伸びたことを知らない。
「?」
のどかが笑った。
「梨乃は知らんでええ」
「なんで?」
「お前はそのままでおってくれ」
「よう分からんけど、ええで」
やっぱり大型犬だった。
やがてホームへ特急やくもが滑り込んでくる。
ひかりが声を弾ませる。
「次は米子!」
みのりも笑顔で、
「今度こそ、最初からちゃんと企画決まってるよね?」
一同。
ゆっくりノムさんを見る。
ノムさんは満面の笑顔。
「まあ、米子着いてからのお楽しみじゃ」
七人の顔から笑顔が消えた。
のどか。
「……ノムさん」
「なんね?」
「まさか」
「ほいじゃ、乗り遅れるけえ早う乗ろう!」
「逃げた!」
ノムさんはさっさと列車へ乗り込む。
七人も慌てて続く。
そしてドアが閉まる。
カニに買収され。
美肌の湯に骨抜きにされ。
午前四時に知佳が二夜連続で騙され。
グレースフォースの共同作業で奇跡的に徒歩と自転車を回避した玉造温泉編。
列車は静かに動き出す。
次なる舞台は――米子。
車内。
のどかが窓の外を見ながら言った。
「今度こそ普通の旅になるとええのう」
知佳。
「これまで一度でも普通だったことがありますか?」
「……ないね」
梨乃。
「米子、なんか美味いもんあるだか?」
結衣。
「梨乃は食べ物のことしか考えとらんねえ」
梨乃は笑顔。
「それで困ったことないで」
のどかはしばらく梨乃を見た。
そして頷く。
「……ある意味、お前が一番幸せじゃ」
梨乃。
「そうだら?」
こうして特急やくもは米子へ向かう。
もちろん七人はまだ知らない。
ノムさんとまさにゃんが、米子でもろくでもない企画を考えていることを。
いや。
もしかすると――
まだ何も考えていないことを。
その可能性の方が、はるかに高かった。




