『新人ヒロインです。アルバイトじゃありません!』 ――福生の不屈娘・宮本美知留、新橋へ! キラキラ美女だらけのヒロ室で「ここ、本当に私の居場所ですか?」
宮本美知留、二十歳。
東京都福生市在住。
五回目の応募で、ようやく戦隊ヒロイン候補生となった苦労人である。
四度落とした安岡真帆が、
「体力、基準未達」
「知力、普通」
「歌、普通」
「ダンス、経験なし」
「華……特になし」
と採用する理由を探し続けても何も見つからなかったところへ、たまたま面談室を通りかかった波田顧問が、
「五回も来たの? よっしゃ合格!」
と、ほぼ勢いだけで拾った。
その後、美知留は静岡県富士市、富士川のほとりに置かれた国家特務戦隊ヒロイン中央研修複合学習センター富士川分室へ送り込まれた。
そこで待っていたのが、元小学校教諭にして近江商人・堀井琴葉。
走れば遅い。
踊れば一拍遅れる。
歌えば普通。
腕立ても少ない。
笑えば引きつる。
何をやらせても、
「うーん」
としか評価できなかった美知留を、琴葉だけは見放さなかった。
「あんたは、あかん子やない。まだ咲いてへんだけや」
朝から走らせる。
夜まで踊らせる。
失敗したら、
「もう一遍!」
また失敗したら、
「もう一遍!」
その繰り返し。
美知留も美知留で、どれほど疲れても、
「もう一回お願いします」
と食らいついた。
結果。
突然天才にはならなかった。
足も相変わらず速くない。
歌も別にうまくない。
ダンスも普通。
だが。
昨日できなかったことが、今日は少しできる。
一拍遅れが半拍になる。
腕立てが一回増える。
声が少し大きくなる。
何より、
一度も逃げなかった。
最初は、
「どこから手を付ければいいものか」
と頭を抱えたるみねぇとすみれコーチさえ、最後には、
「この子が途中で投げ出すところだけは、もう想像できない」
と見る目を変えた。
そしてある日。
琴葉が美知留へ告げた。
「美知留ちゃん」
「はい」
「明日、新橋行こか」
「……新橋?」
「東日本のみんなに挨拶や」
美知留の顔から血の気が引いた。
「……みんな?」
「みんな」
「戦隊ヒロインの?」
琴葉が呆れる。
「新橋のヒロ室へ何しに行く思てんの」
「ですよね……」
「何やその顔」
「緊張します」
「面談五回行けた子が?」
「それとは違います」
「何が違うの」
美知留は答えなかった。
答えられないのではない。
はっきり分かっていた。
面談室にいるのは、基本的に真帆一人。
だが新橋には――。
本物の戦隊ヒロインが大勢いる。
もちろん、美知留も制度上はもうその一員である。
だが本人には、その自覚がまだ薄かった。
翌日。
東京・新橋。
東日本ヒロインたちが集まるヒロ室。
ミーティングスペースの入口。
美知留は扉の前で、自分のブラウスを何度も確認していた。
清潔。
アイロンも掛かっている。
スカートも無難。
靴も磨いた。
バッグは少し使い込んでいるが、特に問題はない。
本人なりには、
かなり頑張った。
琴葉が尋ねる。
「何してんの?」
「服、大丈夫でしょうか」
琴葉が上から下まで見る。
「ちゃんとしてるやん」
「でも……」
「何?」
「みんな、すごくおしゃれなんですよね?」
「人による」
「綺麗な人、多いですよね?」
「多いな」
「……帰っていいですか」
「何でやねん」
美知留は扉を見つめる。
琴葉。
「五回面接来た子が今さら何怖がってんの」
「だから面接とは違うんです」
「ほな行こ」
「待ってください。心の準備を――」
がちゃ。
琴葉が開けた。
「あっ」
間に合わなかった。
「みんな、お疲れさん」
琴葉が入る。
その後ろから美知留が恐る恐る顔を出した。
そして――。
固まった。
悪い日に来た。
いや。
人選が悪すぎた。
まず、柏木理世。
三か国語を使いこなすトリリンガル。
知的。
都会的。
服装まで隙がない。
資料を手に誰かと話している姿だけで、
国際会議帰り
くらいの雰囲気がある。
その隣。
ハマのプリンセスこと南部沙羅。
洗練された顔立ち。
品のいい雰囲気。
立ち姿まで横浜。
美知留には、
人間って立っているだけで横浜になれるんだ
と思えた。
少し離れた席には、一条知佳。
学生クイズ女王。
机いっぱいに資料を広げ、猛烈な勢いで読み込んでいる。
こちらは華やかさ以前に、
新人へ興味を向ける余力がゼロ。
そして――。
大宮麗奈。
人気イベントコンパニオン。
さらに森川美里。
麗奈と同じくイベントコンパニオンとして活躍する美女。
そこへ。
江戸っ子ギャル・月島小春。
歌姫・藤原詩織。
美知留は入口で完全に止まった。
全員、綺麗。
全員、それぞれ方向性は違うが華がある。
一方、自分。
福生から来た地味な女子大学生。
美知留の脳内。
帰りたい。
すぐに別の自分が言う。
いや、四回落とされても帰らなかったでしょ。
さらに別の自分。
でもあの時は麗奈さんいなかったし。
混乱している。
琴葉が振り返った。
「美知留ちゃん?」
「……」
「何してんの」
「場違いな気がします」
「まだ一歩も入ってへんやん」
「もう分かります」
「何が」
「私だけ明らかに画質が違います」
「画質?」
琴葉が笑いをこらえる。
「何言うてんの。ほら入るで」
背中を押された。
その瞬間。
美里が気づいた。
「あ、こんにちは」
美知留。
「こ、こんにちは……」
美里は柔らかく笑って、机の端を指す。
「資料なら、その辺に置いといて大丈夫ですよ」
美知留。
「…………」
琴葉。
「美里ちゃん」
「はい?」
「この子、資料持ってきた学生さんちゃうで」
「え?」
琴葉がぽんと美知留の背中を叩いた。
「新人ヒロイン」
美里。
「えっ!?」
一瞬。
ミーティングスペースが妙に静かになる。
美知留。
「……宮本美知留です」
美里は慌てて立った。
「ごめんなさい!」
「いえ!」
「本当にごめん! 新しいアルバイトの学生さんかと思って!」
「よく……言われそうな気がします」
琴葉。
「まだ今日が初日や」
美知留。
「今日もう一回目です」
戦隊ヒロイン・宮本美知留。
新橋到着から約十秒。
アルバイト学生に間違われる。
幸先がいいのか悪いのか分からない。
最初に遥室長へ挨拶。
「ああ、宮本さんなのら」
「はい!」
緊張して声だけ大きい。
遥が少し驚く。
「富士川の研修、お疲れさまなのら」
「ありがとうございます!」
「琴葉さんから報告は聞いてるのら。まあ……焦らず、無理せずやってほしいのら」
「はい!」
終了。
続いて安岡真帆。
美知留にとっては、四回自分を落とした人物。
もはやちょっとした因縁の相手に近い。
真帆は端末を確認する。
「研修記録は見ました」
「はい」
「基礎能力は、初回選考時と比べればかなり改善しています」
美知留の顔が少し明るくなる。
「ありがとうございます」
「ただし」
来た。
「まだ経験はありません。当面は先輩ヒロインに同行して、現場を学んでください」
「はい」
「無理に成果を出そうとしなくて結構です」
「はい」
「以上です」
「……はい」
終わった。
実に事務的。
琴葉が横から真帆を見る。
心の声。
五回も来た子なんやから、もうちょい歓迎したってええやん。
だが何も言わない。
真帆にも悪意はない。
ただ、まだ美知留へ大きな期待を置いていないだけだった。
遥も同じ。
美知留自身も分かっている。
期待は、自分でこれから作るしかない。
ところが。
その直後。
小声が耳へ入る。
柏木理世。
「……かなり地味な子だね」
南部沙羅。
「うん。戦隊ヒロインって感じは、あまりしないわね」
理世。
「大丈夫なのかな」
沙羅。
「琴葉さんがずっと見てた子なんでしょ?」
「そうみたい」
少々嫌味っぽい。
悪意いっぱいというわけではない。
だが美知留には充分刺さる。
肩が下がる。
琴葉が隣から一言。
「美知留」
「はい」
「肩」
「あっ」
姿勢を戻す。
「すみません」
「謝らんでええ」
その頃。
一条知佳。
新人美知留へ特に興味なし。
資料。
資料。
資料。
琴葉が声をかける。
「知佳ちゃん」
「はい」
視線は文字。
「新人」
「あ、はい」
ようやく顔を上げる。
美知留と目が合う。
「一条知佳です。よろしくお願いします」
美知留。
「宮本美知留です。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
そして。
すっ。
資料へ戻る。
終了。
美知留は心の中で数えた。
四秒くらい。
琴葉。
「知佳ちゃん」
「はい」
「もうちょっと何かない?」
「何かとは?」
「新人に」
知佳は少し考える。
「……頑張ってください」
美知留。
「ありがとうございます」
知佳。
「では」
資料へ戻る。
琴葉。
「五秒に伸びたな」
美知留。
「一秒増えましたね」
知佳は冷たいのではない。
単純に、今読んでいる資料の優先順位が高い。
ある意味とても分かりやすい女性だった。
美知留は完全に所在を失っていた。
どこへ立てばいいか。
誰へ話しかければいいか。
椅子へ座ればいいのか。
ただ立っていればいいのか。
そんな時だった。
「あ、美知留ちゃんでしょ?」
明るい声。
月島小春。
こちらへずんずん歩いてくる。
美知留。
「はい」
「小春。月島小春!」
「よろしくお願いします」
「同い年だよね?」
「はい。二十歳です」
小春が首をかしげる。
「じゃあ何で敬語?」
「え?」
「同い年じゃん」
「でも先輩なので」
「学校じゃないんだし」
小春が笑う。
「クラスの転校生じゃないんだからさー。そんなカチコチになんなくていいって」
妙なたとえだったが、美知留にはよく分かった。
むしろ今の自分は完全に、
新学期、転校初日の昼休み
である。
小春。
「富士川で琴葉さんに鍛えられてたんでしょ?」
「はい……あ」
小春が指を差す。
「今の」
「え?」
「敬語取れたじゃん」
美知留。
「……うん」
「それでいいって!」
小春は誰に対しても小春だった。
ベテランでも。
新人でも。
偉い人でも。
同い年ならなおさら。
「まあさ」
小春が美知留の肩を軽く叩く。
「頑張っていきましょー!」
「……うん」
「分かんないことあったら聞けばいいし」
「うん」
「失敗したら次直せばいいし」
「うん」
「ヤバい敵出たら逃げない」
美知留。
「そこだけ急に重いね」
小春。
「ちゃんと突っ込めんじゃん!」
美知留も少し笑う。
さっきまで眩しい有名ヒロインの一人だった月島小春が、一気に、
同じクラスの話しやすい子
くらいまで近づいた。
続いて藤原詩織。
柔らかな笑顔でやって来る。
「美知留ちゃん?」
「はい」
「藤原詩織です。よろしくね」
「よろしくお願いします」
詩織は美知留より一歳上。
「美知留ちゃん二十歳だよね?」
「はい」
「私二十一だから、一個違いだね」
「そうなんですね」
詩織は美知留の緊張をすぐ察した。
「やっぱり緊張するよねー」
「藤原さんでも緊張するんですか?」
「するよー」
「全然そんなふうに見えません」
「ほんと?」
後ろから小春。
「しおりんは緊張しなくてもいろいろやらかすから」
「小春ちゃん!」
麗奈も口を挟む。
「それは事実」
「麗奈さんまで!」
詩織は頬を膨らませる。
しかし、すぐ美知留へ向き直った。
「でも、本当に大丈夫だよ」
柔らかい声。
「みんな最初から今みたいだったわけじゃないから」
美知留。
「……はい」
「少しずつ慣れればいいよ」
それは琴葉が富士川で何度も言った言葉とよく似ていた。
美知留の緊張が、また少し解ける。
詩織。
「お茶飲む?」
「ありがとうございます」
「持ってくるね」
紙コップへお茶を入れる。
美知留へ歩く。
机の脚。
こつん。
詩織。
「あっ!」
美知留。
「危ない!」
紙コップが傾く。
詩織が奇跡的に立て直した。
「セーフ!」
美知留。
「よかった……」
麗奈。
「珍しい」
詩織。
「何ですか、その感想」
「いや、しおりんが事故を回避したから」
「私だってできます!」
そう言って詩織が胸を張った瞬間。
肘。
自分の紙コップ。
ぱたっ。
びしゃ。
沈黙。
麗奈。
「しおりん!」
詩織。
「えっ!?」
「何で美知留ちゃんのお茶守って、自分の倒すのよ!」
「今ので終わったと思ったんです!」
小春。
「第二波来た!」
麗奈。
「ドジに第二波ってあるの!?」
詩織。
「そんなに言わなくてもいいじゃないですか!」
美知留。
「ふふっ……」
思わず笑ってしまった。
詩織が振り向く。
「あ、美知留ちゃん笑った」
「ご、ごめんなさい」
「何で謝るの?」
麗奈。
「むしろ今日初めてしおりんのドジが社会貢献したんじゃない?」
詩織。
「私、いつも社会貢献してます!」
小春。
「ドジ以外ではね」
美知留の口元から、自然な笑みが消えなくなっていた。
だが。
この部屋には、美知留がまともに顔を見ることすら難しい女性が一人いた。
大宮麗奈。
人気イベントコンパニオン。
イベント会場に立てば人だかり。
人気投票では常に上位。
明るい髪。
整った顔立ち。
洗練されたメイク。
姿勢。
表情。
身振り。
すべてが、
人に見られることへ慣れている人
だった。
そして。
美知留にとって、麗奈は完全な初対面ではなかった。
以前。
都下・三多摩地区の小児終末ケアセンター。
平塚美波。
大宮麗奈。
藤原詩織。
高島里奈。
彼女たちが慰問に訪れた日。
美知留は入所者家族の中にいた。
遠くから見ただけ。
終演後に軽く頭を下げただけ。
麗奈にとっては、数多くいる家族の一人にすぎない。
当然、覚えてはいない。
だが美知留は覚えていた。
重い空気だった施設を、美波と麗奈の掛け合いが笑いへ変えた。
詩織の歌が優しく包んだ。
それを。
ずっと覚えている。
その麗奈が今。
目の前にいる。
近い。
近すぎる。
美知留は無意識に見つめていた。
遠目にも華やかだった。
近くで見ると――。
もっとキラキラしている。
美知留の頭の中。
すごい。
顔小さい。
肌きれい。
これ本当に同じ人間?
私、この人と同じ戦隊ヒロインなの?
じーっ。
麗奈が気づいた。
「ん?」
美知留。
「……」
麗奈が自分の頬を触る。
「どうしたの?」
「い、いえ」
麗奈が少し不思議そうな顔をする。
「私の顔、何かついてるのかなぁ?」
「いえっ!」
声が裏返る。
麗奈。
「じゃあ、どうしたの?」
「その……」
「うん」
「えっと……」
麗奈の圧倒的な華を真正面から浴び、美知留の語彙がすべて逃げた。
富士川で覚えた発声。
どこかへ行った。
琴葉に叩き込まれた、
前を見る。
今は前を見すぎている。
美知留。
「前に……」
「前に?」
「一度……見たことが……」
「私を?」
「はい」
麗奈。
「イベントかな?」
「……そんな感じです」
小児終末ケアセンター。
その言葉までは出てこなかった。
麗奈は首をかしげる。
だが無理に聞き出そうとはしない。
「そっか」
にこっと笑った。
「じゃ、改めてよろしくね。美知留ちゃん」
美知留の心臓。
どくん。
「は、はい!」
麗奈。
「そんな緊張しなくていいって」
「はい!」
「もっと緊張した」
「すみません!」
「だから謝らなくていいってば!」
小春。
「麗奈さんがキラキラしすぎるんじゃない?」
麗奈。
「私が悪いの!?」
「美知留ちゃん完全にビビってんじゃん」
「じゃあどうすればいいのよ」
麗奈が両手を広げる。
「メイク落とす?」
小春。
「それはそれで見たい」
麗奈。
「やだよ!」
すると。
ずっと資料を読んでいた知佳が顔も上げずに一言。
「照度や化粧の問題ではないと思います」
全員が知佳を見る。
麗奈。
「知佳、聞いてたの!?」
知佳。
「聞いてはいます」
「聞いてるなら新人にももうちょっと興味持ってよ!」
「資料を読みながらでも会話は聞けます」
小春。
「聖徳太子みたい」
知佳。
「そこまでではありません」
そして資料をめくる。
美知留は思った。
この人もすごい。
麗奈とは違う方向に。
その時。
「美知留ちゃん」
美里が声をかけた。
森川美里。
先ほど美知留をアルバイト学生と間違えた張本人。
麗奈と同じ人気イベントコンパニオン。
近寄りがたいほど整った容姿。
だが麗奈のように強い華を前へ出すというより、柔らかな空気をまとっている。
「あのさ」
「はい」
「さっき、本当にごめんね」
「大丈夫です」
「でも失礼だったよね」
「いえ……」
「緊張してる?」
美知留は正直に頷いた。
「すごく」
美里は笑った。
「するよね」
「皆さん、すごすぎて……」
「そんなことないよ」
美知留は反射的に麗奈を見る。
麗奈。
「何でそこで私見るの?」
美知留。
「すみません」
麗奈。
「だから謝らなくていいって!」
美里が小さく笑う。
そして美知留へ言った。
「一緒に頑張ろうね」
美知留が美里を見る。
「……一緒に?」
「うん」
たったそれだけだった。
美里は、
「あなたには才能がある」
とも言わない。
「絶対に成功する」
とも言わない。
そんなことは、まだ誰にも分からない。
でも。
一緒に。
その一言だけで、美知留は少し救われた。
自分もこちら側にいていい。
そう言ってもらえたような気がした。
「……はい」
少し大きな声。
「よろしくお願いします」
美里。
「こちらこそ」
少し離れたところで、琴葉がその様子を見ていた。
美知留が琴葉のそばへ戻ってくる。
小声。
「先生」
「何?」
「私……」
「うん」
「やっぱり浮いてませんか?」
琴葉は美知留を見る。
そして部屋を見る。
柏木理世。
南部沙羅。
一条知佳。
大宮麗奈。
森川美里。
月島小春。
藤原詩織。
確かに華やか。
その端にいる宮本美知留。
確かに地味。
琴葉。
「そら今は浮いてるやろな」
美知留。
「先生!」
「何?」
「そこは否定してください!」
「嘘ついてどうすんの」
「今日くらい優しくしてください!」
「優しいやん」
「どこがですか」
琴葉が笑う。
「でもな」
「はい」
「今日来たばっかりやろ?」
美知留。
「はい」
「馴染むんにも練習がいるんよ」
「……練習」
美知留には、その言葉が一番よく分かる。
「走るんと一緒や」
琴葉が言う。
「最初からみんなと同じ速さで走らんでもええ。置いてかれへんように一歩ずつ進んだらええんよ」
美知留。
「はい」
琴葉。
「それにな」
「?」
琴葉が向こうを見る。
詩織が机を拭いている。
麗奈。
「しおりん、そこまだ濡れてる!」
「はい!」
詩織がティッシュを取ろうとする。
袖が菓子袋に当たる。
ころん。
袋が床へ。
麗奈。
「今度はそっち!?」
小春、大笑い。
知佳は微動だにしない。
美里は拾うのを手伝う。
沙羅が苦笑。
理世も、
「今日はよく落ちるね」
と呟く。
琴葉。
「見た目ほど、みんな完璧ちゃうやろ?」
美知留。
「……はい」
「ちょっと安心した?」
「かなり」
「失礼やな」
「先生が言ったんじゃないですか」
琴葉。
「それもそうやな」
そして。
改めて正式な自己紹介。
美知留が全員の前へ立つ。
視線が集まる。
いきなり身体が硬くなる。
富士川の悪い癖。
琴葉を見る。
琴葉は何も言わない。
ただ口だけ動かす。
声。
美知留には聞こえた気がした。
富士川。
朝六時半。
何百回も繰り返した。
「前向き」
「胸張り」
「声出し」
一度、大きく息を吸う。
「東京都福生市出身!」
声が通った。
小春が、おっ、という顔。
美知留は一瞬だけ怯む。
でも続けた。
「宮本美知留、二十歳です!」
新橋のミーティングスペースに、富士川で鍛えた声が響いた。
「まだ……」
声が少し小さくなる。
琴葉を見る。
「まだ、できないことばっかりですけど!」
もう一度声を出す。
「頑張ります!」
そして頭を下げた。
「よろしくお願いします!」
一瞬の静寂。
小春。
「よろしくー!」
一番早い。
詩織。
「よろしくね、美知留ちゃん!」
美里。
「頑張ろうね」
麗奈。
「よろしく!」
沙羅。
「よろしく。頑張ってね」
理世も、
「よろしく」
と言う。
知佳まで資料から顔を上げた。
「よろしくお願いします」
美知留。
「はい!」
ようやく終わった。
ほっとする。
琴葉も小さく頷いた。
――その時。
詩織が言った。
「美知留ちゃん、歓迎のお菓子あるよ」
「あ、ありがとうございます」
「これ」
袋を持つ。
開ける。
なかなか開かない。
詩織。
「固い……」
麗奈。
「貸して」
詩織。
「大丈夫です!」
ぐっ。
ぐぐっ。
バンッ!
袋が一気に裂けた。
中のお菓子が、
ぱらぱらぱらっ!
机一面へ。
沈黙。
詩織。
「…………」
麗奈。
「しおりん!」
「袋が思ったより弱かったんです!」
「違う! あなたの力加減がおかしいの!」
小春。
「歓迎クラッカー!」
詩織。
「そういう演出です!」
麗奈。
「今作ったでしょ!」
「違います!」
「絶対違う!」
美知留。
「……」
そして。
「あははっ!」
声を上げて笑った。
自分でも驚いた。
富士川では。
「笑顔!」
と琴葉から言われる。
鏡の前。
口角を上げる。
頬を緩める。
三秒。
それだけで「できた帳」に花丸。
なのに。
今。
誰も、
「笑え」
とは言っていない。
それでも自然に笑っている。
小春が美知留を指す。
「ほら!」
「え?」
「ここ、見た目ほど完璧な人いないっしょ?」
麗奈。
「ちょっと! “人”でまとめないで! 今日やらかしてるのしおりんだけ!」
詩織。
「でも麗奈さん、運転は――」
麗奈。
「今、運転関係ない!」
小春。
「それ言ったら美波さんも――」
麗奈。
「美波まで呼ぶな!」
美里も笑う。
沙羅まで思わず口元を緩める。
理世も小さく笑った。
知佳は再び資料へ目を落とす。
「話、終わりました?」
小春。
「知佳、そこブレないね」
「重要資料なので」
「新人歓迎より?」
「今は資料です」
美知留。
「ふふっ……」
また笑う。
部屋の隅。
琴葉は、黙ってそれを見ていた。
走るのが速くなったわけではない。
歌がうまくなったわけでもない。
ダンスが急に華麗になったわけでもない。
戦闘技能が伸びたわけでもない。
だが。
富士川で何百回、
「笑顔」
と言われても固かった美知留が。
今は。
仲間の中で。
勝手に笑っている。
琴葉は小さく呟いた。
「……また一個、咲いたな」
美知留には聞こえなかった。
それでいい。
宮本美知留。
東京都福生市出身、二十歳。
五回落ちても帰らなかった女。
富士川では何をやらせても普通以下。
新橋へ来れば、登場十秒でアルバイト学生に間違われる。
華やかな先輩ヒロインたちの横へ並べば、いまだに地味。
目立った特技もない。
会話だってまだうまくない。
麗奈を目の前にすれば固まる。
理世と沙羅の視線には肩が下がる。
知佳には四秒しか興味を持ってもらえない。
それでも。
小春が、
「頑張っていきましょー!」
と言ってくれた。
詩織が、
「大丈夫だよ」
と言ってくれた。
美里が、
「一緒に頑張ろうね」
と言ってくれた。
そして。
あの日、三多摩の小さな施設で遠くから見ていた大宮麗奈が。
今日は目の前で、
「よろしくね、美知留ちゃん」
と笑ってくれた。
まだ。
美知留は知らない。
この華やかな先輩たちの中で、自分がどんな戦隊ヒロインになるのか。
自分にしかない武器が、本当に見つかるのか。
遥室長も。
真帆も。
まだ大きな期待はしていない。
理世や沙羅だって半信半疑。
でも。
四回落とされても五回目に来た女である。
今日一日で馴染めなくてもいい。
明日また来ればいい。
明日駄目なら、その次。
琴葉が教えた通り。
一歩ずつ。
少しずつ。
そして今日。
新橋のヒロ室で、美知留は最初の一歩を踏み出した。
戦隊ヒロインとしてではない。
もっと小さな一歩。
「ここにいてもいい」
そう思える場所を作るための一歩だった。
その日の帰り。
エレベーター前。
琴葉。
「どうやった?」
美知留。
「疲れました」
「戦闘してへんのに?」
「戦闘より疲れた気がします」
「何と戦ってたん?」
美知留は真剣に答えた。
「キラキラです」
琴葉。
「何やそれ」
「麗奈さんとか……」
「慣れるよ」
「本当ですか?」
「たぶん」
「先生!」
琴葉は笑う。
「明日も来る?」
美知留。
「……はい」
一秒。
そして。
「来ます」
琴葉が頷く。
「ほな大丈夫や」
五回落とされても来た宮本美知留。
キラキラ美女軍団くらいで、逃げるわけがない。
ただし――。
翌日の新橋ヒロ室で、受付スタッフから、
「あ、昨日の学生アルバイトさん」
と再び声をかけられ、
「だから新人ヒロインです!」
と富士川仕込みの大声で訂正することになるのだが――。
それはまた、別の話である。




