あかん子やない。まだ咲いてへんだけや! ――福生の不屈娘・宮本美知留、富士川へ! 華なし、才能見当たらず、それでも近江の先生は叫ぶ「もう一遍や!」
五回目の挑戦で、ようやく開いた戦隊ヒロインへの扉。
いや、正確には「開いた」というより――。
波田顧問が横からいきなり蹴り開けた。
安岡真帆が四度不合格にし、五度目の面談でも、
「体力、基準未達」
「歌、普通」
「ダンス経験なし」
「特技、特になし」
「華……うーん」
と頭を抱えていた女子大学生・宮本美知留。
そこへ偶然通りかかった波田顧問が、
「お嬢さん、何回目?」
「五回目です」
と聞いただけで、
「よっしゃ、合格! 明日から来な!」
と採用してしまった。
真帆は絶句。
美知留も絶句。
もっとも波田に言わせれば、理由は極めて明快だった。
「四回落とされても五回目に来るヤツなんか、そうはいねえ。俺はその根性だけ買った」
本当に、それだけだった。
こうして戦隊ヒロイン候補生となった宮本美知留。
東京都福生市在住、二十歳の女子大学生。
福生といえば、東京の中でもひときわ独特な空気を持つ街である。
米軍基地を身近に感じる街並み。
英字看板。
アメリカンテイストの飲食店。
古着。
雑貨。
ハンバーガー。
日本の郊外に異国情緒がすっと溶け込んだ、どこか陽気でカラフルな街。
基地沿いを歩けば、
「ここ、本当に東京?」
と思うような風景まである。
要するに――。
福生には華がある。
問題は、美知留本人にはその華がまるで見当たらないことであった。
服装は地味。
髪型も地味。
化粧も薄い。
声も小さい。
人前へ出ると少し猫背。
二十歳の女子大学生とは思えないほど流行にも疎い。
同級生が、
「このコスメかわいくない?」
と盛り上がっていても、
「……今月、教科書買わないと」
同級生が、
「春休み旅行行こうよ」
と誘っても、
「春休みならバイトのシフト増やせるな……」
と考えてしまう。
家庭に余裕はなく、美知留は奨学金を利用して大学へ通いながら、書店やコンビニなど複数のアルバイトを掛け持ちしている。
大学。
書店。
コンビニ。
家。
大学。
コンビニ。
書店。
家。
華やかなキャンパスライフというより、
働く女子大学生二十歳・生活密着二十四時
である。
別に不幸を嘆いているわけではない。
美知留にとっては、それが普通の生活だった。
支給された物は大事に使う。
食べ物は残さない。
必要のない物は買わない。
人へ迷惑をかけるくらいなら、自分で何とかしようとする。
ただ、その慎ましさと物静かな性格が合わさると、どうしても第一印象は暗くなる。
どう見ても、
ステージ中央でライトを浴び、
「みんなー! 今日は来てくれてありがとー!」
と手を振る戦隊ヒロインには見えない。
ましてや華麗なアクションで敵を蹴散らす姿など、さらに想像しにくい。
だが、本人だけは戦隊ヒロインになる気満々だった。
そして美知留は、いよいよ戦隊ヒロイン候補生として本格的な研修へ入る。
舞台は富士川のほとり。
静岡県富士市。
雄大な景色の中に設けられた――。
国家特務戦隊ヒロイン中央研修複合学習センター富士川分室。
名前が長い。
初めて聞いた美知留も、
「……もう一度お願いします」
と聞き返したほど長い。
全国から集まる候補生たちが、基礎体力、戦闘技術、座学、救護、ステージ演習、発声、ダンス、チームワークなどを学ぶ、戦隊ヒロイン育成の重要拠点である。
ここで美知留の研修を見届けるのは、るみねぇ、すみれコーチ、そして堀井琴葉。
研修初日。
まず五十メートル走。
美知留が走った。
懸命に走った。
ゴール。
るみねぇがストップウォッチを見る。
「……うーん」
すみれも見る。
「……うーん」
美知留。
「どうでした?」
るみねぇ。
「まあ……走ったな」
「はい」
すみれ。
「確かに走ったいね」
「はい」
評価になっていない。
続いて持久走。
美知留は遅い。
だが止まらない。
最後まで走る。
しかし順位はしっかり後ろ。
腕立て伏せ。
「七……八……」
ぷるぷる。
「九……」
止まる。
琴葉。
「十までいこか」
「……九・五じゃ駄目ですか?」
「そんな回数あらへん」
「はい……!」
何とか十。
腹筋。
普通以下。
反復横跳び。
普通。
柔軟。
普通。
反射速度。
普通。
すみれコーチは評価表を見ながら眉間を押さえた。
「ここまで全部パッとしないって、逆に珍しいんさね」
美知留。
「すみません……」
「謝んなくていいんさ!」
次は筆記試験。
ここで何か出るかもしれない。
るみねぇも期待した。
結果。
悪くない。
きちんと勉強している。
だが上位ではない。
るみねぇ。
「……普通だな」
美知留。
「はい……」
「いや、普通なのは悪くねえんだけどよぉ」
次。
歌唱試験。
美知留が歌う。
音程は大きく外さない。
リズムも外さない。
声も普通。
歌い終わる。
沈黙。
美知留。
「……どうでしょう」
すみれ。
「音痴じゃない」
「ありがとうございます」
るみねぇ。
「でも、うめえわけでもねえ」
「はい」
琴葉。
「きれいに普通やなあ」
「きれいに普通……」
新しい評価語が誕生した。
そしてダンス。
これがまた難物だった。
音楽開始。
右。
左。
ターン。
手を上げる。
すみれコーチが叫ぶ。
「美知留、右!」
「はい!」
左へ行く。
「そっちは左だいね!」
「あっ!」
慌てて右。
曲はもう次へ。
「遅れた! 次!」
「はい!」
ターン。
遅い。
笑顔。
動きが止まる。
動きを意識。
顔が消える。
すみれ。
「笑って!」
美知留が満面の――つもりの笑顔。
るみねぇ。
「美知留ちゃん」
「はい」
「それ、笑顔っつうより事情聴取されてる顔だべ」
「笑ってるつもりです……」
「もっと楽しいこと考えてみっぺ」
美知留が真剣に考え始める。
十秒。
琴葉。
「そこで真剣になったら、もっと顔固うなるやん」
評価終了。
三人の教官が机へ並ぶ。
その前に美知留のデータ。
走力――平均以下。
筋力――平均以下。
持久力――平均以下。
筆記――普通。
歌――普通。
ダンス――普通以下。
発声――弱い。
表情――硬い。
ステージ映え――乏しい。
特殊技能――特になし。
るみねぇは紙を見る。
裏返す。
もう一度見る。
すみれの紙も見る。
「なあ、すみれ」
「何?」
「どっか一個くれえ、“おおっ!”ってなるとこねえの?」
すみれも探す。
「…………ねえんさね」
美知留が小さくなる。
「すみません」
二人。
「だから謝らなくていい!」
るみねぇが頭を抱える。
「波田さん、何見て採ったんだべ……」
美知留がおそるおそる答える。
「五回来たからだそうです」
すみれ。
「……それだけ?」
「はい」
沈黙。
三秒。
るみねぇ。
「波田さんらしいっちゃ、らしいけんどよぉ……」
すみれ。
「こりゃ、どこから手ぇ付けりゃいいんだんべ」
そんな二人の横で、一人だけ妙に落ち着いていた。
堀井琴葉。
近江商人の流れをくむ中堅商社・堀井商会の娘。
もともとは小学校教諭。
子どもを教えることが大好きだった。
しかし実家の商売が多忙となり、家業を支えるため泣く泣く教師を退職。
現在は堀井商会を手伝い、戦隊ヒロイングッズを取り扱う縁から自らもプロジェクトへ参加している。
時折ステージにも立つ。
だが琴葉本人が最も生き生きするのは、
人へ何かを教えている時。
教師を辞めても、教師根性だけは全く辞めていなかった。
るみねぇが聞く。
「琴葉さん、どう思う?」
琴葉は美知留の成績表を見る。
「うーん」
すみれ。
「何か才能ありそう?」
「今んとこ、あらへんなあ」
美知留がさらに縮む。
るみねぇ。
「そこははっきり言うんだな」
琴葉は美知留を見た。
そして穏やかに笑った。
「まあ、じっくりやってみよか」
るみねぇ。
「じっくりって、どっから?」
琴葉。
「全部やな」
すみれ。
「全部!?」
その瞬間。
もしこれが昭和の熱血育成ドラマなら――。
富士川に風が吹いた。
雲間から光が差した。
なぜか遠くで鳥が飛んだ。
そして琴葉の背後に、見えない炎が燃え上がった。
ただし本人は至って穏やかな近江ことばである。
「全部足らんのやったら、全部ちょっとずつ上げたらええやん」
るみねぇ。
「琴葉さん、言ってることは優しいけど、内容むちゃくちゃ大変だべ」
琴葉。
「簡単やとは言うてへんよ」
美知留。
「……お願いします」
琴葉が振り向く。
「ほんまにやる?」
「はい」
「しんどいで」
「はい」
「逃げたなっても知らんで」
「はい」
「朝も早いで」
「はい」
「筋肉痛にもなるで」
「はい」
琴葉。
「……返事だけはええな」
こうして――。
宮本美知留と堀井琴葉。
後に富士川分室の語り草となる、泥臭く、大げさで、少々暑苦しい師弟特訓が始まった。
朝六時半。
富士川沿い。
美知留が走る。
琴葉が自転車で横を走る。
「美知留!」
「はい!」
「顔上げ!」
「はい!」
「腕振る!」
「はい!」
「まだ行ける!」
「はい!」
「声小さい!」
「はいっ!」
走る。
走る。
まだ走る。
美知留。
「琴葉さん……あと何周ですか……」
琴葉。
「あと一周」
「本当ですか……?」
「ほんま」
美知留が最後の一周を走る。
ようやく戻る。
ぜいぜい。
琴葉。
「ほな、もう一周」
美知留が崩れ落ちそうになる。
「あと一周って言いましたよね!?」
「今の一周、最後姿勢崩れたやろ?」
「崩れました……」
「きれいに終わろ」
「……はい!」
るみねぇが遠くで見ながら呟く。
「琴葉さん、穏やかな顔して鬼だな」
すみれ。
「近江の先生、怖いんさね」
筋力トレーニング。
腕立て。
「七……八……九……」
美知留の身体が止まる。
「もう無理です……」
琴葉が真正面にしゃがむ。
「美知留ちゃん」
「はい……」
「“しんどい”ん?」
「しんどいです……」
「“でけへん”の?」
美知留が黙る。
昭和の熱血ドラマなら、ここで大写しである。
美知留の目。
琴葉の目。
震える腕。
床へ落ちる汗。
なぜか鳴る重厚な音楽。
美知留。
「……あと一回なら」
琴葉。
「ほな、その一回や!」
「はいっ!」
身体が上がる。
十回。
美知留、床へ倒れる。
「できたやん」
琴葉が微笑む。
美知留も小さく笑う。
「……はい」
琴葉。
「明日は十二回な」
美知留。
「何で二回増えるんですか!?」
感動は三秒で終わった。
ダンス。
一回目。
失敗。
琴葉。
「もう一遍!」
二回目。
失敗。
「もう一遍!」
五回目。
失敗。
「もう一遍!」
十二回目。
「もう一遍!」
十九回目。
すみれコーチが止める。
「琴葉、もう二十回近くやってるよ」
琴葉。
「二十回あかんかったからって、二十一回目もあかんとは限らへんやろ!」
すみれ。
「急に熱血教師になったんさ」
美知留は息を整える。
「もう一回お願いします!」
るみねぇが驚く。
「美知留ちゃんも乗っかってきたべ!」
二十一回目。
失敗。
琴葉。
「惜しい!」
美知留。
「もう一回!」
二十二回目。
また失敗。
「もう一回!」
二十三。
二十四。
二十五。
富士川の夕日が窓から差し込む。
もはや完全に昭和の熱血育成ドラマである。
るみねぇ。
「なあすみれ」
「何?」
「今日中に帰れっかな」
「分かんないんさね」
ところが。
いくら練習しても、美知留は劇的には伸びなかった。
一週間。
走力、少し上昇。
二週間。
腕立て、一回増加。
三週間。
発声、少し改善。
一か月。
ダンス。
一拍遅れていたのが、
半拍遅れるようになった。
るみねぇ。
「……これ、成長ってことでいいのか?」
琴葉。
「立派な成長や」
すみれ。
「半拍だよ?」
琴葉。
「半分になったやん」
るみねぇ。
「ものは言いようだべ」
そんな琴葉は、美知留専用のノートまで用意した。
ある日渡された一冊。
表紙。
『美知留ちゃん できた帳』
美知留。
「……琴葉さん」
「何?」
「私、二十歳です」
「知ってるよ」
「これ、小学生みたいなんですけど」
「元小学校教師やからな」
「スタンプまであります」
「かわいいやろ」
猫。
花丸。
笑顔。
星。
るみねぇが覗く。
「完全に小学校だべ」
琴葉。
「元が抜けへんねん」
しかしノートを開くと、美知留は黙った。
初日の一キロ走。
今のタイム。
腕立て回数。
腹筋。
発声。
ダンス。
笑顔。
全部、ほんの少し。
だが確実に良くなっている。
琴葉が言う。
「美知留ちゃん、人間な、でけへんことばっかり見てたら嫌になんねん」
美知留がノートを見る。
「昨日よりできたことも、ちゃんと見とかんとあかん」
「……はい」
「せやから、できた帳」
琴葉が花丸スタンプを押す。
ぽん。
美知留。
「やっぱり小学生みたいです」
琴葉。
「嬉しい?」
「……ちょっと」
琴葉。
「ほらな」
師弟特訓は続いた。
雨の日も。
風の日も。
富士川に朝日が差す日も。
体育館へ夕日が差し込む日も。
「美知留! 走れ!」
「はい!」
「下向くな!」
「はい!」
「腕振れ!」
「はい!」
「笑顔!」
「はい!」
「右!」
左へ行く。
「そっち左や!」
「すみません!」
「謝る暇あったら戻る!」
「はい!」
琴葉の穏やかな近江ことばが、いつしか体育館で最も怖い声になり始めていた。
それでも美知留は来る。
翌朝も来る。
また来る。
誰よりも早く来てストレッチ。
練習後も残る。
注意されたところは全部ノートへ書く。
できなかった振付は寮へ帰っても確認する。
そして翌朝、
「今日もお願いします」
同じ言葉。
ある日の夕方。
ついに美知留の心が折れかけた。
同期候補生は次々と課題をクリアしている。
自分だけ遅い。
持久走。
後方。
筋力。
最低ライン付近。
ダンス。
居残り。
ステージ。
笑顔が固い。
体育館に一人座り込んだ美知留。
琴葉が静かにやって来る。
「美知留ちゃん」
「……はい」
「今日終わり?」
「……はい」
明らかに元気がない。
琴葉は横へ座った。
美知留がぽつりと言う。
「琴葉さん」
「うん」
「私……やっぱり向いてないんでしょうか」
その瞬間。
昭和の熱血ドラマなら、
ドーン!
という効果音が鳴るところである。
琴葉の顔が、いつになく厳しくなった。
美知留は続ける。
「波田顧問は、五回来たからって合格にしてくれました」
「うん」
「でも本当に、それだけなんです」
走れない。
歌えない。
踊れない。
華がない。
戦闘能力もない。
特別頭がいいわけでもない。
「ほかのみんなには、何かあるんです」
美知留の目が潤む。
「私だけ、何にもなくて……」
琴葉。
「それ、誰が決めたん?」
美知留が顔を上げる。
琴葉の目。
美知留の目。
ここでまた、なぜか富士川の夕日。
「……私です」
琴葉が立ち上がった。
「ほな、まだ決めんとき!」
声が体育館へ響いた。
美知留が驚く。
「五回落とされても来た子が、一か月や二か月練習したくらいで、自分に不合格出してどうすんの!」
「でも……」
「でもやない!」
琴葉が真正面へ立つ。
「うちはな、小学校の先生やったんよ!」
「はい……」
「できる子だけ教えるんが先生ちゃう!」
大仰。
熱い。
完全に昭和。
「でけへん子が、できるようになるまで付き合う! 昨日あかんかったら今日! 今日あかんかったら明日! 明日あかんかったら、その次や!」
美知留の目から涙が一粒。
琴葉。
「教師は辞めた! けどな、教えることまで辞めた覚えはあらへん!」
「琴葉さん……」
琴葉が少し表情を和らげる。
「花が咲くん遅い木もあるやろ」
美知留。
「……はい」
「春に咲かへんかったからいうて、木ぃ切ってしもうたら、夏に咲く花は見られへん」
美知留の涙がまた落ちる。
琴葉は笑った。
「あんたは、あかん子やない!」
一拍。
「まだ咲いてへんだけや!」
美知留。
「先生……!」
琴葉。
「……先生?」
二人が止まる。
美知留。
「あ……すみません。琴葉さん」
琴葉の顔に、ほんの一瞬だけ昔の小学校教諭だった頃の表情が戻る。
だが感動の余韻を長く残さないのが琴葉だった。
「まあええ」
「え?」
「ほな泣いた分、もう一回ダンスしよか」
美知留。
「今から!?」
琴葉。
「今ええ顔してるやん。その顔で踊ったらええ」
美知留。
「先生、鬼ですね」
琴葉。
「愛情や」
美知留。
「便利な言葉ですね!」
初めて美知留が琴葉へ軽口を返した。
琴葉が笑う。
「言えるようになったやん。成長や」
「それも成長に入れるんですか?」
「できた帳に書いとこ」
「書かなくていいです!」
再び音楽。
右。
左。
ターン。
失敗。
「もう一遍!」
「はい!」
失敗。
「もう一遍!」
「はい!」
夕日。
汗。
涙。
音楽。
美知留が転ぶ。
立つ。
また踊る。
体育館入口。
るみねぇとすみれコーチが二人を見ている。
るみねぇ。
「すみれ」
「何?」
「何か大変なドラマ始まってねえか?」
すみれ。
「私たち、いつから脇役になったん?」
「知らね」
美知留。
「もう一回お願いします!」
琴葉。
「よし!」
すみれ。
「元気だいね……」
るみねぇ。
「最初あんな暗かったのになあ」
美知留は依然として上手ではない。
それでも翌日。
また来る。
その翌日。
また来る。
何度失敗しても、
「もう一回お願いします」
そして数週間後。
るみねぇとすみれコーチは、体力測定の結果表を眺めていた。
すみれ。
「るみねぇ」
「何?」
「これ見て」
初回。
二回目。
三回目。
どれも順位は高くない。
だが。
走力。
少し上がっている。
筋力。
少し。
発声。
少し。
ダンス評価。
少し。
柔軟。
少し。
るみねぇ。
「全部ちょっとずつ上がってんな」
すみれ。
「うん」
「下がってるのは?」
「ほとんどない」
二人が美知留を見る。
本人は訓練場の隅で、自分の順番を待ちながら復習している。
琴葉が横へ来た。
「この子、伸びるんは遅いけどな」
二人が琴葉を見る。
「後戻りせえへんのよ」
るみねぇは何も言わなかった。
すみれも黙って美知留を見る。
最初は、
「才能がない」
と思った。
今も、何か特別な才能が見つかったわけではない。
だが、この頃には二人とも気づき始めていた。
美知留には、変な能力がある。
普通なら嫌になるところで、嫌にならない。
できない。
またやる。
できない。
もう一回。
疲れる。
翌朝また来る。
失敗。
ノートへ書く。
また試す。
すみれが小さく呟く。
「波田顧問……これ見えてたんかな」
琴葉が即答。
「そこまでは考えてへんと思うよ」
るみねぇが噴き出す。
「やっぱそう思う?」
琴葉。
「たぶん、“五回来た。根性ある。採用!”くらいやろ」
すみれ。
「豪快すぎるんさ」
三人で笑った。
それでも波田の直感は、少しずつ形になり始めていた。
そして、ある日のダンス試験。
美知留が何十回、何百回と失敗してきた一連の振付。
音楽。
右。
左。
ステップ。
ターン。
腕。
笑顔。
すみれが黙って見る。
るみねぇも見る。
琴葉だけは美知留しか見ていない。
以前なら遅れる場所。
――合った。
次。
以前なら止まる。
――進んだ。
ターン。
成功。
そして最後。
ポーズ。
音楽終了。
静寂。
美知留はポーズのまま、動かない。
「……」
すみれコーチが記録表を見る。
そして。
「合格」
美知留。
「……え?」
「このダンス課題、合格」
美知留の顔が一気に明るくなる。
「本当ですか!?」
るみねぇ。
「やったな、美知留ちゃん!」
美知留は琴葉を見る。
琴葉は何も言わず、笑っている。
美知留は駆け寄った。
「先生!」
琴葉の顔が止まる。
もう美知留も訂正しなかった。
琴葉も、
「先生ちゃう」
とは言わなかった。
ただ少しだけ目を細める。
「よう頑張ったな」
美知留。
「はい!」
琴葉。
「でもな」
美知留。
「……はい?」
「合格したん、一課題だけや」
「はい……」
「明日、朝六時半」
「え?」
「ランニング」
美知留。
「今日くらい休ませてください!」
琴葉。
「何言うてんの」
るみねぇ。
「やっぱ鬼だべ!」
すみれ。
「感動を三十秒も維持できないんさね!」
琴葉。
「愛情や」
美知留。
「またそれですか!」
体育館に笑い声が響いた。
るみねぇは、美知留を見ながらぽつりと言った。
「最初さ」
すみれ。
「うん」
「あの子、ほんとに戦隊ヒロインなんか無理じゃねえかって思ってた」
すみれ。
「私も」
琴葉。
「今は?」
二人は美知留を見る。
疲れ切っている。
汗だく。
髪も乱れている。
華やかな戦隊ヒロイン候補とはほど遠い。
それでも、
「先生、明日何キロですか?」
と早くも次の練習を確認している。
るみねぇは笑った。
「まだ戦隊ヒロインになれるかは分かんねえ」
すみれも頷く。
「でも、この子が途中で投げ出す姿は、もう想像できないんさね」
琴葉は満足そうに笑った。
こうして。
華なし。
特技なし。
飛び抜けた頭脳なし。
歌唱力なし。
ダンス才能なし。
身体能力も並以下。
何をやらせてもパッとしなかった宮本美知留に、ようやく一つだけ、誰の目にも分かる能力が見つかった。
諦めない。
それだけ。
だが、それだけは誰にも負けなかった。
富士川分室では、いつしか彼女をこう呼ぶ者が現れた。
「福生の不屈娘」
美知留は本人だけ納得していない。
「もっと、戦隊ヒロインらしい華やかな異名ありませんか……?」
るみねぇ。
「美知留ちゃんに“華麗なる何とか”って付けても、本人が一番困るべ」
「そんな……」
すみれ。
「不屈娘が一番しっくりくるいね」
「それ、褒められてるんでしょうか」
琴葉。
「最高に褒めてもろてるやん」
そして翌朝。
富士川。
朝日。
訓練コース。
美知留が走る。
やはり速くない。
先頭からは遠い。
汗。
荒い息。
重い脚。
琴葉がその横を走る。
「美知留!」
「はい!」
「下向かん!」
「はい!」
「前見!」
「はい!」
「しんどい?」
「しんどいです!」
「でけへん?」
美知留が前を見る。
ゴールはまだ先。
それでも答える。
「まだ、できます!」
琴葉が笑った。
「ほな行こ!」
「はい!」
「あんたは、あかん子やない!」
「はい!」
「まだ咲いてへんだけや!」
「はい!」
富士川の朝日に照らされながら、不器用な新人は今日も走る。
何度も落ちた。
何度も失敗した。
何度も置いていかれた。
それでも立つ。
また来る。
またやる。
その背中を追い続ける、近江の先生。
二人の姿を見ながら、るみねぇが呟いた。
「なあ、すみれ」
「何?」
「何か……毎朝ものすごい最終回みてえになってね?」
すみれ。
「でも明日も同じことやるんさね」
「そうなんだよな」
そして二人は笑った。
宮本美知留は、まだ花開いてはいない。
だが――。
その小さな芽を、もう誰も「才能なし」と切り捨てることはなくなっていた。
昭和の熱血育成ドラマも真っ青な、福生の不屈娘と近江の先生の長い師弟物語は、まだ始まったばかりなのである。




