一円は削る。美月の笑顔は削らん! ――財務の鬼・谷口佳乃、破れスーツ大改修! 泉州弁の相見積もり五番勝負、そして“いつもの動物園”へ
大阪南港を舞台にしたジェネラス・リンク秘密補給拠点掃討作戦は、西日本戦隊ヒロイン精鋭部隊の圧勝に終わった。
四日市の突貫娘・山本あかりが文字どおりの一番槍となって敵陣へ突っ込み、土佐の突貫娘・神代なつめがその突破口をさらに押し広げる。紀州の舞姫・白浜麻衣はコンテナ街を舞台に華麗なステップで工作員たちを翻弄し、坂井まどかと中野柚希は刺股を巧みに操って逃走路を封鎖した。
そして主力となった赤嶺美月、西川彩香、江波のどかの三人は、とにかく強かった。
強すぎた。
美月の豪快なアクション。
彩香の烈火のような攻撃。
柔道有段者・のどかの圧倒的な制圧力。
ジェネラス・リンク側からすれば災難としか言いようがなく、当局特殊部隊が到着した時には主要施設はほぼ制圧済み。工作員の身柄も確保され、証拠物件には番号札まで付けられていた。
特殊部隊員から、
「……我々は何をすれば?」
と尋ねられ、指揮官の西園寺綾乃が、
「証拠物件と身柄の引き継ぎをお願いできますやろか」
と申し訳なさそうに答えるほどの大戦果だった。
ただし、美月、彩香、のどかの三人は戦闘中の言葉遣いがあまりにも荒く、音声記録だけ聞けば完全に任侠映画。
同級生でもある綾乃から、
「暴力団同士の抗争でも、もう少しお上品どすえ」
と説教されるという、非常に締まらない終わり方にもなった。
そんな南港での戦闘直後。
すべてが終わり、緊張から解放された彩香が、ふと美月の戦隊ヒロイン制服へ視線を向けた。
赤を基調とした、身体へきれいにフィットする美月専用の制服。
堺での戦闘任務中、美月が派手なアクションを繰り返した末、
――ビリッ。
という嫌な音とともに縫い目を破損。
谷口佳乃、通称けちのんの判断で応急補修されている。
遠くからなら分からない。
イベント会場の客席から見ても、おそらく気づく者はいない。
だが近くから見ると、
「ああ、ここ直したんやな」
と、なんとなく分かる程度の補修跡が残っていた。
長身でスレンダーな彩香の口元が、ゆっくり上がる。
「美月」
「何や」
「今日は破れへんかったんやなあ?」
美月の眉がぴくりと動く。
「何がや」
彩香は満面の笑みになった。
「制服」
「……」
そして、わざと間延びした声で言う。
「敗れスーツの美月~」
「誰が敗れスーツや!」
美月は即座に噛みついた。
「一回縫い目いっただけやろが!」
「でも破れたんは事実やん」
「激しい戦闘した結果や!」
「スイーツの結果ちゃうん?」
「関係あるか!」
「堺で“ビリッ”いうた時、めっちゃええ顔しとったで」
「どんな顔やねん!」
彩香は両手で頬を押さえ、大げさに目を見開く。
「“あ、数十万円飛んだ”みたいな顔」
近くにいた佳乃が真顔で口を挟む。
「実際、新品作ったら数十万円です」
美月が振り返る。
「けちのんは黙っとれ!」
その場は爆笑に包まれた。
美月も彩香を追い回している。
この時点では、いつもの子どもじみた喧嘩だった。
彩香も、新しい持ちネタが一つ増えたくらいに考えていた。
翌日。
「おはよう、敗れスーツの美月~」
「朝からうるさいわ!」
翌々日。
「縫い目、今日も元気?」
「人の制服に健康確認すな!」
イベント準備中。
「美月、ジャンプする時気ぃつけや。またビリッいうで」
「いわへん!」
休憩中。
美月がプリンへ手を伸ばす。
彩香が横から顔を出す。
「二個目?」
「一個目や!」
「制服に聞いた?」
「何でプリン食べるのに制服の許可いるねん!」
最初のうちは美月も負けていなかった。
「うるさい電柱!」
「誰が電柱や!」
「長身スレンダーやからいうて調子乗んな!」
「悔しかったら美月も縦に伸びいや!」
「どうやって伸びんねん!」
周囲は大笑い。
いつもの美月と彩香だった。
ところが、彩香が面白がって何度も繰り返すうち、美月の反応が少しずつ変わってきた。
「敗れスーツの美月~」
「……もうええって」
「何や、今日は反撃せえへんの?」
「せえへん」
「スイーツ食べる?」
「……いらん」
彩香の顔から笑みが消えた。
「え?」
美月はそれ以上何も言わず、自分の席へ戻った。
数日後。
ヒロ室西日本分室では、ちょっとした異常事態が起きていた。
静かなのである。
正確には――赤嶺美月が静かなのである。
普段の美月は、誰か二人が話していれば勝手に三人目になる。
三人で話していれば四人目になる。
一人で作業している者がいれば横から話しかける。
誰も話していなければ、自分で話題を作る。
河内のスピーカー。
西日本分室のムードメーカー。
それが今日は、机へ座って黙々と資料を読んでいる。
まどかが美月の前へ小袋を差し出した。
「美月、お菓子食べる?」
「……今日はええわ」
まどかの手が止まった。
数秒。
「佳乃」
「何です?」
「緊急事態」
佳乃が書類から顔を上げた。
「ジェネラス・リンクですか?」
「もっと深刻や」
「何です?」
「美月がお菓子断った」
佳乃まで一瞬黙った。
「……熱あるんちゃいます?」
美月が力なく顔を上げる。
「元気や」
まどかが心配そうに見る。
「元気な美月がお菓子断る?」
「うちを何やと思っとるん……」
反論にも勢いがない。
しかも普段なら明るくぴんと跳ねている美月の象徴的なツインテールまで、今日は心なしか左右とも垂れ下がっているように見える。
まどかが小声で言う。
「なあ佳乃」
「何です?」
「ツインテールまで、しおれとるで」
佳乃は冷静に答えた。
「髪に感情はありません」
「でも見てみ。完全に落ち込んどる髪や」
「……そう見えんこともないです」
そこへ彩香が入ってきた。
「おはよ――」
美月を見て止まった。
いつもの調子なら、
「お、敗れスーツ」
くらいは言う。
だが出てこない。
「……美月」
「何?」
「いや。何でもない」
彩香は少し離れた席へ移った。
数分後。
まどかのところへそっとやってくる。
「なあ」
「何?」
「うち……ちょっと、からかいすぎた?」
まどかはすぐには答えなかった。
視線だけを美月へ向ける。
美月は自分の制服の補修されたところを、無意識のように指先で触っていた。
彩香もそれを見る。
「最初はめっちゃ言い返してきよったから、ええと思ってん」
「美月、ああ見えて結構気にしいやで」
「……せやな」
「それに、あの制服めっちゃ気に入っとるやろ」
彩香は眉を下げた。
播州の烈火も、さすがに反省していた。
「……悪かったかな」
「本人に言うたらええやん」
「うん」
そもそも、美月の戦隊ヒロイン制服は単なる支給品ではない。
戦隊ヒロインプロジェクトへ加入した当初から、美月本人の希望がかなり盛り込まれている。
「小柄でも大きく見えるようにして!」
「とにかく格好ええ方がいい!」
「動いたら派手に見えるやつ!」
「脚も長う見せたい!」
「イベントで一発でうちって分かるやつ!」
注文も多かった。
その結果完成したのが、赤を基調とした現在の制服である。
身体へきれいに沿う、ぴったりとしたシルエット。
小柄な体格をすっきり見せるデザイン。
ショートパンツと専用の白いロングブーツ。
戦闘で動きやすく、それでいてイベントステージでも華やかに映える。
赤い制服。
明るい色のツインテール。
そして大きな声。
三つがそろえば、
「あ、美月や」
と誰でも分かる。
本人も大のお気に入りだった。
ただし、一つだけ問題があった。
戦隊ヒロイン加入当初から時間は経っている。
現在も美月は華奢で小柄な方だ。
だが採寸した頃と比べれば――。
ほんの少し。
本当にほんの少しだけ。
横方向へ成長していた。
理由は、本人にも心当たりがありすぎる。
美月はCS放送の旅番組でレポーターを務めることも多い。
そして食レポが妙に評判なのである。
「うわっ、これめっちゃうまいやん!」
「何これ! 口ん中がお祭りや!」
「この肉、噛んだ瞬間に幸せが正面衝突してきた!」
「このプリン、口へ入れたら勝手に休日になったわ!」
大げさ。
声も大きい。
顔全体でおいしさを表現する。
しかし本人が本当に幸せそうに食べるので、視聴者だけでなく取材先からも喜ばれる。
「美月ちゃん、これも食べて!」
「ええんですか!」
「こっちも名物!」
「いただきます!」
「デザートもあるで!」
「喜んで!」
撮影スタッフが止める頃には、なぜか料理が追加されている。
美月には、
「出してもろたもん残したら失礼やろ!」
という本人なりの理屈がある。
地方イベントでも同様。
「せっかく来たんやから地元のうまいもん食べな損!」
北海道へ行けば乳製品。
東北へ行けば名物料理。
名古屋へ行けば味噌系。
広島へ行けばご当地料理。
九州へ行けば豚骨から甘味まで。
さらにプライベートでも、人気戦隊ヒロインだけに食事会やコンパへの誘いが多い。
美月は場を盛り上げるのがうまい。
しゃべる。
笑う。
他人へ話を振る。
場が止まりそうなら、またしゃべる。
結果、
「美月ちゃん、もう一杯!」
「よっしゃ!」
「これも食べや!」
「いただき!」
となる。
もちろん運動量も相当なものだった。
大学では運動量の多いチアリーディングサークルへ所属。
戦隊ヒロインとして訓練。
戦闘任務では派手なアクション。
だから本人には、
「これだけ動いとるんやから大丈夫!」
という自信があった。
佳乃による簡潔な分析。
「運動量も多いけど、食べる量も多いんです」
「家計簿みたいに言うな!」
だが制服の寸法は加入当初を基準にしている。
少しだけ余裕がなくなったところへ、堺戦で大ジャンプ、大回転、大ひねり。
そして、
――ビリッ。
あの瞬間である。
彩香が面白がっている以上に、美月自身が気にしていた。
佳乃はそんな美月を二日ほど黙って観察していた。
そして三日目。
「美月さん」
「何?」
「制服、預かります」
美月が補修部分を押さえた。
「また縫うん?」
「今回は大規模補修します」
美月の顔が少し上がる。
「新品?」
「あかん」
瞬時に下がる。
まどかがそれを見て、
「ほんま、美月のツインテールは気分表示器やな」
と呟く。
佳乃は続けた。
「新品は買いません。でも今回は、近くで見ても補修したって分からんところまで直します」
美月が佳乃を見る。
「ほんま?」
「今の身体に合わせて寸法も調整します」
「格好悪うならへん?」
「今のデザインは変えません」
「ぴったりした感じも?」
「残します」
「ショートパンツも?」
「基本の見た目は一緒です」
美月の目が少し輝いた。
佳乃は眼鏡を上げる。
「ただし」
まどかが言う。
「来るで」
「新品買うより、はるかに安く仕上げます」
「結局そこか!」
美月の声が少しだけ戻った。
佳乃は立ち上がる。
堺でジェネラス・リンクを相手にした時とは別種の鋭い眼差し。
財務の鬼、谷口佳乃。
ここからが本領である。
戦う相手は五社の見積書だった。
佳乃は一社へいきなり頼むような真似をしなかった。
候補業者、五社。
相見積もりである。
提出条件表は四ページ。
美月が見て絶句する。
「何これ?」
価格。
納期。
採寸費。
送料。
特急対応料金。
特殊素材代。
縫製工賃。
保証期間。
再調整料金。
補修後の耐久性。
色合わせ精度。
防護材再加工実績。
アクション衣装施工実績。
そして、
「ショートパンツ丈調整、一ミリ単位の追加料金」
まである。
「一ミリで金額変わるん?」
「会社によります」
「怖い世界やな」
「せやから比較するんです」
一社目。
業者の担当者が見積書を出す。
「こちらですと、十五万八千円になります」
佳乃は三秒だけ見る。
そして普段より明らかに濃い泉州弁へ変わった。
「兄ちゃん、これほんまに限界け?」
担当者が一瞬止まる。
「はい?」
「十五万八千いうけどな、採寸費六千円入っちゃあるやろ」
「はい」
「元の採寸データ残っちゃあるんやろ?」
「残っています」
「今回、部分採寸だけでいけるやんな?」
「まあ……そうですね」
「ほな六千円全部取るん、おかしないけ?」
担当者が言葉に詰まる。
佳乃は次へ。
「送料四千五百円」
「専用便になりますので」
「うちらで持って行く」
「それなら……」
「四千五百円、削れるな」
美月が隣で小さく言う。
「怖っ」
佳乃はさらに見積書を指で叩く。
「急ぎ料金一万三千円。これも何や?」
「納期を短縮しますので」
「木曜午前のライン空いちゃあるって昨日聞いたで?」
担当者が目を見開いた。
「誰に聞いたんですか?」
「御社にや」
美月がまどかへ耳打ち。
「事前調査、ジェネラス・リンク相手より綿密ちゃう?」
まどか。
「業者さん逃げ道ないな」
佳乃は担当者へ身を乗り出した。
そして、この交渉期間中の口癖となる。
「兄ちゃん、よう考えてや。戦隊ヒロインプロジェクトいうんはな、国民のみなさんが汗水たらして納めてくれた血税で回っちゃあるんや。そやさかい、たった一円かて無駄にはでけへんのやで」
担当者。
「は、はい……」
「せやけど、安かろう悪かろうはもっとあかん」
「はい」
「値段は下げて」
「はい」
「品質は上げて」
「……はい」
「納期は縮めて」
「……」
「保証は伸ばして」
「…………」
美月が小声で言う。
「要求だけ聞いたら悪徳客やん」
佳乃が振り返る。
「聞こえちゃあるで」
「泉州弁になると余計怖い!」
二社目。
最終提示金額。
十四万七千三百八十六円。
佳乃は見積書を見て言った。
「十四万七千三百円にならんけ?」
担当者が聞き返す。
「……八十六円ですか?」
「せや」
「八十六円ですよ?」
「せやから八十六円や」
美月が我慢できずに割り込む。
「もう払ったれや!」
佳乃。
「何言うてんの」
「八十六円やぞ!」
「八十六円を百回見逃したら八千六百円や」
「今回は一回や!」
佳乃は担当者へ向き直る。
「兄ちゃん、頼むわ。そこ何とかならんけ?」
「いや、その……」
「国民のみなさんが汗水たらして働いて納めてくれた――」
美月。
「また血税始まった!」
佳乃は気にしない。
「八十六円かもしれん。せやけどな、“まあええか”で一円二円を流し始めたら、財務いうんはそこから腐っていくんや」
担当者も思わず言う。
「そこまでの話なんですか?」
「そこまでの話や!」
数分後。
「……十四万七千三百円で」
佳乃は静かに頷いた。
「ありがとうございます」
美月。
「勝った顔すな!」
三社目。
五社中最安値。
美月は価格を見た瞬間、
「これで決まりやな」
と言った。
佳乃。
「不採用」
「何で!?」
「保証三か月しかない」
「でも一番安いやん!」
「特殊防護素材の再加工実績が少ない」
「安いで?」
「アクション衣装の補修実績も弱い」
美月は佳乃の額へ手を当てる。
「けちのん、熱ない?」
佳乃が手を払いのける。
「うちを何やと思ってるんです?」
「安ければ何でもええ人」
佳乃の目が鋭くなった。
「ちゃうわ」
美月が思わず背筋を伸ばす。
「安いもん買うんが節約ちゃう。必要な品質を見極めて、使えるもんを最後まで使い切るんが節約や」
佳乃は見積書を指した。
「安うても三か月でまた裂けて、もう一回十万円払うたら何の意味もないやろ」
「……確かに」
「それに、美月さんの制服はただのステージ衣装ちゃう。戦闘装備でもある。安全性まで値切る気はない」
まどかが感心する。
「けちのん、そこは絶対譲らへんのやな」
佳乃。
「当たり前です」
「ほな何を値切るん?」
「余計な手数料と業者さんの利益幅です」
美月。
「一番嫌な客やん!」
最終的に候補へ残ったのは、単純な価格なら三番目の業者だった。
特殊ステージ衣装。
競技用衣装。
防護素材を使用したオーダーメイド衣装。
激しい運動を伴う服の再縫製。
実績は十分。
元のシルエットを崩さず、美月の現在の身体へ合わせて再調整できる技術力もあった。
普通ならここで発注する。
だが佳乃は違う。
ここからが最終決戦だった。
「採寸費、なしにならんけ?」
「そこは難しいですね」
「部分採寸だけやろ?」
「そうですが」
「ほな半額」
「……検討します」
「再調整一回無料」
「それはちょっと」
「実際動いてみな分からん部分あるやろ?」
「まあ、確かに」
「ほな一回無料」
「……分かりました」
「送料」
「別料金です」
「うちらで持ち込む」
「それなら不要です」
「保証半年?」
「はい」
「一年」
「それは無理です」
「九か月」
「いや……」
佳乃が少し身体を乗り出す。
「兄ちゃん」
担当者の顔がこわばる。
「……はい」
「戦隊ヒロインプロジェクトいうんはな、国民のみなさんが汗水たらして納めてくれた血税で――」
「九か月で!」
美月が吹き出した。
「最後まで言わせてもらえてへんやん!」
しかし佳乃は止まらない。
「あと予備生地」
「え?」
「また何かあった時のために付けて」
美月。
「また破る前提やめえ!」
「備えです」
「同じ赤で」
「はい」
「できるだけ同一ロットに近いの」
「そこまで指定します?」
「補修した時、色ずれたら今回と一緒になるやろ」
担当者はしばらく黙り、
「……承知しました」
契約成立。
採寸費圧縮。
持ち込みにより送料なし。
再調整一回無料。
保証期間延長。
予備生地確保。
当初価格から大幅圧縮。
しかも要求品質は一つも落としていない。
美月はしばらく佳乃を見つめていた。
「けちのん」
「何です?」
「ジェネラス・リンクと戦っとる時より、勇ましかったで」
佳乃は平然と答える。
「一円守れん人間が、数十万円の装備守れるかいな」
財務の鬼、完全勝利だった。
問題は次。
再採寸。
美月にとってはジェネラス・リンクとの戦闘より緊張する時間だった。
担当者が加入時の数値と現在を比べる。
「大きくは変わっていませんよ」
美月の顔が明るくなる。
「ほら!」
「ただ、ほんの少し余裕を増やした方が動きやすいですね」
美月の笑顔が消える。
「……どの辺?」
「全体として少しだけです」
佳乃が測定表を見る。
「数字でいうたら――」
美月が即座に佳乃の口を塞いだ。
「言わんでええ!」
まどかが笑う。
「今日一番の反応速度やな」
担当者も笑いながら説明する。
「活動量も増えていますし、身体つきが多少変化するのは自然ですよ。昔の衣装へ身体を無理に合わせるより、今の身体で一番きれいに動けるよう衣装側を直す方がいいんです」
美月は少し黙った。
佳乃も頷く。
「その通りや」
「けちのん……」
「制服を美月さんに合わせるんです。美月さんが加入当時の制服に無理やり身体を合わせる必要はありません」
美月の表情が少し和らいだ。
「……せやな」
佳乃は続けた。
「ただし、これ以上横方向へ成長するんは避けてください」
「最後に全部台無しや!」
久しぶりに、美月らしい大声が響いた。
今回の補修は大規模だった。
応急補修部分を一度解体し、元の赤とほとんど差がない専用生地で再縫製。
肩、腰、胴回りにはごくわずかな余裕を持たせる。
ただし、美月本人が気に入っている身体へぴったりフィットした印象は崩さない。
ショートパンツも基本デザインは一切変更しない。
ただし、激しい蹴りや跳躍時に生地へ掛かる負荷を分散させるため、丈をほんの少しだけ長くする。
数ミリ。
見た目ではまず分からない。
美月は仕様書を見ていた。
「ほんまに長くなるん?」
「数ミリです」
「脚、短く見えへん?」
「見えません」
「ほんま?」
「美月さんでも見分けられへんと思います」
「“美月さんでも”ってどういう意味や!」
「そのままの意味です」
約束の日。
西日本分室へ大きな衣装ケースが届いた。
美月が飛んでくる。
「来た!?」
佳乃。
「まず納品書」
「制服先見ようや!」
「請求額確認」
「けちのん!」
「見積との差額……ゼロ」
佳乃が満足そうに頷いた。
「よろしい」
「会計検査終わった!?」
「終わりました」
「ほな開けるで!」
ケースが開く。
美月は黙った。
赤い戦隊ヒロイン制服。
補修された場所が分からない。
顔を近づける。
分からない。
以前なら気になっていた縫製の違いもない。
生地の色も自然。
ショートパンツも以前と同じようにしか見えない。
美月は制服を抱えて試着室へ飛び込んだ。
数分後。
扉が開く。
「どうや!」
まどかが目を丸くする。
「ほんま、前と変わらへんな」
佳乃は満足そうに言う。
「変わってないように見えるんが成功です」
美月は鏡の前へ立つ。
肩を回す。
腰をひねる。
軽くしゃがむ。
脚を上げる。
ステップを踏む。
「おお……」
もう一度動く。
「めっちゃ楽やん!」
ぴったりフィットした見た目は変わらない。
しかし以前感じていた、ほんのわずかな突っ張りが消えている。
ショートパンツの丈も少しだけ長くなったはずだが、鏡で見てもほぼ分からない。
美月はその場で勢いよく一回転しようとする。
「待った!」
佳乃の声。
美月が途中で止まる。
「何や!」
「納品して五分でまた破ったら、さすがのうちでも怒るで!」
「そんなすぐ破らへん!」
まどかが美月の頭を見る。
「ツインテールも元気になったな」
佳乃。
「髪に感情はありません」
まどか。
「今日は絶対あるで」
確かに、数日前までしおれたように見えた明るいツインテールが、美月の動きに合わせて元気よく跳ねていた。
一通り動きを確認したあと、美月が佳乃へ近づく。
「けちのん」
「何です?」
「ありがとう」
佳乃が少しだけ顔を上げる。
「仕事です」
「でも五社から見積もり取って、八十六円まで値切って、保証まで伸ばしてくれたやん」
「八十六円もお金です」
「まだ言うか」
美月は鏡に映る自分を見る。
そして制服の赤い生地を軽くつまんだ。
「うち、やっぱこれ好きやねん」
佳乃は頷いた。
「知ってます」
「何で?」
「新しい制服のデザイン案、何枚も持ってきてたけど、基本の形は全部今の制服と似てたから」
美月が照れたように笑う。
「最初これ着た時、めっちゃうれしかってん。うち小さいやろ。でもこれ着ると、何かちょっとだけ大きく見える気して」
佳乃。
「十分目立ってます」
「声ちゃうで」
「声もです」
「そこは否定して!」
二人が笑った。
佳乃は美月の制服を改めて見る。
そして少しだけ真面目な表情になった。
「制服は、戦隊ヒロインの美月さんの象徴でもあるんやから、大事にせえ」
美月も素直に頷く。
「うん」
「あと、これ以上横に成長せんようにな」
「そこ言わんかったら、めっちゃええ話で終わったのに!」
美月の大声が分室いっぱいに響く。
河内のスピーカー、ほぼ完全復活である。
そして午後。
彩香が美月のところへやってきた。
新しく大規模補修された制服を見る。
右から。
左から。
少し近づく。
美月が警戒する。
「何や」
彩香は素直に感心した。
「ほんまに分からへんな」
「せやろ!」
美月が胸を張る。
「けちのんが業者泣かして直してくれたんや!」
遠くから佳乃。
「泣かしてません!」
まどか。
「泣きそうにはなっとったけどな」
彩香はしばらく美月の制服を見たあと、少し表情を変えた。
「美月」
「何?」
「この前は、ごめんな」
美月が目を丸くする。
「彩香が謝った!」
「何やねん、その反応!」
「珍しいから!」
「人がちゃんと謝っとんのに!」
彩香は少し照れくさそうに言った。
「敗れスーツ、敗れスーツって、うち、ちょっとしつこかったわ。最初めっちゃ言い返してきたから大丈夫やと思っとった。あんな落ち込むと思わんかった」
美月は彩香を見る。
数秒。
「……もうええよ」
「ほんま?」
「直ったし。うちも気にしすぎた」
彩香がほっとする。
「そっか」
美月も笑う。
まどかも安心した。
佳乃も書類を整理しながら、少しだけ口元を緩めた。
西日本分室に、温かな空気が流れる。
その時間。
およそ五秒。
彩香が、もう一度美月の制服を見る。
「でもなあ」
美月。
「何?」
「これ、もう補修跡分からへんのやろ?」
「分からへん!」
「ほな、“敗れスーツの美月”は卒業やな」
美月が胸を張る。
「当たり前や!」
「せやな」
彩香は少し考えた。
口元がゆっくり上がる。
美月の顔が警戒へ変わる。
「何や、その顔」
彩香は満面の笑みで言った。
「元・敗れスーツの美月~」
沈黙。
美月。
「……お前」
彩香。
「何?」
「今謝ったとこやろがぁ!」
「“敗れスーツ”やない! “元・敗れスーツ”や!」
「同じや!」
彩香が逃げる。
美月が追う。
「待て彩香ぁ!」
「捕まえてみい、元・敗れスーツ!」
「その長い脚、今日こそ短うしたる!」
「誰が電柱や!」
「まだ言うてへんやろ!」
「どうせ言うんやろ!」
「先回りすな!」
机の周りを二人がぐるぐる回る。
まどかが立ち上がる。
「せっかく直した制服で走り回んな!」
美月。
「彩香が悪い!」
彩香。
「美月が本気で追いかけてくるからや!」
佳乃の声が飛ぶ。
「備品破損させたら全額本人負担やで!」
美月が急停止。
彩香も止まる。
美月。
「……今回の補修、なんぼ掛かった?」
佳乃が金額を答える。
美月は少し考える。
「今日はやめとく」
彩香が腹を抱えて笑う。
「また金額で止まった!」
「数十万円は友情より重い時があんねん!」
まどか。
「名言みたいに言うな!」
騒ぎを聞きつけて、他のメンバーまで集まってくる。
「また美月と彩香?」
「さっき謝ってなかった?」
「仲直りしたんちゃうん?」
まどか。
「五秒だけな」
「短っ!」
美月が叫ぶ。
彩香が言い返す。
まどかが間へ入る。
佳乃が金額を読み上げる。
誰かが余計な一言を入れる。
また全員が笑う。
数日前。
美月が元気をなくした西日本分室は、不自然なくらい静かだった。
今はうるさい。
非常にうるさい。
もはや職場なのか楽屋なのか、動物園なのか分からない。
まどかは騒ぐ美月と彩香を見ながら、ほっとしたように笑った。
「やっぱりこの方が、西日本分室らしいわ」
佳乃は机へ戻り、今回の制服補修に関する最終伝票を見る。
当初相場より大幅に安い。
品質は高い。
納期は厳守。
保証期間延長。
再調整一回無料。
予備生地まで確保。
現在の美月に合わせた寸法調整。
ショートパンツの丈も、見た目を変えずにわずかに延長。
補修した箇所は、至近距離から見てもほぼ分からない。
財務担当としては、文句なし。
だが佳乃自身にとって一番大きな成果は、帳簿には書かれていなかった。
「彩香ぁ!」
「元・敗れスーツ!」
「もう一遍言うてみ!」
「元・敗れスーツ!」
「二遍言うな!」
部屋中に響く美月の大声。
元気よく揺れるツインテール。
それにつられて笑う仲間たち。
佳乃は小さく笑った。
一円には、とことん厳しい。
品質には、それ以上に厳しい。
けれど、本当に必要なものまで削ることはしない。
安い物を選ぶだけが節約ではない。
必要な品質へ、必要な金を払う。
余計な一円は払わない。
そして、いい物は直しながら最後まで大事に使う。
それが「和泉の貯金箱」。
財務の鬼・谷口佳乃だった。
美月の制服は完全復活した。
そして美月自身も完全復活した。
その日の夕方。
次回の旅番組ロケ予定を見た美月が、大声を上げる。
「うわっ! 次、長崎やん! ちゃんぽん! 皿うどん! カステラ! 角煮!」
佳乃の顔が瞬時に上がった。
「全部食べる気け?」
「食レポやぞ!」
「一口ずつでも食レポはでけるやろ」
「店の人に失礼や!」
「腹いっぱい食べて、また制服ビリッてやる方がうちには失礼や!」
「もう破らへん!」
その横から彩香。
「破れスーツ・リターンズ?」
美月が振り返った。
「お前は黙っとれぇぇぇ!」
最後の大爆笑が、西日本分室いっぱいに響いた。
堺で戦い。
南港で暴れ。
制服が破れ。
彩香にからかわれ。
美月が落ち込み。
五社の業者が相見積もりで震え。
佳乃が一円単位で価格を削り。
それでも品質だけは一切削らず。
最後に戻ってきたのは、新品同然になった赤い制服と、元気なツインテール。
そして――。
やかましくて、子どもじみていて、笑いが絶えない、いつものヒロ室西日本分室だった。
こうして、漫才トリオ「トリオ・ザ・大阪」と財務の鬼・谷口佳乃を巡る一連の騒動は、ひとまずここで中締めとなる。
笑って、戦って、喧嘩して。
最後にはやっぱり仲間を大切にする。
そんな三人の日常は、この先もきっと変わらない。
ただし――。
美月が次に制服を破った場合だけは、谷口佳乃の見積査定が、これまで以上に厳しくなることだけは間違いなかった。




