パラダイスは傾いとるから、おもろいねん! ――金はないけど、みかんと夢は山ほどある! 富田林ヒロイン・オレンヂパラダイス祭と「トリオ・ザ・大阪」山の上の大漫才
森ノ宮では、たこ焼き二百八十円の領収書を巡って大騒ぎ。
難波では、昔の球場の客数にならい、三千円の伝票を三万円へ水増ししようとして大騒ぎ。
枚方では、観覧車を半周で逆回転させようとして大騒ぎ。
河内のスピーカー・赤嶺美月。
和泉の貯金箱・谷口佳乃。
浪速のバランサー・坂井まどか。
漫才トリオ「トリオ・ザ・大阪」は、舞台へ上がるたびに何らかの騒ぎを起こし、それを笑いに変えてきた。
そんな三人へ、今度は富田林市の観光農園から出演依頼が届いた。
依頼書には、こう書かれていた。
「みかん山の自然と手作り遊具を舞台に、夢いっぱいの楽しいイベントを開催したい」
美月は、その一文を読んで目を輝かせた。
「みかん食べ放題か?」
佳乃が答えた。
「どこにも書いてまへん」
「手作り遊具って、無料か?」
「料金体系は別紙です」
「夢いっぱいって、出演料とは別に夢をもらえるんか?」
「夢に換金性はありません」
まどかは二人の間から依頼書を取り上げた。
「出演する前から、夢を経費査定すな」
こうして九人の戦隊ヒロインが、富田林の山へ向かうことになった。
イベント名は、
「富田林ヒロイン・オレンヂパラダイス祭」
――採って、笑って、遊びまくれ! 山のおっさんと夢みかんステージ
参加するのは、学生キャスターの三好さつき。
四日市の突貫娘の山本あかり。
和歌山のみかん農家に生まれた白浜麻衣。
元地下アイドルの美晴、通称みーちゃん。
自称「ハマのプリンセス」こと南部沙羅。
川崎からやってきた脱力系の水無瀬澪。
そして「トリオ・ザ・大阪」の美月、まどか、佳乃。
九人は最寄り駅からマイクロバスへ乗り込み、山の上にある観光農園を目指した。
◇
ハマのプリンセス、まだ山にも入っていません
出発直後。
車内は平和だった。
麻衣は窓の外の畑を眺め、みーちゃんはイベント資料を確認し、さつきは司会進行表へ目を通している。
あかりは持参した菓子袋を開け、佳乃に見つからないよう食べ始めた。
もっとも、袋を開ける音が大きすぎて、三秒で見つかった。
「車内へ菓子くずを落とさんといてください」
「まだ落としてないよ!」
「落とす前に言うてます」
「けちのんは未来まで監査するん?」
そんなやり取りをしているうちに、住宅地が少なくなっていく。
道幅が少し狭くなった。
その瞬間、沙羅が口を開いた。
「まだ着かないの?」
美月が振り返る。
「出発して十五分やぞ」
「十五分もたったのよ」
「遠足で十五分は、まだ先生が注意事項をしゃべっとる時間や」
さらに数分後。
道が曲がった。
「今のカーブ、必要だった?」
沙羅が真顔で尋ねた。
まどかが振り返る。
「山道の設計者に聞いて」
再び道が曲がる。
「また曲がったわ」
澪が窓へ頭を預けたまま答える。
「山だからね」
「道路が狭いわ」
「山だからね」
「木しか見えない」
「山だからね」
「通信が少し弱いんだけど」
「山だからね」
沙羅が澪を見る。
「あなた、さっきから全部“山だから”で済ませてない?」
澪は目を閉じたまま言った。
「だいたい山が原因だから」
バスが段差を越え、大きく揺れた。
沙羅は慌てて座席の手すりをつかむ。
「今の揺れは要らなかったわ!」
美月が笑う。
「揺れに必要と不要があるんか?」
「乗客へ不快感を与える揺れは不要よ」
佳乃は手帳へ何かを書き込んでいた。
美月が横からのぞく。
「何してるん?」
「沙羅さんの苦情を分類しています」
「数えるな!」
佳乃は淡々と読み上げる。
「距離に関する苦情三件。道幅二件。カーブ二件。揺れ三件。通信一件。景色一件。現時点で十二件です」
沙羅が驚く。
「どうして数えているの?」
「改善要望は記録せなあきまへん」
「別に正式な改善要望ではないわ」
佳乃は手帳を閉じた。
「ほな、単なる文句ですな」
美月が腹を抱える。
「ハマのプリンセスの苦情、ただの文句として正式受理されたで!」
「私は快適性に対して正直なだけよ!」
澪がぼそりと言った。
「それだけ文句を言えるなら、車酔いはしてないね」
沙羅は一瞬黙った。
「……それはそうね」
美月は前の座席へ突っ伏した。
「認めるんかい!」
◇
道を直す金があったら、遊具を作る
ようやくバスが観光農園へ到着した。
入口に立っていたのは、作業着に長靴、使い込まれた帽子をかぶった日に焼けた男だった。
この農園の経営者。
通称、
「山のおっさん」
である。
一行がバスから降りると、山のおっさんは両手を広げた。
「よう来たのう! 戦隊ヒロインさんが、こんな山ん中までぎょうさん来てくれて、今日は山もびっくりしとるわ!」
声は大きい。
河内弁は濃い。
しかし表情はどこか飄々としている。
沙羅は、降りた直後から入口の坂道を見て眉を寄せた。
「ここからも歩くんですか?」
山のおっさんは笑った。
「そら歩くがな。車ごとみかん畑へ突っ込むわけにいかんやろ」
「もう少し道を整備できないんですか?」
「できるもんなら、やっとるわ!」
山のおっさんは豪快に笑う。
「道広げる金あったら、遊具三つ作るっちゅうねん!」
美月が即座に突っ込んだ。
「優先順位が完全に間違っとる!」
「道は通れたらええ。遊具は多い方が子ども喜ぶやろ」
佳乃は感心したように頷いた。
「限られた資金を、利用者満足度の高い分野へ重点配分してはりますな」
山のおっさんは佳乃の肩を叩いた。
「姉ちゃん、話分かるやないか!」
美月が二人の間へ割り込む。
「この二人を近づけたらあかん! 明日には山中の遊具が全部、廃材で増築される!」
山のおっさんは、まったく気にしない。
「ここはな、みかん採って、遊んで、腹減ったら飯食うて、疲れたらその辺へ座ったらええねん。細かいこと考えたら負けや!」
まどかが周囲の手作り遊具を見回した。
「安全については、細かく考えてくださいね」
山のおっさんの顔が少しだけ真面目になった。
「そら当たり前や。夢は大ざっぱでもええ。安全は細こう見なあかん」
佳乃が強く頷く。
「全面的に同意します」
美月がため息をつく。
「もう弟子入りしたらええやん」
◇
さつき一人で山が文化施設になります
イベント会場は、山の斜面に設けられた広場だった。
木を組み、板を張った素朴なステージ。
背後にはみかん畑。
右にも山。
左にも山。
舞台袖も、ほぼ山である。
美月はステージを見て言った。
「登場位置を間違えたら、みかん畑から出てくることになるな」
山のおっさんが答える。
「そっちの方がおもろいやんけ! みかん箱から飛び出してきたらええ!」
まどかが首を横へ振る。
「ヒロインの登場方法として雑すぎます」
開演時刻。
さつきがステージへ立つ。
「皆さん、おはようございます。本日は『富田林ヒロイン・オレンヂパラダイス祭』へお越しいただき、ありがとうございます」
澄んだ声が、山の広場へ広がる。
板張りの簡素な舞台が、さつきが立っただけで正式なイベント会場へ変わった。
舞台袖の美月が感心する。
「さつきが出たら、急に国営放送の地方特番みたいになったな」
佳乃も頷く。
「司会者一人で、会場設備費以上の効果があります」
まどかが止める。
「さつきの価値を、設備費に換算すな」
さつきは農園を上品に紹介した。
「こちらでは季節のみかん狩りをはじめ、山の自然を生かしたさまざまな遊びや体験を、ご家族で楽しむことができます」
美月が小声で言う。
「“誰が何のために作ったか分からん遊具”を、“さまざまな遊び”でまとめたで」
澪がぼそり。
「司会者の技術だね」
その時、沙羅が舞台袖からさつきへ尋ねた。
「帰りのバスも、あの道を通るの?」
さつきは上品な笑顔を一切崩さない。
「帰路につきましては、イベント終了後にご案内いたします」
美月が吹き出す。
「苦情を華麗に先送りした!」
◇
みかんの話だけ、麻衣の語速が二割上がります
最初のステージは、
「麻衣お姉さんのみかん教室」
麻衣の実家は、和歌山のみかん農家である。
この日の朝も、イベントへ向かう前に畑仕事を手伝ってきた。
さつきが尋ねる。
「麻衣さん、今朝も畑へ出られたそうですね」
麻衣は、おっとりした紀州弁で答えた。
「朝露が残っとるうちに、ちょっと畑を手伝うてきたんよ。みかんの時期は家族みんな忙しいさかい、特別なことやないんやけどねえ」
美月が驚く。
「朝から畑仕事して、山越えて、今ステージ立っとるん?」
「農家では、ようあることなんよ」
普段の麻衣は、穏やかで話し方もゆっくりしている。
ところが、みかんの話になると目が輝いた。
木の状態。
葉の色。
実の重さ。
皮の張り。
収穫時の手の角度。
傷を付けないための持ち方。
みかんの話だけ、語速が明らかに二割ほど上がっていた。
麻衣は実を一つ手に取る。
「力任せに引っ張ったらあかんのよ。実を傷めんように、木にも無理させんように、そっと採るんやよ」
子どもたちは真剣に聞いている。
その中へ、当然のようにあかりも混ざっていた。
「麻衣、このみかん甘い?」
「まだ食べてへんから分からんねえ」
「じゃあ食べる!」
「説明が終わってからやよ」
「一房だけ!」
麻衣は笑顔のまま言った。
「あかりさん、前の子どもさんより待てへんねえ」
会場から笑い。
あかりは一応、みかんを元へ戻した。
ただし、手は離していない。
麻衣は、みかんが育つまでの苦労も語る。
天候。
害虫。
収穫。
選別。
箱詰め。
「食べる時は、皮をむいてすぐやけど、ここまで育つのには長い時間がかかっとるんよ。おいしいなあと思って食べてもろたら、農家はそれが一番うれしいんよ」
温かな拍手が起きた。
麻衣は、沙羅へみかんを一つ渡した。
「沙羅さんも、食べてみる?」
沙羅は実を見つめる。
「手でむくの?」
美月が振り返った。
「みかんを何でむく気や」
沙羅は皮をむき、一房口へ入れる。
一瞬、黙った。
麻衣が尋ねる。
「どう?」
沙羅は澄ました顔で答えた。
「……悪くないわ」
美月が即座に指さす。
「出た! プライド高い人が、めちゃくちゃおいしい時に言う“悪くない”!」
「普通に褒めたら負けた気がするだけよ」
まどかが尋ねる。
「誰と戦っとるん?」
沙羅は答えず、二房目を口へ入れた。
その後も、
「少し酸味が強いわね」
「皮がむきやすいのは評価するわ」
と文句を言いながら、みかんを丸ごと一個食べ切った。
◇
「オレンヂ」の“ヂ”は、何となくです
続いて登場したのは、元地下アイドルの美晴。
通称みーちゃん。
みーちゃんが長年所属していたユニットの名は、
「オレンヂ☆ステップ」
そして今回の観光農園も、名称に「オレンヂ」と付いている。
みーちゃんは、以前から気になっていた。
なぜ「ジ」ではなく「ヂ」なのか。
さつきが、山のおっさんをステージへ招いた。
山のおっさんは作業着姿のまま、飄々と登場する。
みーちゃんが尋ねた。
「以前から聞きたかったんですけど、こちらの農園は、なぜ“オレンジ”ではなく“オレンヂ”なんですか?」
客席も注目する。
創業者の思い。
古い表記へのこだわり。
地域の歴史。
何か深い理由が明かされるのではないか。
山のおっさんは鼻の下をこすりながら答えた。
「そんなん、特にないで」
みーちゃんの笑顔が止まった。
「本当に何もないんですか?」
「ないない。昔、看板書く時に“ヂ”の方が目立つんちゃうか思うて、そうしただけや」
「創業時の理念などは?」
「理念いうても、みかん食うて遊んで帰ってくれたら、それでええがな」
「昔の仮名遣いを意識したとか」
「そこまで賢いこと考えとらん」
美月が叫ぶ。
「質問するほど何も出てけえへん!」
山のおっさんは、反対にみーちゃんへ尋ねる。
「ほな姉ちゃんとこの“オレンヂ☆ステップ”の“ヂ”には、何か大層な意味があるんか?」
みーちゃんは少し考えた。
「私が加入した時には、もうその名前だったので、実は知りません」
美月が叫ぶ。
「両方とも意味ないんかい!」
みーちゃんは続けた。
「メンバーはそれほど気にしていなかったんです。でもファンの方々は表記に厳しくて」
告知やパンフレットへ、
「オレンジ☆ステップ」
と書かれると、
「ジやない、ヂや!」
と怒る。
ところが、
「オレンヂ・ステップ」
と区切られていても怒らない。
「オレンヂステップ」
と星印が消えていても、なぜか許される。
みーちゃんは首をかしげた。
「“ヂ”だけは絶対に守るんです。でも“☆”はなくても、あまり怒らないんですよね」
澪が尋ねる。
「星より濁点の位置が大事なの?」
「ファンの方にとっては、そうだったみたい」
沙羅が言う。
「アイドルなら、星の方が大事じゃないの?」
みーちゃんも頷く。
「私もそう思います」
山のおっさんが腹を抱えて笑った。
「意味のない“ヂ”を、ファンが命懸けで守っとったんか! ええ話やないか!」
まどかが突っ込む。
「どこがええ話なんですか」
佳乃は真顔だった。
「正式名称の表記統一は重要です」
美月が佳乃を見る。
「あんたまで表記警察へ入るな!」
山のおっさんは、みーちゃんの肩を軽く叩く。
「ほな今日から、うちと姉ちゃんとこは“ヂ仲間”や! 意味はないけど、仲間や!」
みーちゃんも笑った。
「これからも“ヂ”を守ります」
まどかは頭を抱えた。
「意味のない者同士が、急に強固な同盟を結んだぞ」
◇
金はありません。夢だけあります
会場が十分に温まったところで、「トリオ・ザ・大阪」が登場した。
今回の新作は、
『金はないけど夢がある! 山のパラダイス予算会議』
舞台中央には、みかん箱を積み上げて作った机。
後ろには、手書きの大きな紙。
紙には、
「夢」
と一文字だけ書かれている。
美月が登場し、客席へ手を振った。
「どうもー! 山の中まで来てくれて、ありがとう!」
まどかも頭を下げる。
「今日は、この手作りパラダイスを、もっと楽しくする方法を考えます」
佳乃は帳簿を開いた。
「ただし、予算はありません」
美月が叫ぶ。
「開幕三秒で夢をなくすな!」
佳乃は真顔だった。
「金はなくても、夢があります」
まどかが後ろの紙を見る。
「夢だけ、でかい字で書いとるな」
「印刷費を節約するため、一文字にしました」
美月が机を叩く。
「最初から、ただのケチやないか!」
◇
美月にはマイク不要
佳乃は、ステージ上のマイクを数えた。
「現在、この舞台にはマイクが三本あります」
美月が頷く。
「三人おるからな」
「美月さんには必要ありません」
「何でや!」
「地声が山の反対側まで届きます」
まどかも頷いた。
「それは否定できへんな」
美月は客席の向こうへ向かって叫んだ。
「山の向こうまで、聞こえてるかー!」
少し遅れて、本当に遠くから声が返ってきた。
「聞こえてるでー!」
美月が驚いた。
「ほんまに届いた!」
佳乃は美月のマイクを片付ける。
「一台分の電力を削減できます」
「うちの声を、発電設備みたいに使うな!」
佳乃は続けた。
「うちとまどかさんも一本を共用します」
二人が一本のマイクへ顔を寄せる。
まどかが話そうとすると、佳乃も同時に話す。
声が重なり、何を言っているのか分からない。
美月が止める。
「聞き取りにくいわ!」
佳乃は冷静に答える。
「ほな交互に話します」
「最初から三本使え!」
◇
出演料はみかんです
佳乃は次の予算案を発表した。
「出演者への謝礼は、現金ではなく、みかんで支給します」
美月が驚く。
「物納かい!」
「一人一箱です」
まどかが麻衣を見る。
「みかん農家の麻衣には、あんまり特別感ないな」
佳乃は答える。
「麻衣さんは実家へ返納してください」
麻衣は困ったように笑う。
「朝から家のみかん触って、イベントへ来て、またみかん持って帰るんやねえ」
美月が佳乃へ詰め寄る。
「出演者が誰も得してへんぞ!」
佳乃は胸を張った。
「金はなくても、ビタミンがあります」
まどかが突っ込む。
「夢から栄養へ変わった!」
客席の子どもが叫んだ。
「みかんほしい!」
佳乃は笑顔で答える。
「一個百円です」
美月が叫ぶ。
「子どもへ売るな!」
客席の山のおっさんが立ち上がる。
「佳乃ちゃん、一個百円は高いやろ! 三個二百円にしたらんかい!」
美月が山のおっさんを指さす。
「値段の問題ちゃう! 農園側から便乗すな!」
佳乃は真剣に考える。
「まとめ売りによる客単価向上が――」
「そこで商談始めるな!」
◇
夢の裏は旅費精算説明会です
美月は、舞台後方の「夢」と書かれた紙を指さした。
「この看板、もうちょっと飾り付けできたやろ」
佳乃は答える。
「紙は、以前使用したポスターの裏です」
まどかが紙を裏返す。
そこには、
「旅費精算説明会」
という文字が透けていた。
美月が叫ぶ。
「子どもの夢の裏へ、旅費精算説明会を置くな!」
佳乃は看板を支える木の棒を示す。
「棒は山で拾いました」
「勝手に拾うな!」
「山のおっさんから許可を得ています」
客席から山のおっさんの声。
「そんなん何本でも持っていき! その代わり、帰りに落ち葉掃除してってや!」
佳乃が頷く。
「現物による交換条件ですな」
美月が頭を抱えた。
「この二人、出会わせたらあかんかった!」
山のおっさんは笑う。
「金の代わりに身体動かしたらええねん! 世の中、だいたいそれで回る!」
まどかが言った。
「そんな単純やないと思います」
「細かいこと考えたら、夢しぼむで!」
◇
金がないのではなく、佳乃が出したくないだけ
佳乃は予算案を読み上げる。
舞台装置費、ゼロ円。
音響費、最小限。
出演料、みかん。
宣伝費、口コミ。
美月は紙を見た。
「ほんまに金使う気ないやん」
佳乃は胸を張る。
「金はなくても夢があります」
「何回それ言うねん!」
「夢は無料です」
まどかが首をかしげた。
「でも、この農園へ来る交通費は?」
「自腹です」
「入園料は?」
「必要です」
「みかん狩りは?」
「料金が発生します」
「遊具は?」
「一部有料です」
美月が佳乃を指さした。
「全部、お客さんに払わせとるだけやないか!」
佳乃は静かに答える。
「受益者負担です」
「難しい言葉でケチをごまかすな!」
まどかが客席へ向く。
「結論が出ました」
美月が尋ねる。
「何や?」
「この農園に金がないんやない。佳乃が出したくないだけや」
佳乃は眼鏡を直した。
「経費の適正化です」
美月が叫ぶ。
「ただのケチや!」
笑い声が山全体へ広がった。
◇
金をかけなくても夢は作れます
漫才の終盤。
美月は周囲の手作り遊具を見渡した。
「確かに、ここには豪華な設備はない」
まどかも続ける。
「有名なキャラクターも、最新の乗り物もない。ちょっと傾いとる遊具もある」
客席から山のおっさんが叫ぶ。
「傾いとるんやない! 山の斜面に合わせとるんや!」
美月が返す。
「言い方変えただけやろ!」
「真っすぐやったら、おもろないがな!」
「安全だけは真っすぐやってくれ!」
客席から笑い。
美月は、少し真面目な表情になる。
「せやけど、子どもが喜ぶかな、いう気持ちで、一個ずつ作ってきたんやろ」
佳乃も頷いた。
「大切なのは、使った金額の大きさではありません。必要な安全費用には、きちんと金を使う。そのうえで知恵を出し、工夫して、来た人に楽しんでもらう」
まどかがまとめる。
「金をかけることと、夢を作ることは同じやないんやな」
子どもたちから拍手。
佳乃は少し笑った。
「金はなくても、夢はあります」
美月も頷く。
「今日は、その言葉を認めたる」
佳乃は続けた。
「ほな、打ち上げの料理も夢だけで我慢してください」
美月が叫んだ。
「やっぱり、あんたがケチなだけや!」
三人がそろって頭を下げる。
「どうも、ありがとうございました!」
山の広場は、大きな拍手と笑いに包まれた。
◇
ここはパラダイスやでぇ~
ステージ終了後。
目の前には手作り遊具がある。
卓球台がある。
アスレチックがある。
みかん畑がある。
通常なら、そのまま反省会へ移るところだが、この日は全員で農園を楽しむことになった。
最初に走り出したのは、あかりだった。
「美月! あれ乗ろう!」
「どれや!」
「分からんけど、動きそうなやつ!」
「動くか確認してから乗れ!」
あかりは豪華さなど気にしない。
動けば楽しい。
回れば楽しい。
滑ればもっと楽しい。
美月も、関西の長寿番組で山奥の珍施設を紹介していた探偵の口調をまねる。
両手を広げ、少し鼻へかかった声で叫んだ。
「皆さん、ご覧ください! ここはパラダイスやでぇ~!」
あかりも両手を広げる。
「パラダイスやでー!」
美月が尋ねる。
「あかり、意味分かっとる?」
「分からんけど楽しい!」
「それでええ!」
二人は手作り滑り台へ駆けていった。
まどかは呆れる。
「一番精神年齢の低い二人が、完全に解放されたな」
山のおっさんは上機嫌だった。
「壊れるまで遊んでいき!」
佳乃が振り返る。
「壊れる前に止めてください!」
「壊れたら直したらええがな!」
「利用中に壊れたらあきまへん!」
遠くから美月が叫ぶ。
「山のおっさんとけちのん、経営会議始めるな!」
◇
ハマのプリンセスは、最後まで乗りません
沙羅は遊具から少し離れた場所で腕を組んでいた。
「私は乗らないわよ」
みーちゃんが尋ねる。
「どうして?」
「服が汚れるし、子ども向けでしょう」
その目の前を、美月とあかりが大声で滑り降りる。
「パラダイスやでぇ~!」
「やでー!」
沙羅は眉をひそめた。
「本当にくだらないわ」
美月は滑り台の下から手を振る。
「ハマのプリンセス! 庶民の遊具が怖いんか!」
「怖くないわよ!」
「服が汚れるのが怖い?」
「そういう問題じゃないわ」
「高いところ苦手なん?」
「違う!」
「子どもに負けたくないん?」
「あなたは、どうして私を参加させたいのよ!」
美月は沙羅を指さした。
「一番乗りたそうな顔しとるからや!」
「してないわ!」
卓球のラケットを持った澪が、ぼそりと言った。
「参加する気がない人は、遊具をそんなにずっと見ないよ」
沙羅の動きが止まる。
美月が目を輝かせた。
「核心突かれた!」
「見ていたわけじゃないわ。安全性を確認していたのよ」
澪は表情を変えない。
「子どもが一周するたびに、数えてたけど」
「数えてないわ!」
「今、あの子が六周目」
沙羅は反射的に答えた。
「七周目よ」
一瞬の沈黙。
美月が腹を抱えて笑う。
「めちゃくちゃ見とるやないか!」
「たまたま目に入っただけよ!」
澪がまた、ぼそり。
「乗りたいけど、今さら乗りたいと言えないんだね」
「違うわ!」
沙羅は最後まで遊具へ乗らなかった。
だが、怖がる子どもがいれば、
「急がなくていいわ。足元を見て、一歩ずつ進みなさい」
と手を貸す。
子どもの服が乱れていれば直す。
泣きそうな子には、
「大丈夫よ。みんな最初は怖いものなの」
と励ます。
美月が茶化した。
「乗らへんのに、完全に遊具担当のお姉さんやん」
「子どもの安全を確認しているだけよ」
澪が小さく言った。
「自分が遊ぶより、世話を焼く方が恥ずかしくないんだね」
沙羅が澪をにらむ。
「今日のあなた、妙に核心を突いてくるわね」
澪はラケットを持ち直した。
「これから卓球するから、頭が起きてる」
沙羅は意味が分からず、首をかしげた。
その時点では、誰にも意味が分からなかった。
◇
ヘンテコ卓球台の決戦
農園の奥には、卓球台が置かれていた。
ただし、普通の卓球台ではない。
左右の幅が微妙に違う。
片側の角が丸い。
反対側は、なぜか少し出っ張っている。
中央部分は緩やかに盛り上がり、球が真っすぐ転がらない。
片方の脚の下には薄い木の板が二枚。
もう片方には、なぜか使い古した雑誌が挟まれていた。
ネットは中央が低く、左右だけ高い。
美月が台を見て言った。
「これ、卓球台か?」
山のおっさんは胸を張る。
「卓球もできる多目的変形台や!」
まどかが尋ねる。
「ほかに何ができるんですか?」
「みかん並べたり、弁当食うたり」
「普通の机やないですか」
「卓球もできる机や!」
そのヘンテコな台の前で、普段は何事にもやる気を見せない澪が足を止めた。
澪は表面をなでる。
横から見る。
しゃがんで脚を確認する。
ネットの高さを指で測る。
そして、何の前触れもなくラケットを持った。
「さつき」
司会進行表を片付けていたさつきが振り返る。
「はい?」
「勝負しよう」
「私とですか?」
「十一点先取。二点差がつくまで」
妙に本格的である。
美月が驚く。
「澪、何で急に本気なん?」
澪は答えない。
「やる?」
さつきは一瞬、ヘンテコな卓球台を見る。
次に澪を見る。
上品な笑顔を浮かべた。
「承知しました」
まどかが小声で言う。
「さつきも受けるんや」
佳乃はスコア用紙を用意する。
「公式記録を取ります」
美月が止める。
「遊びの卓球に公式記録つけるな!」
第一球。
澪の鋭いサーブが、中央の盛り上がりへ当たった。
球は一度左へ曲がり、そこから右へ跳ねる。
さつきは一歩踏み込み、ぎりぎりで返した。
澪もすぐに打ち返す。
ラリーが続く。
一対〇。
二対〇。
澪が先行する。
普段の気だるそうな表情はない。
目が完全に球を追っている。
足もよく動く。
あかりが驚く。
「澪、今日だけ別人みたい!」
美月も叫ぶ。
「普段から、そのやる気出せ!」
澪は無視した。
さつきも徐々に熱くなる。
最初は上品に球を返していた。
だが三対〇となった瞬間、表情が変わった。
「次は取ります」
声が低い。
美月が一歩引く。
「さつきも火ぃ付いたぞ」
さつきのサーブ。
澪が返す。
さつきが強く打ち込む。
球が丸い角へ当たり、予測不能な方向へ飛んだ。
澪は身体を伸ばし、片手で返した。
球はネット上部へ触れ、真上へ跳ねる。
二人が同時に前へ出る。
さつきが先に押し込んだ。
三対一。
さつきは小さく拳を握った。
「よし」
美月が目を丸くする。
「さつきが“よし”言うた!」
まどかも驚く。
「司会以外で、こんな熱いさつき初めて見た」
試合は拮抗した。
五対五。
七対七。
九対九。
台の中央へ当たれば、球は左右どちらへ跳ねるか分からない。
丸い角へ当たれば、速度が落ちる。
出っ張った部分へ当たれば、突然高く跳ねる。
通常の卓球技術だけでは対応できない。
必要なのは、運。
反射神経。
そして、この台が何をしでかしても受け入れる広い心だった。
山のおっさんは腕を組み、満足そうに言う。
「台の癖まで読めて一流や!」
美月が返す。
「卓球台に癖を付けるな!」
十対九。
澪のマッチポイント。
さつきは額に汗を浮かべている。
澪も息が上がっている。
普段なら、
「もう疲れた」
とやめそうな澪が、まったくやめる気配を見せない。
さつきが尋ねた。
「澪さん。どうして、そこまで本気なのですか?」
澪は球を握ったまま答える。
「分からない」
「理由はないのですか?」
「この台を見たら、勝たなきゃいけないと思った」
美月が叫ぶ。
「何の使命感やねん!」
澪のサーブ。
さつきが返す。
澪が打つ。
球は中央の盛り上がりへ当たり、大きく右へ曲がった。
さつきは追いつく。
返球。
澪も飛び込む。
台の端へ球が当たり、真上へ跳ねた。
二人が同時にラケットを振る。
球はネットの支柱へ当たり、なぜか澪側へ落ちた。
十対十。
さつきが拳を握る。
「まだ終わりません」
澪も、ほんの少し笑った。
「そうだね」
そこから試合は十二対十二まで続いた。
最後はさつきの球が出っ張った部分へ当たり、澪の頭上を越えようとする。
澪は後ろへ下がり、身体をひねって打ち返した。
球は中央の盛り上がりへ当たる。
左へ曲がる。
さつきは左へ動く。
ところが球は、盛り上がりを越えた直後、右へ戻った。
さつきは逆を突かれた。
澪の得点。
十四対十二。
澪の勝利。
一瞬の静寂。
次の瞬間、大きな拍手が起きた。
澪はラケットを置き、短く息を吐く。
さつきは悔しそうに球を見つめていた。
「もう一度お願いします」
美月が叫ぶ。
「さつきまで終わる気ないんか!」
澪は即答した。
「いいよ」
佳乃が用紙をめくる。
「第二試合を記録します」
まどかが止める。
「このままやったら日が暮れる!」
山のおっさんは大喜びだった。
「ええ勝負や! この台で、ここまで本気になったん、あんたらが初めてや!」
美月が尋ねる。
「今まで誰も本気でやらんかったん?」
「みんな二、三球で“台おかしい”言うてやめよる!」
「そらそうや!」
澪が台を見つめた。
「この不公平さがいい」
さつきもラケットを構える。
「次は台の癖まで読み切ります」
二人が本気になった理由は、最後まで誰にも分からなかった。
◇
意味のない“ヂ”が山で復活します
みーちゃんは、入口近くの派手な色をした手作り遊具を見ていた。
あかりが声をかける。
「みーちゃん、昔の歌やって!」
「ここで?」
「オレンヂ園で、オレンヂ☆ステップ!」
美月も乗る。
「場所としては完璧やな」
みーちゃんは少し恥ずかしそうに笑い、かつての代表曲の振り付けを始める。
子どもたちが集まる。
麻衣が手拍子。
まどかも参加する。
山のおっさんまで、二拍ほど遅れて踊り始めた。
美月が叫ぶ。
「山のおっさん、全然合うてへん!」
「細かいこと言いな! 楽しそうに動いとったら踊りや!」
「リズムの概念を捨てるな!」
踊り終えたみーちゃんは、農園の看板を見上げる。
「まさか“オレンヂ”つながりで、またこの曲を踊るとは思いませんでした」
山のおっさんが豪快に笑う。
「“ヂ”に意味はないけどな!」
「こちらも意味は分かりません」
美月が叫ぶ。
「意味のない“ヂ”同士、相性よすぎるやろ!」
◇
佳乃も子どもに誘われれば遊びます
幼稚園教諭を目指す麻衣は、子どもたちと一緒に遊具を回っていた。
「順番に行こかあ。前のお友達が降りてから、次の人が行くんよ」
声は優しい。
安全確認はきっちりしている。
まどかも自然に加わり、列を整える。
佳乃は最初、利用人数を数えていた。
「一回当たり六人。平均待ち時間は四分二十秒――」
まどかが止める。
「仕事やなくて遊びや」
その時、一人の子どもが佳乃の手を引いた。
「けちのん、一緒に乗ろう!」
佳乃は遊具を見た。
「大人が乗った場合の重量制限が――」
山のおっさんが遠くから叫ぶ。
「佳乃ちゃん一人くらいやったら、びくともせえへん!」
「その言い方、不安になります!」
麻衣が優しく背中を押した。
「大丈夫やって。子どもさん、待っとるよお」
佳乃は子どもと並んで、小さな手作り遊具へ乗る。
ゆっくり動く。
少し軋む。
速くもない。
派手でもない。
だが、隣の子どもは楽しそうに笑う。
その笑顔を見ているうちに、佳乃も笑顔になった。
遠くから美月が叫ぶ。
「けちのん! 利用料金の元取ろうとして、何回も乗るなよ!」
佳乃が返す。
「子どもさんに誘われただけです!」
まどかが笑う。
「佳乃も、ちゃんと童心へ帰っとるやん」
山のおっさんは満足そうだった。
「せやろ! うちの遊具は、大人の余計な理屈を壊すためにあるんや!」
佳乃が尋ねる。
「設計図はありますか?」
「そんなもん、頭ん中や!」
「やっぱり理屈は必要です!」
◇
山の夕暮れ
夕方。
山の空気が少し冷たくなった。
一日中遊び続けたあかりは、ベンチへ座りながら、
「もう一回滑りたい」
と言っている。
美月も隣で息を切らしている。
「うちも行きたいけど、脚が動かへん」
卓球を三試合終えた澪とさつきは、まだ勝敗について話し合っている。
第一試合は澪。
第二試合はさつき。
第三試合は、球が台の出っ張りへ挟まって無効試合。
二人とも、まだ決着したと思っていなかった。
沙羅は最後まで、
「服が汚れた」
「山の風が冷たい」
「帰りも、あの道なのよね」
と文句を言っていた。
だが、怖がる子どもへ手を貸した時にもらった一枚の葉を、大事そうに手帳へ挟んでいる。
美月がそれを見つけた。
「沙羅、葉っぱ持って帰るん?」
「活動記録よ」
「ただの葉っぱやぞ」
「この農園の植生を確認する資料よ」
澪がぼそり。
「子どもにもらって、うれしかったんだね」
沙羅は澪をにらむ。
「今日のあなた、本当に余計なことばかり言うわね」
「卓球で頭が起きたままだから」
みーちゃんは山のおっさんと、意味のない“ヂ”について、まだ話している。
麻衣は子どもたちに囲まれ、みかんのむき方を教えていた。
まどかは、山全体を見渡した。
「ほんまに、豪華な物は何もないな」
佳乃も頷く。
「せやけど、全員一日中遊んではりました」
美月は、夕日に照らされた手作り遊具を見る。
「金かけたら夢ができる、いうわけやないんやな」
麻衣が九人へみかんを配る。
「誰かに楽しんでもらいたい思う気持ちがあったら、そこから始められるんと違うかなあ」
山のおっさんが、後ろから大きな声で笑った。
「せやせや! 金ないから言うて何もせんかったら、何もできへん! 木ぃ拾うて、板打って、色塗ったら、子どもが勝手に遊び方を考えよる!」
佳乃は真面目に付け加える。
「ただし、安全確認と必要な補修費用は削ったらあきまへん」
山のおっさんは佳乃の肩を叩いた。
「分かっとるがな! 夢は大ざっぱでもええ。安全だけは細こう見なあかん。そこ間違えたら、パラダイスやのうて地獄や!」
美月が笑う。
「最後だけ急に怖いねん!」
◇
山のおっさんの見送り
帰りのマイクロバスが、農園の入口へ回ってきた。
九人は一人ずつ乗り込む。
山のおっさんは、大きな袋を抱えてやってきた。
中には採れたてのみかんが入っている。
「今日よう頑張ってくれたさかい、持って帰り!」
美月が袋を見て喜ぶ。
「山ほどあるやん!」
佳乃はすぐに数え始める。
「一人当たり――」
山のおっさんが佳乃の手を止めた。
「今日は数えんでええ」
佳乃が驚く。
「配分を公平に――」
「足らんかったら、また来たらええがな」
山のおっさんは笑った。
「みかんも夢も、一回で全部持って帰ろうとしたら重たい。ちょっとずつ持って帰って、なくなったらまた山へ来い」
一瞬だけ、皆が静かになる。
あかりが笑顔で言う。
「また遊びに来る!」
みーちゃんも頭を下げる。
「次は“オレンヂ☆ステップ”の衣装で来ます」
「“ヂ”仲間やから、いつでも来い!」
麻衣は農園の木々を見ながら言った。
「今度は、うちの実家のみかんも持ってきますねえ」
「ほな、みかん交換会や!」
さつきも丁寧に頭を下げる。
「今日は、本当にありがとうございました」
澪は卓球台の方向を見る。
「次は決着をつける」
さつきも静かに頷いた。
「必ず」
山のおっさんが笑う。
「あの台、次来るまでに、もう一個出っ張り増やしといたるわ!」
二人が同時に言った。
「増やさないでください」
沙羅は最後にバスへ乗ろうとした。
山のおっさんが声をかける。
「ハマのプリンセスさん!」
沙羅が振り返る。
「何ですか?」
「今度来た時は、一個くらい遊具乗りや!」
「乗りません」
「ほな、また一日中見張っといてや!」
美月が吹き出す。
沙羅は少しだけ口元を緩めた。
「安全性が改善されていたら、検討します」
美月が指さす。
「今、“検討する”言うた!」
「条件付きよ!」
澪がバスの中から、ぼそり。
「次は乗るんだね」
「乗らないわ!」
山のおっさんは豪快に笑った。
エンジンがかかる。
バスがゆっくり動き始める。
山のおっさんは、道路の脇へ立ち、帽子を脱いで大きく振った。
「また来いやー! 金は持ってこんでもええ! 笑う元気だけ持ってこい!」
佳乃が窓を開けた。
「入園料は必要なんと違いますか!」
山のおっさんは負けずに叫ぶ。
「そこは持ってこい!」
美月が窓から顔を出す。
「結局、金要るんかい!」
笑い声がバスの中へ広がる。
しかし、農園が遠ざかるにつれて、誰もが何度も後ろを振り返った。
山のおっさんは、小さくなってもまだ帽子を振っている。
色あせた看板。
不格好な遊具。
少し傾いた卓球台。
夕日に染まるみかん畑。
どれも豪華ではない。
だが、その場所には確かに、人をもう一度子どもへ戻す力があった。
まどかが、窓の外を見ながら言った。
「ほんまに、変な場所やったな」
美月がみかんを一つ取り出す。
「でも、また来たなる」
佳乃も一房食べる。
「費用対効果では説明できまへんな」
澪が答えた。
「夢だからじゃない?」
佳乃は少し考え、頷いた。
「それも、たまには認めましょう」
帰りの山道。
行きに十二件の苦情を出した沙羅は、窓際の席で眠っていた。
バスが曲がっても、揺れても起きない。
美月が小声で言う。
「帰りは苦情ゼロやな」
佳乃が答える。
「疲労による苦情受付業務の停止です」
まどかは沙羅の肩へ毛布をかけた。
「結局、一番周り見とったから疲れたんやろ」
澪が眠る沙羅を見て、ぼそりと言う。
「遊ばなかった分、全部見張ってたからね」
美月は笑いをこらえた。
「澪、最後まで核心突くな」
バスの窓から、山の上の手作りパラダイスが見えなくなる。
金はない。
正確には、佳乃が簡単には出したがらない。
だが、山にはみかんがある。
手作りの遊具がある。
飄々と笑う山のおっさんがいる。
子どもたちの笑顔がある。
少しくらい不格好でも、人を楽しませたいという夢がある。
金はなくても、みかんと夢は山ほどある。
そして、笑う元気さえ持っていけば、パラダイスは何度でも待っている。
美月は土産のみかん袋を持ち上げ、佳乃へ尋ねた。
「けちのん。これ、ほんまに好きなだけ食べてええんやろ?」
佳乃は袋の中を確認する。
「帰宅まで、一人五個を目安にしてください」
「山ほどあるんちゃうんかい!」
この日最後の大きな笑いが、帰りのバスを揺らした。




