海風の教室、オリーブの島 ――十二の机と銀葉の約束・小豆島四国総局一日分教場
戦隊ヒロインプロジェクト四国総局には、相変わらず局長がいなかった。
固定センターもいなかった。
独立した庁舎もなく、四国の外にある大阪府内のヒロ室西日本分室へ間借りしている。
代理局長の藤堂隼人補佐官には、人事権も予算決裁権もなかった。
四県代表のヒロインへ命令する権限もない。
ただし、問題が発生した際の責任だけは、香川、愛媛、徳島、高知の四県分をまとめて負わされる。
隼人は、四国総局の組織図を見るたびに思った。
ないものは多い。
責任だけは、余るほどある。
そんな組織事情を四国の自治体が待ってくれるはずもなく、阿波池田でのお披露目イベントが成功した直後から、次の出演依頼が次々と舞い込んだ。
次の開催地として選ばれたのは、香川県の小豆島。
穏やかな瀬戸内海。
海を見下ろす丘。
銀緑色の葉を揺らすオリーブ畑。
昔ながらの集落や醤油蔵。
そして、若い女性教師と十二人の子どもたちの人生を描いた名作文学の舞台として知られる島である。
今回のイベント名は、
「小豆島四国総局一日分教場――十二の机と海風の教室」
名作の舞台となった昭和初期の分教場を再現し、地元児童十二人とヒロインたちが、一日だけ当時の教室へ戻る。
四国総局からは、香川代表の大西結月。
愛媛代表の越智美晴、通称みーちゃん。
徳島代表の三好さつき。
高知代表の神代なつめ。
さらに応援参加として、杉山ひかりと館山みのりによるグレースフォースが加わる。
中でも今回、特別な思いを抱いていたのがみのりだった。
◇
みのりにとっては、観光地ではありません
小豆島へ向かうフェリー。
夏の光を受けた瀬戸内海は穏やかで、海面には大小の島々が浮かんでいる。
船尾からは、白い航跡がまっすぐ伸びていた。
ほかのヒロインたちは船内売店を見たり、島へ着いてからの段取りを確認したりしている。
みのりだけは、甲板の手すりに両手を添え、近づいてくる島をじっと見つめていた。
ひかりが隣に立つ。
「みのり、乗ってからずっと島を見てるね」
「はい」
「緊張してる?」
みのりは少し考えた。
「緊張というより……本当に来てしまった、という感じです」
子どもの頃、みのりは『二十四の瞳』を何度も読んだ。
島の岬にある小さな分教場。
そこへ自転車で赴任してくる若い女性教師。
十二人の子どもたち。
明るい学校生活。
成長と別れ。
貧しさ。
戦争。
先生がどれほど子どもたちを思っても、時代の大きな流れを止められない無力さ。
それでも一人一人の名前と人生を忘れない、優しさ。
みのりは、大石先生に憧れた。
一時は、自分も小学校教諭になろうと考えたことがある。
「子どもたち全員を同じように扱うんじゃなくて、一人ずつ違う人として見る。誰が何を好きで、どんな家族がいて、何に悩んでいるのかを覚えている。そんな先生になれたらと思ったんです」
ひかりは静かに笑った。
「みのりなら、できたと思うよ」
「ただ、提出物には少し厳しかったかもしれません」
その会話を聞いていた結月が振り向く。
「提出期限を守らせることは、教育上必要です」
みーちゃんも加わる。
「結月ちゃんが先生だったら、忘れ物した子は校庭十周?」
「走らせません」
「本当に?」
「希望者には体力向上の方法を教えます」
「それ、遠回しに走らせる先生じゃない?」
なつめは船内売店で買った菓子を食べながら胸を張った。
「うちは体育の先生がええぜよ!」
隼人が即座に答える。
「学校設備を破損する可能性が高いため、不採用です」
「まだ採用試験も受けちょらん!」
「事前に結果が予測できます」
さつきが淡々とまとめた。
「本日は教員採用試験ではなく、一日分教場イベントです」
フェリーが島へ着く前に、臨時職員会議はすでに学級崩壊寸前だった。
◇
海辺の分教場が、一日だけよみがえります
会場には、昭和初期の木造分教場を思わせる教室が再現されていた。
十二脚の小さな木製机。
黒板。
古い地図。
木枠の窓。
足踏み式のオルガン。
壁には習字と子どもたちの絵。
窓の向こうには、青い瀬戸内海が広がっている。
地元児童十二人も、当時の子どもたちを思わせる素朴な服装をしていた。
六人のヒロインも、普段の華やかな衣装ではない。
みのりは淡いブラウスと長いスカート。
髪を上品にまとめ、革鞄を持っている。
結月は動きやすい島の女性風の服装。
さつきは女学生風の落ち着いた装い。
みーちゃんは音楽教師を思わせるレトロなワンピース。
ひかりは、若い補助教員のような柔らかな服装。
なつめも時代に合わせた衣装だったが、裾を何度も持ち上げて確認していた。
「これ、走りにくいぜよ」
隼人が言う。
「今日は走るイベントではありません」
「敵が来たらどうするが?」
「来ません」
「悪の組織は休みなが?」
「文学イベントへ乱入する予定は聞いていません」
みのりが静かに言った。
「この物語では、倒せば終わる悪者より、もっと大きくて見えないものが人々を苦しめます」
なつめは眉を寄せた。
「見えんがに、どうやって殴るが?」
「殴って解決する授業ではありません」
「難しいぜよ」
「今日は、そういうことも一緒に考えましょう」
その瞬間だけ、なつめも素直に頷いた。
みのりの声は、すでに一日先生のものになっていた。
◇
新任教師に、元競輪選手の護衛が付きます
イベントの冒頭は、名作を象徴する赴任場面の再現だった。
十二人の子どもたちが教室の前で、新しい先生を待っている。
遠くから、自転車のベルが聞こえる。
会場奥の岬道を模した通路から、みのりが自転車に乗って現れた。
洋服姿の若い女性教師。
自転車。
海辺の学校。
当時の島では、それだけでも子どもたちを驚かせる光景だった。
地元児童たちも役になりきる。
「新しい先生や!」
「女の先生が自転車に乗っとる!」
みのりは緊張しながらも、ゆっくりと自転車を進める。
文学少女として何度も頭の中に思い描いた場面。
ついに自分が、その風景の中へ入っている。
ただし、その自転車の斜め後ろには結月が走っていた。
「前方に小石があります」
「結月さん、演出中です」
「左へ寄りすぎです。海側へ落ちないように」
「安全担当が目立ちすぎています」
「転倒事故を防ぐことが最優先です」
新任教師が、元女子競輪選手の護衛付きで赴任してくる。
作品の世界にはなかった光景だった。
みのりが校舎前へ到着する。
美しく自転車を止めるはずが、なつめが前へ飛び出した。
「次、うちが乗るぜよ!」
みのりが急ブレーキ。
結月が車体を支える。
ひかりがなつめの腰をつかんで引き戻す。
「今はみのり先生の登場場面だから!」
「一台しかないき、早う予約しとかんと!」
隼人が頭を抱える。
「自転車は遊具ではありません!」
感動的な赴任場面は、危うく新任教師と高知代表の正面衝突事故になるところだった。
それでも観客は大笑い。
みのりも自転車を降りると、少し困ったように笑った。
緊張がほぐれた。
それもまた、四国総局らしい始まりだった。
◇
十二の瞳を、一人ずつ見つめます
みのりは教室へ入り、黒板に自分の名前を書いた。
「今日一日、皆さんと一緒に勉強する館山みのりです。よろしくお願いします」
最初は出席確認。
だが、単に名前を読み上げるだけではない。
事前に子どもたちから聞いていた情報を、一人ずつ添えていく。
「海の生き物が好きな翔太さん」
「おばあさんとオリーブ畑を手伝っている悠斗さん」
「本を読むのが好きな美咲さん」
「将来は船の仕事をしたい健太さん」
名前を呼ばれた子どもたちは、少し照れながら返事をする。
みのりは全員の顔を見る。
十二人を、一つの集団として扱わない。
一人ずつ違う性格と夢を持った子どもとして見る。
教室の後ろにいたひかりは、その姿から目を離せなかった。
みのりは、ただ大石先生の役を演じているのではない。
幼い頃に憧れた先生のように、本当に十二人を覚えようとしていた。
十二人目まで名前を呼び終えた時、教室の後ろから声が上がった。
「先生、うちの名前は呼ばんが?」
児童用の机に、なつめが無理やり座っていた。
膝が机の下へ収まっていない。
みのりが答える。
「なつめさんは生徒ではありません」
「分からんこと多いき、生徒でもええぜよ」
結月が机を確認する。
「耐荷重を超えている可能性があります」
「うちはそんなに重うない!」
「体重ではなく、机の老朽化の問題です」
「それ、もっと失礼ぜよ!」
開始早々、十三番目の瞳が勝手に追加されかけた。
◇
六人の一日先生
みのり先生――国語と十二の未来
みのりの授業は、
「十年後の自分へ」
という作文だった。
島で暮らし続けたい。
本土へ出て勉強したい。
船員になりたい。
オリーブ農家を継ぎたい。
先生になりたい。
野球選手になりたい。
十二人は、それぞれ違う未来を書く。
みのりは机の間をゆっくり歩き、書けずに困っている子へ声をかける。
「今すぐ決めなくてもいいんですよ」
「夢が変わってもいいの?」
「もちろんです。十年後のあなたが、今とは違う夢を持っていても、それは間違いではありません」
一人の女の子が尋ねる。
「先生は、十年前に何になりたかった?」
みのりは少し驚く。
そして笑った。
「小学校の先生になりたいと思ったことがあります」
「じゃあ、夢がかなったね」
「今日一日だけですけどね」
「一日でも先生は先生やろ?」
みのりは答えられず、女の子の作文へ目を戻した。
その一言は、胸の奥へ静かに残った。
結月先生――海辺の自転車安全教室
結月は自転車通学の安全を教える。
左右確認。
坂道での減速。
歩行者優先。
砂利道では無理に乗らない。
説明は簡潔で分かりやすい。
子どもたちも真剣に聞いている。
見本走行も完璧だった。
低速でも一切ふらつかない。
姿勢も美しい。
ところが上り坂へ差しかかった途端、元女子競輪選手の本能が顔を出した。
結月の速度が上がる。
「上りでは一定の回転数を保ちます」
スタッフが叫ぶ。
「子どもが参考にできない速度です!」
なつめが別の自転車へ飛び乗る。
「結月さん、勝負ぜよ!」
「受けます」
隼人が慌てて二台の前へ立つ。
「安全教室で競走しないでください!」
結月は真剣に答える。
「追走者がいる状況での安全確認です」
「今、設定を追加しないでください!」
なつめはペダルへ足をかける。
「位置について!」
「スタートしません!」
最終的には、ひかりが自転車の鍵を預かることで競走を防いだ。
さつき先生――小豆島の昼ニュース
さつきは、古いマイクを使って校内放送を再現する。
題して、
「小豆島・今日の海風ニュース」
港へフェリーが到着したこと。
オリーブ畑に実がついたこと。
漁船が帰ってきたこと。
十二人の子どもが一日分教場へ参加していること。
子どもたちは、自分で考えた島のニュースを原稿にする。
一人の男の子が、
「うちの猫が、朝ご飯を二回食べました」
と書いた。
さつきは人気学生キャスターらしく、姿勢を正す。
「本日朝、小豆島町内の住宅で、飼い猫が朝食を二度要求する事案が発生しました」
ひかりが即座に突っ込んだ。
「事件みたいに読まなくていいから!」
「事実を正確に伝えました」
「猫が重大犯罪を起こしたみたいになってるよ!」
「飼い主によりますと、容疑猫は現在も追加の食事を要求しているとのことです」
教室は大爆笑。
男の子だけは誇らしそうだった。
みーちゃん先生――音楽授業のはずが独演会
みーちゃんは足踏みオルガンを担当する。
昔の学校で歌われた素朴な歌を、子どもたちと一緒に歌う。
最初は授業だった。
だが十年以上ステージへ立ってきたみーちゃんにとって、客席がある場所はすべてライブ会場だった。
「後ろのお父さん、お母さんも一緒に!」
観客が手拍子を始める。
「二番はもっと大きな声で!」
スタッフまで歌い出す。
みーちゃんはオルガンを少しずつ正面カメラの方向へ動かす。
結月が気づく。
「美晴さん、開始位置から四十センチ移動しています」
「オルガンが勝手に動いたの」
「演奏しながら押していました」
「カメラに映らないと、授業の様子が伝わらないでしょ?」
気づけば黒板の中央にみーちゃん。
四国総局はセンター不在。
しかしみーちゃんのカメラ感覚だけは、いつでもセンターを見つけていた。
なつめ先生――一分で終わる道徳
なつめは黒板へ大きく書いた。
「人を泣かせたら、いかんぜよ」
「弱い者いじめはいかん。困っちゅう人がおったら助ける。悪いことしたら謝る。以上ぜよ!」
隼人が時計を見る。
「授業時間は十五分です」
「大事なことは一分で分かるぜよ」
残り十四分は質問時間になった。
「怖い時はどうするの?」
「怖うても一歩だけ前へ出る。その次は、一歩出てから考えたらええ」
「強くなるには?」
「飯食うて、よう寝て、友達を大事にする!」
「勉強は?」
「できる人に聞く!」
「なつめ先生は?」
「さつきさんかみのりさんに聞く!」
教員としての自立性は低かった。
だが子どもたちには一番分かりやすく、一番人気の授業となった。
ひかり先生――教科を持たない本当の担任
ひかりには担当教科がなかった。
授業の進行。
時間管理。
緊張した子どもへの声かけ。
みーちゃんのライブ化を止める。
結月となつめの自転車競走を中止する。
難しい言葉を使い始めたみのりへ、子ども向けに言い換えるよう目で合図する。
教科を教えなくても、誰よりも教室全体を見ている。
一人の子どもが泣き出せば、真っ先に隣へ座る。
ひかりは、自然に学級全体を支えていた。
みのりが小声で言う。
「ひかりの方が、先生に向いているのでは?」
「みのりが十二人の顔をちゃんと見られるようにするのが、私の役目だから」
「いつも助けてもらってばかりですね」
「グレースフォースは二人で一つでしょ?」
ひかりは笑った。
みのりも、少しだけ笑った。
◇
十二脚の机が、一つずつ消えていきます
イベント後半。
教室の照明が少し暗くなる。
黒板の日付が進む。
明るかった分教場へ、時代の影が差し込む。
作品の世界観を忠実に伝えるため、楽しい授業だけでは終わらない。
家の事情で学校を離れる子。
働かなくてはならない子。
島を出る子。
戦争へ向かう時代の中で、自分の未来を自由に選べなくなる若者。
十二脚あった机が、一つずつ教室から運び出される。
さつきが静かに語る。
「同じ教室で笑っていた子どもたちも、いつまでも同じ場所にはいられませんでした。先生がどれほど願っても、時代は一人一人の希望とは関係なく進んでいきます」
結月となつめが、机を一脚ずつ運ぶ。
ただし二人とも仕事が速すぎた。
さつきが一人目の別れを語り始めた時には、三脚なくなっている。
ひかりが小声で止める。
「一脚ずつ、ゆっくり!」
結月が答える。
「転換時間を短縮しています」
「余韻まで短縮しないで!」
なつめは二脚まとめて持とうとする。
「効率がええぜよ!」
「別れをまとめないで!」
机の撤去速度を巡る小さな騒動で、観客の涙に笑いが混じる。
やがて教室には、空いた場所が目立つようになる。
みのりは一人で戻ってくる。
並んでいたはずの机。
そこへ座っていた子どもたち。
先生は、子どもたちを守りたい。
だが、全員を同じ教室へ留めておくことはできない。
みのりは空いた机を見つめ、短く言う。
「皆さんが、ここに座っていたことを忘れません」
会場が静まる。
みのりは演技をしていた。
だが、その表情には本物の痛みがあった。
子どもの頃から何度も読んだ物語。
大石先生の無力さと優しさ。
同じ言葉を読んだ時とは違い、今は目の前に十二人の顔がある。
教室の後ろで、ひかりの目にも涙が浮かぶ。
その時。
空いた机へ、なつめが腰を下ろそうとした。
「立ちっぱなしで疲れたき――」
隼人が背後から引っ張る。
「今は大切な余韻の場面です!」
「机、余っちゅうやろ!」
「余っているのではありません!」
会場は涙を浮かべたまま笑った。
悲しみを過度に重くせず、それでも何が失われたのかは忘れない。
そんな一日分教場になっていた。
◇
海風の朗読劇
締めくくりは、名作の世界観を受け継いだオリジナル朗読劇、
『海風の教室――十二の笑顔』
みのりが先生役。
十二人の子どもたちが生徒役。
さつきがナレーション。
みーちゃんが音楽。
ひかりが進行。
結月となつめが場面転換。
先生と子どもたちは、海辺を歩く。
遠足へ出かける。
運動会で失敗する。
叱られる。
仲直りする。
そして成長し、それぞれの人生へ進んでいく。
夕方の教室の場面。
十二人の子どもたちが、先生へ声をそろえる。
「先生、また島へ帰ってきてね」
みのりは台本を知っている。
この台詞が来ることも分かっている。
それでも、すぐには答えられなかった。
幼い頃に憧れた大石先生。
小学校教諭を目指そうと考えた自分。
今日、一人ずつ名前を呼んだ十二人。
作文へ書かれた十二通りの未来。
みのりの目に涙が浮かぶ。
「必ず帰ってきます」
声が震える。
「皆さんの名前も、今日話してくれたことも、一人ずつ覚えていますから」
静かな拍手が起こる。
ひかりは舞台袖で、目元を押さえている。
なつめも珍しく黙っていた。
ただし数秒後、みーちゃんが小声で言った。
「なつめちゃん、お腹鳴った?」
「感動して腹が減ったぜよ」
「感動と空腹は別にして」
涙の場面でも、四国総局は完全には静かになれなかった。
◇
消えた十二枚の銀葉
イベント終了後。
十二人の子どもたちは、オリーブの葉を模した銀緑色のカードへ、大切にしたい言葉を書いていた。
勇気。
友情。
家族。
平和。
笑顔。
故郷。
夢。
希望。
海。
学び。
未来。
約束。
十二枚を、会場近くの若いオリーブの木へ飾る予定だった。
ところが閉会式直前。
瀬戸内海から強い風が吹き抜ける。
テーブルへ仮置きしていたカードが、一斉に舞い上がった。
「飛んだ!」
ひかりが叫ぶ。
十二枚の銀葉は、オリーブ畑、遊歩道、売店、丘、白い風車の周辺へ散っていく。
フェリーの出航までは一時間。
隼人は腕時計を見る。
「小豆島クエストを開始します」
「消えた十二枚の銀葉を探せ!」
なつめが拳を握る。
「敵は風ぜよ!」
「風は敵ではありません」
「風より速う走ったら勝ちやろ!」
結月も周囲を見る。
「風向きと地形から、落下範囲を推定できます」
隼人は二人へ警告する。
「オリーブ畑を踏み荒らさないでください。木へ登らないでください。石垣を壊さないでください」
なつめが不満そうに言う。
「まだ何もしちょらん!」
「事前に言わなければ、すべて実行しそうだからです」
◇
結月とみのりが、銀葉をつなぎます
地元香川代表の結月は、風向きと坂道を確認。
目撃情報を集めると、元女子競輪選手の脚力で丘を駆け上がる。
一枚は遊歩道の脇。
もう一枚は、オリーブの枝へ引っかかっている。
結月が跳び上がろうとする。
みのりが止めた。
「枝を傷つけないでください」
結月は瞬時に動きを止める。
「了解しました。脚立を待ちます」
なつめが木の幹へ手をかける。
「うちが登るぜよ!」
結月が背後から抱えて引き離す。
「地元の木を傷つけないでください」
「軽う登るだけぜよ!」
「軽くても禁止です」
地元代表として、結月は速さだけでなくオリーブを守る慎重さも見せる。
みのりは、拾ったカードを見て持ち主を言い当てる。
「『海』を書いたのは、漁師になりたいと言っていた翔太さんです」
次のカードを見る。
「『学び』は、本土の学校へ進みたいと話してくれた美咲さん」
「『家族』は、おばあさんのオリーブ畑を継ぎたい悠斗さんです」
名前は書かれていない。
だが、みのりは子どもたちの作文と会話を全部覚えている。
結月が感心する。
「十二人全員の言葉を記憶しているのですね」
みのりはカードを大切に持つ。
「先生役ですから」
ひかりは少し離れた場所から、その言葉を聞いていた。
みのりはもう、役として先生を演じているだけではなかった。
◇
六人全員が本気で探します
さつきは発見地点を地図へ記録する。
風向き。
建物。
木立。
丘の傾斜。
「海側へ飛んだように見えても、風車の裏で風が巻き戻した可能性があります」
分析どおり、植え込みの陰から二枚を発見。
みーちゃんはイベント映像を確認する。
カードが飛んだ瞬間、画面の端へ映り込んだ銀色の影を見つけた。
「一枚、売店の屋根へ飛んでる」
結月が言う。
「よく分かりましたね」
「カメラを見る時は、画面全体も見てるの」
「今回は役に立ちました」
「今回は、は余計だよ」
ひかりは園内放送と来場者への声かけを担当。
観光客。
農家。
売店スタッフ。
保護者。
イベントを見ていた人々が、次々と捜索へ加わる。
ひかりは、一人で探すのではなく、島全体を自然に一つのチームへ変えていく。
なつめは丘の上から叫んだ。
「銀色の葉っぱ、どこぜよー!」
当然、カードは返事をしない。
だが近くにいた女の子が言う。
「白い風車の近くで光ってたよ」
なつめは胸を張る。
「広域音声捜索、成功ぜよ!」
さつきが訂正する。
「通常の聞き込みです」
「名前が格好ええ方が、やる気出るぜよ!」
◇
最後に残った「約束」
十一枚まで見つかった。
残る一枚は、
「約束」
と書かれた銀葉。
それを書いたのは、一日分教場でみのりを最も慕っていた女の子だった。
フェリーの出航時刻が近づく。
みのりの表情にも焦りが浮かぶ。
「約束だけを置いて帰ることはできません」
結月が地図を見る。
「風車南側の石垣周辺が未確認です」
二人は最後の区域へ走る。
結月が先行。
みのりも長いスカートを押さえながら続く。
石垣脇の草が揺れる。
結月が銀色の光を見つけた。
「ありました」
だがカードは細い隙間の奥へ入り込んでいる。
結月の手では届かない。
みのりは地面へ膝をつき、腕を伸ばす。
「もう少しです」
「無理をしないでください」
結月がみのりの腰を支える。
「この一枚は、必ず持って帰ります」
みのりの指先がカードへ触れる。
少しずつ引き寄せる。
銀色の葉が、石垣の隙間から姿を見せる。
そこには、子どもの字で、
「約束」
と書かれていた。
みのりはカードを胸へ抱く。
結月も、ほっと息を吐く。
地元香川代表の脚力と土地を見る目。
みのりの執念と、子どもの言葉を大切にする心。
二人の力で、十二枚の銀葉がすべてそろった。
◇
先生と呼ばれた日
十二人の子どもたちは、自分のカードを若いオリーブの木へ結びつける。
最後は「約束」。
みのりが女の子へカードを渡す。
少女は枝へカードを結びながら尋ねた。
「みのり先生、また小豆島へ来る?」
みのりは一瞬、言葉を失う。
正式な教員ではない。
一日だけの先生。
明日からは再び、戦隊ヒロインとしての活動へ戻る。
それでも少女は、みのりを先生と呼んだ。
みのりは膝を曲げ、少女と目線を合わせる。
「はい。必ず来ます」
「本当に?」
「約束です」
少女は笑った。
オリーブの銀緑色の葉と、十二枚のカードが海風に揺れる。
記念写真では、誰か一人を中央へ置かなかった。
四国総局の四人。
グレースフォースの二人。
十二人の子どもたち。
中央にあるのは、オリーブの若木。
全員が、その周囲へ並ぶ。
固定センターはいない。
この日の中心は、十二人の笑顔と、一本の若いオリーブだった。
◇
港へ続く最後の通学路
夕方。
六人はフェリー乗り場へ向かう。
港までの道には、十二人の子どもたちが並んでいた。
朝は先生を迎えた通学路。
夕方は、先生たちを送り出す道になる。
子どもたちは、小さな黒板や手作りの旗を持っている。
「先生たち、また来てね」
「約束、忘れないで」
「四国総局ありがとう」
保護者。
オリーブ農家。
観光スタッフ。
島の人々も港へ集まっていた。
結月は香川代表として、一人ずつへ深く頭を下げる。
「小豆島の魅力を、これからも多くの人へ伝えます」
みーちゃんは両手を振る。
「今日の写真、必ず届けるからね!」
さつきは子どもたちが作ったニュース原稿を鞄へしまう。
「皆さんの言葉を、忘れません」
なつめは港へ響く声で叫ぶ。
「小豆島、また来るぜよー!」
ひかりも笑顔で手を振る。
「みんな、元気でね!」
みのりだけは、何度も振り返った。
木造の教室。
十二脚の机。
海辺の通学路。
オリーブの木。
幼い頃、本を読みながら想像した景色が、現実の記憶になっている。
ひかりが隣へ並ぶ。
「みのり、一日だけでも先生になれたね」
みのりは首を横へ振った。
「私が先生になったんじゃありません」
「違うの?」
「あの子たちが、私を先生にしてくれたんです」
声が少し震えた。
◇
フェリーが島を離れます
乗船案内が流れる。
六人はフェリーへ乗り込み、甲板へ上がる。
岸壁では、十二人の子どもたちが手を振っている。
船のエンジン音。
綱が外される。
フェリーがゆっくりと岸壁を離れる。
「みのり先生ー!」
「また来てねー!」
「結月ちゃーん!」
「四国総局、頑張ってー!」
みのりは両手を振り返す。
最初は笑顔だった。
だが、
「みのり先生」
という声が海を越えて届いた瞬間、大粒の涙が頬を伝った。
一粒。
二粒。
拭っても、次々とあふれる。
みのりは十二人の名前を、一人ずつ小さな声で呼んだ。
忘れないためではない。
すでに全員を覚えていることを、自分の心へ確かめるためだった。
「また来ます……絶対に、また来ますから……」
声は岸壁まで届かない。
それでも子どもたちは、さらに大きく手を振る。
隣のひかりは、泣いているみのりを見て笑おうとした。
だが感受性の強いひかりも、耐えられない。
「みのりがそんなに泣いたら、私まで……」
ひかりの目からも涙がこぼれる。
ひかりはみのりの肩へそっと腕を回す。
二人は泣きながら、岸壁へ手を振り続ける。
夕日に照らされた瀬戸内海。
白いフェリー。
銀色に輝く航跡。
甲板で肩を寄せ合うグレースフォース。
悲しい別れではない。
また会うと約束した別れ。
だからこそ、涙が止まらない。
結月も、地元香川の島が遠ざかるまで深く頭を下げる。
みーちゃんは目元を押さえながらも、子どもたちへ笑顔を見せる。
さつきは十二人の作文を胸へ抱く。
なつめは声が届かなくなるまで叫ぶ。
「約束は守るぜよー!」
岸壁の子どもたちは、十二枚のオリーブの葉を描いた旗を高く掲げる。
夕日を受け、銀色の葉が光る。
港が小さくなる。
教室も、丘も、子どもたちの姿も遠ざかる。
ひかりは涙を拭いながら、みのりへ尋ねた。
「次に会った時も、十二人全員分かる?」
みのりは泣き笑いのまま、迷わず答えた。
「もちろんです」
そして、遠ざかる島へ小さく続ける。
「先生ですから」
フェリーの汽笛が、穏やかな海へ長く響いた。
みーちゃんが鼻をすすりながら言う。
「すごくいい場面だから、誰も変なこと言わないでね」
なつめが口を開く。
「うち、腹減ったって――」
結月が即座に止める。
「あと五分だけ我慢してください」
「感動に制限時間があるが?」
「あります。今だけです」
涙の中へ、小さな笑いが戻る。
みのりも涙を流したまま、ふっと笑った。
小豆島で開かれた一日分教場。
十二人の子どもたち。
六人の一日先生。
十二枚の銀葉。
そして、海を越えて交わされた再会の約束。
四国総局に固定センターはいない。
だがこの日、全員の心の中心にいたのは、十二人の子どもたちだった。
島を離れても、教室は終わらない。
先生と子どもたちの物語は、次に会う日まで、それぞれの場所で続いていく。
海風の教室は、フェリーの航跡の向こうへ。
銀葉の約束は、十二の笑顔をいつまでもつないでいく。




