テレビでは「母と行きたい」と答えました ――浮き輪補欠が全国に映った夜、陽菜と恵を結んだ夢のサイパン旅行
日曜日、午後六時半。
普段は全国の戦隊ヒロイン活動を統括し、重大な作戦や地域イベントの調整が行われる新橋ヒロ室フロントが、この夜だけは大人数の茶の間へと姿を変えていた。
大型モニターの前には、折り畳み椅子と座布団。
机の上には飲み物、菓子、軽食。
そして、先日の収録で出演記念品として贈られた大量の、
「ニッコリのり」
が積み上げられている。
味付け海苔。
焼き海苔。
卓上容器入りの海苔。
贈答用の大箱。
どう見ても、テレビを見るためのお茶請けとしては塩分と海苔の比率が高すぎた。
今夜七時から放送されるのは、大阪の準キー局が制作する人気クイズ番組、
『ロッド製薬提供 ステップアップクイズ』
の特別企画、
「全国戦隊ヒロイン大会」
である。
出演者六人も、全員そろっていた。
北海道・東北代表の菊池瑠璃。
関東代表の白石陽菜。
中部代表の山田真央。
近畿代表の西川彩香。
中国・四国代表の江波のどか。
九州・沖縄代表の有村ひなた。
さらに、収録当日に観覧席で異様な存在感を発揮した赤嶺美月と、その監視役だった月島小春。
芹沢遥室長、小宮山琴音、安岡真帆、太田すみれコーチ、藤堂隼人補佐官らも集まっている。
出演者自身による全国放送の鑑賞会。
本来なら、収録時の裏話を交えながら和やかに番組を楽しむはずだった。
ただし、この場には美月と彩香がいる。
静かに視聴できる可能性は、開始前から限りなくゼロに近かった。
◇
出演記念品は出演していない人も食べます
美月は放送開始前から、味付け海苔を三袋確保していた。
一袋はすでに開封済み。
二袋目は膝の上。
三袋目は、誰にも奪われないよう背中と椅子の間へ隠している。
彩香は、その不自然な姿勢を見逃さなかった。
「こら、アホツインテール」
「何や」
「それ、うちが持ってきた箱から取ったやろ」
「みんなで見るんやから、共有財産や」
「お前は出演者ちゃうやろ」
「観覧席出演者や!」
「そんな出演区分はないわ!」
美月は味付け海苔を一枚取り出し、得意そうに口へ入れた。
「番組を一番盛り上げたん、うちかもしれへんで」
小春が冷静に訂正する。
「美月パイセンはゴンドラに乗らず、浮き輪をつけて客席で騒いでいただけじゃん」
「テレビは映った者勝ちや!」
「クイズ番組は、正解した者が勝つんだよ」
彩香は、美月の膝に置かれた未開封の一袋を回収した。
「これは精神的損害の補償として返してもらう」
「何の損害や!」
「収録後に賞金〇円、豚まん奢れ、海苔よこせ言われた損害や!」
「全部事実やろ!」
「事実でも言われたら腹立つんや!」
「怖いオバハンは心が狭いなあ」
「誰が怖いオバハンや、アホツインテール!」
すみれコーチが時計を見る。
午後六時五十九分。
「始まります。少なくとも番組中は静かにしてください」
美月と彩香は、同時に相手を指さした。
「こいつが静かにしたら静かにする!」
小春がため息をつく。
「二人とも同じことを言ってる時点で、すごく仲いいよね」
「よくない!」
そこまで声がそろうと、もはや否定にも説得力がなかった。
◇
日曜七時は、ハトとともに始まります
午後七時。
大型モニターが明るくなった。
青空を背景に、ロッド製薬の本社をイメージした白い建物が映し出される。
軽快で耳に残る企業コーラス。
「ロッド、ロッド、ロッド製薬♪」
建物の上空を、何羽もの白いハトが飛び交う。
ハトの群れは画面中央へ集まり、その向こうから、
「ロッド製薬提供」
の文字が現れた。
長年、日曜夜の家庭へ親しまれてきた、おなじみの提供アイキャッチである。
真央が早速、企業コーラスへ合わせる。
「ロッド、ロッド、ロッド製薬~」
のどかも歌い始めた。
「これ聞くと、日曜七時いう感じがするね」
美月は突然、両腕を翼のように広げた。
「うちもハト役や!」
そして室内を走ろうとした。
小春がシャツの裾をつかむ。
「新橋ヒロ室の中を飛ばないで」
「離してや。今、群れに合流するところや」
彩香が呆れた。
「ハトより騒がしいわ」
遥室長は画面を見ながら首をかしげる。
「美月ちゃんは、ハトというより南国の鳥なのら」
「それ褒めてます?」
小春が尋ねる。
「たぶん、何も考えてないのら」
遥本人が答えた。
◇
小泉清アナウンサーの名調子
軽快なジャズ調のテーマ曲が流れる。
濃紺のスーツに身を包んだ小泉清アナウンサーが、スタジオ中央へ静かに歩み出た。
低く落ち着いた声。
端正な言葉遣い。
大げさな身振りを使わず、わずかな間と声の強弱だけで出演者の魅力を伝える、熟練の司会。
「皆さま、こんばんは」
その一言で、公開スタジオの客席が静まる。
新橋ヒロ室も――美月と彩香を除いて――静かになった。
「ロッド製薬がお送りいたします、『ステップアップクイズ』」
「今夜は特別企画、全国戦隊ヒロイン大会でございます」
小泉は、六人の出場者を北から順に紹介していく。
瑠璃には、
「下がらないことが、まず大切な番組でございます」
真央には、
「問題を最後まで聞くことに、減点はございません」
ひなたには、
「今夜ばかりは一歩下がりますと、本当に階段を下りることになります」
回答者を立てる丁寧な紹介。
相手を笑いものにしない、上品なユーモア。
それでいて、客席からは確実に笑いが起こる。
現在の真央は、画面の自分を見ながら味付け海苔をかじった。
「この時は、本当に最後まで聞くつもりだったがね」
彩香が即座に返す。
「つもりだけで終わったな」
「彩香さんも、姫路城いう言葉だけで押したがね」
「それは後でや!」
すみれコーチが二人を見る。
「まだ出場者紹介です。先の結果を言わないでください」
真央は口を閉じた。
三秒後。
「でも、あの問題は名古屋市と豊田市で迷っただけで――」
「もう言い訳始まっとるやないか!」
彩香の声が、テレビの小泉アナより大きく響いた。
◇
関西代表・緊急補欠、全国デビュー
六人の紹介が終わる。
テレビカメラが、公開スタジオの観覧席をゆっくり映していく。
一般の観覧客。
戦隊ヒロインの応援団。
各地域から駆けつけた関係者。
そして――。
一人だけ、周囲から完全に浮いている人物がいた。
南国柄のシャツ。
麦わら帽子。
首には浮き輪。
肩からは、
「関西代表・緊急補欠」
と手書きされたたすき。
カメラへ向かって、両手を大きく振る赤嶺美月だった。
現在の美月は、椅子から勢いよく立ち上がった。
「ウチ映った! 映ったで~!」
まるで人生で初めてテレビへ映った一般観覧客のように、大はしゃぎする。
「ここや! 今のところ止めて! 巻き戻して!」
彩香は画面と美月を交互に見て、深いため息をついた。
「アホか、やかましい」
「全国の視聴者が、うちを見とるで!」
「ゴンドラに乗ってる六人を見ろや!」
「これ、実質七人目の出演者やろ」
小春が答える。
「浮き輪をつけて客席に座っている、正体不明の一般観覧客だよ」
「番組に南国感を足したんや!」
「賞品がサイパンだから、最初から南国感はあるよ」
彩香が美月を指さす。
「関西代表は、うちや。お前はただの浮き輪客や」
「どくろで決まった代表やろ」
「また言うたな、アホツインテール!」
「どくろ代表!」
「浮き輪補欠!」
「賞金〇円!」
「出演〇回!」
遥室長が困った顔をする。
「テレビの小泉さんが何を言っているか、聞こえないのら」
二人は一度黙った。
わずか五秒後。
美月が画面を見ながら、満足そうに言う。
「でも、うち結構きれいに映っとるな」
彩香は味付け海苔の袋を、美月の口元へ押し当てた。
「これ食べて黙っとけ」
◇
出演者による、いらない副音声
クイズが始まる。
第一問。
函館市に関する問題を瑠璃が正解。
テレビ画面の瑠璃のゴンドラが一段上がった。
現在の瑠璃が解説する。
「これは函館市民として絶対に落とせませんから」
真央がすぐに続く。
「この問題、私も分かっとったけど、瑠璃さんが押すの速かったがね」
彩香が言う。
「今さら言うても、一段も上がらへんで」
次の一般常識問題を彩香が正解する。
真央は再び身を乗り出した。
「これも分かっとったけど、彩香さんの方がちと早かったがね」
のどかも参加する。
「うちも押そうと思うたんじゃけど、問題に続きがある気がしたんよ」
ひなたが穏やかに尋ねる。
「皆さん、このままだとほとんどの問題を分かっていたことになりませんか?」
「画面で見るより、実際は速かったんよ」
「ランプが点灯するまで一瞬間があったがね」
「隣のゴンドラの動きも気になるんよ」
「答えは頭の中へ出とったんじゃけど」
「本当は押すつもりやった」
六人全員が、収録時の自分を弁護し始めた。
問題文。
小泉清アナの進行。
正解音。
その全てが、出演者自身の勝手な実況で聞こえなくなっていく。
真帆が呆れた。
「収録中より、今の方がよく話しますね」
すみれコーチが注意する。
「自分たちの出演番組を、自分たちの解説で聞こえなくしないで」
全員が静かになった。
十秒後。
真央が、小さな声で言う。
「でも、この問題も分かっとったがね」
「もうええ!」
彩香の突っ込みに、新橋ヒロ室が笑いに包まれた。
◇
副支配人、これからです
ひなたが最南端の鉄道駅を問われる場面。
画面のひなたがボタンを押す。
「西大山駅です」
警告音。
ゴンドラが最下段へ下がる。
現在のひなたは、少し恥ずかしそうに笑った。
「改めて見ると、完全に思い込んでいますね」
真央が言う。
「私も西大山駅やと思っとったがね」
のどかも頷く。
「うちもじゃ」
彩香も小さく認めた。
「……うちもや」
美月だけが、得意そうに胸を張った。
「うちは赤嶺駅やと分かっとったで!」
小春が疑いの目を向ける。
「本当に?」
「美月の名字が赤嶺やからな!」
「答えを知っていた理由になってないよ」
「勘も実力のうちや!」
画面では小泉清アナが、問題の意地悪な部分を丁寧に説明していた。
西大山駅はJR最南端。
日本国内の鉄道駅全体では、沖縄都市モノレールの赤嶺駅。
そして、落ち込むひなたへ穏やかに呼びかける。
「副支配人、これからです」
現在のひなたは、静かに画面を見つめた。
「この一言で、本当に気持ちを切り替えられたんです」
陽菜も頷く。
「小泉さんは、間違えた人を恥ずかしい気持ちにさせないですよね」
誤答を責めない。
問題の難しさを説明する。
もう一度挑戦する道を示す。
騒がしかったヒロ室内も、ベテラン司会者の温かな進行に少しだけ静かになった。
美月が小声で言う。
「うちが司会やったら、“残念でしたー!”って大きく言うてまうな」
小春が答える。
「美月パイセンが司会じゃなくてよかった」
◇
青空の陽菜、真剣な陽菜
番組が中盤へ差しかかり、コマーシャルへ入る。
明るく爽やかな音楽。
画面には、朝の大学キャンパスが映し出された。
白いリボンを髪へ結んだ陽菜が、教科書とノートを抱えて正門を駆けてくる。
友人たちを見つけ、満面の笑顔で手を振る。
「おはよう!」
次の場面は講義室。
陽菜は真剣な表情で講義を聞き、丁寧にノートを取っている。
難しい内容を理解すると、小さくうれしそうに頷く。
ナレーション。
「勉強も、夢も、毎日しっかり見つめたい。」
大学の中庭。
友人たちと昼食を楽しむ陽菜。
冗談を聞き、声を上げて笑う。
サークル仲間との打ち合わせ。
図書館で資料を広げ、集中して勉強する姿。
時計を確認し、戦隊ヒロイン活動へ向かう準備をする姿。
学業。
友情。
サークル。
戦隊ヒロイン活動。
忙しくも充実した、陽菜の明るいキャンパスライフが、短い映像の中へ鮮やかに描かれている。
長時間の勉強を終えた陽菜が、少し目を細める。
バッグからロッド製薬の目薬、
「新Vロッド」
を取り出す。
爽やかな一滴。
透明感のある青い光と風が、画面いっぱいに広がる。
「疲れた瞳に、爽やかな一滴。」
場面は大学の外。
抜けるような青空。
陽菜が空を見上げ、すっきりと目を開く。
白いリボンが風に揺れる。
カメラへ向き直った陽菜が、抜群の笑顔を見せる。
「瞳に、すっきり。明日へ、しっかり」
商品ボトルとパッケージ。
「爽快なさし心地。ロッド製薬、新Vロッド。」
最後に企業コーラス。
「ロッド、ロッド、ロッド製薬♪」
映像。
音楽。
大学生活の楽しさ。
陽菜の清潔感。
商品の爽快感。
すべてが高い水準でまとまった、完成度の高いCMだった。
ヒロ室内が一瞬、静かになった。
美月がため息交じりに言う。
「陽菜、かわいいなあ……」
彩香も素直に認める。
「これはスポンサーが推すわ」
真央が頷く。
「青空と白いリボンが合いすぎとるがね」
のどかも笑う。
「大学生活も楽しそうじゃね」
瑠璃、ひなた、小春まで、同じように画面を見つめていた。
CMが終了。
番組へ戻った直後。
カメラは、ゴンドラへ座る陽菜の顔を大きく映し出す。
明るく柔らかなCMの笑顔とは一転。
解答ボタンへ手を置き、問題へ集中する真剣な表情。
少し緊張しながらも、次の一問へ向かおうとする強い瞳。
CMとの鮮やかな表情の差に、ヒロインたち全員から同時にため息が漏れた。
「やっぱり陽菜、かわいい……」
声が見事に重なった。
陽菜の顔が、一気に赤くなる。
「皆さん、もうやめてください……」
美月は陽菜の肩を抱く。
「笑顔もええけど、真剣な顔もかわいいで」
彩香も頷いた。
「CM明けにこの画を入れた制作側の勝ちやな」
真帆は感心した様子で言う。
「スポンサーの意向を生かしながら、競技の緊張感も高めるカメラワークですね」
陽菜は両手で頬を隠した。
「もう番組を見られません……」
「優勝するところ、まだやで」
美月が言う。
「それを言わないでください」
◇
のどかの第一ヒントは、広島県民には最終ヒントです
シルエットクイズ。
巨大スクリーンへ、厳島神社の大鳥居がわずかな輪郭だけで表示される。
画面ののどかは、第一ヒントの段階でボタンを押した。
「宮島の厳島神社!」
正解音。
現在ののどかも胸を張る。
「広島県民なら分かるじゃろ」
真央が言う。
「私も第二ヒントまで行けば分かったがね」
彩香が答える。
「第一ヒント正解の特別賞や。第二ヒントの話は誰も聞いてへん」
画面では小泉が、
「地元の方には、少々ヒントが親切すぎたようでございます」
と穏やかに笑いを取る。
美月は味付け海苔を食べながら尋ねる。
「うちにも東大阪のシルエット出してくれたら分かるで」
小春が聞く。
「何を見て東大阪だと判断するの?」
「工場とラグビーボール」
「範囲が広すぎるじゃん」
◇
彩香、もう一度全国放送で落ちます
番組は終盤。
彩香のゴンドラが八段目まで上がる。
画面の彩香は真剣そのもの。
現在の彩香も腕を組み、無言で見ている。
美月だけは、すでに口元が緩んでいた。
小春が横目で見る。
「美月パイセン、まだ間違えてないよ」
「この先を知っとるからこそ、楽しみなんや」
「すごく性格の悪い視聴方法だね」
問題が始まる。
「世界文化遺産に登録されている兵庫県の姫路城は、白鷺城の別名で知られていますが――」
画面の彩香が反射的に押す。
「白鷺城!」
現在の彩香は目を閉じた。
問題の続き。
「――では、熊本城の別名は何でしょう」
警告音。
八段目のゴンドラが、最下段へ向かって降り始める。
テレビ画面には、顔を手で仰ぐ彩香。
ヒロ室内には、にやけた美月。
彩香が横目で美月を見る。
「何笑っとんねん」
「笑ってへん」
「口が曲がっとる」
「顔の筋肉が、過去の感動を思い出しとるだけや」
「人の失敗を感動扱いすな」
七段。
六段。
五段。
四段。
三段。
二段。
一段。
最下段。
画面上の賞金表示も〇円になる。
美月が、小さく呟いた。
「〇円」
彩香は、美月の手元に残っていた味付け海苔をもう一袋没収した。
「何でやねん!」
「精神的損害賠償、追加分や」
「テレビ局が流したんやろ!」
「お前がにやけた分や!」
「顔の自由を奪うな!」
「海苔の自由もないわ!」
◇
十段目の笑顔
やがて、のどかが九問。
陽菜も九問。
新橋ヒロ室内が静かになる。
全員が結果を知っている。
それでも放送で見ると、収録時の緊張が戻ってくる。
最後の問題。
「地球の大気に含まれている気体のうち、最も多いものは何でしょう」
陽菜が解答権を取る。
「窒素です」
小泉清アナの力強い声。
「正解です!」
ファンファーレ。
陽菜のゴンドラが十段目へ上がる。
くす玉。
紙吹雪。
南国の花で作られたレイ。
陽菜が満面の笑顔を見せる。
新橋ヒロ室でも、大きな拍手が起こった。
陽菜本人も、画面を見ながら目を潤ませている。
真央が言う。
「何度見ても、ここはすごいがね」
のどかも頷く。
「うちも答えは分かっとったけど、一瞬考えすぎたんよ」
彩香は陽菜へ顔を向けた。
「その一瞬を迷わんかった陽菜の勝ちや」
ひなたも優しく微笑む。
「本当に、一問ずつ積み重ねましたね」
陽菜は照れながら、皆へ頭を下げた。
美月は目元を押さえている。
小春が尋ねる。
「美月パイセン、また泣いてる?」
「これは感動の涙や」
「彩香さんが落ちた時は笑ってたのに」
「人間の感情は一種類やないんや!」
彩香が言う。
「お前の場合、だいたい笑いと食欲だけやろ」
◇
画面の中では「母と行きたい」
番組アシスタントから陽菜へ、
「ペアで行く夢のサイパン六日間」
の目録が渡される。
小泉が尋ねる。
「白石さん、十問正解されて、今のお気持ちはいかがですか」
画面の陽菜は、涙を拭きながら答える。
「途中から、あと何問か考えないようにしていました。一問ずつ、問題だけを聞こうと思って……」
「その一問ずつの積み重ねが、十問になりました」
「はい。まだ信じられません」
「サイパンでは、何をなさりたいですか」
「きれいな海を見たいです。それから、お母さんと一緒に行けたらと思います」
公開スタジオから温かな拍手。
小泉が穏やかに微笑む。
「それは、よい親孝行になりますね」
新橋ヒロ室でも、誰からともなく拍手が起こった。
ほとんどのヒロインは、その答えを親孝行な少女の自然な言葉として受け止めている。
陽菜の養母がすでに亡くなっていることを、詳しく知る者は少ない。
事情を知る真帆は、わずかに陽菜へ視線を向けた。
だが、その場では何も言わない。
番組が終了する。
小泉の、
「それでは皆さま、また次回お目にかかりましょう。ごきげんよう」
という挨拶。
ジャズ調のテーマ曲。
提供字幕。
最後のハト。
画面が通常放送へ切り替わった。
美月は、すぐに陽菜へ顔を向ける。
「なあ、陽菜~」
「はい?」
「ペアでサイパン旅行やけど、誰と行くん?」
全員の視線が陽菜へ集まった。
陽菜は、少し困ったように笑う。
「まだ、何も決めてないんですよ」
美月が首をかしげる。
「テレビでは、お母さん言うてたやん」
「急に聞かれて、そう答えてしまって……」
陽菜は、それ以上を説明しなかった。
真帆が自然に話を引き取る。
「旅行の日程もあります。まずは、ご家族とゆっくり相談ですね」
ひなたも頷く。
「大切な旅行ですから、急いで決めなくてもよいと思います」
美月も、珍しく深くは追及しなかった。
代わりに、新しい味付け海苔の袋を開ける。
「決まったら教えてな。お土産は頼むで」
小春が呆れる。
「誰と行くか決まってないのに、もうお土産を要求してるの?」
「旅の基本や」
「行く人じゃなく、待ってる人の基本になってるじゃん」
◇
放送が終わっても、副音声は終わりません
番組が終了しても、誰も帰ろうとしなかった。
真央は、
「この問題は分かっていた」
という説明を、番組の最初から繰り返す。
のどかは、シルエットクイズが広島県民にとってどれほど簡単だったかを力説。
瑠璃は、函館問題をもう三問ほど出してほしかったと話す。
ひなたは、最南端駅問題を二度と間違えないと宣言。
彩香は、八段目から最下段へ落ちる場面だけ録画から消すよう要求する。
美月は、
「うちが観覧席へ映った場面だけ切り抜いて保存する」
と言い出した。
彩香が言う。
「誰が見るねん」
「ファンや」
「浮き輪をつけた一般客やろ」
「関西代表・緊急補欠や!」
「存在せえへん枠を、いつまで名乗るつもりや!」
「全国放送でたすきが映った時点で、公式や!」
「局は一言も紹介してへん!」
ニッコリのりを食べながら、雑談は夜遅くまで続いた。
その中で陽菜は、一枚の旅行目録を静かに見つめていた。
画面の中では、
「母と行きたい」
と答えた。
だが、誰と行くのか。
この時点では、陽菜自身にもまだ分かっていなかった。
◇
白石家の旅行相談
数日後。
白石家の居間。
窓から穏やかな午後の日差しが入っている。
陽菜は、ステップアップクイズで獲得した旅行目録とパンフレットを、養父・白石源三郎の前へ置いた。
「ペア旅行なんですけど、誰と行けばいいか迷っていて」
源三郎は目録を手に取り、内容を読む。
「大学の友達を誘ってもいい。ヒロイン仲間でもいいだろう」
「そうなんですけど……」
「誘いたい人が多すぎるのか」
「逆です。誰を誘えば一番いいのか、分からなくて」
陽菜はパンフレットを開いた。
青い海。
白い砂浜。
ホテル。
観光名所。
料理。
明るい南国の写真が並んでいる。
少し離れた場所では、家政婦の杉本恵が紅茶を用意していた。
源三郎は、陽菜と恵を順番に見る。
源三郎は以前から、陽菜が恵の正体へ薄々気づいているのではないかと考えていた。
決定的な事実を知っているとは思わない。
だが、陽菜は恵のそばにいる時、どこか安心した表情を見せる。
初めて会った相手には向けないような、懐かしいものを見る目をすることもある。
血のつながりを知らなくても、何かを感じ取っているのではないか。
源三郎には、そう思える瞬間が何度もあった。
そして何より。
離れ離れになった母娘へ、ほんの短い時間でも普通の親子のように過ごせる機会を作ってやりたい。
源三郎は静かに提案した。
「恵さんと行ってきなさい」
紅茶を注いでいた恵の手が止まった。
カップが受け皿へ触れ、小さな音を立てる。
「私が、ですか?」
「陽菜も、恵さんと一緒なら安心だろう」
源三郎は穏やかに続けた。
「いつも白石家のために働いてくれている。たまには仕事を離れ、羽を伸ばしてもらってもいい」
陽菜は驚いた顔で恵を見る。
次の瞬間、その表情が一気に明るくなった。
恵は、すぐには返事ができなかった。
◇
恵にとってのサイパン
杉本恵にとって、サイパンは単なる南国の観光地ではなかった。
かつて「東洋のマタハリ」と呼ばれ、危険な諜報活動へ身を投じていた時代。
恵は、サイパンでも任務に就いた経験がある。
今も現地には、かつての活動を知る協力者がいる。
青い海。
強い日差し。
観光客でにぎわう街。
陽菜がパンフレットで見ている明るい景色の裏に、恵だけが知る過去があった。
再びサイパンへ足を踏み入れることには、複雑な思いがある。
閉じ込めてきた記憶が戻るかもしれない。
かつての協力者が自分の存在へ気づくかもしれない。
そして何より、実の娘である陽菜と長い時間を過ごせば、隠し続けてきた感情が表へ出てしまうかもしれない。
恵は家政婦として、陽菜のそばにいる。
母とは名乗れない。
自分から母娘旅行だと言うこともできない。
それでも――。
陽菜が自分と一緒に行きたいと思ってくれるなら、それは恵にとって、言葉にできないほどうれしいことだった。
過去への警戒。
秘密を守る責任。
母としての喜び。
さまざまな感情が、恵の中で静かにせめぎ合っている。
だが、その複雑な事情を陽菜へ見せるわけにはいかない。
恵は、いつもの控えめな家政婦の表情を作った。
「ですが、私は家のこともありますし……」
辞退しようとする恵の前へ、陽菜が進み出た。
◇
恵さん、一緒に行きましょうよ
陽菜は、恵をまっすぐ見上げた。
青空のCMで見せた笑顔とも、クイズの十問目で見せた笑顔とも違う。
無邪気で、近しい相手だけへ向ける、柔らかな笑顔だった。
「恵さん、一緒に行きましょうよ」
恵は言葉を失う。
「私、海外旅行に慣れていないし、恵さんが一緒なら安心です」
陽菜はパンフレットを持ち上げる。
「それに、いつも私たちのために頑張ってくれているから、今度は一緒に楽しいことをしたいです」
娘から、
「一緒に行きたい」
と言われている。
母としてではない。
白石家の家政婦として。
それでも恵にとっては、十分すぎる言葉だった。
陽菜はパンフレットを開き、海の写真を指さす。
「ここ、すごくきれいですよ」
次に、料理の写真。
「一緒に食べたいものも、いっぱいあります」
ホテル。
観光地。
買い物。
陽菜は、恵と過ごす時間を当然のように思い描いている。
「恵さんは、海と山ならどっちが好きですか?」
「そうですね……海でしょうか」
「じゃあ、ちょうどいいですね!」
恵は、感情を抑えながら微笑んだ。
「私でよろしければ、ご一緒させてください」
陽菜の表情が、十問目を正解した時のように輝く。
「本当ですか!」
「はい」
「やった! 恵さんと一緒に行ける!」
陽菜は喜び、早速二人分の旅行計画を考え始める。
「朝は早めに起きた方がいいですよね」
「せっかくのお休みですから、少しくらいゆっくりでもよいのではありませんか」
「でも、時間がもったいないです」
「陽菜さんは、旅行でもお忙しいのですね」
「恵さんと行きたいところが、いっぱいあるんです」
その言葉に、恵は一瞬だけ視線を伏せた。
うれしさが表情へ出ないよう、紅茶のカップへ手を伸ばす。
源三郎は、並んでパンフレットを眺める二人を静かに見守っていた。
自分の提案が、秘密を揺らすことになるかもしれない。
それでも、母娘へ普通の思い出を一つでも増やしてやりたい。
その思いに、迷いはなかった。
◇
源さんは粋な真似をしやがる
後日。
波田巌蔵は、源三郎から旅行の同行者について報告を受けた。
「陽菜と、恵が二人でサイパンへ?」
一瞬、言葉を失う。
秘密を知る波田にとって、それは大胆すぎる組み合わせだった。
恵にとってサイパンが単なる観光地ではないことも知っている。
現地に過去の協力者がいることも。
長い旅行の間、二人だけで過ごす時間が増えれば、陽菜が何かへ気づく可能性もある。
波田は腕を組み、深く息を吐いた。
「源さんよ。あんた、たまにとんでもねえこと考えやがるな」
源三郎は静かに答える。
「陽菜が恵さんと行きたいと言った。それだけだ」
「それだけで済まねえから、こっちは頭抱えてんだろうが」
「止めるのか?」
波田は返事をしなかった。
しばらく考えた後、困ったように頭をかく。
そして、口元を緩めた。
「まったく、源さんも粋な真似しやがるじゃねぇか」
言葉には呆れが混じっている。
しかし、その表情はどこか温かかった。
日曜午後七時。
全国放送のクイズ番組。
十問目の正解。
一枚の旅行目録。
そして、陽菜が画面の中で何気なく口にした、
「お母さんと一緒に行けたら」
という言葉。
視聴者には、親孝行な少女の模範的な答えに聞こえた。
新橋ヒロ室の仲間たちも、ほとんどはそう受け止めた。
だが、その一言は巡り巡って、母とは名乗れない母・杉本恵を、娘の隣へ導いた。
陽菜は、恵がサイパンへ複雑な思いを抱いていることを知らない。
恵もまた、この旅が何を呼び起こすのか分からない。
それでも今、二人は同じパンフレットを広げ、同じ青い海を眺めている。
「ここの海、写真よりもっときれいでしょうか」
陽菜が尋ねる。
恵は、写真の青い海を静かに見つめた。
「ええ。きっと、とてもきれいですよ」
陽菜はうれしそうに笑う。
恵もまた、家政婦としての穏やかな笑顔を返した。
秘密の母娘を近づける旅は、まだ出発前。
ただ一つ確かなことは――。
陽菜が、
「恵さんと一緒に行きたい」
と心から願い、恵がその願いを受け入れたことだった。
そして新橋ヒロ室では、その頃もなお、美月と彩香が残ったニッコリのりの所有権を巡って争っていた。
「一袋くらいええやろ!」
「あんたの分は最初からない!」
「全国放送に映った!」
「浮き輪でな!」
「七人目の出演者や!」
「ただのやかましい客や!」
秘密の母娘を結ぶ美しい物語の裏で、二人の精神的なゴンドラだけは、この夜も最下段から一段も上がらなかった。




