噴火湾リベンジ! 今度こそ逃がしません ――密漁船を追え、遠州の勇者と北の精鋭たち
ノースフロント仙台分室の情報解析室に、奥尻島で回収された銀色のデータケースが運び込まれた。
ケースの中に収められていたのは、ジェネラス・リンクが使用していた暗号端末。
函館、江差、奥尻島。
道南各地に張り巡らされていた工作網をつなぐ、重要な証拠だった。
高沢雪乃は徹夜に近い状態で解析を続けていた。
壁一面の大型モニターには、船舶の航跡、港湾施設、沿岸倉庫、偽装会社の取引記録が次々と映し出されている。
木戸瑠美、通称るみねぇが紙コップのコーヒーを差し出す。
「少し休んだら?」
「あと一つ、暗号化された領域が残っています」
「その言い方、三時間前にも聞いたわよ」
「今度こそ最後です」
雪乃がキーを打つ。
モニターへ、新たな地図が表示された。
北海道南部。
森町周辺。
内浦湾――通称、噴火湾。
複数の小型船が、湾内の特定海域を不自然に往復している。
さらに一隻の大型船が、船名と登録番号を変えながら、津軽海峡と噴火湾を行き来していた。
雪乃の指が止まる。
「見つけました」
るみねぇが画面をのぞき込む。
「これが道南地区の本拠地?」
「はい」
雪乃は大型船の船体を拡大した。
外装は塗り替えられている。
船名も違う。
しかし機関配置、船尾の補修跡、甲板上の冷凍設備は一致していた。
以前、津軽海峡でノースフロントが追い詰めながら、濃霧と囮船を使われて取り逃がした密漁母船だった。
◇
緊急招集されたノースフロントのメンバーが、情報解析室へ集まる。
玲香は船の画像を見た瞬間、表情を変えた。
「あの船だっちゃ」
柚希も静かに目を細める。
「間違いねえべ。津軽海峡で逃がしたやつだ」
あの海戦では、下北半島と道南の漁業者を苦しめていた密漁船団をあと一歩まで追い詰めた。
しかし敵は複数の囮船と濃霧を利用。
主力の母船だけを逃走させていた。
それ以来、玲香も柚希も、悔しさを口には出さず抱え続けていた。
瑠璃が噴火湾の地図を見る。
「函館、江差、奥尻で使われていた通信網は、全部この船を動かすためのものだったんだね」
雪乃が頷く。
「森町近くの沿岸倉庫が、密漁品の一時保管庫として使われています。母船には冷凍設備、偽造書類の作成機材、海上通信設備が搭載されています」
柚葉が腕を組む。
「船と倉庫を同時に押さえる必要がある」
「そのとおりです。母船だけを止めても、販売経路や資金源が残ります」
雪乃は全員を見渡した。
「今回の目標は、単なる船舶の拿捕ではありません」
モニターに、赤い文字が表示される。
ジェネラス・リンク道南地区密漁拠点の完全壊滅。
玲香が拳を握る。
「今度こそ、一隻も逃がさないっちゃ」
柚希も頷いた。
「下北の漁師さんたちにも、やっと借りを返せるべ」
瑠璃の声は静かだった。
「道南の海を荒らしてきた連中だよ。ここで終わらせるっしょ」
その時だった。
会議室の後方で、大きな物音がした。
彩芽が椅子の上へ立ち、隣の机へ飛び移ろうとしていた。
「敵船発見! 彩芽、突入するべさ!」
真結が後ろから彩芽の腰を抱える。
「彩芽ちゃん、降りようね」
「でも海戦だべさ!」
「ここは会議室です」
「机を敵船だと思って、飛び移る練習するっしょ!」
「机は船ではありません」
彩芽は片足を机へ伸ばす。
真結は、幼稚園児を宥めるような声になる。
「はい。両足を床につけましょう」
「まだ戦えるべさ!」
「手はお膝」
「敵が来たらどうするべ?」
「仙台分室の会議室に密漁船は来ません」
「窓を破って来るかもしれないっしょ!」
「船が三階の窓から来たら、海戦とは別の大事件だよ」
彩芽はようやく椅子へ座った。
真結はその前へしゃがむ。
「作戦説明を最後まで聞けたら、海図を持たせてあげます」
「本当だべか?」
「本当です」
玲香が呆れたように言う。
「完全に園児扱いされてるっちゃ」
柚葉が冷静に分析する。
「でも、制止成功率は今までで一番高い」
彩芽は両手を膝へ置き、背筋を伸ばした。
「お話、聞くべさ!」
返事だけは百点だった。
十秒後。
モニターに映った母船を指さす。
「ここに飛び移ればいいんだべ?」
真結は無言で、彩芽の前に置いた海図を回収した。
◇
海と山が向き合う町
作戦当日。
ノースフロントは北海道森町へ入った。
町の背後には、雄大な北海道駒ヶ岳。
その前には、青く広がる噴火湾。
海と山が近い。
漁港から見上げれば駒ヶ岳。
山の中腹から見下ろせば、穏やかな湾と沿岸の町並み。
噴火湾ではホタテ養殖をはじめ、定置網、刺し網、タコ、ナマコなど、さまざまな漁業が営まれている。
春には桜が咲き、海では豊かな水産物が育つ。
森町は、山の雄大さと海の恵みを同時に感じられる、道南らしい魅力に満ちた町だった。
だが、その海がジェネラス・リンクの密漁船団に荒らされている。
ノースフロントを迎えた漁港職員や漁師たちの表情は厳しかった。
年配の漁師が瑠璃へ尋ねる。
「おめだぢが、あの船ば追ってける人らか?」
「はい。今度こそ止めます」
「頼むで。あいづら、夜さなると好き勝手やって、ホタテも魚も持ってぐんだ」
別の漁師が海へ目を向ける。
「おらだぢが取る分だけの話でねえんだ。来年も、その次も、若い衆が漁さ出られる海でねば駄目なんだべさ」
玲香の表情が引き締まる。
「必ず取り戻すっちゃ」
柚希も言う。
「今度は逃がさねえべ」
真結はその横で、漁港内の動線を確認していた。
漁師たちの作業を邪魔しない集合位置。
装備の置き場所。
万が一の負傷者搬送経路。
船と車両が交差しない場所。
予備の救命胴衣。
地元の救急機関への連絡方法。
派手な仕事ではない。
だが誰かが整えなければ、海上作戦は安全に始められない。
一人の漁師が、港の中を小走りに動き回る真結を見て言った。
「ちんこい姉ちゃん、さっきからずいぶん気ぃ回るな」
別の漁師が頷く。
「あの子が現場まとめてるんでねえか?」
真結が振り返る。
「ちんこいは、しっかり聞こえています」
漁師たちは声を上げて笑った。
◇
遠州の勇者、噴火湾へ
海上任務の切り札として、河合美音が浜松から呼ばれていた。
大型二輪免許。
船舶免許。
高い身体能力と、乗り物を感覚的に操る才能。
かつて操船技術を競う催しで、現役ボートレーサーを破ったこともある。
「遠州の勇者」の名は伊達ではない。
美音は港へ到着すると、挨拶もそこそこに海図を広げた。
敵船の航行記録。
潮流。
風向き。
漁網と養殖施設の位置。
浅瀬。
港の出入り。
美音は航跡へ指を滑らせる。
「この母船、ただ速いだけじゃないに」
雪乃が尋ねる。
「どういうことですか?」
「漁具の位置も、潮の癖も知っとる。毎回、網の間ばっかり通っとるら」
瑠璃が表情を曇らせる。
「地元の海を知っている協力者が、敵側にいる?」
「その可能性が高いだら」
地元漁師の協力で、ノースフロントは一隻の漁船をチャーターする。
船名は、
第二駒ヶ岳丸。
最新鋭の高速艇ではない。
漁のために造られた、頑丈で実用的な船。
波に強く、荷物を積んでも安定する。
美音は操舵席へ座り、機関を確かめた。
「いい船だに」
船主の漁師が笑う。
「おらの船だ。乱暴に扱わねでけれよ」
「乱暴にはせんよ。ちょっと本気で曲がるだけだに」
「その“ちょっと”が怖えな」
玲香が操舵席をのぞく。
「敵の高速船へ追いつけるの?」
美音は海図から目を離さない。
「船は、速い方が絶対勝つとは限らんに」
彩芽も顔を出す。
「あたしが海へ入って、後ろから押せば速くなるべさ!」
真結が救命胴衣の背中をつかむ。
「海には入りません」
「まだ足しか出してないべさ」
「その足も戻してください」
◇
囮の冷蔵コンテナ
陸上班は、森町沿岸の倉庫と漁具置き場を調べ始める。
古い冷蔵コンテナ。
魚箱。
網。
浮き。
作業車両。
その中で乙実が、一台のコンテナを見つめた。
「あれだけ、潮の跡が少ねえさげ……」
声は小さい。
だが真結は聞き逃さない。
「乙実ちゃん、どう違うの?」
「周りのコンテナは、金具ささび出てる。でも、あれは扉だけ新しい」
調べると、古い外装の内側に新しい冷却設備が設置されていた。
コンテナの中には、大量の密漁品。
偽造された産地証明書。
輸送用の箱。
玲香が息をのむ。
「見つけたっちゃ!」
柚葉も内部を確認する。
「かなりの量。ここが保管拠点ね」
ところが、雪乃から緊急通信が入る。
『沖合で複数の船が動き始めました!』
コンテナは重要な証拠ではあった。
しかし同時に、ノースフロントを陸上へ引きつける囮でもあった。
その間に密漁母船と高速小型船が、一斉に港を離れていた。
玲香が岸壁へ走る。
「逃げたっちゃ!」
柚葉は海図を開く。
「噴火湾の出口を封鎖しましょう」
瑠璃が尋ねる。
「何隻で?」
柚葉は第二駒ヶ岳丸を見る。
「一隻」
「噴火湾は玄関の戸でないよ」
真結が海図へ近づく。
「全部を塞ぐ必要はないよ」
地元の漁師たちから、養殖施設、浅瀬、定置網、潮の流れを教えてもらう。
高速を維持したまま母船が通れる場所は限られている。
真結は海図へ線を引く。
「敵が安全に通れる道を減らせば、最終的に選ぶ航路を予測できる」
柚葉が地図を見る。
「封鎖するのではなく、選択肢を削る」
「そう。柚葉ちゃんの大胆な発想を、今ある船の数に合わせるの」
「丸くされたけど、弱くはなっていない」
「今回は、かなりきれいに整ったね」
近くで聞いていた漁師が感心する。
「姉ちゃんたぢ、話まとまるの早えな」
もう一人が真結を見る。
「やっぱり、あのちんこい子がつないでるべ」
真結はため息をつく。
「大事な話の前に、毎回そこへ戻らないでください」
◇
出撃
第二駒ヶ岳丸が噴火湾へ出る。
背後には駒ヶ岳。
前方には青い海。
甲板上には玲香、柚希、乙実、柚葉、紗耶、彩芽、真結。
瑠璃は地元漁港との連絡役。
雪乃とるみねぇは陸上指揮所から全体を監視する。
美音が操舵輪を握る。
「前方、母船一。小型船二」
敵船団が見えてくる。
中央に大型の密漁母船。
左右に高速小型船。
玲香が船首で叫ぶ。
「真ん中が本命だっちゃ!」
柚希は海面を見る。
「左右の船、何か落とそうとしてるべ!」
小型船から、黒い塊が海へ投げ込まれる。
網だった。
追跡船の推進器へ絡ませ、動きを止めるための妨害用の網。
玲香が焦る。
「母船を見失うっちゃ!」
柚希が言い返す。
「網さ突っ込んだら、それどころでねえべ!」
二人の声が鋭くなる。
真結はすぐに役割を分ける。
「玲香ちゃんは、母船から目を離さないで」
「柚希ちゃんは、左右の小型船と海面を見て」
玲香が振り返る。
「どっちを優先するの?」
「両方。追う目と、危険を見る目が必要だから」
柚希が網の流れを読む。
「美音! 右前から網が来るべ!」
美音は速度を落とした。
第二駒ヶ岳丸の船首が沈み、追跡の勢いが弱まる。
敵船から見れば、網を恐れて追跡を断念したように見えた。
密漁母船が左へ進路を変える。
小型船も広がり、逃走路を確保しようとする。
その瞬間、美音の目が鋭くなる。
「玲香、母船の向きは?」
「左へ十五度。速度は落ちてないっちゃ!」
「柚希、網の端は?」
「右側が切れてる。外へ回れば抜けられるべ!」
美音は操舵輪を大きく回した。
第二駒ヶ岳丸が、敵船から一度離れるように右へ回頭する。
玲香が驚く。
「逆方向だっちゃ!」
美音は笑った。
「遠ざかるんじゃないに。前へ出るだら」
操舵輪をさらに切る。
船体が大きな円を描く。
波しぶきが甲板へ飛ぶ。
エンジン音が高まり、第二駒ヶ岳丸は網の外側へ抜けながら、密漁母船の前方へ回り込んでいく。
美音が叫ぶ。
「東郷ターン、いくに!」
敵から離れるように見えた船が、旋回の勢いを保ったまま進路を反転。
密漁母船の進行方向を横切る位置へ飛び出す。
母船は衝突を避けるため、急な針路変更を強いられた。
だが、その先には養殖施設。
反対側には浅瀬。
速度を維持できる航路がない。
密漁母船は、一気に速度を落とす。
玲香が目を見開く。
「先に逃げ道を取ったっちゃ!」
柚希も海図を見る。
「速さで追いつくんでなく、相手が行く場所さ先に入ったのか!」
美音は操舵輪を握りながら答える。
「速い船を後ろから追うだけなら、いつか離される。相手が行きたい場所を先に取ればいいだに」
漁港の無線から歓声が飛ぶ。
『おお、見事だべさ!』
『あんな曲がり方するとは思わねがった!』
『母船の足、完全に止まったぞ!』
左右の小型船が第二駒ヶ岳丸を挟もうとする。
美音は波の向きへ合わせて細かく舵を切る。
一隻目が左から接近。
二隻目が右から進路を塞ぐ。
美音は速度をわずかに上げ、二隻が交差する直前で船首を切った。
小型船同士が互いの進路へ入り、衝突を避けるため急減速。
第二駒ヶ岳丸は、その中央を鋭く抜ける。
彩芽が甲板で跳びはねる。
「なまら格好いいべさ!」
真結が救命胴衣の背中をつかむ。
「黄色い線から出ないでね」
「そろそろ飛び移れるっしょ!」
「まだです」
「今なら届きそうだべさ!」
「海へなら届くよ」
「気持ちでは敵船まで――」
「体は海へ落ちます」
真結は彩芽を甲板中央へ戻す。
「はい。そこで待ちます」
彩芽は頬を膨らませる。
「幼稚園の遠足みたいだべさ」
「遠足でも、勝手に船から飛び降りたら先生に止められるよ」
◇
乗り込み順
美音の操船によって、第二駒ヶ岳丸は密漁母船の側面へ接近する。
今度は津軽海峡の時のように逃がさない。
母船へ直接乗り込み、工作員と証拠を確保する。
だが、甲板は狭い。
全員が一斉に乗り込めば、味方同士が動きを邪魔する。
真結は母船の甲板配置を確認し、乗り込み順を決める。
最初は玲香。
華やかな動きと速度で敵の注意を集め、工作員を甲板中央へ引き出す。
二番手は柚希。
長柄の制圧棒を使用し、薙刀の技術を応用して敵を左右へ分断する。
三番手は柚葉。
長い手足と大きな間合いを生かし、甲板上の広い範囲を制圧。
四番手は紗耶。
バスケットボールで培った切り返しと突破力で敵の間を抜け、証拠品を確保する。
乙実は船内外の状況を観察。
工作員が守っている扉や設備を見つける。
彩芽は最後。
最も抵抗が激しい場所へ投入する。
彩芽が納得できない顔をする。
「どうして、あたしが最後なんだべ?」
「彩芽ちゃんを最初に出すと、みんなが乗る前に一人で奥まで行くからだよ」
「早い方がいいっしょ!」
「チームで任務をします」
真結は彩芽の両肩へ手を置く。
「覚えることは三つです」
「三つなら完璧だべさ!」
「私が合図するまで飛ばない」
「うん!」
「赤い扉を目指す」
「うん!」
「中の責任者を甲板へ追い出す」
「任せるべさ!」
「復唱して」
彩芽は胸を張る。
「赤い責任者へ飛び移って、扉を甲板へ追い出すべさ!」
真結は優しく笑う。
「もう一度、お話を聞こうね」
玲香が呟く。
「本当に園児扱いだっちゃ」
柚葉は頷く。
「でも、この方法以外では制御できない」
彩芽は三回目の説明で、ようやく正しく復唱できた。
◇
敵船甲板への突入
美音が二隻の距離を慎重に合わせる。
波によって甲板の高さが上下する。
第二駒ヶ岳丸が持ち上がる。
密漁母船が沈む。
二つの甲板が同じ高さになる瞬間。
美音が叫ぶ。
「今だに!」
玲香が最初に飛び移った。
甲板へ着地すると同時に体をひねり、振り下ろされた棒をかわす。
そのまま甲板中央へ駆け込む。
「津軽海峡の借り、ここで返すっちゃ!」
工作員たちの視線が、一斉に玲香へ向く。
玲香は止まらない。
一人目の攻撃をかわす。
二人目の進路へロープを滑らせる。
三人目の腕を外側へ流し、積荷との間へ押し込む。
敵を倒しきろうとはしない。
自分へ引きつける。
真結から与えられた役割を、正確に果たしていた。
「今!」
玲香の声と同時に、柚希が飛び移る。
長柄の制圧棒を低く構える。
船は大きく揺れている。
足元が安定しない。
だが柚希の動きは静かだった。
工作員が棒を振り回す。
柚希は正面で受けず、薙刀で培った足運びで半歩外へ。
相手の力を流し、柄で武器を押さえる。
船体が傾く瞬間へ合わせ、工作員の重心を崩した。
「船の上で力任せに立ったら、海さ足元取られるべ!」
左右から二人が迫る。
柚希は長柄を円を描くように動かす。
一人の武器を外へ払い、もう一人の進路を柄で止める。
玲香が作った敵の集団を、左右へ分断。
甲板の中央に一本の道が開いた。
柚葉がそこへ飛び込む。
長い脚で低い積荷を飛び越え、甲板へしなやかに着地。
右から来た工作員の腕を長いリーチで払う。
左の相手が接近する前に、大きな一歩で間合いを詰める。
手すりへ片手をつき、体を回転。
長い脚が弧を描き、二人の進路を同時に止めた。
棒を振り下ろされる。
柚葉は長身を折るように低くかわす。
起き上がる勢いで相手の手元を弾き、武器を甲板へ落とす。
「島全体を封鎖するより、甲板一枚を制圧する方が簡単ね」
玲香が叫ぶ。
「戦いながら封鎖の話をしないで!」
「比較しただけ」
柚葉の動きは華やかだった。
長い手足が、狭い船上では大きな武器になる。
敵を必要以上に傷つけず、間合いと進路を奪っていく。
続いて紗耶が乗り込む。
船室前には、証拠端末を抱えた工作員。
その周囲を三人が守っている。
紗耶は正面へ走る。
一人目が右を塞ぐ。
紗耶は右へ行くように肩を揺らした。
相手の重心が動く。
その瞬間、低い姿勢で左へ切り返す。
バスケットボールのクロスオーバードリブルそのもの。
一人目を抜く。
二人目が腕を広げる。
紗耶は足を止めず、再び左右へ重心を振る。
相手が迷った一瞬に、その脇を突破。
三人目が証拠端末を持って後退する。
「守備が寄ったら、空いだ方さ抜けばいいすけ!」
紗耶は積荷へ片足をかけ、相手の前へ回り込む。
証拠端末を落とさせず、両手で確保した。
甲板上では、玲香、柚希、柚葉が敵の主力を引き受ける。
紗耶は証拠品を抱え、第二駒ヶ岳丸側へ戻る経路を確保。
しかし、まだ拠点責任者の姿がない。
乙実は戦闘の外側から、敵の視線を観察していた。
倒された工作員。
武器を失った工作員。
逃げようとする工作員。
全員が一瞬だけ、船室右側の赤い扉を見ている。
乙実が通信機へ話す。
「赤い扉……皆、あっちば気にしてるさげ」
真結が聞き返す。
「工作員全員が?」
「うん。自分が倒されても、あの扉ば見てる」
船長室。
もしくは、密漁記録を保管した重要区画。
真結は彩芽を見る。
「彩芽ちゃん、出番です」
彩芽の顔が輝く。
「待ってましたべさ!」
「赤い扉。中の責任者を外へ。証拠品は壊さない」
「三つだべさ!」
美音が再び二隻の甲板を合わせる。
彩芽は第二駒ヶ岳丸の手すりへ片足をかけた。
真結が念を押す。
「合図するまで飛ばないよ」
「分かってるべさ!」
「まだです」
彩芽の膝が曲がる。
「まだ」
さらに曲がる。
「まだ!」
「今!」
彩芽が大きく跳んだ。
海面を越え、敵船の甲板へ着地。
その勢いのまま、積み上げられた空箱へ突っ込む。
箱が派手に崩れ、工作員たちの進路を塞いだ。
三人が彩芽を止めようとする。
彩芽は考えない。
一人目の横を、速度だけで抜ける。
二人目が正面へ立つ。
彩芽は低く体を沈め、相手の腰へ組みつく。
勢いのまま、甲板上の安全な荷網へ押し込んだ。
三人目が背後から追う。
柚葉の長い脚が横から伸び、進路を遮る。
彩芽は赤い扉へ一直線。
「考えるのは、まゆちゃんに任せたべさ!」
真結が通信機へ叫ぶ。
「少しは自分でも考えて!」
彩芽には届いていなかった。
赤い扉の前へ到着。
取っ手をつかみ、全力で押す。
開かない。
もう一度押す。
開かない。
扉には大きく、
「引く」
と書かれていた。
彩芽はさらに強く押す。
真結が叫ぶ。
「彩芽ちゃん、引く扉!」
「先に言ってほしかったべさ!」
「扉に書いてあるよ!」
彩芽が取っ手を引く。
扉は驚くほど簡単に開いた。
中にいたジェネラス・リンク道南地区責任者が、裏側の出口へ逃げる。
彩芽は室内へ飛び込み、相手の退路を塞ぐ。
責任者は慌てて甲板へ戻る。
しかし、そこには玲香と柚希。
右側に柚葉。
証拠端末を持つ紗耶。
逃げ道を観察する乙実。
完全に包囲されていた。
責任者は最後の手段として操舵室へ向かう。
だが操舵席には、すでに美音がいた。
制御装置を停止。
機関の再始動もできない状態にしている。
美音が静かに言う。
「この船は、もうどこにも行かんに」
道南地区責任者は、その場で確保された。
◇
道南密漁網、完全壊滅
密漁母船の船長室から、膨大な資料が押収される。
密漁船団の船名と船籍。
沿岸倉庫の位置。
偽装水産会社。
密漁品の販売先。
資金洗浄に使用した口座。
協力者の名簿。
函館、江差、奥尻島で使われた通信網。
津軽海峡から噴火湾までの航行記録。
ジェネラス・リンクが道南地区で構築してきた密漁網の全てが、そこに記録されていた。
雪乃とるみねぇは陸上の協力部隊へ一斉に指示を出す。
森町沿岸の冷凍倉庫。
偽装水産会社の事務所。
小型密漁船の隠し場所。
密漁品の積み替え施設。
通信中継所。
全拠点へ同時に捜索が入る。
工作員は確保。
船舶は押収。
口座は凍結。
販売経路も停止。
ただ建物を壊しただけではない。
船。
人員。
資金。
保管設備。
販売先。
通信網。
指揮系統。
再び活動するために必要な全てを失わせた。
雪乃から正式な報告が入る。
『ジェネラス・リンク道南地区海上拠点、完全停止を確認しました』
るみねぇも続ける。
『沿岸倉庫、偽装会社、密漁船団の全てを確保。再建可能な拠点は残っていません』
ジェネラス・リンクの道南密漁拠点は、完全に壊滅した。
玲香は甲板から噴火湾を見る。
「今度は、一隻も逃がさなかったっちゃ」
柚希も海へ視線を向ける。
「やっと、津軽海峡の借りを返せたべ」
瑠璃が静かに微笑む。
「道南の海を守れたっしょ」
彩芽は甲板中央で胸を張る。
「あたしが赤い扉を開けたからだべさ!」
真結が答える。
「開け方を間違えて、二回押してたけどね」
「最後は開いたっしょ!」
「引いたからね」
◇
海を守る人々
第二駒ヶ岳丸と密漁母船が港へ戻る。
漁港には、多くの漁師や港湾職員が集まっていた。
美音が船を岸壁へ寄せると、年配の漁師が真っ先に声をかける。
「いやあ、見事だったな。あんなでっかい弧ば描いて、敵船の前さ出るとは思わねがった」
別の漁師も興奮している。
「あれ、何ていう回り方なんだ?」
美音は少し照れたように答える。
「東郷ターンって呼んどるに」
「大したもんだべさ。おらの船で、あったら動きできるとは思わねがった」
第二駒ヶ岳丸の船主が、船体を確認しながら言う。
「船も無事だな?」
「もちろんだに」
「“ちょっと本気で曲がる”って言った時は、どうなるかと思ったべ」
「いい船だったもんで、応えてくれたら」
漁師は照れたように鼻をこする。
「そう言われたら、怒れねえべさ」
別の漁師が、ノースフロントへ深く頭を下げる。
「おめだぢ、本当によくやってけだ。これで安心して漁さ出られる」
「ホタテも魚も、おらだぢだけのもんでねえ。子どもらさ残す海だからな」
一人が、津軽海峡の向こうを見た。
「下北の漁師らも、きっと喜ぶべ。あっちも、あの船には散々やられてたからな」
玲香が小さく拳を握る。
「ちゃんと知らせてほしいっちゃ。今度は逃がさなかったって」
柚希も頷く。
「やっと胸張って言えるべ」
真結は仲間たちを見る。
美音の操船。
玲香の速さ。
柚希の間合い。
柚葉の長い手足。
紗耶の突破力。
乙実の観察。
彩芽の体力と根性。
雪乃とるみねぇの情報分析。
瑠璃と地元漁師の連携。
真結自身は、敵を一人も倒していない。
操船もしていない。
だが、誰がどの順番で動けば最も力を出せるかを整えた。
全員の得意分野を、一つの勝利へつないだ。
◇
森町名物・いかめし
任務後。
漁港の一角へ長いテーブルが並べられた。
ヒロインたちへ振る舞われたのは、森町を代表する名物――いかめし。
イカの胴へ米を詰め、甘辛い煮汁でじっくりと炊き上げる。
イカのうま味が米へ染み込み、弾力ある身と、ふっくらした米が一体となった素朴な味。
小ぶりで食べやすい。
だが、一つ食べればしっかり満足できる。
駅弁として全国へ名を知られるようになったが、噴火湾と駒ヶ岳を間近に感じる森町で食べるいかめしは格別だった。
彩芽は包みを開ける。
「イカの中に、ご飯が乗船してるべさ!」
真結が答える。
「乗船ではないよ」
「イカが船で、ご飯がお客さんだべ?」
「今日は海戦だったから、何でも船に見えているだけだよ」
彩芽はいかめしを二つ並べる。
「二隻編成だべさ!」
玲香が突っ込む。
「船は編成って言わないっちゃ」
「江差では列車、噴火湾では船。いかめしは陸海両用だべさ!」
柚葉はいかめしを手に取り、真剣に観察する。
「容積に対して、炭水化物と魚介類を効率よく摂取できる。携行食として優秀」
るみねぇが呆れる。
「郷土料理を装備品みたいに評価しないで」
柚葉は一口食べる。
数秒、黙る。
「味も優秀」
玲香も表情を緩める。
「今回は敵も全部捕まえたし、いかめしもおいしい。文句ないっちゃ」
るみねぇが眉を上げる。
「出発前は散々文句を言っていたでしょう」
「いかめしが出るって先に知ってたら、文句を三割減らしたっちゃ」
「七割は残すのね」
美音は海を眺めながら笑う。
「海の上で動いた後だと、余計うまいら」
彩芽が三つ目へ手を伸ばす。
真結が手首を押さえる。
「彩芽ちゃん、まだ全員へ行き渡ってないよ」
「海戦でいっぱい動いたべさ!」
「だからといって、配る前に全部拿捕しないで」
「敵のいかめしではないべ?」
「味方のいかめしは、もっと勝手に取ったら駄目だよ」
◇
戦いの後も、通常運転
全員が楽しそうにいかめしを食べていた、その時。
真結のスマートフォンが鳴った。
画面には、
北洋製紙石巻工場・製造第一課
真結は、食べかけのいかめしを静かに置いた。
「はい、菅野です」
『まゆちゃん? 明日の工場見学なんだけど、小学生が一人増えたんだよ』
真結の表情が、瞬時に総務部員へ戻る。
「四十二人から四十三人になったということですか?」
『そう。名札とヘルメットが一つ足りない』
「予備の名札用紙は、総務倉庫の二段目にある透明ケースへ入っています」
『透明ケースが三つある』
「右から二番目です。青いラベルが貼ってあります」
『青いラベル、二つあるよ』
「大きい方です」
『どっちも同じくらい』
「中を開けて、“見学者用名札”と書かれた袋を探してください」
『片方に“来客用”って書いてある』
「それではありません」
『使ったら駄目?』
「見学者用を使ってください」
『ヘルメットは?』
「安全教育室の奥に、見学者用の予備が二個あります。白ではなく黄色です」
『白じゃ駄目なの?』
「白は来賓用です」
『小学生も来賓みたいなもんでない?』
「分類上は見学者です」
『黄色いヘルメット、大きくない?』
「内側の調整バンドを縮めてください。顎ひもの長さも確認を」
『昼食も一個足りない』
「給食業者へ追加連絡してください。アレルギーの有無を先に確認してください」
『バスの座席は?』
「補助席は使わず、引率者の位置を一列ずらしてください。児童を最後列へ一人だけ座らせないでください」
説明は続く。
名札の印刷設定。
ヘルメットの消毒済みシール。
昼食の追加。
アレルギー確認。
三班への班分け。
引率者の配置。
雨天時の傘立て。
トイレ休憩。
記念品の個数。
バスの誘導位置。
電話は十五分を超えた。
柚葉が、二つ目のいかめしを食べながら呟く。
「密漁母船の制圧より、児童一人の追加の方が作業項目が多い」
玲香も言う。
「噴火湾から石巻工場の見学会を指揮してるっちゃ」
柚希は苦笑する。
「海戦が終わっても、まゆちゃんの任務は終わらねえべ」
電話の相手が尋ねる。
『まゆちゃん、明日だけ石巻へ戻れない?』
真結が即答する。
「今、北海道森町にいます」
『知ってる。でも、飛行機なら――』
「戻りません」
彩芽が我慢できず、電話へ顔を近づける。
「名札一枚作って、黄色いヘルメット出して、ご飯を一個増やせばいいべさ!」
電話の相手が驚く。
『今の誰?』
真結が答える。
「札幌の同僚です」
彩芽は胸を張る。
「ノースフロント総務部・海上任務担当だべさ!」
「そんな部署はありません」
『彩芽さんへ、明日の工場見学を任せても大丈夫?』
真結は一秒も迷わなかった。
「絶対に駄目です!」
彩芽が頬を膨らませる。
「子どもたちとは、なまら仲良くできるべさ!」
「彩芽ちゃんが一番、引率される側になるよ」
「でも、手はお膝できるべさ!」
玲香が笑う。
「今日、何回も椅子から立ってたっちゃ」
「海戦前だったから特別だべさ!」
漁港に、大きな笑い声が響いた。
◇
津軽海峡で残した悔しさは、噴火湾で晴らされた。
密漁母船。
高速小型船。
沿岸倉庫。
偽装会社。
通信網。
資金経路。
ジェネラス・リンクが道南地区へ築いていた密漁拠点は、一つ残らず壊滅した。
森町の漁師たちは、再び安心して噴火湾へ出ることができる。
勝利の知らせは、やがて津軽海峡の向こう側、下北半島の漁師たちへも届くだろう。
そしてノースフロントでは、新しい合言葉が完全に定着していた。
作戦がまとまらない。
「困ったときのまゆちゃん」
玲香と柚希の空気が険悪になる。
「さりげなく、まゆちゃん」
柚葉が噴火湾全体を一隻で封鎖しようとする。
「急いで、まゆちゃん」
彩芽が敵船へ飛び移ろうとする。
「最優先で、まゆちゃん」
真結は、冷めかけたいかめしを前に言った。
「一度に持ってこないでください。順番にお願いします!」
今度こそ、敵船は一隻も逃げなかった。
道南の海を荒らしてきた密漁拠点も、完全に消えた。
しかし、
「困ったときのまゆちゃん」
から真結が逃げ切れる日は、まだ当分来そうになかった。




