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ヒロインズ・リンク 〜戦隊ヒロインプロジェクト〜  作者: スパイク


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1118/1168

困る前から、まゆちゃんは知っている ――北の精鋭を動かす、石巻工場の小さな現場管制官

宮城県石巻市。


太平洋へ開かれた港に、旧北上川がゆったりと流れ込む。


世界三大漁場の一つに数えられる三陸沖を背負い、港には新鮮な魚介が集まる。水産業だけでなく、製紙、造船、物流をはじめとする工業も盛んだ。


潮の香り。


巨大工場の煙突。


港を行き交うトラック。


街角で観光客を迎える、漫画の登場人物たち。


海と川とものづくり、そして漫画文化が一つの町に同居している。


石巻は、何度困難に見舞われても、そのたびに立ち上がってきた町でもある。


たくましくて、働き者で、人情がある。


菅野真結は、そんな石巻が大好きだった。


生まれも育ちも石巻市。


仙台市内の短期大学を卒業した後、地元へ戻り、北洋製紙石巻工場へ入社した。


以来、総務部一筋。


二十七歳になった現在まで、一度もほかの部署へ異動していない。


会社の面談でも、職場の飲み会でも、真結は笑顔で言い切っていた。


「私は、この工場で定年まで働きます」


誰も冗談だとは思っていない。


真結は本気だった。


石巻の町が好き。


巨大な工場が好き。


朝、工場へ向かう途中に見える煙突も好き。


製紙設備の規則正しい音も、社員食堂のにぎやかさも、地域の人々が野球部を応援してくれる光景も好きだった。


北洋製紙石巻工場は、真結にとって単なる勤務先ではない。


自分の人生を置くと決めた、大切な居場所だった。



北洋製紙石巻工場は、敷地の中だけで一つの町が成立するほど大きい。


高くそびえる煙突。


複雑に走る配管。


巨大な製紙設備。


原料や製品を運ぶ大型車両。


多くの社員と協力会社の人々が、二十四時間体制で働いている。


その巨大工場の総務部に、小柄な女性社員がいた。


菅野真結。


小さな体。


可愛らしい童顔。


会社の制服を着て、構内を忙しそうに行き来している。


年配の従業員からは、


「ポケットさ入れて、持って歩きてえな」


と冗談を言われる。


若手社員からは、


「総務まで行くの面倒だから、各職場に一人ずつ配備してほしい」


と言われる。


真結は笑顔で返す。


「総務部員を備品扱いしないでください」


外見だけなら、総務部のかわいらしいマスコット。


ところが仕事が始まると、その印象は一変する。


真結が知らない総務の仕事は、ほとんどなかった。


社員証の再発行。


福利厚生。


慶弔関係。


工場見学。


来賓対応。


地域行事。


防災訓練。


構内放送。


会議室の調整。


弁当の発注。


遠征バスの手配。


落とし物。


迷子。


体調不良者。


硬式野球部の応援。


何を聞かれても、真結は一度だけ頷く。


「確認しますね」


数分後には、必要な部署への連絡も、書類の修正も、関係者への説明も終わっている。


そのため工場内では、独特の言葉が定着していた。


従業員が総務部へ向かう時は、


「総務へ行ってきます」


とは言わない。


「ちょっと、まゆちゃんとこ行ってくる」


で通じる。


記入方法の分からない書類があれば、


「これ、誰に聞けばいい?」


「それ、まゆちゃん」


で終わる。


社員証をなくした。


「それ、まゆちゃん」


扶養の書類が分からない。


「それも、まゆちゃん」


遠征バスの集合場所を忘れた。


「すぐ、まゆちゃん」


工場中で起きる細かな問題が、最終的に真結の机へ流れ着いていた。



総務部の電話が鳴る。


真結の同僚が受話器を取った。


「総務部です」


『まゆちゃん、いますか?』


「ご用件を伺います」


『家族手当の申請書なんですけど』


「それは私の担当です」


『じゃあ、書き方を教えてください』


同僚が丁寧に説明する。


記入欄。


必要な証明書。


提出期限。


すべて説明し終えると、電話の相手が言った。


『ありがとうございます。念のため、まゆちゃんにも確認しておいてください』


同僚は受話器を握ったまま、真結を見る。


「私が担当なんですけど」


『分かっています。でも、まゆちゃんにも』


「私が正式な担当です」


『まゆちゃん、今日いますよね?』


同僚は静かに受話器を真結へ差し出した。


真結は申し訳なさそうに頭を下げる。


「代わりました、菅野です」


電話の向こうから安心した声が返ってくる。


『ああ、まゆちゃん。よかった』


真結が仕事を奪っているわけではない。


むしろ、本人は同僚へ任せようとしている。


それでも工場の従業員は、最後に真結の声を聞かなければ落ち着かない。


もはや総務部の組織図より、菅野真結という個人名の方が機能していた。



午前八時。


真結が出社すると、机の上には五枚のメモが置かれていた。


工場見学者が三人増えた。


社員食堂前の通路で補修工事が始まる。


野球部の遠征バスの運転手が変更された。


来賓の一人に食物アレルギーがある。


防災倉庫の乾電池が不足している。


真結は鞄を置き、上着も脱がないまま電話をかけ始めた。


「工場見学は三名追加ですね。名札だけでなく、ヘルメットと保護眼鏡も追加してください」


次の電話。


「食堂前の通路は使えませんので、昼休みだけ西側通路を一方通行にします。案内板はこちらで作ります」


次。


「遠征バスの新しい運転手さんへ、西門の地図を送ってください。正門へ来ると原料搬入車と重なります」


次。


「来賓のお一人は甲殻類が苦手です。お弁当を変更して、配膳表にも印をつけてください」


最後。


「乾電池は今日中に補充します。使用期限が近いものから使えるように、棚も並べ直しておきます」


一つの依頼を処理するだけではない。


その変更によって次に何が起きるかまで予測している。


見学者が増えれば、名札だけでなく安全装備も必要になる。


通路が変われば、案内板と構内放送が必要になる。


運転手が変われば、時刻だけでなく入口の地図が必要になる。


弁当を変えれば、配膳を間違えない仕組みも必要になる。


小柄な真結の頭の中には、巨大工場全体の流れが入っている。


まるで人間の姿をした運行管理装置だった。



午前十時。


工場の玄関へ、協力会社の男性が現れた。


受付担当者が、真結へ小声で尋ねる。


「菅野さん。あの方、どちらの会社でしたっけ?」


真結は男性を一度見る。


「去年の安全大会へ来た、東北設備の佐々木さんです。以前は仙台営業所でしたけど、今年の春から石巻担当へ変わった方ですよ」


男性が驚いて振り返る。


「一度しかお会いしていませんよね?」


「はい。去年の六月です」


「よく覚えていますね」


真結は素直に答えた。


「名札を上下逆につけていらしたので」


男性は自分の胸元を見る。


「そんな理由で覚えられていたんですか?」


「お名前も担当業務も覚えていますよ」


「先にそちらを言ってください」


受付周辺に笑いが起きる。


真結は一度会った人物の顔と名前だけでなく、以前交わした会話、所属、担当業務まで覚えている。


相手を覚えていることは、単なる記憶力自慢ではない。


「自分を大切に扱ってもらえた」


そう感じた相手は、次から真結へ率直に話をしてくれる。


真結の記憶力は、人間関係を円滑にする立派な仕事道具だった。



真結が持ち歩く鞄も、工場内では有名だった。


安全ピン。


絆創膏。


裁縫道具。


油性ペン。


予備の名札。


スマートフォンの充電器。


酔い止め。


飴。


軍手。


小型懐中電灯。


ウェットティッシュ。


予備の靴下。


なぜ靴下まで入っているのか。


以前、雨の日の工場見学で子どもの靴下が濡れたからである。


地域イベントで司会者の名札が外れれば、安全ピンが出る。


子どもが転べば、絆創膏が出る。


来賓の携帯電話の充電が切れれば、充電器が出る。


野球部員のズボンの裾がほつれれば、裁縫道具が出る。


社員が尋ねた。


「その鞄、四次元なの?」


真結は真顔で答えた。


「総務です」


総務とは、本来、空間を超越する部署なのかもしれなかった。



真結の能力が最も発揮されるのは、大規模な行事である。


工場見学。


地域の夏祭り。


安全大会。


防災訓練。


硬式野球部の壮行会。


真結は会場図面を広げ、人の流れを読み取る。


受付。


来賓席。


一般参加者席。


出演者控室。


救護所。


搬入口。


非常口。


車椅子を利用する人の経路。


高齢者が休憩できる場所。


迷子が出た場合の集合地点。


雨が降った時の代替動線。


一つずつ確認する。


上司が呆れる。


「そこまで細かく決めなくてもいいんじゃないか?」


真結は首を横へ振る。


「当日困るのは、来てくださった方ですから」


イベント当日。


音響担当者が体調を崩す。


真結は代役を手配。


来賓の車が予定と違う入口へ到着する。


誘導スタッフを移動。


子どもが迷子になる。


構内放送と捜索範囲を即座に決定。


突然の雨。


屋内経路へ変更。


予定外の出来事が同時に起きても、真結の声は変わらない。


「大丈夫です。順番に対応しましょう」


その一言で、周囲が落ち着く。


真結自身が全ての仕事を抱え込むのではない。


誰が何を得意としているかを把握し、適切な人物へ役割を渡す。


声のよく通る社員には場内案内。


顔の広い社員には迷子の捜索。


機械に詳しい社員には音響設備。


来賓を知っている上司には応対。


一人で十人分動くのではなく、十人全員が最大限動ける環境を作る。


それが菅野真結の本当の能力だった。



そんな真結の活躍が最も目立つのが、北洋製紙石巻工場硬式野球部である。


真結は野球部のマスコットガールを務めていた。


ダイヤモンドサポーターと呼ばれて


都市対抗野球では、専用ユニフォームを着てベンチ入りする。


選手の飲み物。


タオル。


用具。


連絡事項。


応援席との調整。


真結は試合開始前から忙しい。


北洋製紙の選手には、真面目な若手が多い。


勢いに乗れば強い。


しかしエラーや失点が続くと、全員が自分を責め始める。


ベンチ全体が一気に暗くなる。


そんな時、真結は無理に、


「元気出して!」


とは叫ばない。


失策した内野手の隣へ、黙って水を置く。


交代した投手へタオルを渡す。


次の打席へ集中している選手には話しかけない。


落ち込んでいる若手へだけ、小さな声で言う。


「試合、まだ終わってないよ」


監督が考えている時は近づかない。


応援席の声が小さくなれば、応援団へ合図を送る。


流れが変わる瞬間には、誰よりも大きく拍手する。


真結が明るく振る舞うと、沈んでいた選手たちも少しずつ顔を上げる。


真結はボールを投げない。


バットも振らない。


試合へ直接出ることもない。


それでも、確かにベンチの空気を動かしていた。



都市対抗野球の前には、選手とスタッフ全員へ手作りのお守りを渡す。


監督。


コーチ。


選手。


マネジャー。


トレーナー。


用具係。


応援団。


バスの運転手。


荷物の積み込み担当者。


一人ずつ名前を入れ、裏側には短い言葉を縫い込む。


若手投手には、


「いつもどおり」


失敗を引きずりやすい内野手には、


「次の一球」


控え選手には、


「出番は来る」


裏方スタッフには、


「あなたもチーム」


用具係の社員が、恐縮したように尋ねる。


「選手でもない私たちにまで?」


真結は当然のように答える。


「用具がなければ試合はできません」


遠征バスの運転手にも渡す。


「私もですか?」


「球場へ着かなければ、試合は始まりません」


荷物搬入口を担当する社員にも渡す。


「私まで?」


「荷物が入らなければ、やっぱり試合はできません」


真結にとって、グラウンドへ立つ選手だけがチームではない。


同じ試合を支える全員が、同じ一勝を目指す仲間だった。



ここまで聞けば、真結は誰よりも野球を理解しているように思える。


ところが、唯一にして大きな問題があった。


真結は野球のルールを、今ひとつ理解していない。


都市対抗野球のベンチへ何度も入っている。


練習試合にも同行している。


選手の名前、出身校、背番号、使用している用具、好みの飲み物まで覚えている。


しかし試合中。


真結は隣に座るマネジャーへ、小声で尋ねた。


「今、勝っていますか?」


マネジャーがスコアボードを指さす。


「三対一で勝っています」


真結は感心する。


「あの大きい数字が得点なんですね」


マネジャーが真結を見る。


「何年、ベンチに入っているんですか?」


「四年目です」


「四年間、何を見ていたんですか?」


「選手の顔色です」


迷いのない答えだった。



送りバントが成功する。


真結は勢いよく立ち上がり、ホームランのように拍手した。


「すごい! ちゃんと送れました!」


マネジャーが説明する。


「送りバントですから」


「きれいに送れましたね」


「宅配便ではありません」


ファウルボールがスタンドへ飛ぶ。


真結が尋ねる。


「今のは半分ヒットですか?」


「ゼロです」


「でも、前へ飛びましたよ」


「前でも、線の外ならファウルです」


「惜しいヒット?」


「ファウルです」


「ヒット見習い?」


「ファウルです」


真結は少し残念そうに座った。


二死満塁。


打者が三振。


攻守交代になる。


真結は塁上を見ながら言う。


「でも、三人も残っています。次の人が打てば一気に帰れますよね」


マネジャーが静かに答える。


「チェンジです」


「三人はどうなるんですか?」


「残塁です」


「置いていくんですか?」


「その言い方をすると、すごく冷たい競技みたいになりますね」


真結は、ベンチへ戻ってくる選手たちへ大きく手を振った。


「大丈夫! 次は全員一緒に帰ってきましょう!」


失点を防げず、落ち込んでいた選手たちが思わず笑う。


真結はルールを理解していない。


だが、落ち込んでいる人物を笑わせるという点では、見事に成功していた。



相手チームの選手が、難しい打球を好捕する。


真結は反射的に拍手した。


「今の、すごく上手でした!」


監督が小声で注意する。


「真結さん。今のは相手チームのファインプレーです」


「はい。すごかったです」


「気持ちは分かりますが、ベンチでは少し控えてください」


「では、小さく拍手します」


「拍手しないでください」


真結は両手を膝の下へ隠した。


それでも感動した表情は隠せない。


味方の選手がホームランを打つ。


真結は誰よりも喜ぶ。


「今のは分かります! 全員、帰ってきました!」


「打者一人です」


「でも、途中で誰にも止められませんでした」


「ホームランですから」


「ホームラン、すごいですね!」


「今、知ったんですか?」


試合後、若手選手が尋ねる。


「真結さん、今日の試合、楽しかったですか?」


「すごく楽しかったよ」


「どこが一番よかったですか?」


真結は真剣に考える。


「七回に、みんなが急に走り出したところ」


「ホームランです」


「あれがホームランなんですね」


「そこからですか?」


なぜ野球のルールを理解していないのに、毎回あれほど楽しそうなのか。


選手にも分からない。


真結本人にも、よく分かっていない。


ただ、選手が笑えばうれしい。


得点が入ればうれしい。


応援席が盛り上がればうれしい。


負けている時でも、誰かがもう一度前を向けばうれしい。


真結は野球の複雑な規則より、野球を通じて人々が一つになる瞬間が好きなのだった。



ノースフロント仙台分室。


高沢雪乃は、集まったヒロインたちへ真結の経歴を紹介していた。


大型スクリーンには、総務部で働く真結。


工場見学者を誘導する真結。


地域行事でマイクを握る真結。


都市対抗野球のベンチで、選手へお守りを渡す真結。


そして相手チームの好プレーへ拍手し、監督から止められている真結が映っている。


佐々木玲香が、画面を指さした。


「この人、本当に野球部の担当なの?」


雪乃は冷静に答える。


「野球部関係者からの信頼は絶大です」


中野柚希が、少し首をかしげる。


「でも、ルールは分がってねえように見えるべ」


「理解は十分ではありません」


阿部柚葉が冷静に言う。


「十分ではないというより、ほとんど分かっていない」


雪乃は否定しない。


「ですが、誰が落ち込んでいるかは、誰よりも早く分かります」


スクリーンの中では、エラーした若手選手へ、真結が黙って水を渡している。


励ましすぎない。


失敗へ触れない。


ただ、必要な物を置き、近くにいる。


選手が少しだけ顔を上げる。


雪乃が続ける。


「ノースフロントに必要なのは、この力です」



会議へ入ってきた芹沢遥室長が、スクリーンの真結を見て首をかしげた。


「どこかで見たことがある気がするのら」


北洋製紙は、複数の製紙会社が合併して誕生した企業である。


その中には、遥の父親が勤務している製紙会社も含まれていた。


遥の父は業務や会議のため、何度か石巻工場を訪れている。


遥は、その場で父へ電話をかけた。


「お父さん、石巻工場の菅野真結さんって知ってるのら?」


電話の向こうで、父が考える。


やがて、どぎつい駿河弁で答えた。


「そういやあ、石巻の総務に、えらいちんこいくせして、よう気ぃ回る子がおったら」


遥が身を乗り出す。


「真結ちゃんなのら?」


「名前までは覚えちゃいんが、茶ぁ出すのも早えし、こっちが何も言わんうちに資料までそろえとったに。あの子ぁ、感じよかっただら」


「小さかったのら?」


「ちんこかったら。工場ん中を、ちょこちょこ、ちょこちょこ動き回っとったもんで、よう覚えとる」


隣で聞いていた、るみねぇが言う。


「小さいことしか覚えていないみたいね」


遥は気にしない。


「父が知ってる人なら、もう身内みたいなものなのら!」


「一度お茶を出してもらっただけでしょう」


「十分なのら!」


「十分ではないわよ」



後日、その話を真結へ伝える。


真結は少し考えた。


「静岡の工場から来られた方ですか?」


遥が驚く。


「覚えてるのら?」


「会議資料を一部多く欲しいとおっしゃっていました。お茶は濃いめで、お砂糖を使わない方ですよね」


数年前に一度会っただけの人物。


それでも真結は覚えていた。


遥は目を輝かせる。


「やっぱり、もう親戚なのら!」


「親戚ではないと思います」


「遠慮しなくていいのら」


「遠慮ではなく、事実関係の問題です」



ノースフロントへの加入が正式に決まり、真結はメンバーの前で自己紹介をする。


二十七歳。


メンバーの中では最年長。


戦闘経験は最も少ないが、社会人経験は最も長い。


玲香。


柚希。


乙実。


柚葉。


紗耶。


瑠璃。


彩芽。


全員が年下だった。


真結は少し緊張しながら話す。


「年齢では、私が一番上になるそうです」


「でも、年齢で壁を作りたくありません」


少し照れながら笑う。


「“菅野さん”とか“真結さん”と呼ばれると、総務部の窓口みたいになってしまうので――」


「“まゆちゃん”か、“かんちゃん”って呼んでください」


彩芽が真っ先に手を挙げる。


「したら、まゆちゃんって呼ぶべさ!」


「ありがとう、彩芽ちゃん」


彩芽はさらに尋ねた。


「かんちゃんって、缶詰の“缶”だべか? 石巻だから、なまら合ってるっしょ!」


「菅野の“菅”だよ」


「あっ、名字の方だったべさ!」


「缶詰から取った愛称ではないよ」


「でも、石巻といえば缶詰だし、どっちでもいけるっしょ!」


「私の名字まで水産加工しないでね」


会議室に笑いが起きる。


つかみは完璧だった。



真結が特に気にかけたのは、最年少の高城彩芽だった。


札幌の元気印。


底抜けに明るい。


一方で幼さが残り、何かと危なっかしい。


集合時刻を一時間間違える。


充電器を持ってきて、携帯電話を忘れる。


衣装を前後逆に着る。


非常食を、


「賞味期限まで置いといたら、食べ物が寂しいべさ」


と言って先に食べる。


反省会へ、


「景気づけに鳴らすべさ!」


とパーティークラッカーを持ってくる。


真結は、彩芽を頭ごなしに叱らない。


出発前に持ち物を確認。


衣装の間違いにも、本人が恥をかく前に気づく。


彩芽の頓珍漢な発想も、最初から捨てない。


「迷子にならないよう、全員へ鈴をつければいいべさ!」


という提案には、


「鈴は難しいけど、位置確認用の小型タグなら使えるね」


と答える。


彩芽は目を輝かせる。


「まゆちゃん、あたしの変な話も、ちゃんと拾ってくれるっしょ!」


「変な話だとは自覚しているんだね」


「少しは分かってるべさ!」


真結は彩芽の明るさを矯正しない。


その明るさが、ノースフロントに必要だと知っているからだった。



最初の全体ミーティング。


玲香と柚希の意見が対立する。


乙実は発言の機会をつかめない。


柚葉の案は大胆すぎる。


紗耶と瑠璃は場を穏やかにするが、話が前へ進まない。


彩芽が突然立ち上がった。


「みんなの顔が見えるよう、椅子を円にするべさ!」


一人で椅子を動かし始める。


会議用の長机を無視し、椅子だけが部屋の中央へ丸く並ぶ。


玲香が眉をひそめる。


「資料を置く場所がないっちゃ」


柚葉も言う。


「会議室としての機能が消えた」


彩芽は胸を張る。


「でも、なまら仲良さそうだべさ!」


真結は円形に並んだ椅子を見る。


そして笑った。


「せっかくなので、今日はこのまま話しませんか?」


全員が真結を見る。


「机がない分、資料ではなく、相手の顔を見て話せます」


彩芽の頓珍漢な行動を、全員が互いの顔を見て話せる会議へ変えてしまう。


真結は中央へ立たない。


円の中の一席へ座った。


「私は、皆さんを引っ張るリーダーではありません」


「誰か一人を主役にするために来たわけでもありません」


「皆さんがそれぞれの力を出せるよう、困っているところを見つけて、整えるために来ました」


少し照れながら付け加える。


「総務部では、それが私の仕事でしたから」


彩芽が元気よく手を挙げる。


「したら、ノースフロントの総務だべさ!」


玲香が言う。


「ヒロインとして来たんじゃないの?」


柚希は小さく笑う。


「でも、うちらには必要かもしれねえべ」


真結も笑った。


「では、総務もできるヒロインということでお願いします」



会議終了後。


彩芽が真結へ駆け寄る。


「まゆちゃん、野球部でベンチに入ってたんだべ?」


「うん」


「したら、野球なまら詳しいんでしょ?」


真結は少し考える。


「選手には詳しいよ」


「ルールは?」


「今、勉強中」


「何年くらい?」


「四年くらい」


彩芽は目を丸くする。


「四年も勉強中なのかい?」


「奥が深いから」


遠くで聞いていた柚葉が言う。


「たぶん、まだ入口にも入っていない」


真結は否定できない。


彩芽は楽しそうに笑った。


「大丈夫だべさ。あたしも野球分かんないから、一緒に応援すればいいっしょ!」


「彩芽ちゃんは、何を応援するの?」


「みんな!」


真結は一瞬、目を丸くする。


そして笑った。


「私も同じかもしれない」


野球は分からない。


だが、誰が落ち込んでいるかは分かる。


戦闘経験はない。


だが、誰が何を必要としているかは分かる。


小柄で童顔。


北洋製紙石巻工場の名物総務部員。


石巻と工場を心から愛し、いつか必ず戻って定年まで働くと決めている。


それでも今は、外の世界で新しい経験を積むため、ノースフロントへやって来た。


やがてノースフロントでも、工場と同じ言葉が使われ始める。


書類が分からない。


「それ、まゆちゃん」


イベントの動線が決まらない。


「それ、まゆちゃん」


玲香と柚希の空気が悪い。


「それも、まゆちゃん」


柚葉の案が尖りすぎている。


「一度、まゆちゃんを通して」


彩芽が衣装を前後逆に着ている。


「今すぐ、まゆちゃん」


複数の声に呼ばれた真結は、両手を上げた。


「一度に持ってこないでください。順番にお願いします!」


会議室に笑い声が響く。


困ったときのまゆちゃん。

みんなのまゆちゃん。


北の精鋭たちを動かす、小さな現場管制官。


菅野真結のノースフロントでの新しい日々が、静かに始まったのである。

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