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ヒロインズ・リンク 〜戦隊ヒロインプロジェクト〜  作者: スパイク


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1117/1170

困ったときのまゆちゃん、北へ!――石巻工場から来たムードメーカー・菅野真結

津軽海峡に、濃い霧が流れ込んでいた。


下北半島沖で確認された、ジェネラス・リンクの密漁船。


ノースフロントは青森県側と北海道側から追跡し、一度は密漁船を包囲しかけた。


しかし敵は霧と複雑な海岸線を利用し、逃走。


追撃は危険と判断されて、撤退。


人的被害はなく、密漁用の機材も一部押収したものの、主犯格を取り逃がしてしまった。


それだけの話だった。


少なくとも、外部から見れば。


ところがノースフロントにとっては、そう簡単に片づけられる話ではなかった。



ノースフロント仙台分室。


壁一面に並ぶ大型モニター。


東北六県と北海道南部の気象、交通、災害情報を一括表示する電子地図。


複数地点との同時通信が可能な最新鋭の会議設備。


高性能な映像解析室。


防音収録ブース。


仮眠室。


シャワールーム。


さらには、用途がよく分からないが新橋のヒロ室には存在しない、全自動の高級コーヒーマシンまで設置されている。


設備だけなら、新橋本部を軽く凌駕していた。


しかし、どれほど最新鋭の換気設備を動かしても、会議室に漂う重苦しい空気だけは排出できなかった。


佐々木玲香は椅子へ深く腰かけ、腕を組んでいる。


「うちが言ったとおり、東側を先に塞いでれば逃げられなかったっちゃ」


仙台市を代表する佐々木玲香。


容姿、運動能力、判断力、発信力。


すべてが高い水準にあり、ノースフロントのダブルエースと呼ばれる一人だった。


ただし、玲香は自分が主役である時に最も輝く。


自分の判断で勝利し、自分が注目され、自分が称賛される。


その状態では圧倒的に強い。


反対に、仲間を立てたり、全体のために一歩下がったりするのは苦手だった。


リーダーというより、絶対的な主演女優である。


向かい側に座る中野柚希が、静かに資料を閉じた。


「東側さ寄せすぎたら、南から抜けられたかもしれねえべ。あの時は、あれが一番危険の少ない配置だったと思う」


盛岡市の中野柚希。


玲香と並ぶダブルエースであり、チーム内の人望では玲香を上回っている。


穏やかで面倒見がよく、後輩やスタッフからも頼られる。


ただし、大声で仲間を引っ張るタイプではない。


意見の違う相手を強引に押し切ることもできない。


誰からも好かれるが、先頭で旗を振るには少し優しすぎる。


玲香は柚希を見る。


「結果として逃げられたっちゃ」


柚希の表情も硬くなる。


「玲香の案なら絶対捕まえられたって、今から言っても分がんねえべ」


「何それ。うちが結果論で偉そうにしてるみたいじゃん」


「そういう意味で言ったんでねえよ」


「じゃあ、どういう意味?」


「だから……」


柚希は言葉を止めた。


玲香も視線を外す。


二人の間に、見えない氷の壁が出来上がる。


下北半島での任務以来、この状態が続いていた。


挨拶はする。


業務連絡にも返事はする。


同じ任務にも出る。


だが、必要なこと以外は話さない。


完全な冷戦だった。



ほかのメンバーも、誰もがその冷戦へ気づいている。


そして表立って口にはしないものの、チーム内には柚希を支持する者の方が多かった。


鶴岡市の山間部にある限界集落出身、今津乙実。


八戸市のおっとりした姉御役、蛯沢紗耶。


函館市の観光ガイド、菊池瑠璃。


三人とも、玲香の能力は認めている。


しかし一緒に行動するなら、話をきちんと聞いてくれる柚希の方が安心できると感じていた。


乙実が、小さな声で口を開く。


「あの……玲香さんも柚希さんも、どっちも間違ってたわけでねえさげ……」


声が小さすぎて、誰にも届かない。


乙実はもう少し大きな声を出そうとする。


「皆で、次のことを考えた方が……」


玲香と柚希は、まだ互いを見ない。


乙実は諦めた。


配られた資料の角を、黙ってきれいにそろえ始める。


良くも悪くも控えめ。


乙実は適切な意見を持っている。


だが、口に出すまでが長い。


勇気を出して発言した頃には、会議が次の議題へ移っていることも珍しくなかった。



窓際の椅子には、阿部柚葉が座っていた。


秋田県にかほ市出身。


現在は首都圏在住。


都会での生活が長く、服装も言葉遣いも洗練されている。


無駄のないジャケット。


細身のパンツ。


携帯端末を片手で操作しながら、会議の内容もすべて聞いている。


ノースフロントの中でも、ひときわ都会的な雰囲気を持つヒロインだった。


そして、考え方も鋭い。


というより、尖っている。


玲香と柚希の議論を聞いていた柚葉は、平然と言った。


「次は港全体を封鎖すればいいんじゃない?」


紗耶が、ゆっくりと顔を向ける。


「柚葉ちゃん、一般の船もいるんだすけ」


「先に全部出して、残った船を調べればいいでしょ」


瑠璃が困ったように微笑む。


「そんな簡単にはいかないっしょ。漁師さんにも仕事があるんだからさ」


柚葉は携帯端末から目を上げる。


「簡単じゃないから、やる価値があるんじゃない?」


乙実が小声で呟いた。


「やっぱり、ちょっと尖りすぎだの……」


柚葉は大胆で、決断が速い。


誰も思いつかない案を出す。


ただし、その案は時々、法律、予算、地元住民の都合をすべて飛び越えて着地する。


札幌市の高城彩芽が、柚葉を見ながら目を輝かせた。


「柚葉さんって、都会のナイフみたいで、なまらかっこいいっしょ!」


柚葉が眉を上げる。


「何、それ」


「細くって、きれいで、持ち歩いたら捕まりそうな感じだべさ!」


会議室が静まり返る。


柚葉は数秒考えた。


「後半はいらないかな」


「ちゃんと褒めたっしょ?」


「逮捕されそうって言われて喜ぶ人はいないでしょ」


彩芽は首をかしげる。


「でも札幌なら、冬に滑らないよう靴につけるかもしれないべさ」


「それはスパイク」


「ナイフじゃないのかい?」


「違う」


彩芽の頓珍漢な会話に、紗耶が少し笑う。


瑠璃も口元を押さえた。


柚葉でさえ、呆れながら肩の力を抜く。


ほんの一瞬、会議室の空気が軽くなった。



蛯沢紗耶が、落ち着いた声で全員へ語りかける。


「まあまあ。密漁船さ逃げられたのは悔しいども、誰もけがしねがったんだすけ。押収したもんもあるし、何も出来なかったわけでねえべ」


八戸市の紗耶は、おっとりした大人の女性である。


急に怒らず、誰かを追い詰めず、全体が暴走しそうな時には静かな重しとなる。


菊池瑠璃も上品に続ける。


「紗耶さんの言うとおりだと思うっしょ。今回分かったことを整理すれば、次に役立てられるさ」


函館市で観光ガイドを務める瑠璃。


明るく聞き取りやすい案内。


穏やかな笑顔。


相手を安心させる話し方。


場を荒らすことはない。


だが紗耶も瑠璃も、沈んだ空気を底から一気に持ち上げる人物ではなかった。


玲香が低い声で言う。


「次へつなげるって言っても、逃げた船は戻ってこないっちゃ」


再び空気が沈む。


紗耶と瑠璃の言葉で、底が抜けることだけは防いだ。


しかし、浮上はしなかった。



そこで彩芽が、勢いよく立ち上がった。


「皆さん、大丈夫だべさ!」


全員が彩芽を見る。


彩芽は胸を張る。


「逃げた船、きっと今ごろ罪悪感でいっぱいだべさ!」


柚希が尋ねる。


「何でそう思うんだべ?」


「だって、あたしたち置いてったっしょ!」


玲香が言う。


「逃げたんだから、置いていくに決まってるっちゃ」


「でも、きっと後ろ髪引かれてるべさ!」


柚葉が冷静に指摘する。


「船に後ろ髪はない」


彩芽は一瞬考える。


「船尾があるっしょ!」


「そういう問題じゃない」


彩芽はさらに続ける。


「今度会ったときは、こっちから謝りやすい雰囲気を作るべさ!」


紗耶が困惑する。


「何でこっちが謝るんだすけ?」


「逃がしちゃって、追いかけてごめんねって言うんだわ」


「密漁船に気を遣う必要はねえべ」


「じゃあ、『久しぶり』から入ればいいっしょ?」


瑠璃が笑いをこらえながら尋ねる。


「お友達との再会じゃないっしょ」


彩芽は真剣だった。


誰かを笑わせようとしているわけではない。


本気で、密漁船との再会の挨拶を考えている。


だからこそ、少しだけ面白い。


柚希が小さく笑う。


紗耶も笑う。


乙実も俯いたまま、肩を揺らす。


玲香の口元さえ、わずかに緩む。


彩芽は嬉しそうに言う。


「ほら、みんな元気になったっしょ!」


その瞬間、会議室のモニターに、任務失敗を示す赤い表示が映る。


全員が再び黙る。


彩芽の力では、まだ空気を変え切れない。


しかし彩芽がいなければ、誰も一度すら笑わなかった。


最年少の元気印は、未熟ながらも、確実にノースフロントを救っていた。



その日の夜。


ヒロインたちが退出した後、仙台分室の会議室には三人の女性が残っていた。


芹沢遥室長。


木戸瑠美、通称るみねぇ。


高沢雪乃。


ノースフロント仙台分室は、この三人によるトロイカ体制を敷いている。


遥は高級な会議用椅子へ沈み込んだ。


「また全員、暗くなったのら」


るみねぇは、全自動コーヒーマシンで入れたコーヒーを飲む。


「機械は新橋より立派なのに、人間関係は手動なのよねえ」


雪乃は冷静に任務記録を確認する。


「大きな被害はありません。密漁用機材も一部押収しています。客観的には、次につながる結果です」


「でも、みんな完全敗北みたいな顔してたのら」


るみねぇが、メンバーの特徴を整理する。


「玲香は優秀だけど、自分が主役じゃないと機嫌を崩す」


「柚希は人望があるけど、強く引っ張るタイプではない」


「しかも今は、二人が冷戦状態」


遥が頷く。


「みんな、柚希ちゃんの方を応援してる感じなのら」


「そうね。玲香も、それへ気づいてるから余計に意地になる」


雪乃が付け加える。


「玲香さんを孤立させるのも危険です。本人の自尊心を傷つければ、さらに対立が深まります」


るみねぇは指を折る。


「乙実は控えめすぎる」


「柚葉は都会的で格好いいけど、案が尖りすぎ」


遥が言う。


「港を全部封鎖しようとしてたのら」


「そのうち海ごと封鎖すると言い出すわよ」


「紗耶と瑠璃は大人で穏やかだけど、空気を壊さない代わりに、動かす力も弱い」


「彩芽ちゃんは?」


「頑張ってるわよ」


るみねぇは笑う。


「さっきも密漁船に“久しぶり”って言う相談をしてたし」


「頑張る方向が少し違うのら」


雪乃は真顔で言う。


「ですが、彩芽さんがいなければ、会議はさらに深刻になっています」


三人とも、それは認めていた。


彩芽は空気を完全に変えることはできない。


それでも沈み切る直前、必ず何か頓珍漢なことを言う。


それがなければ、ノースフロントは反省会のまま海底へ沈んでいた。



遥が腕を組む。


「誰か、空気を整える人が必要なのら」


「ただ明るいだけでは駄目ね」


るみねぇが言う。


「失敗を笑い飛ばしすぎたら、真面目な子たちは反発する」


雪乃も続ける。


「玲香さんと柚希さんの間へ入れる人物が必要です」


「柚希さん側へ偏れば、玲香さんが孤立する」


「玲香さんを立てすぎれば、ほかのメンバーが離れる」


「乙実さんの小さな意見を拾い、柚葉さんの大胆な発想を現実的な形へ整え、紗耶さんと瑠璃さんに適切な役割を渡す」


「そして、彩芽さんの底抜けの明るさを押さえ込まず、チームの力へ変えられる人物です」


るみねぇが眉を上げる。


「そんな都合のいい人、いる?」


雪乃は少し考えた。


やがて、確信を持った顔になる。


「一人、心当たりがあります」


遥が身を乗り出す。


「どこにいるのら?」


「石巻です」



数日後。


雪乃が訪れたのは、宮城県石巻市にある北洋製紙石巻工場だった。


広大な敷地。


巨大な製紙設備。


高くそびえる煙突。


原料と製品を運ぶ大型車両。


工場全体が、一つの町のように動いている。


地域経済を支える大規模製紙工場であり、硬式野球部も地元から親しまれていた。


雪乃は以前、大手スポーツ用品メーカーで営業を担当していた。


その頃、この野球部へ頻繁に出入りしている。


ユニフォーム。


スパイク。


バット。


練習用品。


遠征用の備品。


野球部関係者だけでなく、工場の上層部とも旧知の仲だった。


応接室へ通された雪乃は、挨拶を済ませると単刀直入に切り出した。


「菅野真結さんを、戦隊ヒロインプロジェクトへお借りしたいと思っています」


会社幹部が少し驚く。


「真結をですか?」


「はい。ノースフロントのメンバーとして出向していただきたいです」


難しい交渉になると思われた。


ところが、工場側の返事は早かった。


「本人が納得するなら、いいですよ」


雪乃は、珍しく聞き返す。


「よろしいのですか?」


「少しの間でしょう?」


「数年程度を想定しています」


幹部は頷いた。


「真結は、定年退職までここで働きたいと言っています」


別の幹部も笑う。


「会社としては、ありがたい話です。ただ、あの子は石巻とこの工場が好きすぎる」


「このままだと、一度も外へ出ないまま定年まで働きかねない」


「数年、外の空気を吸って、いろいろな人と仕事をして、勉強してきてほしい」


「ひと回り大きくなって戻ってきたら、また定年まで働いてもらいます」


手放すのではない。


将来も必要としているから、送り出す。


会社側の親心だった。



数日後。


北洋製紙石巻工場の総務部では、菅野真結が朝から忙しく働いていた。


二十七歳。


小柄な体格。


親しみやすい笑顔。


巨大工場の業務を陰で動かしている人物には、一見すると見えない。


しかし、真結が通った後では、滞っていた仕事が次々と片づいていく。


「午後の工場見学は、青い名札の方と黄色い名札の方で二班に分かれてください」


「野球部の遠征バスは東門ではなく西門です。原料搬入のトラックと重なるので、変更を伝えてあります」


「部長、来客用のお弁当ですが、一名だけ甲殻類が苦手なので交換しておきました」


同僚が玄関の方を指さす。


「菅野さん、あの人どこの人だっけ?」


真結は一度見ただけで答える。


「去年の安全大会に来た協力会社の佐々木さんです。四月から仙台営業所から石巻担当へ変わった方ですよ」


「よく覚えてるね」


「一度お話ししたので」


人の顔と名前を覚える。


来賓の好みを把握する。


構内放送を頼まれれば、聞き取りやすい声で案内する。


防災備品の在庫確認。


工場見学の動線設計。


野球部の遠征準備。


地域イベントの調整。


体調不良者が出れば応急手当。


誰かが困っていることへ、本人が助けを求める前に気づく。


派手ではない。


だが、真結がいなければ、工場の各所で小さな混乱が起きる。


同僚や野球部員からは、


「困ったときのまゆちゃん」


と呼ばれていた。



昼前。


真結の机の電話が鳴った。


「菅野さん、応接室へ来てください」


直属の上司からだった。


真結は受話器を置き、周囲を見る。


「私、何かしたかな?」


同僚が尋ねる。


「弁当の数?」


「合ってる」


「野球部の遠征費?」


「昨日確認した」


「見学者の名札?」


「全部できてる」


「じゃあ、怒られる理由ないよ」


真結は首をかしげる。


「怒られる時って、理由が分からない方が怖くない?」


不安そうに応接室へ向かう。


扉をノックする。


「失礼します」


中には会社幹部。


直属の上司。


そして、旧知の高沢雪乃が座っていた。


真結は目を丸くした。


「雪乃さん?」


雪乃とは、硬式野球部関係の仕事で何度も会っている。


大手スポーツ用品メーカーの営業担当だった頃から、仕事の速さと正確さで知られていた。


だが、なぜ会社の応接室にいるのか分からない。


上司が真結へ着席を促す。


「菅野さん。戦隊ヒロインプロジェクトへ出向してもらいたいと思っています」


真結は黙った。


三秒。


五秒。


そして自分を指さす。


「私ですか?」


「菅野さんです」


「総務の応援としてですか?」


「ヒロインとしてです」


真結は後ろを振り返った。


誰もいない。


「ほかの菅野さんではなく?」


上司が笑う。


「総務部に菅野さんは、あなた一人です」



雪乃がノースフロントの現状を説明する。


能力の高いメンバーがそろっていること。


全員が真面目で、失敗すると沈んだままになること。


玲香と柚希が冷戦状態であること。


ほかのメンバーの多くは柚希を信頼しているが、それが玲香の孤立感を深めていること。


彩芽が明るくしようと頑張っているが、まだ最年少で力不足なこと。


「ただ明るい人を探しているわけではありません」


雪乃は真結へ伝える。


「誰が落ち込んでいるかを見て、必要な言葉を選べる人が必要です」


「玲香さんと柚希さんのどちらにも偏らず、二人が同じ方向を向ける環境を作ってほしい」


「彩芽さんの頓珍漢な明るさも、消すのではなく生かしていただきたいです」


真結が不安そうに尋ねる。


「その彩芽さん、そんなに頓珍漢なんですか?」


雪乃は少し考える。


「先ほど、密漁船と再会した時の挨拶を考えていました」


「何て言うつもりだったんですか?」


「“久しぶり”です」


真結は一瞬黙った。


「……明るい方なんですね」


「非常に」


雪乃は真顔だった。



真結は自分が選ばれた理由を、まだ理解し切れない。


「でも、どうして私なんですか?」


雪乃は、北洋製紙硬式野球部の試合で見た真結の姿を語った。


都市対抗野球の大舞台。


試合で失策し、落ち込む若手選手。


点を奪われ、重くなるベンチ。


声を出せなくなった年下の選手。


マスコットガールとしてベンチ入りしていた真結は、ただ大声で盛り上げたのではなかった。


失策した選手へ水を渡す。


投手へタオルを用意する。


応援団へ次の攻撃で声を上げるタイミングを伝える。


監督が集中している時は近づかない。


声をかけるべき人物と、そっとしておくべき人物を見極める。


そして流れが変わった瞬間には、誰よりも大きく拍手する。


気づけば沈んでいたベンチは、もう一度前を向いていた。


「あなたは、ただ明るい人ではありません」


「人を見ています」


「誰が何を必要としているか、自然に判断しています」


「玲香さんと柚希さんの不仲を、一日で解決してほしいとは言いません」


「ですが、二人が同じ仕事をできる環境を作れるのは、あなたのような方だと思っています」


真結は困惑する。


「かなり難しい仕事ではありませんか?」


雪乃は自信を持って答える。


「難しいから、あなたにお願いしています」



真結は小柄な自分の体を見る。


「でも、私は特別に強いわけでもありません」


「これから訓練していただきます」


「運動も、野球部の準備で走り回る程度です」


「十分な基礎体力があります」


真結はさらに言いにくそうに続ける。


「年齢も、もう二十七歳ですし……」


雪乃は即答した。


「十分すぎます」


「もっと年上のヒロインもいます」


「必要なのは、若さだけではありません」


「経験、判断力、人を見る力、場を整える力」


「年齢は関係ありません。チャレンジする気持ちがあれば大丈夫です」


雪乃は、真結の目をまっすぐ見る。


「ノースフロントに、あなたが必要です」


真結は、その言葉を黙って受け止めた。



会社幹部も真結へ話す。


「会社を辞めてもらうわけではありません」


「数年間、外で勉強してきてください」


「石巻工場だけでは出来ない経験をして、多くの人と働き、成長して戻ってきてほしい」


「帰ってきたら、また定年まで働いてもらいます」


真結は驚く。


「戻ってきていいんですか?」


上司は笑った。


「戻ってきてもらわないと困ります」


「あなたの仕事を引き継ぐため、三人用意しました」


「三人もですか?」


「一人では無理です」


真結は、そこで初めて笑った。


自分は会社から追い出されるのではない。


必要とされているからこそ、外へ送り出してもらえる。


真結は姿勢を正した。


「私で役に立てるなら、挑戦してみたいです」


「外の空気を吸って、勉強して、成長して戻ってきたいです」


「よろしくお願いします」


雪乃は力強く頷いた。


「ありがとうございます」



しかし真結の表情は、すぐに曇った。


「ただ……」


「何か不安がありますか?」


「総務の仕事が心配です」


戦隊ヒロインになる不安より、工場の仕事を残すことの方が気になっていた。


「来月、工場見学が三件あります」


「地域安全大会の動線も、まだ確定していません」


「野球部の遠征バスの運転手さん、新しい方なので西門を間違えるかもしれません」


「防災倉庫の乾電池が、二十本足りません」


「協力会社の担当変更も一覧に反映していません」


上司が止める。


「だから三人で引き継ぎます」


「でも三人とも、佐々木さんの顔を覚えていないと思います」


「名簿に写真を付けてください」


「構内放送のマイク、強く押すと戻らなくなります」


「引き継ぎ書へ書いてください」


「遠征バスの運転手さん、コーヒーは無糖です」


「そこまで必要ですか?」


「朝、機嫌が違います」


上司は真顔になる。


「書いてください」


雪乃は、そのやり取りを見て確信した。


真結は仕事だけを見ているのではない。


仕事に関わる人間を見ている。


誰かが困る前に、必要な準備をする。


ノースフロントへ必要なのは、まさにこの力だった。



真結が総務部へ戻り、出向の話を伝えると、室内が静まり返った。


数秒後。


「ええっ!?」


大きな声が工場中へ響く。


「戦うの?」


「変身するの?」


「テレビに出るの?」


「会社辞めるの?」


真結は慌てて首を振る。


「辞めないよ。数年勉強して戻ってくるから」


同僚たちは安心する。


その直後、全員が現実的な問題に気づく。


「真結さんの仕事、誰がやるの?」


「三人で引き継ぐって」


「三人で足りる?」


真結は少し考えた。


「忙しい時期は、もう一人いた方がいいかも」


遠くの上司が叫ぶ。


「今から増やします!」



出向までの間、真結は膨大な引き継ぎ書を作った。


来客対応。


協力会社担当者の顔写真。


野球部関係者名簿。


防災備品の配置。


イベント時の動線。


弁当業者ごとの特徴。


構内放送設備の癖。


雨天時に水がたまる通路。


来賓が間違えやすい入口。


野球部員が忘れ物を隠しそうな場所。


引き継ぎ担当者が尋ねる。


「最後の項目、必要ですか?」


「必要です。だいたい三塁側ベンチの奥にあります」


「毎回ですか?」


「毎回です」


雪乃から、


「訓練用の運動着を準備してください」


と連絡が届く。


真結は、


「承知しました。ところで来月の見学者名簿ですが――」


と返信する。


雪乃から再び届く。


「総務部の引き継ぎは、会社へ任せてください」


真結。


「でも心配です」


雪乃。


「その責任感を、ノースフロントで発揮してください」


真結は、その一文をしばらく見つめた。



そして出向初日。


真結は石巻から仙台へ向かった。


新しい鞄。


会社から渡された出向辞令。


ノースフロント用の身分証。


石巻の菓子。


緊張しながら、最新設備の並ぶ仙台分室へ入る。


会議室の扉の向こうから声が聞こえた。


玲香。


「うちの案を最初から聞いてれば、こんなに時間かからなかったっちゃ」


柚希。


「玲香の案だけで進めるわけにはいかねえべ」


柚葉。


「面倒だから、二人の案を足して二で割れば?」


乙実。


「あの……足したら、もっと危ない案になると思うさげ……」


紗耶。


「まず落ち着いて話すべ」


瑠璃。


「一度休憩した方がいいんでないかい」


彩芽。


「あたし、仲直り用のくす玉作ったべさ!」


全員が彩芽を見る。


彩芽は、机の上へ小さなくす玉を置く。


「二人で引っぱったら、『なかよし』って垂れ幕が出るんだべさ!」


玲香が言う。


「引っ張らないっちゃ」


柚希も言う。


「うちも遠慮するべ」


彩芽は困った。


「したら、あたしが両方引っぱるべさ!」


一人で二本のひもを引く。


くす玉が割れる。


中から、


『なかよ死』


と書かれた垂れ幕が落ちてきた。


会議室が凍る。


彩芽が文字を見る。


「あれっ。“し”が違ったべさ!」


柚葉が呟く。


「縁起が悪すぎる」


紗耶は両手で顔を覆う。


瑠璃は笑っていいのか迷っている。


玲香と柚希だけが、同時に彩芽を見る。


「何でそうなるっちゃ!」


「確認してから出すべ!」


二人の声が、初めてきれいに重なった。


彩芽は嬉しそうに笑う。


「ほら、なまら息ぴったりだべさ!」


玲香と柚希は、再び別々の方向を向いた。



雪乃が扉を開ける。


「皆さん。新しいメンバーを紹介します」


真結が一歩前へ出る。


七人の視線が集まる。


「北洋製紙石巻工場総務部から出向してきました、菅野真結です」


「戦隊ヒロインは初めてですが、イベント運営、人の顔と名前を覚えること、それから困っている人を見つけることには、少し自信があります」


玲香は真結を観察する。


柚希も静かに様子を見る。


柚葉は単刀直入に尋ねる。


「戦えるの?」


「これから覚えます」


「強い?」


「総務部では、コピー用紙を五箱運べます」


柚葉が少し考える。


「微妙」


彩芽は目を輝かせる。


「えっ、五箱も食べるのかい?」


全員が彩芽を見る。


「運ぶって言いました」


「紙をだべか?」


「はい」


「ヤギじゃないっしょ?」


「人間です」


彩芽は安心したように胸をなで下ろす。


「よかったべさ。新しい仲間がヤギだったら、名札食べられるところだったっしょ」


「そこを心配していたんですか?」


真結は初対面から、彩芽の頓珍漢さへ正面から対応することになった。



真結は、テーブルへ石巻の菓子箱を置く。


「まず少し休憩しませんか?」


玲香が言う。


「まだ会議の途中だっちゃ」


真結は玲香の意見を否定しない。


「会議は続けましょう」


「ただ、お腹がすいたまま反省すると、必要以上に自分が悪いように思えてくることがあります」


柚希が、少しだけ表情を緩める。


紗耶も頷く。


「それはあるかもしれねえな」


真結は菓子を配りながら、自然に席を見る。


玲香と柚希を無理に隣へ座らせない。


二人の間には、彩芽を置く。


玲香側にも柚希側にも見えない位置へ、自分が座る。


尖った提案を続ける柚葉には、


「この箱を開けてもらえますか?」


と役割を与える。


柚葉は手際よく包装を開く。


「こういうのは得意」


「助かります」


発言できずにいた乙実へは、真結から声をかける。


「先ほど、何か言いかけていませんでしたか?」


乙実は驚いた。


小さすぎる声を、初対面の真結だけが拾っていた。


「あの……誰が悪かったかを決めるより、次に出来ることを考えた方がいいと思うさげ……」


真結は頷く。


「とてもいい意見ですね」


玲香と柚希へ目を向ける。


「次は誰が何を出来るか、順番に整理しませんか?」


「玲香さんの東側を重視する案にも理由があります」


玲香が顔を上げる。


「柚希さんの安全を優先した配置にも意味があります」


柚希も真結を見る。


どちらか一方が正しいとは言わない。


どちらか一方を悪者にもしない。


真結は二人の案を、同じ表の中へ書き込んだ。


「次は、二つの考えをどう組み合わせるかを考えましょう」


玲香も柚希も、すぐには答えない。


それでも、同じ表を見ていた。



彩芽が元気よく手を挙げる。


「あたし、次に密漁船見つけたら、逃げたくなくなる雰囲気を作るべさ!」


真結が尋ねる。


「具体的には?」


「船に『おかえりなさい』って旗を出すんだわ!」


柚葉が言う。


「帰ってきたくなるというより、怖いと思う」


彩芽は別案を出す。


「したら、『逃げても無駄だよ』って笑顔で書けばいいっしょ!」


「余計に怖い」


「ウェルカムドリンクも用意するべさ!」


「海の上でどう渡すの?」


彩芽は口を開いたまま、しばらく考える。


「……長いストロー?」


「無理」


彩芽はしょんぼりする。


真結は笑わず、真面目にメモを取った。


「彩芽さんは、相手へ視覚的に伝える方法を考えているんですね」


彩芽の顔が明るくなる。


「そうだべさ!」


「では旗ではなく、遠くからも識別できる追跡用の目印や、味方同士の合図として考えてみましょう」


「おおっ。あたしの旗、生き残ったっしょ!」


雪乃が後ろから見守る。


彩芽の頓珍漢な発想を否定せず、使える部分だけを取り出している。


柚葉の尖った案にも、真結は同じように向き合う。


「港全体の封鎖は難しいですが、出入口を限定した監視強化なら検討できます」


柚葉が少し笑う。


「かなり丸くされた」


「先だけです」


「私の尖り、残ってる?」


「十分残っています」


彩芽が横から、満面の笑みで付け加える。


「大丈夫だべさ。柚葉さん、まだ触ったら刺さりそうだもん!」


「褒めなくていい」


会議室に、小さな笑いが起こった。



真結は、まだ戦闘訓練を受けていない。


任務にも出ていない。


ノースフロントの制服すら、まだ仮のものだった。


それでも、沈んでいた会議室の空気は動き始めていた。


乙実の意見が全員へ届いた。


柚葉の尖った発想が、現実的な案へ変わった。


彩芽の頓珍漢な明るさが、初めて作戦の一部として生かされた。


紗耶と瑠璃も、それぞれの経験から意見を出し始める。


玲香と柚希の冷戦は、まだ終わっていない。


二人が仲直りしたわけでもない。


玲香は柚希を見ない。


柚希も必要以上には話さない。


それでも二人は、真結が作った同じ表へ、自分の考えを書き込んでいた。


一歩だけ。


ほんの一歩だけ、同じ方向へ進み始めている。


雪乃は確信した。


探していたのは、やはりこの人だった。



休憩の合間。


真結の携帯電話が震える。


石巻工場の総務部から届いたメッセージ。


「来客用の名札プリンターが動きません」


真結の表情が変わる。


「すみません。少し石巻へ電話してもいいですか?」


雪乃が言う。


「引き継ぎは終わったはずです」


「でも、名札プリンターが……」


「菅野さん」


「はい」


「今日から、あなたの職場はこちらです」


真結は会議室を見る。


玲香。


柚希。


乙実。


柚葉。


紗耶。


瑠璃。


彩芽。


七人全員が真結を見ている。


彩芽が元気よく手を挙げた。


「まゆさん、こっちもなまら困ってるべさ!」


真結は少し迷う。


彩芽はさらに続ける。


「玲香さんと柚希さんは凍ってるし、柚葉さんは刺さるし、乙実さんは声ちっちゃいし、あたしのくす玉は字ぃ間違ってるっしょ!」


柚葉が言う。


「私を危険物みたいにまとめないで」


彩芽は真顔で答える。


「でも、だいたい合ってるべさ?」


「合ってない」


真結は思わず笑った。


そして携帯電話を伏せる。


「そうですね」


小さく息を吸う。


「では、まずこちらから片づけます」


石巻工場の総務部員、菅野真結。


小柄な二十七歳。


戦闘経験はない。


だが、人を見て、場を整え、全員の力を引き出すことができる。


玲香と柚希の冷戦へ、どちらにも偏らず入る。


柚希を支持するメンバーの気持ちを理解しながら、玲香を孤立させない。


柚葉の尖った大胆さを、使える武器へ変える。


乙実の小さな声を拾う。


紗耶と瑠璃の穏やかさへ、具体的な役割を与える。


そして彩芽の底抜けに明るく、時々底が見えないほど頓珍漢な発想を、チームの力へ変えていく。


困ったときのまゆちゃん。


みんなのまゆちゃん。


北の前線に足りなかった最後の一人が、ようやく仙台へ到着したのである。

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