あかり、元気でなぁ~! ――金野に一人、為栗に一人。373系秘境駅サバイバル号は振り返らない 往路編
早朝の辰野駅には、普段とは明らかに違う熱気が漂っていた。
長野県のほぼ中央、伊那谷の北の玄関口に位置する辰野町は、豊かな自然とホタルの里として知られる町である。
中央本線と飯田線が接続する辰野駅は、今回のように長い伊那谷の旅へ踏み出すには、実にふさわしい出発地点だった。
ホームには、大きな旅行鞄を持った親子連れ。
首からカメラを下げた鉄道ファン。
戦隊ヒロインの応援グッズを抱えた若者。
秘境駅という言葉に引き寄せられた旅行好き。
一般参加者約百五十名が、指定席番号の入った記念乗車証を首から下げ、貸切列車の到着を待っている。
参加する戦隊ヒロイン十二名も、全員がそろっていた。
赤嶺美月。
山田真央。
稲生明日香。
河合美音。
伊吹真白。
山本あかり。
松本美紀。
杉山ひかり。
館山みのり。
大宮麗奈。
水無瀬澪。
大西結月。
藤堂隼人補佐官が名簿を読み上げ、水無瀬澪が人数を確認する。
「十二名。全員います」
「お客様の受付も予定どおりです」
福鉄旅行名古屋支店の添乗員が報告する。
ここまでは完璧だった。
ところが、美月がホームのベンチへ目を向ける。
小さな旅行鞄。
大量のフリップ。
どこで買ったのか分からない駅弁。
そして、タツノオトシゴの男の子。
ヒロ室東海の非公式マスコット、たつをが、当然のようにベンチへ座っていた。
美月は、しばらく無言でたつをを見る。
たつをも美月を見る。
もはや長年連れ添った漫才コンビのように、互いが最初に何を言うか分かっていた。
美月が尋ねる。
「たつを、呼ばれた?」
たつをが一枚目のフリップを掲げる。
『呼ばれていない』
「なんで居るん?」
二枚目。
『秘境駅 行きたい』
「遠足についてくる小学生みたいに言うな!」
たつをは三枚目を出す。
『大人料金 払った』
「そこだけ妙にしっかりしとるな!」
福鉄旅行の添乗員が予約記録を確認する。
「確かに一席、正規料金で購入されています」
「誰が申し込んだん?」
たつをが答える。
『個人情報です』
「急に法令順守すな!」
一般参加者から笑いと拍手が起こった。
辰野駅を出発する前から、美月とたつをの掛け合いは芸術の域へ達していた。
企画者の葛城正男室長代理――まさにゃんだけは、目を輝かせる。
「たつを君も秘境駅の魅力が分かるんやな!」
たつをは、まさにゃんへ向けて新しいフリップを掲げた。
『鉄道は好き』
次の一枚。
『お前の説明は嫌い』
「ワシ個人と鉄道を分けんといてくれや!」
◇
遠くから走行音が近づく。
やがて白を基調とした三両編成の373系電車が、朝の辰野駅へゆっくりと入ってきた。
大きな窓。
落ち着いた車内。
長時間の乗車にも向いた座席。
この日のために貸し切られた、全席指定の特別列車である。
ホームから歓声が上がった。
まさにゃんはカメラを構える。
隼人が、その肩へ手を置く。
「葛城室長代理。企画責任者として、まず乗車誘導をお願いします」
「入線写真は今しか撮られへん」
「業務を優先してください」
「一枚だけや」
「先ほど連写で二十七枚撮っていました」
「数えとったんかい」
真白が荷物の積載位置を確認し、澪が乗車人数を数える。
麗奈は進行表を片手に、一般参加者へ笑顔で声をかける。
「皆様、おはようございます。座席番号をご確認の上、慌てずにご乗車ください」
最後にたつをが乗り込もうとする。
美月が鞄を調べた。
「何持ってきたん?」
中にはフリップが数十枚。
着替えは一枚もない。
「フリップしか入ってへんやん!」
たつをが一枚を抜き出す。
『言葉が武器』
「着替えも持ってこい!」
◇
午前八時。
発車ベルが鳴り、扉が閉まる。
373系秘境駅サバイバル号は、百五十名の参加者と十二名の戦隊ヒロイン、ヒロ室スタッフ、旅行会社の添乗員、昼行灯の室長代理、そして呼ばれていないタツノオトシゴを乗せ、辰野駅を出発した。
麗奈の明るく聞き取りやすい声が車内へ響く。
「皆様、おはようございます。ただいま、戦隊ヒロイン秘境駅サバイバル号は辰野駅を出発いたしました」
車内から拍手が起こる。
「これから一泊二日をかけて、山々に囲まれた伊那谷、天竜川の渓谷、数々の秘境駅を巡ります。まず本日は、終着の豊橋を目指します」
続いて、まさにゃんがマイクを受け取る。
「それでは、当路線の歴史的成立過程につきまして、まず明治期における伊那谷の交通事情及び複数の私鉄会社による段階的な建設経緯を前提として――」
一分後。
鉄道ファンは真剣に聞いていた。
二分後。
一般参加者の半分が車窓を見る。
三分後。
子どもが眠る。
四分後。
美月が弁当の時間を確認する。
五分後。
たつをがフリップを出す。
『次の駅まで続きます』
車内に悲鳴が上がる。
麗奈は素早くマイクを取り戻した。
「葛城室長代理による詳しい解説は、希望者向けの鉄道講座で改めてお楽しみください」
まさにゃんが抗議する。
「まだ明治時代から出てへんで」
たつをが次のフリップを掲げる。
『令和に戻ってこい』
「歴史の説明やから明治から始まるんや!」
◇
列車が伊那谷を南下し始めると、最初の車内企画が始まった。
伊吹真白による、
「戦隊ヒロイン天秤行商」
である。
真白は軽量素材で作られた天秤棒を肩に担ぎ、二つの籠を下げて車内通路へ現れた。
片方の籠には、戦隊ヒロイン限定タオル、アクリルスタンド、缶バッジ、記念ポストカード。
もう片方には、たわし、歯ブラシ、洗濯ばさみ、靴磨き、携帯用雨具。
華やかなヒロイングッズと、生活感あふれる日用品。
同じ列車で売る必然性は、誰にも分からなかった。
美月が籠をのぞく。
「なんでアクリルスタンドの横に、たわし置いてあんねん?」
真白は胸を張る。
「旅先で、たわしが急に必要になる人がおるかもしれんで」
「どんな旅行やねん」
真白は車内へよく通る声を響かせる。
「さあさあ、見てきゃあ、買ってきゃあ! 右の籠には旅の思い出、左の籠には暮らしの味方! 推しの缶バッジも、歯ぁ磨く歯ブラシも、今日ここでそろえてきゃあ!」
「そこのお客さん、迷っとる間に売れてまうよ! アクリルスタンド一個に、たわし二つ付けてもええよ!」
美月が慌てる。
「抱き合わせ販売みたいにすな!」
真白の美濃弁による啖呵売りは、驚くほど客の心をつかんだ。
親子連れには缶バッジ。
鉄道ファンには373系との記念ポストカード。
年配客にはたわし。
歯ブラシを忘れた旅行者には歯ブラシ。
商品は飛ぶように売れる。
福鉄旅行の添乗員が、売上表を見ながら笑顔になる。
たつをも真白の後ろへついて歩き、販促用のフリップを掲げた。
『買わないと美月が来ます』
商品がさらに売れた。
美月が追いかける。
「脅迫で売るな!」
たつをは別のフリップへ交換する。
『売上に貢献』
「方法があかんねん!」
まさにゃんも、自作した冊子を真白へ渡そうとする。
表紙には、
『山岳ローカル線成立史・完全解説 二万四千字』
とある。
真白は冊子の重さを確認した。
「これは天秤が傾くで、売りません」
「一冊くらい置いてくれや!」
たつをがフリップを掲げる。
『無料でもいらない』
結局、真白の商品はほぼ完売。
まさにゃんの冊子は、一冊も売れなかった。
◇
最初の観光停車は伊那市駅だった。
伊那市は、中央アルプスと南アルプスの二つの山脈に抱かれた伊那谷の中心都市。
駅前には、この土地を代表するご当地料理、ローメンの試食会場が用意されていた。
ローメンは、蒸した固めの麺、キャベツ、肉などを組み合わせた伊那独特の料理である。
店によって、スープのあるタイプと、焼きそばに近いタイプがある。
朝から一人前を食べれば、後のソースかつ丼へ響く。
そのため今回は、小さなカップに入れた各店のローメンを、全員で少量ずつ食べ比べる。
ひかりとみのりが、上品に紹介する。
「こちらはスープタイプです。羊肉のうまみが、あっさりしたスープへ溶け込んでいます」
「こちらはソースを加えて食べる焼きそばタイプ。香ばしさと、蒸し麺ならではの歯応えが特徴です」
美月は一杯目を食べる。
「うちはソース味の方が好きやな」
二杯目。
「でもスープもええな」
三杯目。
「店によって全然違うわ」
四杯目へ手を伸ばしたところで、たつをのフリップが目の前へ出た。
『少量ずつ』
「分かっとるわ!」
次の一枚。
『合計 一人前』
「足し算すな!」
真央はスープ風。
明日香はあっさりした味。
美音はにんにくを利かせた一杯。
澪は無言で二種類を食べ比べる。
美月が尋ねる。
「澪ちゃん、スープとソース、どっちが好き?」
「両方」
「一番争いにならん答えやな」
たつをも試食カップを食べ終え、感想を掲げる。
『うまい』
ひかりが苦笑する。
「もう少し具体的な感想はありませんか?」
たつをは考える。
『また食べたい』
まさにゃんの二十分解説より、はるかに分かりやすかった。
◇
続いて停車したのは駒ケ根駅。
駒ヶ根は、中央アルプスと南アルプスを望む山岳観光の玄関口であり、名物のソースかつ丼でも知られている。
千切りキャベツの上へ、甘辛い特製ソースをまとったカツを載せる。
停車中に、
小ぶりのソースかつ丼。
食べやすいソースかつサンド。
二種類が車内へ積み込まれた。
真白が積み込み位置を指示し、美紀がアレルギー表示を確認。
澪と真央が、座席番号ごとに個数を数える。
まさにゃんはソースかつ丼の歴史を説明しようと、マイクへ近づく。
麗奈が先にマイクを持った。
「皆様、お待たせいたしました。これより車内で昼食をお楽しみください」
まさにゃんが手を挙げる。
「ソースかつ丼の成立について補足を――」
麗奈は車内放送を切った。
列車が発車すると、窓の外にアルプスの景色を眺めながらのランチタイムが始まる。
美月がソースかつ丼の蓋を開ける。
「朝からローメン食べたけど、これは別腹やな」
みのりが冷静に言う。
「ご飯とカツは、かなり本腹に近いと思います」
「細かいこと言わんといて」
たつをが美月へフリップを向ける。
『復路 車両重量増加』
「うち一人で列車の重さ変わるか!」
次のフリップ。
『測定予定』
「聞いてへんぞ!」
◇
飯田駅では、往路で最も長い市街地散策の時間が設けられた。
飯田は、りんご並木、水引、人形劇など、多彩な文化で知られる町である。
ヒロインたちは三つの班に分かれ、駅周辺を歩く。
美月、真央、明日香は、りんご菓子を担当。
アップルパイ。
りんご羊羹。
りんごバター。
りんごクッキー。
美月は試食を続ける。
「地域の味をきちんと理解するのも、ヒロインの仕事やからな」
たつをがフリップを出す。
『五個目』
「数えんな!」
別の一枚。
『ローメン四杯 かつ丼一杯』
「試食カップは四杯で一杯扱いちゃう!」
たつをは最後に、
『旅はまだ半分以下』
と掲げた。
美月の表情が少し曇った。
ひかり、みのり、麗奈は、水引工芸を紹介する。
細いひもを結び、美しい形を作る水引。
祝い事だけでなく、装飾品や芸術作品にも使われる。
麗奈が上品な水引の髪飾りを着けると、周囲から拍手が起きた。
麗奈は笑顔でポーズを取る。
「これを着けて秘境駅に残されたら、映画のワンシーンみたいになりそうね」
みのりが答える。
「縁起でもないことを言わないでください」
離れた場所からたつをがフリップを見せる。
『伏線』
「何の?」
麗奈は笑っていた。
この時は、まだ。
美音、真白、美紀は、飯田の人形文化を紹介する。
人形劇が市民の生活へ根づき、多くの人が世代を超えて楽しんできたことを伝える。
たつをが人形と並んで記念撮影をしようとする。
美月が言う。
「違和感ないな」
たつをのフリップ。
『ゆるキャラです』
「人形より性格悪いけどな」
たつをは即座に返す。
『美月よりまし』
「比較対象にすな!」
◇
天竜峡駅へ到着すると、車窓の雰囲気が一変した。
天龍峡は、天竜川が長い年月をかけて削り出した美しい峡谷である。
両岸には奇岩や木々が連なり、ここから先、列車はいよいよ天竜川に沿った山深い区間へ入る。
一行は天龍峡公園を短時間散策した。
川の流れ。
険しい岩肌。
深い緑。
明日香は静かに景色を見つめる。
「山と川の気ぃが、ほんとに強くなってきただに」
美月が周囲を警戒する。
「何か出るとか言わんといてや」
明日香は谷の奥を見る。
「もう、こっちを見とるかもしれん」
「誰が!?」
たつをが背後からフリップを掲げる。
『置き去りになった先輩たち』
「まだ誰も置かれてへん!」
次の一枚。
『空席あります』
「秘境駅の霊をツアーに誘うな!」
麗奈は笑いながら車内へ戻り、マイクを握る。
「皆様、ここから先はいよいよ秘境駅区間へ入ります」
車内が静かになる。
「これから行われるゲームで最下位となった戦隊ヒロインは、本当に列車へ戻ることができません」
参加者から歓声が上がる。
たつをは通路へ立ち、フリップを掲げた。
『さようなら候補』
その下には、美月の似顔絵が描いてあった。
「絵まで用意しとったんか!」
◇
最初の置き去りゲームは、金野駅で行われた。
山に囲まれた小さなホーム。
秘境駅らしい静けさ。
そして「金野」という、いかにも縁起のよさそうな名前。
列車の扉が開き、十二名のヒロインがホームへ降りる。
安全担当スタッフが、立入可能範囲を確認する。
ゲームは、
「金野で一発! 黄金リング投げ」
決められた位置から柔らかな金色の輪を投げ、黄金色の的へ入れる。
一人一投。
成功すれば列車へ戻れる。
失敗すれば再挑戦。
最後まで入らなかった一人が、金野駅へ残される。
たつをは司会補助のような顔でフリップを持つ。
『敗者の席 売却済み』
美月が叫ぶ。
「まだ誰が負けるか決まってへん!」
最初は澪。
無表情で軽く投げ、成功。
真央も成功。
みのりも成功。
美月は格好をつけて後ろ向きに投げようとする。
真帆から無線が入る。
「通常の投げ方で行ってください」
「新橋から見られとる!」
美月は普通に投げ、ぎりぎり成功した。
最後に山本あかりが前へ出る。
「こういうんは、体で答えたらええんですわ!」
真央が注意する。
「力より加減が大事だがね」
あかりは輪を握り、全力で投げた。
金色の輪は的の上を大きく飛び越え、安全担当スタッフの足元まで転がった。
美月が叫ぶ。
「遠投ちゃうねん!」
たつをのフリップ。
『記録 十三メートル』
「記録すな!」
二回目。
あかりは力を抜こうとする。
だが、抜き方が分からない。
輪は的の手前へ落ちる。
三回目。
今度は横へ飛ぶ。
ほかのヒロインは全員成功している。
麗奈が、残念そうに結果を告げる。
「山本あかりさん。金野駅への残留が決定しました」
たつをが素早くフリップを掲げる。
『祝 初代置き去り』
あかりは笑顔で拍手する。
「初代になりましたわ!」
美月が驚く。
「そこ喜ぶところちゃうで!」
列車へ戻るヒロインたち。
あかりだけが、安全担当スタッフとともにホームへ残る。
扉が閉まる。
美月は窓へ張りつき、大きく手を振った。
「あかり、元気でなぁ~!」
あかりも満面の笑みで両手を振る。
「皆さんも、お元気で~!」
たつをは窓へ、最後のメッセージを掲げる。
『家族には連絡済み』
あかりが一瞬、真顔になる。
「なんて連絡したん!?」
列車が動き始める。
あかりは安全区域から一歩も出ず、大きく手を振り続けた。
美月も見えなくなるまで手を振る。
まるで海外移住へ旅立つ家族との別れだった。
列車が完全に見えなくなる。
金野駅へ静寂が戻った。
鳥の声。
風の音。
虫の羽音。
あかりは時計を見る。
次の列車まで、一時間以上。
「さて」
安全担当スタッフが、何をするのか見守る。
あかりは屈伸を始めた。
「時間あるし、スクワット百回しときますわ」
「駅のホームでトレーニングしないでください」
「安全区域から出ません」
「そこではなく、旅行企画としての絵面の話です」
あかりは結局、スクワット、腕立て伏せ、片足立ちを始める。
金野駅で初めて置き去りになった戦隊ヒロインは、秘境の風情より筋肉を選んだ。
◇
あかりを一人減らし、列車はさらに南へ進む。
車内では、たつをが参加者へフリップを見せて回っていた。
『現在 十一名』
次の一枚。
『座席に余裕ができました』
美月が追いかける。
「あかりを荷物みたいに扱うな!」
たつをは、あかりの空席へ座ってくつろぐ。
『広い』
「自分の指定席戻れ!」
そして二度目の置き去りゲームは、為栗駅で行われた。
天竜川と山に囲まれた小さな駅。
駅名は「為栗」と書いて「してぐり」と読む。
難読駅名としても印象的な場所である。
今回のゲームは、
「為栗で言ってくり! 三秒早口チャレンジ」
五秒以内に、
「為栗で栗拾い、してぐりで知ってくり」
と言い切る。
かんだ者は再挑戦。
最後まで成功できなかった一人が置き去りとなる。
真央は一度で成功。
明日香も成功。
ひかりとみのりは、滑舌よく難なく通過。
美月は、
「してぐりで栗ひろ……栗して……」
と危うかったが、三回目で成功した。
たつをは声を出せない。
美月が言う。
「あんたは不戦敗やろ」
たつをはフリップへ全文を一瞬で書き、掲げた。
『為栗で栗拾い、してぐりで知ってくり』
まさにゃんが判定する。
「書けたから成功や」
「身内判定やん!」
最後に残ったのは麗奈だった。
麗奈は笑顔でカメラへ向き直る。
「皆様、大変長らくお待たせいたしました。それでは私、大宮麗奈が、天竜川の美しい風景に囲まれた為栗駅より――」
五秒。
笛が鳴る。
失格。
麗奈が目を丸くする。
「まだ前振りなんですけど?」
二回目。
「為栗駅へお越しの皆様、本日は――」
笛。
三回目。
「それでは早速、挑戦させていただき――」
笛。
美月が腹を抱える。
「麗奈さん、早口言葉に前振りいらんねん!」
麗奈は不満そうに言う。
「MCとして、いきなり本題へ入るわけにはいかないでしょう?」
みのりが冷静に答える。
「これは司会ではなくゲームです」
四回目。
麗奈は前振りを我慢した。
「為栗で栗ひりょい――」
かんだ。
たつをがフリップを掲げる。
『前振りの人』
次の一枚。
『本編に弱い』
麗奈がたつをを見る。
「あなた、後で覚えてなさいよ」
たつをは返す。
『ここに残るので無理です』
麗奈の置き去りが決定した。
美月は列車へ戻りながら、笑いをこらえる。
「麗奈さん、まさかほんまに置いていかれるとはなあ」
麗奈は水引の髪飾りを整える。
「こうなったら、最後まで美しく見送るわ」
列車の扉が閉まる。
美月が窓越しに大きく手を振る。
「麗奈さん、気ぃつけて~!」
麗奈は目元を押さえ、涙を拭う仕草をする。
片手を胸へ当て、映画のヒロインのように列車へ別れを告げた。
たつをは窓へフリップを押しつける。
『感動の最終回』
次の一枚。
『二時間後に再登場』
「余韻を壊さないで!」
列車が発車する。
麗奈は、走り去る列車へ何度も手を振る。
列車がカーブの向こうへ消えた。
麗奈は涙を拭う仕草をやめ、真顔でホームを見る。
「……本当に行っちゃった」
虫が飛ぶ。
耳元で羽音がする。
麗奈が身をよじる。
「ちょっと、何か飛んでる!」
スマートフォンを見る。
電波表示が弱い。
「えっ。一本? 一本しか立ってないの?」
少し離れた位置にいる安全担当スタッフが声をかける。
「駅の外へ出ないでください」
「出ません! でも、もう少し近くにいてください!」
「撮影上、一人に見える距離を保つ決まりです」
「虫の方が私に近いんですけど!」
麗奈はベンチへ座る。
虫が近づく。
立ち上がる。
別の場所へ移動する。
また虫が来る。
華やかなMCで知られる大宮麗奈は、為栗駅で虫との終わりなき座席争いを始めた。
◇
麗奈が不在となったため、車内の総合MCはグレースフォースの二人へ引き継がれた。
杉山ひかりが明るくマイクを持つ。
「皆様、大宮麗奈さんが後続列車で移動中のため、ここからは私、杉山ひかりと――」
館山みのりが続ける。
「館山みのりが、車内進行を担当いたします」
二人の声は明瞭で、説明も簡潔だった。
まさにゃんの二千字あった車窓解説も、みのりの手によって二百五十字に縮められている。
ひかりが読み上げる。
「まもなく、列車は天竜川に沿った美しい区間を走ります。右手には深い渓谷、左手には山々をご覧いただけます」
説明は三十秒で終わった。
一般参加者から拍手が起こる。
まさにゃんが言う。
「ワシの原稿には、この地形が形成された歴史的背景まで――」
みのりが答える。
「景色を見る時間がなくなりますので削りました」
たつをのフリップ。
『有能』
まさにゃんが期待する。
「ワシのことか?」
たつをはフリップの下へ、小さく書き足した。
『グレースフォース』
「分かってたけど確認しただけや!」
たつをはさらに、
『麗奈さん不要説』
と掲げる。
ひかりが困った顔をする。
「それは言いすぎです」
みのりも注意する。
「後で本人へ謝ってください」
たつをは返す。
『電波が届かない』
車内が大笑いに包まれた。
◇
小和田駅では、ゲームを行わず長めの停車時間が設けられた。
飯田線を代表する秘境駅の一つ。
古い駅舎。
静かなホーム。
深い山。
遠くに聞こえる川の音。
参加者たちは安全区域を守りながら周囲を散策し、駅の雰囲気をじっくり味わう。
駅ノートには、ヒロインたちが旅の感想を書いた。
美月。
「金野にあかり、為栗に麗奈さんを置いてきました。二人とも、たぶん生きています」
真央。
「問題文とルールは最後まで確認しましょう」
明日香。
「山のものには会いませんでした」
澪。
「静かでよかった」
たつを。
「現在十名」
その下に、
「定員に余裕あり」
と書く。
美月が怒る。
「駅ノートにツアーの在庫状況みたいなん書くな!」
まさにゃんは、駅の歴史を長文で書き始める。
一ページ。
二ページ。
三ページ目へ入ろうとしたところで、真白が止めた。
「後の人が書けんで、そろそろやめてきゃあ」
「まだ建設経緯の途中や」
たつをが最後の余白へ書き込む。
『続きはウェブで』
「ウェブに載せてへんわ!」
◇
列車は佐久間駅を経て、山深い区間から少しずつ開けた場所へ進んでいく。
佐久間は、天竜川と山々に囲まれた地域。
佐久間ダムや山村文化、民話などでも知られている。
地元に近い美音が車内放送を担当する。
「ここまで来ると、同じ浜松でも、だいぶ山深いら。川と山に沿って暮らしてきた地域の景色を、よう見てってほしいに」
美紀は長時間乗車で疲れている参加者へ声をかける。
飲み物。
酔い止め。
体調確認。
その横で澪が、空席を見ながら呟く。
「二人減ると、少し静か」
美月が振り返る。
「うちが残っとるから、そんな変わらんやろ?」
「それはそう」
「否定してほしかったわ!」
たつをのフリップ。
『美月一人=三人分』
「声量で数えるな!」
豊川駅へ近づくと、明日香が地元紹介を担当する。
豊川駅は、全国から参拝客が訪れる豊川稲荷の玄関口。
列車が山間部を抜け、東三河へ入ったことを実感させる駅である。
明日香が放送する。
「皆さん、ここまで来たら、もう私の庭みたいなもんだに。豊川稲荷さんは商売繁盛でも知られとるで、福鉄旅行さんも、お礼参りした方がええかもしれんね」
福鉄旅行名古屋支店の添乗員は、完売した旅行商品の売上表を見て、すでに御利益を受け切ったような笑顔をしている。
たつをはフリップを掲げる。
『置き去り二名で利益増』
美月が叱る。
「ヒロインを経費削減みたいに扱うな!」
次の一枚。
『夕食 二名分浮く』
「後から来るわ!」
◇
やがて373系は、豊橋駅へ到着した。
豊橋は、東海道新幹線、在来線、私鉄、市内電車が集まる東三河の交通拠点。
長い伊那谷と天竜川の旅を終えた一行を迎える、明るくにぎやかな終着地である。
ひかりが締めの放送を担当する。
「皆様、戦隊ヒロイン秘境駅サバイバル号は、豊橋駅へ到着いたしました」
みのりが続ける。
「お忘れ物のないよう、座席周辺をご確認ください」
美月がマイクを借りる。
「なお、戦隊ヒロイン二名は、後続列車でこちらへ向かっております!」
車内から拍手と笑いが起きる。
現在の到着人数。
ヒロイン十名。
一般参加者約百五十名。
ヒロ室と旅行会社のスタッフ。
そして、タツノオトシゴ一匹。
だったはずである。
一行は豊橋駅近くの名物カレーうどん店へ向かった。
豊橋カレーうどんは、器の底にご飯ととろろ、その上にカレーうどんが重ねられた、食べ進めるほど味わいが変化する名物料理である。
ヒロインたちが席へ着く。
飲み物が配られる。
明日香が食べ方を説明する。
「最初から底まで混ぜちゃいかんに。まずうどんを食べて、その後で下のとろろご飯を楽しむだよ」
美月は、すでに箸を底まで差し込んでいた。
「先に言うてや!」
「今、言っただら」
美月は周囲を見回す。
何か足りない。
「あれ?」
隣の席。
空いている。
フリップもない。
「そういえば、たつをどこ行った?」
澪がカレーうどんを見たまま答える。
「カレーうどんより、きしめん食べるって言ってたよ。知らんけど」
美月を含む全ヒロインが、
「ふーん」
とだけ言った。
誰も探しに行かない。
誰も電話をしない。
まさにゃんすら、カレーうどんを食べ始めた。
呼ばれていないタツノオトシゴが勝手に別行動を取っただけである。
その関心度は、為栗駅の虫より低かった。
◇
食事が始まって少したった頃、店の扉が開いた。
山本あかりが入ってくる。
その後ろから、大宮麗奈。
二人とも無事である。
真央が大げさに立ち上がった。
「あかり! 麗奈さん! どえりゃあ心配しとったがね! 生きとってくれて、ほんっとよかったがや~! もう山ん中で干からびとるかと思ったがね!」
あかりが笑う。
「一時間ちょっと待っただけですわ」
麗奈も苦笑する。
「本当に置き去りにされるとは思わなかったよ~」
美月が箸を置く。
「説明会で、何回も言われたやないですか」
「企画上の言い回しだと思ってたの」
麗奈は席へ座り、運ばれてきたカレーうどんを見つめる。
「まさか本当に扉が閉まって、みんなが笑顔で手を振りながら行っちゃうとは思わないでしょう?」
「麗奈さんも笑顔で手ぇ振っとったやないですか」
「あれはMCとしての意地よ」
あかりも席へ着く。
「金野駅、静かでよかったですわ」
美月が尋ねる。
「一時間以上、何しとったん?」
「スクワット百回と、腕立て伏せ五十回です」
「観光せえよ!」
あかりは真顔で答える。
「ホームの景色を見ながらしました」
「景色を負荷に使うな!」
麗奈はカレーうどんを食べながら、明るく話す。
「でも、本当に秘境駅で置き去りは怖かったんだからね……」
周囲が少し静かになる。
「虫はいるし」
一口食べる。
「スマホの電波も怪しいし」
もう一口。
「次の列車は全然来ないし」
美月が言う。
「安全スタッフさんがおったやないですか」
「少し離れたところにいたのよ。私の視界には、スタッフさんより虫の方が多かったんだから」
麗奈は肩をすくめる。
「もう置き去りは御免だわ」
そう言いながらも、表情は明るい。
今となっては、すでに笑い話になっていた。
ひかりが微笑む。
「麗奈さんがいない間は、私たちが車内MCを担当しました」
みのりも頷く。
「大きな混乱はありませんでした」
麗奈が少し寂しそうに尋ねる。
「私がいなくても、普通に進んだの?」
美月が答える。
「むしろ、まさにゃんの説明が短うなって快適でした」
「それは私がいないことと関係ないでしょう!」
その時、店の窓の外を、小さな影が通った。
たつをだった。
どこかで買ったきしめんの袋を持ち、店内を一度だけ見る。
そして窓ガラスへフリップを押し当てた。
『二名 無事回収』
次の一枚。
『明日は三名』
美月が立ち上がる。
「勝手に人数増やすな!」
たつをは走り去る。
最後のフリップだけが、窓の外から一瞬見えた。
『美月予約済み』
「待て、たつを!」
美月が店を飛び出そうとする。
真央が肩をつかむ。
「カレーうどん伸びるがね」
美月は悔しそうに席へ戻った。
店内には笑い声が広がる。
金野駅にあかり。
為栗駅に麗奈。
二人を本当に置き去りにして、373系は豊橋へ到着した。
それでも二人は後続列車で無事に合流し、全員そろって温かいカレーうどんを囲んでいる。
一日目を終え、ヒロインたちはようやく理解した。
この企画の「置き去り」は、宣伝文句ではない。
ゲームに負ければ、本当に扉は閉まる。
本当に列車は発車する。
どれだけ手を振っても、戻っては来ない。
そして翌朝。
豊橋から辰野へ戻る復路では、新たな秘境駅と新たなゲームが待っている。
美月はカレーうどんをすすりながら、窓の外をにらむ。
「明日は絶対、うちは負けへんからな」
どこか遠くから、たつをのフリップが見えた気がした。
『その発言 保存しました』




