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ヒロインズ・リンク 〜戦隊ヒロインプロジェクト〜  作者: スパイク


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ぽかぽかトリオ旭川公演 ――ペンギンより速い炎の補佐官!? 雪国ステージと塩ラーメンで、北の笑顔を守れ

全国各地の幼稚園、保育施設、自治体、商業施設から、出演依頼が絶えない未就学児向けユニットがある。


その名は――


「ぽかぽかトリオ」


派手な爆発はない。


怖い怪人も出てこない。


子どもが驚くような大きな音も、激しい戦闘演出もない。


体操ができない子を置いていかない。


歌えない子を急かさない。


途中で泣いてしまったら、泣きやむまで待つ。


最後まで参加できなくても、帰り際に少し笑ってくれれば、それで公演は大成功。


そんな温かな姿勢が全国の教育関係者や保護者から高く評価され、ぽかぽかトリオの公演予定表は、何か月も先まで埋まっていた。


リーダーは、白浜麻衣。


小柄で童顔。


三人の中では最年少だが、幼稚園教諭を本気で目指しており、子どもの発達、安全管理、応急手当、保護者対応について熱心に学んでいる。


紀州の舞姫と呼ばれるほど運動能力が高く、舞台上では明るく元気な体操のおねえさん。


しかし、その裏では西日本特別諜報班――NSTの一員として危険な任務にも参加する、実戦経験豊富な戦隊ヒロインでもあった。


工作のおねえさんは、宮沢萌音。


優しく穏やかで、細長い風船から動物、乗り物、建物まで何でも作るバルーンアートの名手。


ただし、子どもから、


「もっといっぱい!」


と頼まれると断れない。


三個の予定が十五個になる。


五羽の予定が二十羽になる。


作り始める前に、完成品が控室の扉を通るか確認しない。


優秀だが、ときどき規模感覚を失う。


うたのおねえさんは、藤原詩織。


北欧系の血を引くクォーターで、長身の美女。


父は世界的指揮者として知られるマエストロ藤原。


抜群の歌唱力を持ち、舞台中央へ立てば、子どもから大人まで一瞬で引き込む。


ただし歌以外は、ほぼ全部だめだった。


道に迷う。


切符をなくす。


手に持っている携帯電話を探す。


説明を最後まで聞かずに動き出す。


そして本人にも自覚がある。


詩織は日頃から、明るく言い切っていた。


「私、歌以外は全部だめだから!」


決して胸を張る内容ではない。


その三人へ、ついに北の大地から公演依頼が届いた。


目的地は北海道旭川市。


札幌市に次ぐ道内第二の都市。


道北の交通、経済、医療、文化を支える堂々たる中核都市でありながら、郊外へ出れば雄大な山々と雪原が広がる。


大都市の便利さと北海道らしい自然が、近い距離で共存している。


全国的に知られる動物園。


寒い土地だからこそ、ひときわ体へ染みる旭川ラーメン。


旭川は、雪と動物と食と都市の魅力を一度に楽しめる、北北海道を代表する格好いい街だった。


今回のイベント名は、


「ぽかぽかトリオの北国どうぶつ雪まつり」


雪道を安全に歩く方法。


北国の動物たち。


寒い冬の温かな家。


家族で過ごす雪国の楽しさ。


それらを歌、体操、バルーンアートで未就学児へ伝える。


ぽかぽかトリオにとって、初めての北海道公演だった。



ヒロ室の会議室。


麻衣は時刻表と航空便の一覧を机へ並べていた。


「関西の空港を朝一番に出て、旭川へ着いて、すぐ会場へ移動したら、その日のうちに公演できます」


今回、三人の引率を担当する隼人補佐官は、資料から静かに顔を上げた。


「白浜さん」


「はい」


「北海道を、近畿地方の隣県のように考えないでください」


「飛行機なら早いです」


「冬の北海道では天候による遅延も考えられます。公演当日に移動する日程は認められません」


「でも、宿泊費がかかります」


「必要経費です。皆さんの体調管理も、私の仕事です」


隼人は終始、丁寧な口調だった。


麻衣は、もう一度時刻表を見る。


どうにか日帰りできる経路を探している顔だった。


隼人が時刻表を裏返した。


「前泊です」


「まだ何も言うてません」


「顔に書いてあります」


そこへ詩織が手を挙げた。


「私は一人で飛行機に乗っていい?」


隼人は詩織を見る。


「搭乗口をご自分で見つけられますか?」


「飛行機が見える方へ行けばいいんだよね?」


「一人での搭乗は禁止です」


判断は三秒だった。


「まだ空港にも着いてないよ?」


「到着する前に結論が出ました」


こうして、麻衣は関西の国際空港から単独で旭川へ。


萌音は東京で詩織と合流し、隼人補佐官とともに羽田から旭川へ向かうことになった。



出発当日。


羽田空港を歩く詩織は、誰よりも頼もしく見えた。


背が高い。


姿勢がよい。


落ち着いた服装。


その少し後ろを萌音と隼人が歩いているため、事情を知らない人には、詩織が二人を引率しているように見える。


実際には、詩織の搭乗券は隼人が持っていた。


帽子は萌音が預かっていた。


携帯電話には首から下げるストラップが付けられていた。


財布が鞄の内ポケットに入っていることも、隼人が三回確認していた。


詩織本人が担当するのは、


「萌音と隼人から離れずに歩く」


という一点だけだった。


ところが、詩織は出発ロビーへ入って五分後、到着口へ向かって歩き始めた。


隼人が丁寧に呼び止める。


「詩織さん。そちらではありません」


「でも、“旭川からのお客様”って書いてあるよ?」


「旭川から到着した方を迎える場所です」


「私たちは?」


「旭川へ出発する側です」


萌音が詩織の両肩を持ち、体を反対へ向ける。


「詩織ちゃん、こっちだよ」


「空港って難しいね。行く人と帰ってきた人が同じ建物にいるから」


「案内表示を最後まで読めば大丈夫だよ」


保安検査場の前で、詩織は突然、鞄の中を探し始めた。


「搭乗券がない」


「私が保管しています」


隼人が答える。


詩織は安心した。


「じゃあ、なくしてないね」


「最初から渡していません」


「隼人さん、賢い!」


「褒められている気がしません」


飛行機へ乗る。


詩織は窓側席。


萌音が中央。


隼人が通路側。


詩織を窓際へ封じ込める、合理的な座席配置だった。


機体が滑走路を進み、空へ浮かぶ。


詩織が窓へ顔を寄せた。


「飛んだ!」


萌音が笑う。


「飛行機だからね」


「雲が下にある!」


隼人が答える。


「上空ですからね」


「飛行機は、空に線路がないのに迷わないんだね」


「正確な航法装置がありますから」


隼人は一拍置いた。


「詩織さんにも、萌音さんと私という人的航法支援が付いています」


「私、飛行機より豪華だね!」


「維持管理に手間がかかっています」


飛行中、詩織は窓の外を見たまま飲み物を取ろうとし、何もない空間へ手を伸ばした。


萌音が紙コップを手元へ置く。


「こっちだよ」


「ありがとう」


北海道が見えてくる。


白い大地。


雪に覆われた畑。


遠くに見える山々。


詩織は窓へ顔を近づけた。


「北海道、白い!」


「冬ですからね」


「町も白い!」


「雪が積もっていますから」


「滑走路も白い?」


「滑走路は除雪されています」


隼人補佐官による、簡潔な北海道講座が続いた。



旭川空港では、関西から先に到着した麻衣が三人を待っていた。


詩織は麻衣を見つけると、大きく手を振る。


「麻衣ちゃーん! 北海道、白いよ!」


麻衣は一秒だけ黙った。


「冬の北海道なので、白いと思います」


隼人と同じ返事だった。


萌音が笑う。


「隼人さんも同じことを言ってたよ」


麻衣はすぐに詩織の全身と荷物を確認する。


「忘れ物はありませんか?」


詩織は胸を張った。


「今回は完璧!」


隼人が手袋を差し出す。


「機内の座席へ置いたままでした」


詩織は手袋を受け取る。


「隼人さんが持ってきてくれたから、完璧だよ」


「忘れ物を回収した結果です。過程も評価してください」


「最終的には全部あるよ?」


「その理屈では、一生改善しません」


旭川へ到着しても、最年長は保護対象だった。



イベントは翌日。


一行は、旭川郊外の丘にある、動物本来の行動を間近に感じられることで全国的な人気を誇る市立動物園へ向かった。


動物を単に檻の向こうへ置くのではない。


泳ぐ。


潜る。


登る。


走る。


食べる。


それぞれの動物が本来持っている能力や習性を、生き生きと見せる展示で知られている。


冬の大きな楽しみは、雪の上を歩くペンギンたちの散歩だった。


観覧場所へ到着すると、キングペンギンの一団が姿を現す。


黒と白の体。


小さな足。


体を左右へ揺らしながら、雪道をゆっくり進んでいく。


詩織は一瞬で目を輝かせた。


「かわいい!」


麻衣も萌音も笑顔になる。


詩織は柵の向こうを指さした。


「私も後ろへ並びたい!」


麻衣が止める。


「観覧する人は散歩の列へ入りません」


「黒と白の服を着たら、仲間だと思ってもらえない?」


「身長が違いすぎます」


「少しかがめば?」


「少しでは足りません」


萌音はペンギンの足元を熱心に観察する。


「歩幅が小さいね。体を左右へ揺らして、雪の上でもバランスを取ってるのかな」


麻衣も頷く。


「明日の体操へ使えそうやね」


二人が公演のアイデアを考える横で、隼人も腕を組み、妙に真剣な表情でペンギンを見ていた。


「重心が低いですね」


麻衣が振り返る。


「補佐官も体操を考えてるんですか?」


「小刻みなステップで足元の変化へ対応し、次の方向転換へ備えています。大学時代の競技にも通じる動きです」


麻衣はペンギンと隼人を見比べた。


「ペンギンを見てアメリカンフットボールを思い出す人、初めて見ました」


「優れた動きには、競技を超えた共通点があります」


隼人だけは、ペンギンの散歩を試合映像のように見ていた。


続いてホッキョクグマ。


雪の中を力強く歩く姿に、三人は歓声を上げる。


透明な水中トンネルでは、アザラシが頭上を泳いでいく。


「来た!」


詩織が叫ぶ。


アザラシが再び通る。


「また来た!」


三回目。


「またまた来た!」


麻衣が言う。


「同じアザラシかもしれません」


「何回来てもかわいいからいいの!」


隼人は記念写真を撮る役に回った。


しかし後で確認すると、詩織がアザラシを追って左右へ動きすぎたため、写真の半分には長身の残像しか写っていなかった。


一枚は、萌音と麻衣が笑顔で並んでいる横に、詩織の腕だけが写っていた。


「心霊写真みたいになってる」


萌音が言う。


隼人は丁寧に答えた。


「被写体の協力が得られませんでした」


公演前日の緊張を忘れ、四人は北国の動物たちにすっかり癒やされた。



夜。


四人は旭川市内にある、塩ラーメンで全国的に知られる名店の本店へ向かった。


旭川ラーメンといえば醤油味が王道。


だが、その店は白く優しい塩味のスープで人気を集め、旭川から全国、さらには海外まで名を広めていた。


運ばれてきた丼から、温かな湯気が立ち上る。


詩織はスープを一口飲んだ。


目を見開く。


「おいしい!」


麺を食べる。


「すごくおいしい!」


チャーシューを食べる。


「これもおいしい!」


隼人が穏やかに言う。


「詩織さん。感想がすべて同じです」


「全部おいしいんだから、正しいよ」


萌音もスープを味わう。


「優しいけど、ちゃんと深い味がするね」


麻衣は、冷えた体へ染み込むようなスープを飲む。


「明日の公演も元気に動けそうです」


萌音が笑う。


「塩ラーメンパワーだね」


詩織は空になりかけた丼を見つめる。


「もう一杯食べていい?」


麻衣が即答した。


「明日の衣装がきつくなります」


「一日でそんなに変わる?」


隼人が丁寧に説明する。


「可能性は高くありません。ただし、公演前日に検証する必要もありません」


詩織は残念そうに丼へ手を振った。


「また会おうね」


ラーメンへ再会を約束する必要はなかった。


食事の最後に、四人は水の入ったコップを軽く掲げる。


「明日の公演も、子どもたちが笑顔で帰れるように」


麻衣が言う。


萌音と詩織も頷く。


隼人も穏やかに微笑んだ。


「安全第一で、楽しい公演にしましょう」


小さな決起集会は、塩ラーメンの湯気とともに温かく終わった。


ホテルへ戻ったぽかぽかトリオの三人は、翌日の準備を早々に済ませる。


麻衣は会場の避難経路と救護室の位置を再確認。


萌音はバルーン作品の設計図を確認。


詩織はテレビのリモコンを探し始めた。


ベッドの下。


枕の横。


鞄の中。


五分後。


萌音が詩織の右手を指さす。


「持ってるよ」


詩織は自分の手を見る。


「本当だ!」


午後十時前には、三人ともそれぞれの部屋へ入り、就寝した。


品行方正な三人である。


隼人も、


「明日の公演に備え、私も早めに休みます」


と告げていた。


三人の部屋の明かりが消える。


ホテルの廊下が静かになる。


すると隼人は、自室でコートを着た。


鏡の前で身だしなみを確認する。


「せっかく旭川へ来たのですから、地域経済の夜間状況も確認しておく必要がありますね」


必要があるかどうかを審議する者は、誰もいなかった。


隼人補佐官は、旭川中心部の大きな繁華街へ静かに消えていった。


翌朝。


朝食会場へ現れた隼人は、いつもどおりだった。


髪型は整っている。


スーツにも乱れはない。


口調も丁寧。


詩織が尋ねる。


「隼人さん、よく眠れた?」


「はい。おかげさまで問題ありません」


ただし、わずかに高級な香水の匂いがした。


麻衣が首をかしげる。


「補佐官、香水変えました?」


隼人は一瞬だけ止まった。


「ホテル内の空調、または周辺のお客様から移った可能性が考えられます」


急に説明が長くなった。


だが、公演前だったため、麻衣は深く追及しなかった。


炎上の火種は、すでにコートのポケットへ入っていた。



会場は旭川駅に近い大型複合施設。


外は白い雪。


暖かな館内には、大勢の未就学児と保護者が集まっていた。


舞台には、雪の結晶。


白い山。


動物の足跡。


北国の森をイメージした装飾。


麻衣が元気よく登場する。


「みんな、こんにちは!」


「こんにちはー!」


「今日は、北海道で二番目に大きな町、旭川へ来ました!」


子どもたちから歓声が上がる。


「旭川には、大きな駅も、お店も、病院もあって、北北海道のみんなを支える頼もしい町です!」


「でも少し町を出たら、お山や雪や動物にも会えます。そして――」


詩織が横から言った。


「ラーメンがおいしい!」


麻衣が振り返る。


「今から言おうとしてました」


「塩ラーメン、本当においしかったよ!」


「昨日食べた人の感想です」


「観光情報として大事だよ?」


萌音が笑う。


「詩織ちゃんは、昨日からずっとラーメンの話をしてるね」


最初の演目は、


「ぺたぺたペンギン体操」。


両腕を体の横へつける。


体を左右へゆっくり揺らす。


雪道では、小さな歩幅。


滑りそうになったら、慌てて走らず、その場で止まる。


保護者と手をつなぐ。


転んだ人を見つけても、子どもだけで助け起こそうとせず、近くの大人へ知らせる。


麻衣は小柄な体を大きく動かしながら、子どもたちへ呼びかける。


「雪の上では、急いで走らんと、ペンギンさんみたいに小さく歩こうね!」


子どもたちは楽しそうに、ぺたぺたと足を動かす。


詩織も楽しんでいた。


楽しみすぎていた。


麻衣が二歩進むところを、詩織は六歩進んだ。


そのまま舞台の端へ向かう。


麻衣が笛を鳴らした。


「詩織おねえさん、群れから離れています」


詩織は振り返る。


「昨日のペンギンさんも自由に歩いてたよ?」


「詩織おねえさんは出演者です。戻ってください」


「ペンギン役なのに?」


「役でも舞台から降りたらあきません」


続いて萌音の、


「バルーン北国動物園」。


細長い風船が、次々と北国の動物へ変わっていく。


キングペンギン。


ホッキョクグマ。


アザラシ。


レッサーパンダ。


シマフクロウ。


雪の結晶。


客席の子どもが声を上げた。


「ペンギン、もっといっぱい!」


萌音は笑顔で答える。


「じゃあ、少し増やそうか」


予定は五羽だった。


五羽が十羽になる。


十羽が十五羽になる。


最後には二十羽になった。


麻衣が舞台袖をのぞく。


「萌音おねえさん」


「何?」


「昨日見たペンギンのお散歩より増えてませんか?」


「ぽかぽかペンギン大家族です」


「舞台袖が通れません」


その奥から、詩織の声が聞こえた。


「麻衣ちゃーん!」


「どうしました?」


「ペンギンに囲まれて出られない!」


麻衣は静かに答えた。


「昨日は仲間に入りたいと言ってたでしょう」


「見るのと囲まれるのは違うよ!」


スタッフがペンギンを左右へ移動し、詩織の通路を確保する。


最後は詩織の歌、


『白い街から、こんにちは』。


雪の上へ残る動物の足跡。


寒い外から帰った時の、温かな家。


家族や友達と一緒に過ごす冬。


詩織が歌い始めた瞬間、先ほどまでペンギンに包囲されていた人物とは思えないほど、会場の空気が変わった。


長身。


端正な顔立ち。


柔らかな微笑み。


透明感のある歌声。


子どもたちは静かに耳を傾ける。


詩織は一人一人の表情を見ながら、優しく歌いかける。


最後は会場全員で、


「こんにちは、旭川!」


声が一つになる。


大きな拍手。


笑顔。


温かな空気。


旭川公演も、大盛況のうちに終了した。



公演後。


ぽかぽかトリオは会場の出口付近に立ち、帰っていく子どもたちへ手を振っていた。


ペンギンの歩き方をまねしながら帰る子。


バルーンアザラシを抱えた子。


詩織の歌を口ずさむ親子。


穏やかな時間だった。


一人の若い母親が、幼い子どもの手を引いて歩いている。


その横を、大柄な男が通り過ぎた。


次の瞬間。


男は母親の肩にかかっていたバッグを強引につかみ、奪い取った。


母親の体が引っ張られる。


転倒しかける。


それでも母親は、幼い子どもの手だけは離さなかった。


子どもが驚いて泣き出す。


男はバッグを抱え、出口へ向かって走り始める。


萌音がすぐに母親の体を支えた。


「大丈夫ですか? 痛いところはありませんか?」


詩織は子どもの前へしゃがむ。


「大丈夫。お母さんはここにいるよ」


優しく声をかけ、泣き声を落ち着かせる。


一方、麻衣と隼人は、ほぼ同時に走り出していた。


「隼人補佐官!」


「麻衣さん。母子のことは萌音さんと詩織さんへ任せましょう。私たちは犯人を追います」


声は丁寧だった。


しかし、その目から普段の柔らかさが消えていた。


炎のランニングバックが、目を覚ました。



隼人補佐官は大学時代、アメリカンフットボール部のランニングバックだった。


鋭い加速。


広い視野。


一瞬で走路を選ぶ判断力。


大型の守備選手を前にしても怯まない、勇猛果敢なプレースタイル。


燃えるように相手陣へ突っ込む姿から、


「炎のランニングバック」


と呼ばれていた。


大柄な窃盗犯は、長い歩幅で人混みを抜ける。


だが、隼人はさらに速かった。


親子連れの間を抜ける。


前方の子どもを避け、柱の横を最短距離で通過。


犯人の肩と足の向きから、次に曲がる方向を読む。


現役を退いて年月は過ぎている。


それでも、走路を見つける目は失われていなかった。


麻衣もその後ろを追う。


小柄な体。


低い重心。


NSTの任務で磨かれた追跡能力。


人混みのわずかな隙間を、風のように抜けていく。


犯人は施設の外へ飛び出した。


雪の残る広場。


足元が滑りやすい。


犯人の速度がわずかに落ちる。


隼人は歩幅を小さくした。


前日にペンギンの散歩を見ながら分析していた、小刻みなステップ。


雪面を確実に捉え、重心を低く保つ。


まさかペンギンから得たヒントが、翌日に実戦で役立つとは誰も思っていなかった。


隼人は大きく声を張る。


「そのバッグを返してください!」


口調は丁寧。


内容は明確。


もちろん犯人は止まらない。


隼人はさらに速度を上げた。


「では、実力で止まっていただきます!」


最後の数メートルを一気に詰める。


犯人が振り返る。


その瞬間、隼人は腰を落とした。


大学時代、何度も鍛え上げた正確なタックル。


相手の腰より低い位置へ肩を入れる。


下半身を前へ運び、逃げる力を地面へ流す。


大柄な男の体が浮く。


次の瞬間、雪の上へ倒れ込んだ。


バッグが犯人の手から離れる。


隼人は転がったバッグを、自分の腕で守った。


しかし犯人は、すぐに起き上がろうとする。


隼人の腕を振り払い、拳を振り上げた。


そこへ麻衣が飛び込む。


大柄な男と、小柄な麻衣。


体格差は圧倒的だった。


それでも麻衣の表情に、恐怖はなかった。


「子どもの前で、こんなことしたらあかん!」


犯人が腕を振り下ろす。


麻衣は一歩踏み込み、体を沈めてかわす。


相手の手首を取る。


勢いを正面から受けるのではなく、斜めへ流す。


肘の向きを制し、重心を崩す。


NSTの任務で身につけた、体格差を力ではなく技術で埋める制圧術だった。


犯人の膝が雪へつく。


隼人がすぐに立ち上がり、反対側の腕を押さえる。


麻衣と隼人が同時に重心をかける。


大柄な犯人は、完全に身動きを封じられた。


隼人が低い声で告げる。


「抵抗をやめてください。これ以上の行動は、ご自身の状況を悪化させます」


麻衣も腕を緩めない。


「もう逃げられません」


施設警備員が駆けつける。


続いて北海道警察の警察官も到着する。


犯人はその場で身柄を引き渡された。


奪われたバッグも無事だった。


雪の上に立つ麻衣と隼人。


小柄な舞姫と、炎のランニングバック。


二人の姿は勇ましく、まさに戦隊ヒロインプロジェクトの名にふさわしいものだった。


ただし事件が解決した直後、隼人は雪の上へ片膝をついた。


麻衣が心配そうに見る。


「補佐官、大丈夫ですか?」


隼人は荒い呼吸を整えながら答える。


「はい。問題ありません」


「かなり息が上がってますけど」


「気持ちは大学時代へ戻りましたが、心肺機能は現在の年齢のままでした」


「丁寧に言うても、しんどいことは変わりませんよ」


「そのとおりです」


炎は復活したが、燃料の減りは早かった。



犯人を警察へ引き渡した二人は、回収したバッグを持って母子のもとへ戻った。


母親はバッグを受け取ると、何度も頭を下げる。


「本当にありがとうございます。財布も、家の鍵も、子どもの物も、全部入っていたんです」


麻衣は涼しい顔で答えた。


「私たちは戦隊ヒロインですから」


そして、母親と幼い子どもを見て、優しく笑う。


「それより、バッグが無事やったことと、お二人にけががなかったことが何よりです」


萌音も母親の腕を確認する。


「引っ張られたところが、後から痛くなるかもしれません。少し休んで、必要なら診てもらってくださいね」


詩織は泣きやんだ子どもへ、小さなペンギンのバルーンを差し出す。


「この子が一緒なら、帰り道も寂しくないよ」


子どもはペンギンを抱きしめた。


隼人も母親へ静かに語りかける。


「バッグより先に、お子さんの手を離さなかったことが何より重要です。お二人ともご無事で、本当によかったです」


子どもが隼人を見上げる。


「おじちゃん、速かった」


隼人の表情が、わずかに曇った。


「できましたら、お兄さんと呼んでいただけるとうれしいのですが」


麻衣が小声で言う。


「大学時代に炎のランニングバックやった人なので、ちょっと難しいと思います」


「麻衣さん。年数の計算は不要です」


子どもは少し考えた。


「速いおじちゃん」


改善されなかった。



事件は、地元のテレビ局や新聞社によって大きく報じられた。


ニュース番組では、勇ましい見出しが並ぶ。


「炎のランニングバック、北の大地で復活!」


「戦隊ヒロインと補佐官、雪上の大捕物」


「小柄な体操のおねえさん、大柄な窃盗犯へ果敢に立ち向かう」


「親子イベント直後、奪われたバッグを即座に奪還」


防犯カメラ映像には、隼人が驚異的な速度で犯人との距離を縮める姿が映っていた。


雪上での鮮やかなタックル。


続いて、麻衣が大柄な男の腕を取り、隼人と連携して制圧する場面。


地元のスポーツ記者は、隼人の走りを詳細に分析した。


「最初の十メートルの加速は、現役選手を思わせるものでした」


「人混みを避ける走路選択にも、ランニングバック経験者らしい判断が見られます」


別の番組では、麻衣の格闘技術が注目された。


「身長差、体重差をものともせず、相手の勢いを利用して体勢を崩しました」


「普段は子どもたちと体操するおねえさんですが、戦隊ヒロインとしての実力は本物です」


麻衣はニュース映像を見て、少し恥ずかしそうに言う。


「映像で見ると、思ったより派手ですね」


萌音が答える。


「すごく格好よかったよ」


詩織も頷く。


「麻衣ちゃん、小さいのに大きく見えた!」


麻衣の眉が少し動く。


「褒めてるんですよね?」


「もちろん!」


一方、隼人は自分が雪の上で息を切らしている場面まで何度も放送され、複雑な顔をしていた。


「タックルまでで映像を切っていただきたかったですね」


詩織が言う。


「でも、息を切らしてるところが人間らしくて人気みたいだよ」


「望んでいた評価とは少し異なります」


後日。


北海道警察から、戦隊ヒロインプロジェクト推進室へ正式な感謝とお礼の連絡が入った。


迅速な追跡。


周囲の安全へ配慮した行動。


犯人を必要以上に傷つけず制圧した点。


被害者母子への丁寧な対応。


そのすべてが高く評価された。


ヒロ室の会議室。


遥室長は報告書と、北海道警察から届いた感謝状を眺めていた。


普段以上に上機嫌だった。


「麻衣さんは、やっぱりすごいのら。NSTで身につけた追跡と制圧の技術を、一般の人を守るために正しく使ってるだよ」


真帆が頷く。


「隼人補佐官も、見事でした。炎のランニングバックという異名は本当だったんですね」


遥は少し誇らしそうに胸を張る。


「隼人くんは、普段は軽く見えるところがあるけど、いざという時には頼りになるのら」


机の上には、隼人が犯人へタックルする瞬間を大きく掲載した地元紙が置かれている。


「今回ばかりは、本当に見直しただよ」


隼人は遥にとって、単なる補佐官ではない。


二人が恋人なのかどうか、本人たちは明言していない。


ただし二人は、港区にある同じ自宅で生活している。


朝も一緒。


夜も一緒。


洗濯物も同じ洗濯機へ入る。


一般的には、それを同棲と呼ぶ。


遥は北海道警察からの感謝状を眺めながら、恋人らしき隼人の勇ましい活躍を心から喜んでいた。


この時点では。



数日後。


港区の自宅。


遥は洗濯機を回すため、隼人のコートのポケットを確認していた。


ティッシュ。


小銭。


航空券の半券。


そして、硬い紙。


遥が取り出す。


名刺だった。


旭川の繁華街にある店の名前。


女性の名前。


そして裏側には、丸みのある手書き文字で、


「炎のランニングバックさんへ。また旭川に来たら寄ってください♡」


と書かれていた。


遥は、しばらく名刺を見つめた。


表を見る。


裏を見る。


もう一度、表を見る。


そしてリビングへ向かった。


隼人はソファへ座り、北海道警察から届いた感謝状の写しを読んでいた。


遥が目の前へ立つ。


「隼人くん」


隼人は顔を上げる。


「はい。どうされましたか?」


遥は名刺を、テーブルの上へ置いた。


「これ、なんなのら?」


隼人の動きが止まった。


旭川で大柄な窃盗犯を前にしても、一瞬で走路を判断した男である。


複雑な行政課題を問われても、淀みなく説明する男である。


その隼人が、目の前の一枚の名刺を見たまま、完全に停止した。


「こちらにつきましては……」


口を開く。


だが、いつもの歯切れのよさがない。


「旭川市内における地域経済の実態を把握する目的で、現地の夜間消費動向について調査を行った際に――」


遥の目が細くなる。


「どうしてハートが書いてあるのら?」


「当該記号につきましては、先方の任意の判断によって付されたものであり、私から記載を要請した事実はございません」


「どうして“また来てください”なのら?」


「その点につきましては、今後の北海道出張の可能性を踏まえた一般的な顧客対応の一環であると認識しております」


「なんで“炎のランニングバックさん”って呼ばれてるのら?」


「大学時代の経歴について、会話の中で触れる機会があった可能性は否定できません」


「ずいぶん詳しく自己紹介したのら」


「会話の流れにおける情報提供でありまして――」


いつも歯切れのよい隼人が、急に官僚答弁のようになっていた。


遥はもう一度コートのポケットへ手を入れる。


今度は細長い紙が出てきた。


レシートだった。


遥は時刻を見る。


「午前一時四十七分って書いてあるのら」


隼人は一度、天井を見た。


まるで答えが天井に書かれているかのようだった。


「時間の表記につきましては、店舗側の会計処理上の事情や、実際の退店時間との間に一定の差異が存在する可能性も――」


「午後十時には寝るって言ってたのら」


「その時点におきましては、早めに休む意思を有しておりました」


「意思だけだったのら?」


「結果として、当初の予定とは異なる行動を取るに至った点につきましては、事実として認識しております」


遥は腕を組んだ。


「隼人くん」


「はい」


「旭川の夜の街へ遊びに行ったのら?」


「“遊び”という言葉の定義にもよりますが――」


「行ったのら?」


「地域経済の――」


「行ったのら?」


「……はい」


ようやく答えた。


遥は笑顔になった。


だが、目は笑っていなかった。


「正座なのら」


「……承知しました」


隼人はソファから降り、カーペットの上へ正座した。


旭川の雪上で大柄な窃盗犯へ果敢にタックルした炎のランニングバックが、港区の自宅リビングで静かに正座している。


遥は名刺とレシートを両手に持ち、その前へ立った。


「道警から感謝状をもらうような仕事をした前の日に、旭川の夜の街で羽を伸ばしてたのら?」


隼人は丁寧に答える。


「正確には、感謝状をいただくことになる事件が発生する前夜です」


「そこだけ正確に答えなくていいのら!」


「申し訳ありません」


「ホテルを出たのは何時なのら?」


「正確な時刻については、記憶の精査が――」


遥は別のレシートを出した。


「ホテル前のタクシー、午後十時十八分なのら」


「記録が残っているのであれば、そちらが正確だと思われます」


「お店を出たのは?」


「午前一時四十七分前後と推定されます」


「三時間半も地域経済を調査してたのら?」


「複数の観点から慎重に――」


「何を慎重に調査したのら?」


隼人は答えられない。


額へ汗が浮かぶ。


雪上で犯人を追った時よりも、明らかに呼吸が浅い。


遥は名刺を指さす。


「この人、誰なのら?」


「店舗に勤務されていた方です」


「名前を覚えてるのら?」


「名刺に記載されております」


「じゃあ名刺を見ないで名前を言ってみるのら」


隼人は黙った。


遥の目がさらに細くなる。


「覚えてるのら」


「職務上、人物の氏名を記憶する習慣がありまして――」


「今回の職務は何なのら?」


「地域経済の夜間調査です」


「まだ言うのら!」


遥はクッションを持ち上げた。


隼人は反射的に身構える。


大学時代のランニングバックとして、飛んでくる物を避ける構えだった。


遥が言う。


「避けたら余計に怒るのら」


隼人は姿勢を戻した。


「承知しました」


クッションが顔へ飛んだ。


炎のランニングバックは、真正面から受け止めた。



翌日。


ヒロ室。


真帆が遥の顔を見る。


「室長。昨夜は眠れましたか?」


遥は不機嫌そうに答える。


「事情聴取が長引いたのら」


「隼人補佐官は?」


「自宅で反省文を書いてるだよ」


「何枚ですか?」


「旭川の夜の街へ行った理由が、官僚答弁にならず説明できるまでなのら」


一方、自宅では隼人が机へ向かっていた。


反省文の題名は、


『旭川出張時における私的行動と今後の再発防止策について』


第一稿は、遥によって突き返された。


理由。


「文章が役所の報告書みたいで、反省してる気持ちが分からないのら」


第二稿も突き返された。


理由。


「“誤解を招いた”じゃなくて、実際に遊びに行ったのら」


第三稿では、ようやく冒頭に、


「旭川の夜の街へ遊びに行きました。遥さんに内緒にして申し訳ありません」


と書いた。


遥はそれを読み、少しだけ頷いた。


「最初からそう言えばよかったのら」


「おっしゃるとおりです」


「今度の北海道出張は?」


「公務終了後、速やかにホテルへ戻ります」


「夜間経済の調査は?」


「実施いたしません」


「名刺は?」


「受け取りません」


「ハートは?」


「付される状況を作りません」


ようやく事情聴取が終わった。


旭川でひったくり犯を追い詰めた時よりも、はるかに長い戦いだった。



旭川公演は、大成功だった。


北国の動物たちに癒やされた前日。


温かな塩ラーメン。


子どもたちが笑顔で踊った、ぺたぺたペンギン体操。


萌音が作りすぎた二十羽のバルーンペンギン。


詩織の優しい歌声。


そして公演後に発生した事件では、萌音と詩織が被害者母子へ寄り添い、麻衣と隼人が奪われたバッグを取り戻した。


隼人補佐官は、炎のランニングバックとして北の大地を駆け抜けた。


麻衣は小柄な体で大柄な犯人へ立ち向かい、NSTで培った技術を使って見事に制圧した。


その姿は地元メディアから勇ましく報じられ、北海道警察からも正式な感謝とお礼が届いた。


遥室長の鼻は高かった。


恋人らしき隼人補佐官を、心から見直した。


少なくとも、洗濯物のポケットから名刺が出てくるまでは。


隼人は犯人には迷わずタックルできた。


麻衣とともに大柄な男を取り押さえることもできた。


しかし、


「隼人くん、これなんなのら?」


という遥室長の一言だけは、どうしても正面から受け止められなかった。


北の笑顔は守った。


母子のバッグも守った。


ヒロ室の名誉も守った。


ただ一つ。


隼人補佐官の港区における家庭内平和だけは、誰にも守ることができなかったのである。

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