ぽかぽかトリオつくば公演 ――宇宙より遠い詩織の現在地!? みかん体操とバルーン惑星で、科学の街の未来を守れ
午前五時。
空はまだ青くなりきっていなかったが、和歌山県内にある白浜家のみかん畑では、すでに一日の仕事が始まっていた。
枝いっぱいに実ったみかんの間を、小柄な少女が軽やかに動き回っている。
防寒用の上着。
作業用の手袋。
腰には収穫ばさみ。
木の下から顔を出した童顔だけを見れば、中学生が家業を手伝っているようにしか見えない。
しかし彼女は、未就学児向けユニット「ぽかぽかトリオ」のリーダーであり、紀州の舞姫と呼ばれる体操のおねえさん、白浜麻衣だった。
「麻衣、もう上がらんと間に合わんぞ」
父親が収穫かごを運びながら声をかける。
今日の麻衣は、このあと茨城県つくば市へ向かわなければならない。
私鉄で関西の国際空港へ移動。
飛行機で首都圏へ。
そこから在来線を乗り継ぎ、さらに将来の延伸計画もある高速都市鉄道でつくばへ入る。
普通なら前日に移動する日程である。
だが、収穫期の実家を少しでも手伝いたいと、麻衣は早朝から畑に立っていた。
「あと一箱だけやるよ。飛行機も電車も、ちゃんと調べてあるさかい」
麻衣はそう言いながら、みかんを一つずつ確認していく。
色。
形。
傷。
果皮の張り。
収穫ばさみで丁寧に切り、箱へそっと並べる。
母親が作業小屋から顔を出した。
「麻衣の“あと一箱”は、だいたい三箱になるんやけどねえ」
「今日はほんまに一箱だけ」
十五分後。
麻衣の前には、きれいに詰められた箱が三つ並んでいた。
父親が腕を組む。
「三箱あるぞ」
麻衣は少し考えた。
「一箱分を三回やっただけやよ」
「それを三箱って言うんや」
母親は笑いながら、小さな段ボール箱を麻衣へ渡した。
中には、今朝採ったばかりのみかんが並んでいる。
「萌音ちゃんと詩織ちゃん、それからスタッフさんにも食べてもろうて」
「ありがとう。みんな喜ぶと思う」
麻衣は大きなキャリーケースを引き、さらにみかん箱を抱えて家を出た。
公演衣装。
救護用品。
進行資料。
滑り止めテープ。
裁縫道具。
予備の名札。
そのうえ朝採れみかん。
小柄な体に対し、明らかに荷物が多い。
父親が心配する。
「ほんまに一人で持てるんか?」
「大丈夫。帰ってきたら、明日の朝も畑へ出るからね」
「明日も手伝うんか?」
「みかんは待ってくれへんもん」
麻衣は当たり前のように答え、まだ薄暗い道を駅へ向かって歩き始めた。
◇
一方、東京では宮沢萌音、藤原詩織、高島里奈の三人が、つくばへ向かう列車のホームに立っていた。
正確に言えば、萌音と里奈が詩織をつくばへ連れていこうとしていた。
藤原詩織は、北欧系の血を引くクォーターである。
長身。
端正な顔立ち。
上品な服装。
父親は世界的な指揮者として知られるマエストロ藤原。
三人の中では最年長で、駅を歩く姿だけなら、萌音と里奈を引率しているように見える。
しかし実態は逆だった。
詩織の乗車券は里奈が持っている。
帽子は萌音が預かっている。
財布の位置も里奈が確認済み。
携帯電話には、萌音が首から下げられるストラップをつけていた。
なくさなかったのではない。
なくせないようにされていた。
詩織はホームの案内板を見上げる。
「この電車、本当に未来へ行くの?」
里奈は時刻表を確認したまま答えた。
「つくばへ行きます」
「でも、つくばって未来の町なんでしょ?」
「研究学園都市です」
萌音が優しく説明する。
「宇宙やロボット、植物、医療、いろいろな研究をしている町だよ」
詩織の目が輝いた。
「じゃあ、迷子にならない機械もある?」
里奈が即答する。
「詩織さん専用の装置はありません」
「研究してもらえばいいのに」
「研究予算を詩織さん一人へ投入するわけにはいきません」
列車が到着する。
三人が乗り込むと、詩織はすぐに窓側の席へ座った。
高速都市鉄道が滑らかに走り始める。
詩織は窓へ顔を近づけた。
「速いね!」
萌音が笑う。
「速いね」
「飛行機より地面が近い!」
「電車だからね」
「このまま宇宙まで延びないの?」
里奈が答える。
「線路がありません」
「つくばで作ればいいのに」
「まずは現在検討されている茨城県内への延伸を待ってください」
「宇宙より近い?」
「かなり近いです」
詩織は安心したのか、座席へ深く座った。
「終点なら寝ても大丈夫だよね?」
萌音が注意する。
「終点でも、起きなかったら困るよ」
「車庫へ行ってみたい」
「見学ではありません」
里奈は詩織の前へ指を一本立てた。
「本日の目標は、つくば駅で列車から降りることです」
詩織は胸を張った。
「それくらいできるよ!」
里奈は答えなかった。
萌音も答えなかった。
二人とも過去の実績を知っていた。
◇
麻衣は関西の国際空港から飛行機へ乗った。
搭乗口では、係員が麻衣と大きな荷物を見比べた。
「一人で大丈夫ですか。保護者の方は?」
麻衣は慣れた様子で搭乗券を見せた。
「成人です。今日は未就学児向けイベントのリーダーです」
係員は搭乗券の生年月日を確認する。
もう一度、麻衣の顔を見る。
「失礼しました」
「よう言われるんで、大丈夫です」
飛行機へ乗っても、麻衣は眠らなかった。
つくばの会場図を開き、展示スペース、救護室、親子待ち合わせ場所を確認する。
隣に座った幼い女の子が、麻衣の手元へ顔を近づけた。
「おねえちゃん、いい匂い」
「みかんの匂いやと思う。朝、採ってきたから」
「おねえちゃん、みかん屋さん?」
「みかん農家の娘で、今日は体操のおねえさんやよ」
女の子は麻衣を上から下まで見る。
「小学生?」
麻衣は静かに窓の外を向いた。
本日二度目の年齢問題だった。
◇
つくば駅前。
先に到着した萌音、詩織、里奈が、麻衣を待っていた。
麻衣がキャリーケースとみかん箱を抱えて現れると、詩織が大きく手を振った。
「麻衣ちゃーん!」
「お疲れさまです」
「この電車、すごく速かったよ!」
「詩織おねえさん、何も忘れてませんか?」
詩織は自信満々に答える。
「今日は完璧!」
里奈が携帯電話を取り出した。
「座席へ置いたまま降りようとしました」
「でも里奈さんが持ってる」
「忘れた物を回収したのです」
「最終的にここにあるから大丈夫」
「大丈夫という言葉の定義が違います」
萌音は麻衣が抱えている箱を見る。
「麻衣ちゃん、その箱は?」
「今朝、うちの畑で採ったみかんです」
詩織が反応した。
「食べたい!」
「控室へ行ってからです」
「一個だけ」
「控室です」
「麻衣ちゃん、里奈さんに似てきた」
「詩織おねえさんのお世話をしてたら、こうなります」
朝からみかんを三箱収穫し、空港へ移動し、飛行機と鉄道を乗り継いできた最年少が、到着直後から最年長を管理していた。
◇
イベント会場は、研究施設や交流施設が集まるつくば市中心部の大型ホールだった。
周囲には緑が多く、少し離れれば筑波山の姿も見える。
宇宙。
ロボット。
農業。
植物。
環境。
人の体。
さまざまな研究成果を親子で楽しめる科学イベントが開催されていた。
ぽかぽかトリオは、その特別ステージへ招かれている。
控室へ入ると、麻衣はテーブルへみかん箱を置いた。
ふたを開ける。
爽やかな香りが部屋いっぱいに広がった。
萌音が一つ手に取る。
「本当に今朝採ったの?」
「うん。これを採って、箱へ詰めてから来たんよ」
里奈は形のそろったみかんを眺める。
「一つずつ確認しているのですか?」
「傷や傷みがないか見ます。箱の中で押されんよう、並べ方も考えます」
萌音は感心した。
「農業にも観察力が必要なんだね」
「毎日の天気も、土も、木の様子も見ます。研究と似てるところがあると思う」
その横で、詩織はみかんの皮をむこうとしていた。
爪を立てる。
滑る。
反対側から押す。
みかんが手の中で回る。
「むけない」
麻衣が隣へ座った。
「貸してください」
小柄な麻衣が、長身の詩織のためにみかんの皮をむく。
里奈はその光景を見ながら言った。
「今日も最年少が最年長の世話をしています」
詩織はむいてもらった一房を口へ入れた。
目を大きく見開く。
「甘い!」
もう一房。
「おいしい! すごくおいしい!」
詩織は無邪気に喜び、両手でみかんを持ち上げた。
「麻衣ちゃんのおうち、毎日これが食べ放題なの?」
「売り物やから、食べ放題にしたらあかんのです」
「こんなにあるのに?」
「全部売るために作ってるんです」
萌音も食べる。
「甘いけど、ちゃんと酸味もあるね。元気が出る」
里奈も一房を口へ入れ、静かに頷いた。
「公演前の補給としては適しています。ただし食べすぎないでください」
すでに三個目へ手を伸ばしていた詩織が止まる。
「まだ二個だよ」
「二個食べています」
「小さいから三個目も入ると思う」
「詩織さんは小さくありません」
麻衣がみかんを掲げる。
「みかんパワーで、今日も頑張りましょう」
詩織が立ち上がる。
「みかんパワー、満タン!」
萌音も笑顔で手を重ねた。
「バルーン惑星も、いいものが作れそう」
麻衣が警戒する。
「増やしすぎんといてください」
里奈も手を重ねる。
「予定どおり、落ち着いて進行してください」
四人が声を合わせる。
「ぽかぽかトリオ、出発!」
詩織だけが、
「みかん!」
と叫んだため、一度やり直しになった。
◇
開演。
麻衣が元気よく舞台へ登場する。
「みんな、こんにちは!」
「こんにちはー!」
「今日は、未来と自然が仲よく暮らしてる、すごい町へ来ました!」
麻衣は子どもたちへ、つくば市を分かりやすく紹介する。
「つくばにはな、お空の上を調べる人、ロボットを作る人、お薬を研究する人、植物や食べ物を調べる人が、ようけおるんです!」
舞台背後には、ロケットや人工衛星の模型。
小型ロボット。
植物を育てる装置。
さまざまな科学展示が並んでいる。
「でも、つくばは研究所だけの町やないんよ。お山も畑も田んぼもあって、自然と未来が一緒にある町なんです!」
詩織もロケット模型を見上げた。
「大きいねー!」
麻衣が小声で注意する。
「詩織おねえさんは出演者です」
「今だけ見学者」
「もうイベント始まってます」
最初の演目は、
「くるくるみかん科学体操」。
子どもたちは、柔らかなオレンジ色のボールをみかんに見立てて体を動かす。
木の枝へ手を伸ばす。
実を傷つけないよう、両手でそっと持つ。
太陽へ向かって背伸びする。
箱へ優しく並べる。
麻衣は体操をしながら説明する。
「おいしいみかんを作るには、お日さま、水、土、気温を毎日よう見ます。“どうしたらもっと甘くなるんやろ”って考える農家も、研究員みたいなもんなんやよ」
和歌山のみかん畑と、つくばの研究都市が、子どもの「どうして?」でつながる。
最後は、ボールを落とした時の安全練習。
「転がっても、走って追いかけません。その場で止まって、近くの大人へ知らせます」
説明の直後、詩織がボールを落とした。
オレンジ色のボールが舞台の端へ転がる。
詩織は反射的に追いかけた。
麻衣が笛を鳴らす。
「詩織おねえさんが、最初の悪い見本です」
子どもたちが大笑いする。
詩織は元の場所へ戻りながら言った。
「研究に失敗はつきものだよ」
舞台袖の里奈が答える。
「今のは研究ではなく、説明を聞かなかっただけです」
みかんパワーを注入したぽかぽかトリオは、最初から絶好調だった。
◇
続いて、詩織が歌う。
曲名は、
『もしもし宇宙、聞こえますか』。
舞台中央へ立った瞬間、詩織の雰囲気が変わる。
先ほどまでボールを追いかけていた人物とは思えない。
長身。
端正な顔立ち。
柔らかな微笑み。
「おほしさーん!」
詩織が歌う。
「聞こえるよー!」
子どもたちが答える。
詩織は子どもの声へ耳を傾け、返事が小さな場所には優しく呼びかける。
大きすぎない声。
無理のない音域。
一人一人を宇宙船の仲間へ迎え入れるような歌だった。
歌い終わると、客席から大きな拍手が起こる。
詩織は深く一礼した。
そして、入ってきた方向とは反対側へ歩き出した。
里奈が舞台袖から呼ぶ。
「詩織さん。こちらです」
詩織は振り返る。
「歌い終わったら、現在地が分からなくなった」
麻衣が言った。
「歌う前から分かってません」
◇
次は萌音の、
「風船でつくる、ぽかぽか宇宙」。
細長い風船が、萌音の指先で次々と形を変える。
ロケット。
地球。
月。
土星。
人工衛星。
小型ロボット。
子どもたちは目を輝かせる。
萌音はただ作品を作るだけではなかった。
「研究って、難しい言葉を知ってる人だけがするものじゃないんだよ」
風船をひねりながら、優しい声で話す。
「“どうして丸いんだろう”“こうしたらどうなるんだろう”って思うことが、研究の始まりです」
説明を聞いていた地元研究員が感心した。
「子どもへの説明がとても分かりやすいですね。教育を専門にされているのですか?」
萌音は少し照れながら答えた。
「都内にある、セントポールの名で親しまれている大学で学んでいます」
有名私立大学の名を直接口にはしない。
だが、聞いた者にはすぐ分かる表現だった。
詩織が横から誇らしげに言う。
「萌音ちゃん、風船だけじゃなくて、すごく頭もいいんだよ!」
そして自分を指さした。
「私は歌だけ!」
麻衣が止める。
「比べなくていいです」
子どもから声が上がる。
「惑星、もっと作って!」
萌音は断れない。
八個の予定だった惑星が十二個になる。
十二個が十六個。
最終的に二十個になった。
麻衣が数える。
「太陽系より多ないですか?」
萌音は少し考える。
「まだ見つかっていない惑星ということで」
「勝手に発見せんといてください」
◇
公演前半が終わり、休憩時間へ入る。
会場では、子どもたちを展示コーナーへ案内する小型ロボットの実証運用が行われていた。
丸い体。
画面へ映る大きな目。
優しい声。
未就学児が怖がらないよう設計された案内ロボットである。
「ロケットはこちらです」
「植物の研究はこちらです」
子どもたちは楽しそうにロボットの後ろを歩いていく。
ところが突然、複数のロボットが違う方向へ動き始めた。
宇宙展示へ案内するはずの一台が、機材搬入口へ向かう。
親子待ち合わせ所へ案内する一台が、関係者専用通路を示す。
床面の誘導ライトも、誤った方向へ点灯する。
速度は遅い。
衝突回避機能も働いている。
だが、子どもがついていけば保護者とはぐれる危険があった。
運営本部が、ロボットを緊急停止させる。
遥室長から通信が入った。
「外部から偽の位置情報が送られています」
里奈はすぐに現場図を開いた。
「子どもたちを展示中央の広場へ集めます。通路を確保してください」
遥が続ける。
「子どもたちを怖がらせないでください。故障や妨害という言葉は使わず、楽しい特別企画へ置き換えてください」
麻衣が答える。
「了解しました」
詩織は里奈を見る。
「私は歌う?」
「はい。私の指示で、子どもの人数を確認してください」
「歌だけなら任せて」
萌音は停止したロボットと管理画面を見比べていた。
普段の穏やかな笑顔は残っている。
だが、その目はすでに異常の規則性を探し始めていた。
◇
麻衣は子どもたちへ元気に呼びかける。
「みんな! ロケット発射前の特別体操を始めるよ!」
ロボットが止まったのは故障ではない。
宇宙旅行の準備時間。
そういうことにする。
「まず、宇宙服のヘルメットをかぶります!」
両手で頭を囲む。
「次はシートベルト!」
胸の前で両腕を交差する。
「おうちの人と手をつないで、宇宙船を連結!」
子どもたちは笑いながら、保護者や近くのスタッフと手をつなぐ。
「発射の合図まで、その場で待とうね!」
緊急停止ではない。
宇宙飛行士ごっこの続きだった。
一方、萌音は研究員からロボットの行動記録を見せてもらっていた。
時刻。
位置。
受信した命令。
目的地。
萌音は画面を指で追う。
「ロボット本体は壊れていません」
研究員が驚く。
「なぜ分かるんですか?」
「障害物は避けています。停止命令にも従っています。間違えているのは、目的地だけです」
画面を切り替える。
「それに、十二秒ごとに同じ形式の命令が追加されています」
「十二秒?」
「偶然の誤作動なら、ここまで規則的にはなりません。本来の情報を消しているのではなく、正しい経路の上へ偽物の目的地を重ねています」
研究員たちの表情が変わる。
萌音は次々と指示を出す。
「ロボットを中央システムから一時的に切り離してください。外部から新しい目的地を受け取れない独立モードへ」
「復旧するまでは、会場案内をアナログへ切り替えます」
萌音は、自分が作りすぎたバルーン惑星を指さした。
地球。
月。
ロケット。
土星。
オレンジ色の未知の惑星。
「地球を親子待ち合わせ場所にします。月は救護室。ロケットはホール入口。土星はスタッフ受付です」
研究員が頷く。
「文字が読めない子にも分かりますね」
萌音は落ち着いて答える。
「最先端の機械が止まった時ほど、誰にでも分かる方法が必要です」
風船をひねる工作のおねえさん。
その正体は、セントポールの名で知られる大学に通う才女である。
情報を整理する。
共通点を見つける。
原因を推測する。
代替案を同時に用意する。
萌音の頭は、会場のどのコンピューターより速く回っていた。
通信を聞いていた詩織が感動する。
「萌音ちゃん、すごく難しいこと言ってる!」
麻衣が注意する。
「詩織おねえさんは歌に集中してください」
「はーい!」
◇
里奈の指示で、詩織が惑星ごとの子どもを歌で確認する。
「地球のおともだちー!」
「はーい!」
「お月さまのおともだちー!」
「はーい!」
「土星のおともだちー!」
返ってきた声が、予定より一人分少ない。
詩織はすぐに気づいた。
「里奈さん。土星の声が一人足りない」
里奈は麻衣へ指示する。
「展示パネル周辺を確認してください」
麻衣が向かうと、ロボットについていきかけた幼い男の子が、パネルの陰で立ち止まっていた。
麻衣は目線の高さまでしゃがむ。
「大丈夫やよ。みんな、土星で待ってるからね」
男の子と手をつなぎ、広場へ戻る。
詩織は嬉しそうに言った。
「私も科学捜査できた?」
里奈が答える。
「音を利用した人数確認です」
「難しい言い方にすると、すごく賢そう!」
麻衣が笑う。
「詩織おねえさんは、歌ってる時はほんまに頼りになります」
「歌ってない時は?」
「今は聞かん方がええです」
◇
萌音は、さらにロボットの記録を調べていた。
正式に登録された案内装置の識別番号一覧。
受信記録。
ロボットが進路を変更した場所。
一つだけ、一覧に存在しない番号があった。
「この送信機だけ、正式な機材ではありません」
そして、誤作動したロボットの経路を地図へ重ねる。
全てのロボットが、人工衛星模型の近くを通過した直後に目的地を変えている。
萌音は迷わず結論を出した。
「偽の信号を送っている装置は、人工衛星展示の近くです」
警備班が捜索を開始する。
模型の台座裏。
配線に紛れるよう、小型の送信装置が取り付けられていた。
外部から侵入した工作員が、案内ロボットの実証試験を失敗させ、研究施設の信用を落とそうとしていたのである。
装置は停止。
工作員も確保される。
ロボットのシステムは正常へ戻った。
だが、子どもたちには何も知らせない。
停止していたロボットは、
「宇宙旅行のため、充電のお昼寝をしていた」
ことになる。
そして萌音が作った惑星を巡る、
「特別ぽかぽか宇宙スタンプラリー」
が始まったことになる。
子どもたちは楽しそうに話す。
「地球へ行った!」
「ロケットを見つけた!」
「ロボットがお昼寝してた!」
事件。
妨害。
侵入者。
そうした怖い記憶は一つも残らない。
遥室長から通信が入る。
「任務完了です」
そして萌音へ告げた。
「高度な技術を理解するだけでなく、子どもにも分かる仕組みへ置き換えました。今回の最大の功績です」
萌音は少し照れた。
「工作も研究も、“どうしたら分かりやすいかな”って考えるところは、同じなのかもしれません」
詩織が両手を上げる。
「萌音博士!」
麻衣が訂正する。
「まだ大学生です」
「じゃあ、萌音大学生!」
「急に普通になったね」
萌音が笑った。
◇
公演のフィナーレは、
『どうして?から未来がはじまる』。
どうして空は青いのか。
どうして星は光るのか。
どうして種から芽が出るのか。
どうしてみかんは甘くなるのか。
詩織が歌う。
萌音がバルーンロケットを飛ばす。
麻衣が元気いっぱいに体操を教える。
朝採れみかんの力が残っているのか、三人は最後まで疲れを見せなかった。
麻衣が子どもたちへ呼びかける。
「“どうしてやろ?”って思ったら、みんなも今日から小さな研究員やよ!」
子どもたちが手を上げる。
「研究員になる!」
詩織も手を上げた。
「私も!」
里奈が舞台袖から尋ねる。
「何を研究するのですか?」
詩織は真剣に考えた。
「会場から迷わず出る方法」
麻衣が頷く。
「長期研究になりそうです」
会場は笑いと拍手に包まれた。
◇
終演後。
地元の研究者が萌音へ声をかけた。
「科学の内容を子どもの言葉へ変える力がありますね。科学コミュニケーションの分野にも向いていると思います」
萌音は、バルーンロケットを抱えて帰る子どもたちを見つめた。
「難しいことを簡単にするというより、最初の入口を楽しくする仕事なら、もっと勉強してみたいです」
その横では、麻衣がすでに帰り支度を始めていた。
帰りの列車。
空港までの経路。
飛行機の搭乗時刻。
和歌山へ戻ってからの私鉄。
全てを確認する。
詩織が驚いた。
「麻衣ちゃん、今日もう帰るの?」
「帰ります」
「泊まらないの?」
「明日の朝も、みかん畑を手伝うから」
萌音が目を丸くする。
「今朝みかんを採って、飛行機と電車でつくばへ来て、公演をして、任務をして、今からまた和歌山へ戻るの?」
「うん」
里奈も珍しく心配そうな顔をする。
「明日くらい、休んでもよいのではありませんか?」
麻衣はキャリーケースを閉じながら答えた。
「収穫の時期は忙しいんです。みかんは、うちが公演やからって待ってくれへんもん」
詩織は感心した。
「麻衣ちゃん、宇宙飛行士より忙しいね」
「宇宙飛行士さんの方が忙しいと思います」
「でも宇宙飛行士は、明日の朝にみかん採らないよ」
麻衣は少し考えた。
「そこだけ比べたら、うちの方が忙しいかもしれません」
四人は、朝採れみかんが入っていた空箱を囲んで記念写真を撮った。
詩織が箱へ大きな文字を書く。
「みかんパワーで大成功!」
ただし、「か」の字が左右逆だった。
麻衣は箱を見つめる。
「詩織おねえさん」
「何?」
「この字、反対です」
「宇宙では上下も左右もないよ」
里奈が答える。
「ここは地球です」
◇
麻衣は再び飛行機と鉄道を乗り継ぎ、夜遅く和歌山へ戻った。
家へ着くと、家族はすでに翌日の準備を終えていた。
母親が玄関へ出てくる。
「お帰り。つくばはどうやった?」
「大成功やったよ。みかんも、みんな喜んでくれた」
「明日は少し遅うてもええんやで」
麻衣は首を横へ振る。
「いつもどおり起きるよ」
翌朝。
午前五時。
白浜家のみかん畑には、再び麻衣の姿があった。
父親が驚く。
「ほんまに起きてきたんか」
「言うたやろ。みかんは待ってくれへんって」
麻衣は収穫ばさみを手に取り、朝露の残る木の下へ入る。
父親が尋ねる。
「科学の町はどうやった?」
麻衣は色づいたみかんを一つ持ち上げた。
「すごい町やったよ。宇宙もロボットも研究してた。でもな、毎日よう見て考えるんは、みかん作りも同じやと思う」
「ほう」
「うちのみかんも、気分だけは宇宙まで行ったんやよ」
「実際にはつくばまでやろ」
「気分は宇宙やよ」
朝日に照らされた畑へ、麻衣の笑い声が響いた。
つくばの科学。
和歌山のみかん畑。
詩織の歌声。
麻衣の体操。
そして、穏やかな工作のおねえさんが見せた、驚くほど速い頭の回転。
今回、研究都市の未来と子どもたちの笑顔を守った最大の功労者は、宮沢萌音だった。
セントポールの名で親しまれる大学で学ぶ知性。
風船を作り続けて培った観察力。
難しい技術を、誰にでも分かる色と形へ変える優しさ。
その全てを使い、萌音は最先端の研究都市で、最も温かな答えを導き出したのである。
『ぽかぽかトリオつくば公演』――みかんパワーで大成功。




