ぽかぽかトリオ敦賀公演 ――しゅっぱつ進行! うたと体操と風船で、港町の笑顔を守れ
戦隊ヒロインプロジェクトには、多くの派生ユニットがある。
本格的な格闘技を見せる武闘派ユニット。
地方の名物や観光地を紹介する地域振興ユニット。
防災、安全教育、スポーツ振興、国際交流。
それぞれが異なる役割を担い、日本各地で活動している。
その中で、遥室長が最も大切にしているユニットがあった。
未就学児向けユニット――
**「ぽかぽかトリオ」**である。
派手な必殺技は使わない。
怪人を殴り飛ばすこともない。
大音量の爆発演出もなければ、子どもを驚かせるような暗転も極力避ける。
それでも、ぽかぽかトリオの公演依頼は全国から絶えなかった。
幼稚園。
保育園。
認定こども園。
自治体の子育てイベント。
教育関係者の大会。
親子向けの地域フェスティバル。
三人の公演は、未就学児だけでなく、保護者、保育関係者、自治体担当者、イベントプロモーターからも高く評価されている。
最大の理由は、三人が子どもを決して置いていかないことだった。
体操がうまくできない子を笑わない。
歌えない子を急かさない。
舞台を怖がっている子には、無理に参加させない。
泣いている子には、泣きやむまで待つ。
公演の成功よりも、子どもが笑顔で帰ることを優先する。
それが、ぽかぽかトリオの基本方針だった。
三人のリーダーは、白浜麻衣。
体操のおねえさんを担当する、紀州の舞姫である。
三人の中で最年少。
身長も最も低い。
童顔で、私服姿では中学生に間違えられることさえあった。
駅でイベント会社の担当者を待っていた際、
「引率の先生はどこかな?」
と尋ねられた経験も一度や二度ではない。
しかし、麻衣は幼稚園教諭になることを本気で目指していた。
子どもの発達。
応急手当。
安全な遊具の使い方。
声かけの方法。
保護者への対応。
公演のない日にも勉強を続けているため、三人の中では誰よりもしっかりしている。
二人目は、宮沢萌音。
工作のおねえさんで、バルーンアートを得意としている。
穏やかで優しく、手先が器用。
麻衣ほど厳密ではないが、詩織ほど危なっかしくもない。
三人の中間に位置する、調整役である。
ただし、子どもから、
「もっと大きくして!」
「もっと長くして!」
と頼まれると断れない。
そのため、バルーン作品が予定の三倍ほどの大きさになることが頻繁にあった。
三人目は、藤原詩織。
うたのおねえさんである。
北欧系の血を引くクォーター。
すらりとした長身。
端正で華やかな顔立ち。
ステージ衣装を着て立っているだけなら、三人の中で最も大人びて見える。
しかも最年長。
父は世界的な指揮者として知られる藤原聡、通称マエストロ藤原。
本人も高い音楽的才能を受け継ぎ、歌唱力だけならプロジェクト内でも屈指だった。
ところが、歌以外は驚くほど何もできない。
方向感覚がない。
荷物を置いた場所を忘れる。
時間を見間違える。
何もない場所でつまずく。
説明を最後まで聞かず、途中で行動を始める。
自分でも、そのことは十分に理解していた。
詩織は日頃から堂々と言っている。
「私、歌以外は全部だめだから!」
決して自慢することではない。
だが、あまりにも明るく言い切るため、周囲も強く否定できない。
外見は最も大人びた美女。
中身は完全な妹キャラ。
その詩織を、最年少で最小柄な麻衣が世話するという逆転関係も、ぽかぽかトリオの人気の一つだった。
今回、三人が向かうのは福井県敦賀市。
日本海に面した敦賀は、古くから港と鉄道によって栄えてきた交流の町である。
海の玄関口として多くの船を迎え、鉄道によって各地と結ばれてきた。
赤レンガの建物。
港の風景。
鉄道の歴史。
白い砂浜と松林。
遠くから来た人々を温かく迎え入れた、人道の港としての記憶。
新幹線の開業によって、さらに多くの人が訪れるようになった敦賀は、古い歴史と新しい交通が共存する、魅力あふれる港町だった。
ぽかぽかトリオが行うのは、親子参加型公演、
「ぽかぽかトリオの うみとでんしゃのニコニコ大冒険」。
歌、体操、バルーンアートを通して、港と鉄道の町・敦賀の魅力を伝える。
◇
公演前日。
白浜麻衣は和歌山から、一人で敦賀へ向かっていた。
私鉄で大阪方面へ移動し、そこから在来線特急へ乗り継ぐ。
麻衣は前日の夜までに、切符、座席、乗換駅、ホーム番号、連絡先、予備経路をすべて確認していた。
キャリーケースの中も、きれいに整理されている。
公演衣装。
体操用の小道具。
着替え。
救急用品。
子ども用の予備名札。
消毒用品。
簡易裁縫道具。
床に貼る滑り止めテープ。
幼稚園児より少し大きい程度に見える少女が、一人で引率者三人分の準備をしているような状態だった。
特急が敦賀へ近づくと、麻衣は遥室長へ連絡を入れた。
『予定どおり到着します。乗り換えにも問題ありませんでした』
すぐに返信が届く。
『了解しました。こちらも新幹線で移動中です。萌音さんと一緒に詩織さんを連れて向かっています』
麻衣は文章を二度読んだ。
特に、
「詩織さんを連れて」
という部分を。
最年長が完全に保護対象になっている。
麻衣は小さくため息をついた。
一方、東京駅から北陸新幹線へ乗った遥、萌音、詩織の三人は、出発早々から騒がしかった。
列車が滑らかにホームを離れる。
詩織は窓へ顔を寄せた。
「速いね〜!」
萌音が隣で微笑む。
「まだ東京駅を出たばかりだよ」
「でも、もうホームが後ろに行った!」
「電車だからね」
建物が窓の外を流れ始める。
詩織は目を輝かせた。
「見て! ビルが動いてる!」
遥は公演資料から顔を上げた。
「ビルは動いていません。こちらが動いています」
「分かってるよ。そう見えるって言ったの」
「それなら結構です」
新幹線がトンネルへ入る。
窓の外が暗くなった。
「真っ暗になった!」
萌音が答える。
「トンネルだね」
トンネルを抜ける。
「明るくなった!」
次のトンネルへ入る。
「また暗くなった!」
遥が資料を閉じた。
「詩織さん」
「はい」
「敦賀まで、トンネルへ入るたびに報告するつもりですか?」
詩織は少し考えた。
「だめ?」
「敦賀までには、相当な回数になります」
「じゃあ、珍しいトンネルだけ報告する」
「トンネルの違いが分かるのですか?」
「分からない」
自信に満ちた即答だった。
萌音が笑いをこらえながら、詩織へ飲み物を渡す。
「少し落ち着こうね」
詩織は紙コップを受け取る。
「萌音ちゃん、私の方がお姉さんなんだよ?」
「年齢はね」
「最近、みんな最後に“年齢は”ってつける!」
しばらくすると、詩織は自分の鞄をごそごそ探し始めた。
「お菓子がない」
「さっき自分で上の棚へ置いたよ」
萌音が教える。
詩織は上を見た。
「どの鞄?」
「青い鞄」
「私の鞄、青かった?」
遥が静かに言う。
「一人で遠征させられない理由が、出発して三十分で追加されました」
詩織は鞄を下ろして菓子の袋を取り出した。
「麻衣ちゃんにも残してあげよう」
萌音が感心する。
「優しいね」
詩織は袋の中から一個だけ取り出し、小さな袋へ移した。
「これが麻衣ちゃんの分」
萌音は黙って、さらに三個追加した。
「一個では少ないと思う」
「麻衣ちゃん、小さいから一個でいいと思った」
遥が言う。
「体の大きさで菓子の配給量を決めないでください」
詩織は少し反省した。
「じゃあ、四個」
「それで結構です」
外見だけなら、長身で端正な顔立ちの詩織が二人を引率しているように見える。
実態は、遥と萌音が詩織を挟み、迷子にならないよう管理していた。
◇
敦賀駅。
東京組が改札を出ると、麻衣はすでに到着していた。
キャリーケースを横へ置き、駅構内図と翌日の予定表を確認している。
詩織は両手を大きく振った。
「麻衣ちゃーん!」
麻衣が顔を上げる。
「お疲れさまです」
「待った?」
「四十分ほどです」
「そんなに早く着いたの?」
「乗り遅れるより安全です」
詩織は麻衣の前へ立つ。
長身の詩織と小柄な麻衣では、かなりの身長差がある。
事情を知らない人が見れば、年上の姉が中学生くらいの妹を迎えに来たように見える。
だが麻衣が最初にしたのは、詩織の状態確認だった。
「詩織おねえさん、切符をなくしませんでしたか?」
「なくしてないよ」
遥が補足する。
「一度、座席のポケットへ入れたまま降りようとしました」
「でも萌音ちゃんが見つけたから、なくしてない」
「結果ではなく、途中の行動が問題です」
麻衣は続ける。
「勝手に席を離れませんでしたか?」
「三回だけ」
萌音が訂正する。
「四回だよ」
「お手洗いは仕方ないでしょ?」
「一回は車内の端まで探検しようとしたよね」
「新幹線がどこまで続いてるか見たかったの」
麻衣は目を閉じた。
「一人での遠征は禁止です」
詩織は素直に頷く。
「私も、そう思う」
自覚だけは十分にあった。
駅の外へ出ると、敦賀の明るい空と町並みが三人を迎えた。
新しい交通拠点として活気を増した駅。
港町らしい開放感。
遠くに感じる海の気配。
遥は三人へ説明した。
「敦賀は、港と鉄道によって多くの人を迎え、送り出してきた町です」
詩織が手を挙げる。
「新幹線も速かった!」
「それも敦賀の現在を表す大切な要素です」
麻衣は町を見渡した。
「子どもたちには、難しい歴史をそのまま説明するのではなく、“遠くから来た人を優しく迎えた町”として伝えたいです」
「それでいいと思います」
遥が頷く。
萌音は風船の束を確認する。
「船と列車とカモメ、それから松の木を作るね」
遥が先に釘を刺す。
「作りすぎないでください」
「まだ一本も膨らませていません」
「先に言っておきます」
◇
翌朝。
公演会場となる敦賀港近くの多目的ホールには、未就学児と保護者が次々と集まっていた。
客席には色とりどりの服。
子どもたちの明るい声。
舞台上では、ぽかぽかトリオの準備が進んでいる。
麻衣は床の状態を確認し、滑りやすい場所へテープを貼る。
客席から舞台までの通路幅も確認。
救護室の位置。
親子待ち合わせ場所。
非常口。
すべて頭へ入れていく。
一方、萌音は舞台装飾を制作していた。
青い船。
白いカモメ。
緑の松。
赤茶色の倉庫。
そして、鉄道の町を表すバルーン列車。
麻衣は列車を見た。
「萌音おねえさん」
「何?」
「昨日の打ち合わせでは、三両編成でしたよね」
「最初は三両だったよ」
「今、何両ですか?」
萌音は数える。
「一、二、三……十一両」
「増えています」
「子どもたちが長い方が喜ぶかなと思って」
「三倍以上です」
舞台袖から声がした。
「麻衣ちゃーん!」
詩織だった。
「風船の列車が邪魔で、楽屋から出られない!」
萌音が振り返る。
十一両編成の最後尾が、楽屋の扉を完全にふさいでいた。
麻衣は小さく息を吐く。
「萌音おねえさん。まず、最年長を救出してください」
「今動かすね」
列車が持ち上げられ、詩織が下をくぐって現れた。
長身で端正な顔立ち。
衣装も完璧に似合っている。
だが、頭には公演用の船員帽ではなく、なぜか萌音の作業用タオルが巻かれていた。
麻衣が指さす。
「詩織おねえさん。帽子が違います」
詩織は頭へ触れた。
「あれ?」
「船員帽は?」
「かぶったと思う」
萌音が楽屋を見る。
椅子の上に船員帽が置いてある。
「詩織ちゃん、かぶってないよ」
「頭が何かに包まれてたから、かぶったと思った」
麻衣は船員帽を取り、詩織へかぶせた。
「詩織おねえさんは、歌うまで舞台袖から動かないでください」
「はい、リーダー」
通りかかった地元スタッフが、目を丸くする。
長身の美人が、小柄な少女に帽子を直してもらい、素直に注意を受けている。
詩織はスタッフの視線に気づくと、明るく説明した。
「私、歌以外は全部だめなので!」
麻衣が慌てる。
「堂々と言わないでください」
「でも本当だよ?」
「少しずつできることを増やしてください」
「麻衣ちゃんがいてくれるから大丈夫」
「それでは増えません」
萌音は二人の間で、穏やかに笑っていた。
ぽかぽかトリオの立ち位置は、今日もいつもどおりだった。
◇
開演時刻。
優しい汽笛の音。
舞台へ温かな光がともる。
車掌帽をかぶった麻衣が登場する。
「みんな、こんにちは!」
客席から元気な声が返る。
「こんにちはー!」
「今日は、ぽかぽか列車に乗って、敦賀の海と町を冒険します!」
最初の演目は、
「ぽかぽか出発進行体操」。
腕を大きく回して、列車の車輪。
しゃがんで、トンネル。
両腕を広げて、カモメ。
体を左右へ揺らして、船。
最後は両足をそろえて、駅へ停止。
麻衣は子どもたちの様子を見ながら、無理のない速さで進める。
「できなくても大丈夫です。見ているだけでも、ぽかぽか列車のお客さんですよ」
参加できずに保護者の後ろへ隠れていた子も、少しずつ手を動かし始める。
麻衣はその子へ気づいても、大げさに褒めない。
そっと笑顔を向けるだけにした。
その距離感が、保育関係者から高く評価される理由だった。
一方、詩織は子どもたち以上に楽しんでいる。
走る動作。
カモメ。
船。
どれも全力だった。
「駅へ到着! 足をぴたっと止めましょう!」
麻衣が合図する。
子どもたちは止まった。
萌音も止まった。
詩織だけが走り続けている。
「しゅっしゅっ、ぽっぽー!」
麻衣が笛を鳴らした。
「詩織おねえさん、終点です」
詩織は急停止する。
「もう一周したい!」
「回送列車になります。お客さんは降りてください」
客席から笑い声が広がった。
詩織は少し頬を膨らませる。
「麻衣ちゃん、厳しい」
「時間どおり進めています」
次は萌音のバルーンアート。
細長い風船が、数秒で白いカモメへ変わる。
青い風船は船。
緑は松。
赤茶色の風船を組み合わせると、赤レンガの建物になる。
子どもたちは目を輝かせた。
「すごーい!」
「もう一個!」
萌音は笑顔で応える。
「じゃあ、次は敦賀の列車です」
舞台袖から、十一両編成の巨大バルーン列車が運び込まれる。
客席から大歓声。
麻衣が補足する。
「本当は三両の予定でした」
萌音は少し照れる。
「作っていたら長くなりました」
詩織は列車の先頭へ入り込んだ。
「私が運転する!」
「運転免許は?」
麻衣が尋ねる。
「風船の列車にも免許いるの?」
「少なくとも、進行の合図を待ってください」
詩織は待てなかった。
「しゅっぱつ進行!」
列車を引いて歩き始める。
先頭は動いた。
二両目も動いた。
だが、最後尾が舞台袖の柱へ引っかかった。
列車の中央部分だけが大きく曲がる。
萌音が慌てる。
「詩織ちゃん、止まって!」
詩織は振り返った。
「どうしたの?」
振り返った拍子に、自分も列車へ絡まった。
麻衣が笛を鳴らす。
「車両故障のため運休です」
会場は大笑い。
詩織は風船の隙間から顔を出す。
「私、何もしてないのに絡まった」
「走り出したからです」
「やっぱり歌以外はだめだね」
「自分で納得しないでください」
◇
三つ目の演目は、詩織の歌だった。
舞台中央へ立った瞬間、詩織の雰囲気が変わる。
先ほどまで風船へ絡まっていた妹キャラの姿はない。
長身。
端正な顔立ち。
柔らかな微笑み。
一つ息を吸うだけで、会場が静かになる。
歌うのは、
『ようこそ ここへ』。
遠い場所から来た人を、温かな言葉で迎える歌。
知らない町で不安になっても、優しい人がいれば安心できる。
困っている人を見たら、
「大丈夫?」
と声をかけよう。
詩織の声は、子どもの耳にも優しかった。
高い技術を見せつけない。
大きすぎる声を出さない。
一人一人へ話しかけるように歌う。
子どもたちが自然に耳を傾ける。
保護者も表情を和らげる。
麻衣は簡単な振り付け。
萌音は風船の船とカモメを動かし、港の景色を作る。
歌い終わると、客席から大きな拍手が起こった。
詩織は深く一礼する。
完璧だった。
舞台袖へ戻った瞬間、詩織は麻衣へ小声で尋ねる。
「次、何だっけ?」
麻衣は一瞬黙った。
「休憩です」
「そうだった」
「進行表を確認してください」
「楽屋に置いてきた」
「持って出てきたはずです」
萌音が詩織の背中を見る。
進行表が衣装の背中へテープで貼り付いていた。
「詩織ちゃん、背中にあるよ」
「どうして?」
「私にも分かりません」
歌っている間、誰一人として気づかなかったのが幸いだった。
◇
十五分間の休憩。
ホールの外では、港と鉄道をテーマにした親子イベントも開催されていた。
その時、異変が起きた。
電子案内板の矢印が、誤った方向を示し始める。
親子待ち合わせ場所の表示が消える。
館内放送へ雑音が混じり、内容が聞き取れない。
さらに、海側から吹き込んだ風により、屋外に設置されていた集合場所の案内旗が倒れた。
休憩中に移動していた親子が、どちらへ進めばよいか分からなくなる。
保護者とはぐれかけた子どもが泣き始めた。
人が一か所へ集まり、通路が混雑し始める。
遥の通信端末へ、運営本部から連絡が入った。
案内システムが、外部からの妨害を受けている。
技術班が原因を調査。
警備班も動き出す。
だが、解決までには時間が必要だった。
遥は、ぽかぽかトリオを舞台裏へ集めた。
三人へ状況を説明する。
「案内表示と館内放送が使えません。警備班が対応していますが、子どもたちの不安が広がっています」
麻衣がすぐに尋ねる。
「親子の待ち合わせ場所は確保されていますか?」
「スタッフ控室前の広い場所を使います」
「救護室への通路は?」
「確保済みです」
「分かりました」
詩織は少し緊張していた。
「変身する?」
遥は首を横へ振る。
「必要ありません」
そして、いつも以上に強い口調で続けた。
「今回の任務で最も大切なことを伝えます」
三人が遥を見る。
「子どもたちを怖がらせないでください」
敵。
妨害。
緊急事態。
そうした言葉を、子どもの前で使ってはいけない。
大きな警報音も鳴らさない。
走らせない。
強い口調で命令しない。
任務があったことすら、子どもたちへ悟らせない。
休憩時間に始まった、楽しい特別企画。
子どもたちの記憶には、それだけを残す。
遥は三人へ告げた。
「安全を確保しながら、楽しい思い出へ変えてください」
麻衣は迷わず頷いた。
「了解しました」
萌音も風船の束を持つ。
「目印を作ります」
詩織は小さく深呼吸をした。
「私は歌う」
麻衣が詩織を見る。
「それ以外は、私たちの指示を聞いてください」
「はい、リーダー」
最年長は素直だった。
◇
麻衣は通路中央の低い台へ上がった。
公演用の小型マイクを使い、優しい声で呼びかける。
「みんな、休憩時間の特別体操を始めます!」
泣いていた子どもたちが顔を上げる。
「さっきの列車の体操、覚えてるかな?」
麻衣は両足をそろえる。
「足を、ぴたっ!」
子どもたちも止まる。
「次は、おめめで近くの大人を見よう!」
周囲をゆっくり見渡す。
「最後は、両手を胸にして、ぽかぽか待つ!」
子どもたちは麻衣の動きをまねた。
命令ではない。
遊びの続き。
公演で覚えた動作を繰り返しているだけ。
だが、その体操によって、走り出そうとしていた子どもたちがその場へ止まる。
麻衣は、泣いている小さな男の子の前へしゃがんだ。
「怖かったね」
男の子は何度も頷く。
「泣いてもいいよ。ここで一緒に待とうね」
「ママ、いない……」
「大丈夫。スタッフさんが探してくれています。先生と一緒にいよう」
男の子は麻衣を見る。
「先生?」
麻衣は少し嬉しそうに笑う。
「今日は体操のおねえさんです。でも、先生になるために勉強しています」
見た目は中学生ほど。
しかし、子どもへかける声は、三人の中で誰よりも落ち着いていた。
その頃、萌音は舞台装飾用の風船を案内標識へ変えていた。
赤い列車は親子待ち合わせ場所。
青い船はスタッフ受付。
緑の松は休憩場所。
黄色いカモメは救護室。
文字が読めない小さな子どもでも、形と色なら理解できる。
「赤い列車を目印にしてください!」
萌音がスタッフへ指示する。
「青い船は受付です。カモメは救護室へ運んでください!」
十一両編成のバルーン列車が、巨大な案内標識として役に立つ。
麻衣がそれを見る。
「作りすぎだと思いましたが、今回は助かりました」
萌音は嬉しそうに笑う。
「工作に無駄はありません」
スタッフが十一両編成を持ち、通路の角を曲がろうとする。
曲がれない。
先頭車両が右へ進むと、最後尾が左側の壁へ引っかかる。
列車の中央が折れ曲がり、スタッフ三人が身動きを取れなくなる。
萌音はすぐに訂正した。
「少しだけ無駄がありました!」
麻衣が言う。
「六両ほど切り離してください」
一方、詩織は携帯型スピーカーとマイクを受け取った。
「詩織おねえさん。赤い列車へ向かうよう、歌で案内してください」
「分かった」
「歌詞を忘れたら、即興で構いません。ただし、食べ物の話は入れないでください」
「どうして先に分かったの?」
「入れそうだからです」
詩織は歌い始めた。
「あかいでんしゃを みつけたら」
「ゆっくり ゆっくり あるこうね」
「おうちのひとの おなまえを」
「スタッフさんに おしえてね」
子どもたちは泣きながらも、詩織の歌へ耳を傾ける。
保護者も手拍子を始めた。
先ほどまでのざわめきが、少しずつ穏やかな空気へ変わっていく。
歌の間だけは、詩織に何の不安もない。
言葉を聞き取りやすく整え、子どもが歩く速度に合わせてテンポを落とす。
歌いながら、誰が不安そうかを見つける余裕さえある。
ところが、一曲が終わると、詩織はその場で立ち尽くした。
麻衣が近づく。
「次は青い船の受付を案内してください」
「青い船、どっち?」
「詩織おねえさんの真後ろです」
詩織は振り返る。
「本当だ」
「さっきからありました」
詩織は明るく笑った。
「やっぱり歌以外はだめだね」
麻衣は少し困った顔をする。
「でも、歌は誰にも代われません」
詩織は一瞬、目を丸くした。
それから、嬉しそうに頷く。
「じゃあ、歌うね」
「お願いします」
最年長の妹キャラは、最年少のリーダーから役割を与えられ、再び完璧な歌声を響かせた。
◇
親子の確認が進む。
多くの子どもが保護者と合流した。
だが最後に、一人の女の子が残った。
まだ幼く、緊張で自分の名前をうまく言えない。
麻衣は名前を何度も聞かなかった。
女の子の隣へ座る。
「好きなものは何かな?」
女の子は泣きながら答えた。
「でんしゃ……」
萌音が小さな赤い機関車を作る。
風船が、数秒で列車へ変わる。
女の子が少しだけ泣きやむ。
詩織は、その場へしゃがもうとした。
しかし長身のため、体勢を崩して後ろへ倒れかけた。
萌音が支える。
「詩織ちゃん、無理に小さくならなくてもいいよ」
「子どもの目線に合わせたかったの」
「歌で合わせてください」
詩織は床へ座り、女の子と同じ高さになった。
そして、小さな声で列車の歌を歌う。
女の子の呼吸が落ち着く。
麻衣が優しく尋ねる。
「お母さんは、どんなお洋服だった?」
女の子は少し考えた。
「お花……」
「お花がついてた?」
「うん。バッグ、きいろ」
スタッフが特徴を共有する。
間もなく、黄色いバッグを持った母親が走ってきた。
女の子は母親へ抱きつく。
母親は何度も三人へ頭を下げた。
「本当にありがとうございました」
麻衣は笑顔で答える。
「無事に会えてよかったです」
女の子は帰る前に、麻衣へ手を振った。
「ちいさい先生、ありがとう」
麻衣の笑顔が一瞬固まる。
萌音は横を向く。
詩織は口を押さえる。
麻衣は頬を少し膨らませた。
「先生だけで十分です」
女の子は、もう一度元気に言う。
「ちいさい先生、ばいばい!」
麻衣は諦めて手を振り返した。
「ばいばい。またね」
通信越しに様子を見ていた遥も、わずかに笑っていた。
◇
技術班が妨害装置を停止させる。
案内板は正常へ戻った。
館内放送の雑音も消えた。
警備班は、混乱に乗じて施設へ侵入しようとしていた工作員を確保した。
だが、子どもたちは何も知らない。
休憩時間に、ぽかぽかトリオが突然始めた特別な体操。
風船の案内標識。
詩織の即興歌。
子どもたちの記憶には、それだけが残った。
敵の姿も見ていない。
警報音も聞いていない。
怖い言葉も聞かされていない。
遥から三人へ連絡が入る。
「任務完了です」
麻衣は周囲を確認する。
泣いている子はいない。
全員が保護者かスタッフと一緒にいる。
「子どもたちの安全を確認しました」
萌音も頷く。
「風船の案内標識も回収します」
詩織は子どもたちの笑顔を見つめた。
「誰も、怖いことがあったって知らないんだね」
「それでいいんです」
麻衣が答える。
「今日のことを思い出した時、歌と風船と体操が楽しかったって思ってもらえれば」
詩織は静かに笑った。
「それなら、最高の任務だね」
遥の声が通信機から届く。
「戦わずに全員を守り、恐怖ではなく楽しい思い出だけを残した。それが今日の最善の勝利です」
三人は、誰にも見えない場所で小さく手を合わせた。
◇
公演後半。
麻衣は予定を少し変更し、
「もしも迷子になったら」
という安全教室を始めた。
走り回らない。
一人で遠くへ行かない。
制服や名札のあるスタッフへ話しかける。
名前が言えなくても、保護者の服や持ち物を説明する。
怖い時には、泣いてもいい。
寸劇では、詩織が迷子役を担当した。
「ママー! パパー! 麻衣先生ー!」
詩織は迫真の演技で泣く。
麻衣が止める。
「詩織おねえさんは成人です」
「今は迷子の役なの!」
「それでも大声で走り回ってはいけません」
「じゃあ、どうしたらいいの?」
「その場で止まって、近くのスタッフへ話します」
詩織は急に小さくなった。
「すみません。迷子です」
子どもたちから笑いが起きる。
一人の男の子が叫ぶ。
「おねえさん、おとなでしょ!」
詩織は本気で落ち込む。
「役なのに……」
麻衣が肩をたたく。
「詩織おねえさん、歌の時間です」
詩織はすぐに元気になる。
「歌ならできる!」
「それは知っています」
最後の曲は、
『ぽかぽか港で、また会おう』。
敦賀の海。
船。
鉄道。
赤レンガ。
松林。
遠くから来た人を迎えた町の優しさ。
萌音が作った船とカモメが舞台を彩る。
麻衣が簡単な振り付けを教える。
詩織が歌う。
「ようこそ」
「だいじょうぶ」
「また会おう」
最後は子ども、保護者、スタッフが一緒に声を合わせる。
会場には、最初から最後まで温かな空気が流れていた。
任務があったことを知る者は、ごく一部だけ。
子どもたちは、
「休憩時間にも体操した!」
「風船の列車が長かった!」
「詩織おねえさんが迷子になった!」
と楽しそうに話している。
その笑顔こそが、三人の任務成功を示していた。
公演終了後。
地元の幼稚園教諭が麻衣へ声をかけた。
「子どもの言葉を待てる人なら、きっと素敵な先生になれますよ」
麻衣は舞台上では笑顔を崩さなかった。
しかし、楽屋へ戻って扉が閉まると、目に涙を浮かべた。
「うれしいです……」
詩織もつられて泣き始める。
「麻衣ちゃん、先生になれるよ」
萌音も目元を押さえた。
「うん。絶対なれるよ」
遥が楽屋へ入ってくる。
「三人とも、よくできました」
詩織が涙を拭きながら尋ねる。
「室長も客席で泣いてた?」
「泣いていません」
萌音が言う。
「目元を押さえていました」
「照明がまぶしかっただけです」
麻衣が小さく笑う。
「客席後方は暗かったと思います」
遥は三人から視線を外した。
「撤収作業を始めてください」
◇
最後に残った問題は、萌音のバルーン作品だった。
十一両編成の列車。
船が六隻。
カモメが二十羽。
松の木が八本。
赤レンガ倉庫が二棟。
運搬車へ載せきれない。
麻衣は作品の山を見上げた。
「萌音おねえさん。作りすぎです」
「でも、任務でも役に立ったよ」
「役に立ちました。それでも作りすぎです」
詩織は十一両編成の先頭へ入り込んだ。
「敦賀駅へ向かって、しゅっぱつ進行!」
列車を引いて扉へ向かう。
最後尾が壁へ引っかかる。
中央部分が折れ曲がる。
さらに詩織の足へ風船が絡み、動けなくなる。
「麻衣ちゃーん!」
麻衣が笛を鳴らした。
「運休です」
スタッフも、萌音も、遥も笑った。
歌以外は何をしても危なっかしい、最年長で長身の美人。
その詩織を助ける、最年少で中学生に間違えられる小柄なリーダー。
二人の間に立ち、風船を直す萌音。
この三人だからこそ、ぽかぽかトリオだった。
敦賀公演は大盛況。
子どもを怖がらせることなく守り、最後まで楽しい思い出だけを残すことにも成功した。
数日後。
遥室長の机には、敦賀公演の評判を聞いた全国の幼稚園、保育施設、自治体から、新たな公演依頼書が山積みになっていた。
真帆が尋ねる。
「依頼へ対応するため、メンバーを増員しますか?」
遥は即答した。
「増員しません」
そして、三人の公演写真を見る。
中央には、小柄な麻衣。
その隣で巨大な風船列車を抱える萌音。
反対側には、列車へ絡まりながら笑っている詩織。
「白浜麻衣、宮沢萌音、藤原詩織」
遥は穏やかに言った。
「この三人だから、ぽかぽかトリオなんです」
敦賀から全国へ。
歌と体操と風船で、子どもたちへ笑顔を届ける旅は、これからも続いていく。




