戦隊ヒロインと行く千葉再発見の旅・内房編 ――地獄のぞき、羊まみれ、海の上! 千葉愛の終着点は250メートルバンク
「戦隊ヒロインと行く千葉再発見の旅」最終日の朝。
館山湾を望むリゾートホテルの朝食会場では、参加者100名が四日間の旅の最後を惜しむように、焼き魚や卵料理を味わっていた。
ところが、戦隊ヒロインたちの席だけは、旅情とは無縁の緊張感に包まれている。
館山みのりは、向かいに座る月島小春をじっと見つめていた。
「小春」
「何だよ」
「写真を消して」
「消したって」
「端末から?」
「消した」
「グループチャットから?」
「消した」
「クラウドから?」
小春の箸が止まった。
隣に座る水無瀬澪が、味噌汁を飲みながら呟く。
「小春、クラウドで停止」
前夜、ホテルのテラスでみのりと杉山ひかりが手を握り、互いの顔を見つめ合っていた写真が、ヒロイン全員のグループチャットへ誤送信された。
本人たちは恋人ではないと言い張っている。
しかし、写真だけを見れば、どう考えても告白か接吻の数秒前だった。
ひかりも顔を赤くして、小春へ詰め寄る。
「小春、全部消すら!」
「第一バックアップは消した!」
みのりの目が鋭くなる。
「第一?」
「言葉のあやだ!」
「第二もあるの?」
「ないとは言ってない!」
小春はパンをくわえ、朝食のトレーを持ったまま立ち上がった。
みのりとひかりも同時に立つ。
その瞬間、安岡真帆が通路をふさいだ。
「朝食会場で追いかけっこをしないでください。出発まで十五分です」
「でも、真帆さん」
「写真問題は帰着後に処理してください。今日は2000人規模のイベントがあります」
みのりは唇を結び、小春を睨んだ。
だが、参加者100名の安全な移動を優先しなければならない。
「……分かりました」
小春は安堵して座り直す。
澪が小さく尋ねた。
「第四バックアップは?」
小春はみのりに聞こえないよう囁く。
「死守する」
澪が頷く。
「文化財保存」
赤嶺美月が笑いをこらえきれず、机を叩いた。
「最終日の朝から何しとんねん!」
みのりが振り向く。
「美月さんが誤送信したんです」
「うちが送ったんやなくて、指が送ったんや!」
「指も美月さんの一部です」
「理屈で逃げ道ふさぐんやめて!」
その後、三台の観光バスは前夜のミーティングで決めたとおり、当初の予定より十五分早くホテルを出発した。
福鉄旅行日本橋支店から同行する三名の中堅男性添乗員は、参加者の点呼、荷物の積載、道路状況を手際よく確認する。
最終日の目的地は、鋸山、鹿野山の大型観光牧場、東京湾上の海上パーキングエリア。
そして夕方には、千葉公園の最新鋭室内自転車競技場へ到着し、2000人規模の「戦隊ヒロインサミット千葉」へ参加する。
一号車が館山を離れると、みのりは車内マイクを握った。
「皆さん、おはようございます。最終日は東京湾側、内房地域を北上します」
拍手が起こる。
みのりは窓の外に広がる海を示した。
「外房が太平洋と正面から向き合う地域なら、内房は東京湾とともに発展してきた地域です」
小春が別号車との連絡端末から言う。
「最終日の千葉講義、開講!」
みのりは意に介さない。
「内房の海は、単に穏やかな景色を楽しむ場所ではありません。漁業や海苔養殖、潮干狩り、港湾、海上交通、石材の輸送、そして北部では工業や物流を支えてきました」
高城彩芽が車窓を眺める。
「昨日までの海より、波がおとなしく見えるべさ」
「場所や天候によりますが、太平洋側とは印象が違います」
小春が驚く。
「今日は訂正が柔らかい!」
「彩芽さんの感想として妥当だから」
澪が短くまとめる。
「内房、海が働いてる」
みのりは大きく頷いた。
「とても良い表現です」
小春が端末越しに叫ぶ。
「最終日も澪だけ一発合格かよ!」
みのりは資料を一枚取り出した。
「ここで、内房に関する五分間トリビアをご紹介します」
小春がすぐに時計を確認する。
「五分だからな。絶対に五分で終われよ」
みのりの内房トリビアが始まった。
第一。
内房は海だけでなく、石の産地でもある。
鋸山周辺では、長い年月にわたって建築や土木に用いる石材が切り出された。切り出された石は、海に近い立地を生かして船で各地へ運ばれた。
第二。
東京湾は、千葉と対岸を隔てる壁であると同時に、人や物を運ぶ道でもあった。
「佐原では川を道と言って、今度は海まで道にしたぞ」
小春が呆れる。
「水運という意味では、どちらも正確です」
第三。
内房の海岸からは、天候に恵まれれば東京湾越しの富士山や三浦半島を望める。
彩芽が手を挙げる。
「富士山は静岡のものだべか、山梨のものだべか?」
ひかりの表情が変わった。
「彩芽ちゃん、その話を今ここでする?」
みのりも少し険しい顔になる。
小春が慌てて止める。
「千葉旅行の最終日に静岡と山梨の領土問題を始めるな!」
第四。
海の近くにありながら、鹿野山周辺には広大な牧草地が広がっている。
海、山、牧場を短い移動で楽しめることも、房総半島の地形的な面白さである。
第五。
東京湾横断道路は橋だけではない。
千葉側の橋と川崎側の海底トンネルを組み合わせ、その接続地点付近に海上パーキングエリアが設けられている。
小春が時計を見る。
「十八分経ってるぞ!」
みのりは資料をめくった。
「まだ海苔養殖、潮干狩り、港湾工業の項目が残っています」
真帆がみのりの資料をそっと閉じる。
「残してください」
「どこに?」
「次回の企画にです」
みのりの目が輝いた。
「次回があるんですね?」
「言葉のあやです。最終日に集中してください」
「真帆さんも小春と同じ逃げ方をした」
「一緒にしないでください」
三台のバスが最初に到着したのは、内房を代表する山、鋸山だった。
険しく切り立った岩壁と、鋸の歯のように連なる稜線。
参加者たちは景色を見上げ、次々に声を上げる。
みのりは山を指し示した。
「皆さん。鋸山を、絶景を見るためだけの山だと思わないでください」
小春が小声で言う。
「最終日も観光客への圧が強いな」
「鋸山の独特な姿には、長年の石切りによって作られた部分があります。山そのものが巨大な仕事場であり、現在はその跡が産業遺産として残っているんです」
今津乙実が岩壁を見上げる。
「自然に崩れた壁ではなく、人が石を切り出した跡なんですね」
神代なつめも感心する。
「山の中で、これだけ大きな仕事をしとったがやね!」
ひかりは、山と東京湾を交互に見る。
「切り出した石を船で運べたから、海の近くで石材産業が発展したんだら?」
みのりの表情が、見るからに明るくなった。
「そのとおり。地形と産業と交通が全部つながってる」
小春が二人を見る。
「ひかりが正解した時だけ、みのりの喜び方が違わないか?」
「違わない」
「恋人加点だろ」
「恋人ではありません」
ひかりも続ける。
「恋人じゃないら」
澪が呟く。
「四日目も同時回答」
一行は日本寺の境内と石切り場跡を巡り、巨大な大仏や観音像を見学する。
そして、断崖から突き出した名所「地獄のぞき」へ向かう。
彩芽は前日の崖観音で、距離だけを聞いて高低差を確認しなかった失敗を思い出していた。
「みのりさん。先端までの距離、高低差、階段の有無、足場の状態を全部教えてほしいべさ」
小春が拍手する。
「彩芽、ついに完全な質問を覚えた!」
みのりは真面目に答える。
「距離は極端に長くありません。ただし階段と高低差があります。足元の石は場所によって滑りやすいので、手すりを使って、無理をせず進んでください」
彩芽は安心して頷いた。
「今日は情報が全部出てきたべさ」
美月は地獄のぞきの先端近くまで進み、恐る恐る下を見た。
「……これ、“のぞき”の一言で済ませてええ高さちゃうやろ」
澪が言う。
「美月さん、今日は走らない」
「うちかて、危険な場所では真面目や!」
真帆が頷く。
「良い判断です」
美月は少し照れる。
「普通に褒められると、逆に反応に困るな」
小春が笑う。
「褒められ慣れてないんすか?」
「普段から褒められとるわ!」
鋸山を無事に下りた一行は、鹿野山周辺の高台に広がる大型観光牧場へ向かった。
海の近くとは思えない広大な牧草地。
羊、牛、ヤギ、アルパカ、子豚などの動物。
一行が入場した瞬間、前日の大規模水族館と同じ現象が起きた。
案内役であるはずのヒロインたちが、参加者以上にはしゃぎ始めたのである。
美月は走り回る子豚を目で追う。
「あの急に方向転換する動き、ステージで使えるな」
真帆が即座に止める。
「動物を見るたび、余興へ取り入れないでください」
なつめは牛へ向かって手を振る。
「今日も元気そうやね!」
乙実はアルパカと並び、珍しく満面の笑みで記念撮影をしている。
麗奈と美里は、参加者たちの撮影係に回った。
その中で、彩芽が羊用の餌を一袋受け取る。
最初に一頭が近づいた。
彩芽は嬉しそうに餌を差し出す。
「ゆっくり食べるべさ」
続いて二頭。
さらに四頭。
気がつけば、十頭近い羊が彩芽の周囲を取り囲んでいた。
「待つべさ! 一頭ずつだべさ!」
羊たちは待たない。
前から餌を求める羊。
背後から袋をのぞき込む羊。
横から顔を差し込む羊。
彩芽が右へ移動すると、群れも一斉に右へ動く。
左へ移動すると、群れも左へ動く。
小春が腹を抱えて笑った。
「彩芽、完全に仲間だと思われてる!」
美月も笑いながら言う。
「知能指数が近いから、羊も安心するんちゃう?」
彩芽が羊の間から顔を出す。
「誰と誰の知能指数が近いんだべさ!」
小春が即答する。
「彩芽と羊」
「小春さんまでひどいべさ!」
美月は一頭の羊を指さした。
「ほら。向こうも“仲間をいじめるな”って顔しとるで」
その羊が、小春へ向かって一歩近づく。
小春は一歩下がった。
「待て。冗談だ。私は敵じゃない」
澪が静かに言う。
「羊、彩芽派」
そこへ牧羊犬が現れた。
羊の群れから離れようとする彩芽の進路へ回り込み、群れの中央へ戻そうとする。
「うちは羊じゃないべさ!」
小春は笑いすぎて、その場へしゃがみ込む。
「牧羊犬からも正式に羊認定された!」
美月はスマートフォンを向ける。
「彩芽ちゃん、こっち向いて! 新しい家族との記念写真や!」
「助ける方が先だべさ!」
最終的に飼育スタッフとみのりが餌を複数の場所へ分散し、彩芽を羊の群れから救出した。
髪を乱した彩芽は、肩で息をしながら戻ってくる。
「動物に好かれるのも大変だべさ……」
みのりが優しく言う。
「彩芽さんには、動物が警戒しない柔らかい雰囲気があるんだと思う」
彩芽は少し嬉しそうに笑った。
すると、一頭の羊が再び後ろから近づいてくる。
彩芽は素早くみのりの背後へ隠れた。
「今日はもう十分だべさ!」
動物との触れ合いを終えた一行は、売店前で牧場名物のソフトクリームを味わう。
牛乳の濃厚な風味と、なめらかな口当たり。
最初に一口食べたひかりが目を丸くした。
「これ、濃いのに後味は重くないら。すごくおいしい!」
沙羅も上品に微笑む。
「ミルクの風味が、そのまま残っていますわね」
美里は牧草地を眺める。
「この景色の中で食べるから、さらにおいしく感じるね」
乙実も頷く。
「甘すぎなくて、食べやすいです」
なつめはあっという間に半分ほど食べてしまう。
「これはもう一個いけるがよ!」
真帆が時計を見る。
「一人一個です」
美月は大きく一口食べ、急に黙った。
澪が横から見る。
「美月さん、食べ物で真剣」
数秒後、美月が力強く頷く。
「これ、ほんまにうまいわ。二個目いけるで」
「一人一個です」
「小さいのを二個なら、一個扱いにならへん?」
「なりません」
彩芽も幸せそうにソフトクリームを食べている。
「なまらおいしいべさ! 羊に追いかけられた疲れが消えるべさ!」
小春が笑う。
「追いかけられたんじゃなくて、仲間に迎えられたんだろ」
「知能指数の話は忘れるべさ!」
みのりも一口食べ、満足そうに頷いた。
「千葉県は海産物だけでなく、酪農と乳製品も――」
小春が止める。
「説明してないで食え! 溶けるぞ!」
その頃。
みのりたちが鹿野山の牧場で羊とソフトクリームに囲まれていた頃。
千葉公園の最新鋭室内自転車競技場では、「戦隊ヒロインサミット千葉」の前座イベントとなるサイクルスポーツフェスタが始まっていた。
一周250メートルの木製バンク。
急な傾斜を持つカーブ。
競技走路と観客席が近く、選手の速度や風圧を間近に感じられる最新鋭の施設である。
会場にはすでに、自転車ファン、親子連れ、戦隊ヒロインファンが集まっていた。
MCを務めるのは、習志野市在住で、かつて函館で観光ガイドをしていた菊池瑠璃。
瑠璃は上品で聞き取りやすい声を会場へ響かせる。
「皆さま、本日はサイクルスポーツフェスタへお越しいただき、ありがとうございます。速く走る魅力だけでなく、安全に、正しく、自転車を楽しむ方法も一緒に学んでまいりましょう」
柔らかな笑顔。
落ち着いた進行。
子どもにも分かりやすい言葉を選びながら、大人の観客にも退屈させない。
舞台袖では、福鉄旅行から送られてくるバスの現在位置が運営スタッフへ共有されていた。
「御一行は、ほぼ予定どおりです」
スタッフの報告を聞き、瑠璃は頷く。
「それでは皆さまをお迎えするまで、さらに会場を盛り上げてまいりましょう」
続いて登場したのは、元女子競輪選手の大西結月だった。
最初の企画は「正しい自転車の乗り方教室」。
結月は参加した子どもたちへ、ヘルメットの正しい着用方法、タイヤやブレーキの確認、発進前の後方確認、安全な停止方法を丁寧に教える。
「速く走ることより先に、きちんと止まれること。ここが一番大事やけんね」
明るい口調だが、安全に関しては一切妥協しない。
子どもがヘルメットを浅くかぶると、結月は目線を合わせ、顎ひもの位置を優しく直した。
「これやと転んだ時に外れるかもしれんけん、ここまでしっかりかぶろうな」
教室が終わると、いよいよ木製バンクでの走行披露となる。
結月は競技用のウェアへ着替え、細身の競技用自転車を押して走路へ現れた。
会場の空気が変わる。
先ほどまで子どもたちへ優しく教えていた表情から、勝負の世界を知る元選手の顔へ。
結月はサドルへまたがり、ペダルへ足を固定する。
最初の一周は低い位置を使い、木製走路の感触を確かめるように走る。
車輪が板の上を滑る乾いた音。
二周目。
上体が少し低くなり、速度が上がる。
三周目。
現役競輪選手たちが結月の前後へ並び、隊列を作る。
直線へ入るたびに風を切る音が強くなる。
選手たちは傾斜のあるカーブへ迷いなく進入する。
自転車は倒れているのではない。
速度と遠心力を使い、急傾斜の木製走路へ吸いつくように駆け抜けていく。
結月は前の選手の後輪へぴたりとつき、無駄のない姿勢で周回を重ねる。
観客席のすぐ前を通過するたび、風圧が一拍遅れて届く。
瑠璃の実況にも熱が入る。
「さあ、速度が上がってきました! 一周250メートルだからこそ、選手が何度も目の前を通過します。この近さ、この速さ、木製バンクならではの迫力です!」
隊列がカーブの高い位置へ上がる。
まるで壁を走っているかのような角度。
その頂点から一気に下り、直線へ。
結月が最後尾から外へ持ち出した。
一瞬で加速する。
前を走る現役選手の横へ並び、さらに半車身前へ。
ペダルの回転は速いが、上体はぶれない。
ゴール線を駆け抜けた瞬間、会場から大きな拍手と歓声が起こった。
結月は速度を緩めながら一周し、観客席へ笑顔で手を振る。
走行を終えると、瑠璃がマイクを向けた。
「結月さん、久しぶりの本格的なバンク走行はいかがでしたか?」
結月は少し息を弾ませながら、木製走路を振り返った。
「ここ、ほんま走りやすいですね。施設もきれいで、ほんま最高やわ」
会場から拍手が起こる。
結月は続けた。
「先輩に聞いたら、千葉のファンはきつい野次がのうて、みんな温かい言うとりました」
そして、少し困ったように笑う。
「私、現役の頃に勝てんかった時、『讃岐うどんみたいな粘りが足りんぞ!』とか野次られて、へこんだこともあるんです。いや、うどん関係ないやん、って思いましたわ」
会場から、どっと笑いが起こった。
瑠璃も口元へ手を添えながら笑う。
「香川県出身というだけで、競走内容までうどんに例えられてしまったのですね」
「そうなんです。せめてレースの話をしてほしかったわ」
観客席から声援が飛ぶ。
「結月ちゃーん! 今日の走り、最高だったよー!」
結月は声の方向へ大きく手を振る。
「ありがとう〜♪」
急に柔らかく、少し甘い返事だった。
会場は再び笑いと拍手に包まれる。
別の観客が叫ぶ。
「今の方が現役時代より速かったぞー!」
結月はすぐに振り返る。
「それ、褒めとるんか微妙やで!」
瑠璃が上品にまとめる。
「速さと親しみやすさの両方を見せてくださった、大西結月さんでした。皆さま、もう一度大きな拍手をお願いいたします」
大歓声の中、結月は競技用自転車を押しながら、笑顔で走路を後にした。
一方、牧場を出発したみのりたちのバスは木更津方面へ進み、東京湾横断道路へ入っていた。
左右に東京湾が広がる。
バスが橋の上を進むと、彩芽が窓へ顔を近づけた。
「海の上をバスが走ってるべさ!」
みのりはすぐに車内マイクを握る。
「これから向かう海上パーキングエリアは、橋と海底トンネルの接続地点付近に設けられています。単なる休憩施設ではなく、東京湾横断道路の構造や建設技術を学べる場所でもあります」
小春が連絡端末越しに言う。
「休憩施設へ行く前から、休憩させる気がない説明だな!」
海上パーキングエリアへ到着すると、参加者たちは展望デッキへ上がった。
眼下には東京湾。
木更津側へ伸びる長い橋。
海を行き交う船。
そして反対側には、川崎方面の街並みが薄く見える。
澪は欄干の近くに立ち、しばらく対岸を見つめていた。
いつもの眠そうな表情だが、その目だけは遠くを追っている。
やがて、誰に聞かせるでもなく呟いた。
「……あの向こうに、ウチがあるんだよね」
みのりは澪の隣へ立った。
「うん。ここから見ると遠く感じるけど、道路ではつながってる」
澪は海を見たまま言う。
「海の向こうなのに、隣なんだね」
みのりは、東京湾と対岸の街を見比べる。
「東京湾は、千葉と川崎を隔てています。でも同時に、船や道路、人の行き来によって両方を結んでいます。対岸だから遠いのではなく、向かい合っている隣人と考えることもできます」
澪がみのりを見る。
「みのり、今日は理知的」
小春が横から言う。
「いつも理知的だろ。千葉が絡むと熱暴走するだけで」
「熱暴走してない」
ひかりが笑う。
「してるら」
澪はもう一度、川崎方面へ目を向けた。
「帰ったら、川崎側から千葉を見てみる」
みのりは微笑む。
「その時は、千葉が対岸に見えるよ」
「当たり前のことなのに、少し不思議」
「場所を変えると、同じ海でも見え方が変わるから」
小春が二人の会話を聞きながら頷く。
「今回の旅で一番まともな地理の話かもしれない」
みのりが振り向く。
「今までの説明もまともです」
「量がまともじゃないんだよ!」
参加者たちは展望デッキや売店を楽しみ、予定どおりバスへ戻った。
三台のバスは横断道路を木更津側へ戻り、千葉公園へ向けて北上を始める。
みのりは、旅の最後となる車内案内のマイクを握った。
「皆さん。ここから、最終目的地である千葉公園へ向かいます」
参加者から自然に拍手が起こった。
佐原。
銚子。
勝浦。
鴨川。
館山。
南房総。
そして内房。
四日間の景色が、それぞれの記憶によみがえる。
「伊能忠敬が日本の形を測った佐原から始まり、漁港、醤油の町、灯台、断崖、砂浜、水族館、城、神社、牧場、石切り場、海上道路を巡ってきました」
小春が端末越しに言う。
「並べると、改めて詰め込みすぎだな!」
「千葉は、一つの景色や一つの産業だけでは説明できません」
澪が呟く。
「千葉、説明が終わらない」
「車内での説明は、もうすぐ終わるよ」
真帆が確認する。
「車内での、ですよね?」
みのりは答えなかった。
「みのりん?」
その頃、千葉公園では、藤原詩織のミニライブが始まっていた。
明るいリズム。
旅や挑戦、仲間との出会いを歌う楽曲。
観客たちは手拍子を送り、サイクルスポーツを目当てに訪れた親子連れまで、詩織の歌へ引き込まれていく。
菊池瑠璃もステージ横から手拍子を送る。
詩織は曲の終盤、観客へ呼びかけた。
「このあと、千葉県を四日間かけて巡ってきた戦隊ヒロインの皆さんが到着します! 皆さん、一緒に大きな拍手で迎えてください!」
大きな歓声が返ってくる。
ステージ袖では、大西結月が現役選手たちと談笑しながら、みのりたちの到着を待っていた。
そして夕方。
三台の観光バスが、ほぼ予定どおりに千葉公園へ到着した。
前夜のミーティングで出発を十五分早めたこと。
三人の添乗員が道路状況を共有したこと。
各観光地で集合時刻を守ったこと。
そのすべてが実を結んだ。
主任添乗員が真帆へ報告する。
「到着は予定時刻から三分遅れです。許容範囲内です」
真帆は大きく息をつき、頷いた。
「ありがとうございます。四日間、本当にお疲れさまでした」
バスの窓から会場を見た麗奈が感心する。
「瑠璃ちゃんたち、完璧に会場を温めてくれているわね」
美里も笑顔になる。
「これなら、私たちは到着してすぐ本番へ入れるね」
菊池瑠璃の声が、会場とバス乗降場へ響く。
「皆さま、お待たせいたしました! 『戦隊ヒロインと行く千葉再発見の旅』御一行が、ただいま到着いたしました!」
大きな拍手と歓声。
参加者100名は、四日間をともに過ごしたヒロインたちと一緒にバスを降りる。
彩芽の肩には、牧場で付いた羊の毛が一本残っていた。
小春がそれを見つける。
「彩芽、仲間の証が付いてるぞ」
彩芽は慌てて羊の毛を取る。
「知能指数は関係ないべさ!」
美月が笑う。
「誰も今、その話してへんで」
彩芽は自分から蒸し返したことに気づき、黙った。
目の前には、最新鋭の室内自転車競技場。
その内部には、250メートルの木製バンクと、2000人近い観客が待っている。
みのりは一度、建物を見上げた。
当初、みのりが企画したのは9泊10日、参加者500名という巨大な千葉一周旅行だった。
実現したのは3泊4日、参加者100名。
大幅に縮小された企画だった。
それでも、参加者は千葉の各地を巡り、笑い、食べ、驚き、歴史や産業へ触れ、最後には2000人が集まる会場へたどり着いた。
ひかりが、みのりの隣へ立つ。
「みのり、着いたら」
「うん」
「千葉のこと、ちゃんと伝えられた?」
みのりは、バスを降りる参加者たちの笑顔を見回した。
「全部は無理だった。でも、入口までは案内できたと思う」
小春が叫ぶ。
「四日間かけて、まだ入口なのかよ!」
澪が続ける。
「千葉、入口が県全体」
みのりは笑った。
「千葉は一度で知り尽くせる場所ではありません。だから、また来てください」
参加者から、再び拍手が起こる。
佐原の小野川から始まった旅は、千葉公園の250メートル木製バンクへたどり着いた。
伊能忠敬が地図に残した土地。
山村新治郎が責任を行動で示した土地。
魚を獲る人。
醤油を造る人。
灯台を守る人。
山から石を切り出した人。
牧場で動物を育てる人。
海底道路を造った人。
そして、木製バンクを自転車で駆け抜ける人。
みのりが伝えたかったのは、観光地の数ではなかった。
土地を支え、暮らしを作ってきた人々の物語だった。
真帆が進行表を開く。
「みのりん。感慨に浸るのは、いったんここまでです。五分後に場内へ入ります」
美月が腕を回す。
「サミット本番や! うちのインチキマジック、出番ある?」
「ありません」
「即答やん!」
小春が美月の肩を叩く。
「最後くらい、戦隊ヒロインとして普通に仕事してくださいよ」
彩芽が競技場を見上げる。
「2000人もいるべさ……。なまら緊張するべさ」
麗奈が落ち着いた声で言う。
「大丈夫よ。ここまで四日間、みんなで一緒にやってきたでしょう」
場内では、瑠璃が次の紹介を始めている。
結月と現役選手たちは木製バンクの脇に並び、詩織もステージ袖から手を振っていた。
みのりは仲間たちを見回す。
真帆。
ひかり。
小春。
沙羅。
澪。
乙実。
なつめ。
麗奈。
美里。
美月。
彩芽。
そして、四日間を一緒に旅した参加者100名。
「行こう」
みのりは力強く言った。
「最後まで、千葉を楽しんでもらおう」
ヒロインたちは一斉に頷く。
菊池瑠璃の上品な声が、2000人の観客へ響き渡る。
「それでは皆さま、大きな拍手でお迎えください! 館山みのりさんをはじめとする、『戦隊ヒロインと行く千葉再発見の旅』の皆さんです!」
割れんばかりの拍手と歓声。
みのりたちは、250メートルの木製バンクが輝く場内へ足を踏み入れた。
こうして、四日間にわたる千葉再発見の旅は、無事にその終着点へ到達した。
しかし、物語はまだ終わらない。
このあと、2000人の観客を迎えた旅の集大成――
「戦隊ヒロインサミット千葉」
が、いよいよ開幕するのだった。




