ヒロ九クエスト第82話 サバニさんは魚じゃないだで ――海人のまち糸満、黒煙バス来航!
旧海軍司令部壕とひめゆりの塔での平和学習を終えた翌日。
ヒロ九ラッピングバスは、朝の光を受けながら沖縄本島南部の道を走っていた。
昨日の車内は静かだった。
香澄はマイクを握らず、梨乃もいつもの調子を抑え、のどかも伊織も、それぞれの思いを胸に窓の外を見ていた。
けれど、今日は違う。
今日の目的地は、糸満市。
平和学習で受け取った思いを胸に、今度は糸満の暮らしと海人文化、そして地域の元気を明るく盛り上げる日である。
菜々子支配人が前方の席から言った。
「昨日は、手を合わせる日やったたい。今日は、糸満の人たちと笑顔をつなぐ日たい」
その言葉を受けて、香澄が久しぶりにマイクを握った。
「皆さーん、本日は糸満市でイベントですばい! 昨日は大事な平和学習の日でした。今日は、その学びを胸に、糸満の元気と海人文化を皆さんと一緒に楽しむ日ですたい!」
車内に、少しずつ明るさが戻る。
梨乃が窓の外を見ながら言った。
「今日は、にぎやかなクエストだか?」
香澄は元気よく答える。
「にぎやかにしますばい!」
ヒロ九ラッピングバスは、糸満市へ入った。
香澄の“糸満アゲ紹介”が始まる。
「糸満市は、沖縄本島の最南端に位置するまちですたい! 海人のまちとして知られ、漁業、港、市場、サバニ文化がたいぎゃ有名ですばい!」
伊織が頷く。
「糸満は、沖縄の中でも海との結びつきが強いまちさー」
香澄はさらに声を弾ませる。
「そして、糸満は昔ながらの海人文化だけじゃなかです! 人口も増え続けていて、発展著しく、たいぎゃダイナミックな街ですばい! 古い港の誇りと、新しい街の勢いが一緒にあるとです!」
ひなたが資料を見ながら言う。
「港、道の駅、市場、住宅地、観光施設。地域資源が多様です。イベント導線としても非常に組み立てやすいです」
真白も興味を示す。
「港町は物流の匂いがしますね。魚も物も人も動く場所やで」
香澄は、いよいよ本題に入った。
「そして糸満の海人はすごかですばい! 昔の糸満の漁師さんたちは、サバニという小さな舟で、遠く南洋、フィリピン海方面まで漁に出たと言われとります!」
車内が、一気にざわついた。
のどかが目を見開く。
「手漕ぎの舟でフィリピン海方面!? それ、根性とかいうレベルじゃないじゃろ!」
莉央も驚く。
「え、舟って小さいんやろ? それでそんな遠くまで?」
ゆりえは思わず口元に手を当てる。
「海を渡るというより、海に挑むような話ですね」
柚葉も珍しく素直に感心した。
「人間の行動範囲を、根性と技術で広げすぎていますね」
伊織が、地元沖縄の人間として説明する。
「糸満海人は、沖縄でも特別にたくましい存在として語られるさー。ただ強いだけじゃないわけ。海を読む力、風を読む力、舟を操る技術、魚を売る商売の力。全部そろってないと生きていけない。そこがすごいところさー」
千鶴が静かに頷いた。
「昨日、命や平和の重さを学んで、今日は生きるための海の力を学ぶんですね」
菜々子が微笑む。
「そうたい。糸満は、悲しみだけじゃなくて、暮らしの強さもある場所たい」
そこで、梨乃がおずおずと手を挙げた。
「質問してもいいだか?」
香澄が笑う。
「どうぞですばい」
梨乃は真剣な顔で言った。
「サバニさんは……魚だか? 舟だか?」
一瞬の静寂。
そして、車内が笑いに包まれる。
柚葉が即座に言う。
「第78話の再発です」
ゆりえは優しく笑った。
「でも、今回は先に確認しましたね。成長です」
梨乃は胸を張る。
「今回は確認しただで。サバニさんは舟だで。魚じゃないだで」
のどかが笑う。
「三割理解の梨乃が、六割まで来たんじゃないん?」
ひなたが淡々と評価する。
「今回は誤認前に確認を行っています。成長率は高いです」
梨乃は嬉しそうに言った。
「サバニさん、舟だで!」
香澄がマイクで宣言する。
「本日の梨乃ちゃん、理解度高めでスタートですばい!」
こうして、ヒロ九ラッピングバスは海人のまち糸満へ到着した。
会場は、糸満漁港周辺の広場を中心にした特設イベント会場。
港の向こうには海が広がり、近くには市場のにぎわいがある。大漁旗を模した飾りが風に揺れ、子どもたちが走り回り、地元の海人たちが腕を組んでヒロ九ラッピングバスを眺めていた。
「熊本ナンバーか」
「黒煙出とるな」
香澄がすかさず言った。
「国の排ガス基準は一応クリアしとります!」
伊織が笑う。
「糸満でもその説明は必要さー」
本日のイベント名は、『糸満海人フェス with ヒロ九』。
サブタイトルは、サバニと市場と大漁スマイル。
前日の静かな祈りとは対照的に、会場は明るい熱気で満ちていた。
まず始まったのは、サバニ漕ぎ体験・陸上版。
本物の海に出るには安全管理が難しいため、陸上に固定した模擬サバニで、子どもたちがパドルの動きを体験する企画だった。
香澄がMCを務める。
「さあ皆さん! 糸満海人の魂、サバニ漕ぎ体験ですばい! 今日は安全のため、陸上版でいきますたい!」
のどかが張り切って前へ出た。
「よっしゃ、うちが見本見せたるわ!」
彼女がパドルを握って力いっぱい漕ぐと、固定された模擬サバニがぎしっと揺れた。
凪が即座に注意する。
「のどかさん、船を揺らさない」
「まだ海に出とらんのに?」
「陸でも事故は起きます」
会場が笑う。
伊織は子どもたちに丁寧に教える。
「力任せじゃなくて、海と呼吸を合わせるさー。風と波を読むのが大事なわけ。糸満の海人は、それができたから遠くまで行けたんだよ」
梨乃もパドルを持つ。
「舟さん、進むだでー」
柚葉が言う。
「すでに話しかけていますね」
ゆりえが微笑む。
「でも、子どもたちが真似しています」
実際、子どもたちは梨乃の真似をしていた。
「サバニさん、進めー!」
「舟さん、がんばれー!」
香澄が笑いながら実況する。
「梨乃ちゃん語録、糸満でも広がっとりますばい!」
次は、大漁旗デザイン大会。
子どもたちが紙の大漁旗を描き、海と魚とサバニのイメージを自由に表現する企画である。
ゆりえは優しく色使いを教える。
「海の青と魚の銀色を入れると、すごくきれいですよ」
柚葉は大胆な助言をする。
「大漁旗は遠くから見て強い方がいいです。遠慮した線は海に負けます」
莉央は子どもたちの衣装や立ち位置まで見ている。
「その赤、いいね! 写真撮る時に顔が明るく見えるよ! 旗を持つ時は背筋伸ばして!」
ひなたが小声で言う。
「莉央さんは、競技の枠を超えて見栄え管理をしています」
真白が頷く。
「売り場でも見せ方は大事やで」
梨乃は、自分の旗に大きく「サバニさん」と書いた。
つばさが優しく聞く。
「梨乃ちゃん、これは舟の名前?」
梨乃は真剣に答える。
「友だちの名前だで」
のどかが笑う。
「梨乃、海にも友だち増やしとる」
続いて、糸満市場おつかいリレー。
参加者はカードに書かれた品物を、模擬市場ブースから探して持ってくる。
もずく。
かまぼこ。
島豆腐。
マグロ。
にんじん。
たわし。
ゴム紐。
応援しゃもじ。
最後の三つは、明らかに市場というより真白の在庫である。
真白は、ここでも天秤行商を始めていた。
「もずくもあるで! かまぼこもあるで! 島豆腐もあるで! ついでにゴム紐もたわしもあるで! 暮らしに必要なもんは、港でも売れるんやて!」
ひなたが冷静に言う。
「海産物の横にゴム紐がある理由は不明ですが、在庫回転率は高いです」
菜々子が感心する。
「真白ちゃん、商売が強かね」
真白は胸を張った。
「岐阜から持って来たで、売れ残らせたら品物に申し訳ないです」
おつかいリレーのはずが、途中から真白の天秤行商大会になりかける。
子どもがたわしを持って走る。
親が応援しゃもじを買う。
地元の海人がゴム紐をまとめ買いする。
莉央が呟く。
「なんでこんなに売れるん?」
真白は淡々と答える。
「必要な人に、必要な時に、必要な物を出す。それが商いです」
伊織が感心する。
「糸満海人の商売魂にも通じるかもしれないさー」
最終的に、真白の天秤行商は謎の生活雑貨まで含めて完売した。
たわし完売。
ゴム紐完売。
応援しゃもじ完売。
ふきん完売。
なぜか持ってきていた小さな洗濯ばさみまで完売。
真白は空になった天秤かごを見て、静かに言った。
「在庫が空になると、心が軽いです」
澪がいれば「商人の悟り」と言いそうな場面だったが、澪はもう関東へ帰っている。
代わりに梨乃が言った。
「真白さん、完売さんだで」
真白は少し照れた。
「さん付けされるとは思わんかったです」
次は、海人ロープワーク教室。
漁師町らしく、ロープの結び方を学ぶ教室である。
真白が実演する。
「荷崩れ防止も、船の結びも、最後は結び方が命やで」
凪が補足する。
「正しい結び方は事故を防ぎます。ほどけにくいことと、必要な時にほどけることの両方が大切です」
のどかは力任せに結ぼうとする。
凪が即座に止める。
「締めすぎです」
「強い方がええじゃろ」
「ほどけなくなります」
つばさは子どもたちに寄り添う。
「難しかったら一緒にやるとです。焦らんでよかよ」
千鶴は手を痛めた子がいないか見守る。
「指を挟まないようにしてくださいね。疲れたら休んで大丈夫ですよ」
イベントの最後は、海人伝説クイズ。
香澄がマイクを握る。
「糸満の海人が使った伝統的な木造船は何でしょう?」
梨乃が元気よく手を挙げる。
「サバニさん!」
香澄が笑う。
「さん付けですが正解ですばい!」
会場から拍手が起きる。
続いて香澄が問う。
「昔の糸満の漁師さんは、どれくらい遠くまで漁に出たと言われているでしょう?」
のどかが思わず叫ぶ。
「フィリピン海方面って、ほんまに行きすぎじゃろ!」
会場が笑う。
伊織が地元目線でまとめる。
「糸満の海人は、海を恐れながらも、海を生きる場所にした人たちさー。すごいで終わらせたらもったいないわけ。どうして遠くまで行けたのか。どうやって魚を捕って、売って、暮らしを支えたのか。そこまで学ぶのが大事だと思う」
千鶴が頷く。
「昨日、命や平和の重さを学んで、今日は生きるための海の力を学んでいる気がします」
菜々子支配人が静かに受ける。
「昨日学んだ命の重さと、今日見る暮らしの強さは、ちゃんとつながっとるたい」
イベントは大盛況だった。
子どもたちはサバニ体験に夢中になり、大人たちは大漁旗デザインに笑い、市場おつかいリレーでは観客が大声で応援した。
地元の海人たちも満足そうだった。
「ヒロ九、なかなかやるな」
「糸満のこと、ちゃんと面白く伝えてくれたさ」
「真白さん、次もゴム紐持ってきて」
真白は真剣に頷く。
「需要を確認しました」
香澄が最後の挨拶をする。
「糸満の海、糸満の人、糸満の元気! 今日は皆さんと一緒に、たいぎゃ楽しい時間になりましたばい!」
会場から大きな拍手が起きる。
菜々子も続ける。
「昨日は手を合わせる日。今日は笑顔をつなぐ日。どっちも、ヒロ九にとって大事なクエストたい」
千鶴は、非売品の戦隊ヒロインてぬぐいをバッグの中に入れたまま、静かに頷いた。
「平和って、ただ祈るだけじゃなくて、こういう暮らしや文化を大切にすることでもあるんですね」
のどかも頷く。
「守るって、戦うだけじゃないけぇね」
イベントは、笑顔と拍手の中で無事に終了した。
市民も、海人も、観光客も、子どもたちも大満足。
ヒロインたちも疲れてはいたが、充実した表情をしていた。
片付けが始まる。
真白は空になった天秤かごを確認し、ひなたは備品チェックリストを読み上げ、凪はロープや模擬サバニの固定具を確認していた。
梨乃は模擬サバニへ手を振る。
「サバニさん、まただで」
柚葉が苦笑する。
「最後まで舟を友だち扱いですね」
ゆりえはその様子を写真に収める。
「でも、いい写真です」
その時だった。
港の方から、少しざわついた声が聞こえた。
「おい、あの荷物、誰が動かした?」
「倉庫の鍵、閉めたよな?」
「さっき、見慣れん連中が港の奥に入っていったぞ」
別の声が続く。
「観光客じゃないのか?」
「いや、イベントの混雑に紛れてた。外国語で何か話しながら、ずっと倉庫の方を見ていたんだ」
凪の表情が変わった。
「今の声、様子がおかしいです」
ひなたもすぐに資料を閉じる。
「備品紛失、倉庫侵入、外部者の不審行動。確認が必要です」
伊織の顔から笑みが消える。
「港で何か起きてるさー」
つばさも不安そうに言う。
「イベントの混乱に紛れたとですか……?」
真白は空の天秤かごを置いた。
「盗みは商いと真逆です。許せんですね」
そして、のどかが静かに立ち上がった。
さっきまで、子どもたちと笑い、海人の話に驚き、糸満の力強さに感心していた彼女の目が、明らかに変わっている。
曲がったことが大嫌いな女。
広島弁が低くなる時は、だいたい危ない。
のどかは、港の方を見つめて言った。
「楽しいイベントの裏で、地元の人らの大事なもん盗むいうんか」
誰も茶化さなかった。
のどかの声は、怒鳴っていないのに重かった。
「許さんけぇね」
梨乃が小さく言う。
「のどか、怒っとるだで……」
千鶴が緊張した顔で頷く。
「これは、放っておけません」
菜々子支配人も表情を引き締める。
「ヒロ九、確認に行くたい。ただし、安全第一。勝手に突っ込まんこと」
凪が頷く。
「周囲の安全確認を優先します」
伊織は拳を軽く握る。
「糸満の港で勝手なことはさせないさー」
香澄はマイクを置いた。
もうMCの時間ではない。
ヒロインたちは、港の方へ向かって動き出す。
海風は、さっきまでと同じように明るかった。
けれど、港の奥から流れてくる空気だけが、少し違っていた。
糸満海人フェスは大成功に終わった。
だが、その盛り上がりの裏で、誰かが港を狙っていた。
平和学習の翌日に開かれた明るいイベントは、笑顔で終わるはずだった。
しかし、曲がったことが大嫌いなのどかの怒りに火がついた時、ヒロ九の次なるクエストは、静かに動き出していた。




