ヒロ九クエスト第81話 糸満へ向かう黒煙バス ――笑いのあとに、手を合わせる日
戦隊ヒロインサミット那覇は、大盛況のうちに幕を閉じた。
漫湖公園に集まった観客たちは、最後まで笑い、拍手し、そして千鶴の最高殊勲賞受賞に涙した。
伊吹真白の天秤行商は、戦隊ヒロイングッズからヒロヒロ限定応援しゃもじ、ゆりえと柚葉の写真集、さらにはたわしやゴム紐まで売り切る勢いだった。香澄の熊本弁MCは冴え渡り、ノムさんは広島弁で「戦隊ヒロインプロジェクトにゃあ金はない。じゃが、夢はあるんじゃ。ええじゃろうが!」と強引にまとめた。
賞品は少しショボかった。
けれど、夢はあった。
その翌朝。
ヒロ九ラッピングバスは、那覇市内で出発準備をしていた。
今日の目的地は、本島南部。
沖縄戦の記憶を学ぶ、平和学習の日である。
ただし、その前に別れがあった。
南部へ向かう前に、神奈川県在住の南部沙羅と水無瀬澪が帰京することになっていた。
二人は、もともと戦隊ヒロインサミット那覇までの参加予定だった。関東での別イベントが入っており、スケジュール上、ここで那覇空港へ向かわなければならない。
予定通り。
何もおかしくない。
ただ、二人とも妙に不満そうだった。
沙羅は腕を組み、澪はいつも以上に眠そうな顔で、モノレール駅へ向かう準備をしている。
のどかが笑う。
「なんじゃ、二人とも顔が帰京向きじゃないのう」
澪はぼそっと言った。
「糸満までいきたかったんだけどね。関東のイベントなら、私じゃなくて別のヒロインでもいいんじゃないかな。知らんけど」
一同が少し驚く。
澪がここまで不満を言うのは珍しい。
梨乃は目を丸くした。
「澪ちゃん、行きたかっただか?」
澪は小さく頷く。
「糸満、呼んでた」
沙羅はなぜか胸を張る。
「私は人気者だから仕方ないけどね」
伊織が笑った。
「寂しいなら寂しいって言えばいいさー」
沙羅はすました顔で答える。
「寂しいとは言っていないわ。私は人気者だから、関東が私を必要としているだけよ」
柚葉が小声で言う。
「高飛車に見せかけた未練ですね」
ゆりえも微笑む。
「分かりやすいですね」
沙羅が少し赤くなる。
「聞こえているわよ」
前日の会場名が出るたびに、沙羅と澪は微妙な表情をしていた。
香澄が「漫湖公園」と言うたびに沙羅は姿勢を正し、澪は「正しさと空気の戦い」と呟き、柚葉は横で肩を震わせていた。
その反応がすっかり定番になっていたため、梨乃は最後まで不思議そうだった。
「沙羅ちゃんと澪ちゃん、昨日もずっと何かと戦っとっただで」
沙羅は咳払いする。
「正式地名に敬意を払っていただけよ」
澪が眠そうに言う。
「敬意と動揺」
「澪」
しかし、笑いながらも、別れの空気は少しずつ近づいていた。
千鶴が前に出る。
前日の最高殊勲賞で受け取った非売品の戦隊ヒロインてぬぐいを、彼女は大事そうにバッグに入れている。
「沙羅さん、澪さん。短い間でしたけど、本当にありがとうございました」
沙羅は千鶴を見つめ、いつもの少し高飛車な表情をやわらげた。
「千鶴さん、あなたはもう立派なヒロインよ。途中参加だからと遠慮する必要はないわ。残りの遠征も、みんなを支えてあげて」
千鶴は目を潤ませる。
「ありがとうございます。私、飛び入り参加みたいな形だったのに、皆さんに本当に温かくしていただいて……」
澪も短く言う。
「千鶴さん、MVPは本物」
千鶴は泣き笑いになる。
「賞品はショボかったですけどね」
澪が少しだけ口元を緩めた。
「そこも本物」
沙羅は千鶴の肩にそっと手を置く。
「あなたの優しさと落ち着きは、ちゃんと現場を支えていたわ。自信を持ってください。」
千鶴は深く頭を下げた。
「はい。ありがとうございます」
梨乃は我慢できず、沙羅と澪に抱きついた。
「また会おうだで……!」
沙羅は少し困ったように笑いながら、梨乃の背中を軽く叩く。
「ええ。また会えるわ」
澪は梨乃の頭を撫でる。
「梨乃、地名と魚を間違えないように」
「努力するだで」
のどかが笑う。
「努力目標なんじゃね」
沙羅と澪は、後ろ髪を引かれる思いでモノレールへ向かった。
ホームへ向かう直前、沙羅は振り返る。
「南部の平和学習、きちんと見てきなさい。私たちの分まで」
澪も小さく手を上げた。
「糸満、よろしく」
梨乃が大きく手を振る。
「沙羅ちゃーん! 澪ちゃーん! まただでー!」
二人の姿が見えなくなると、車内には少しだけ静けさが残った。
菜々子支配人が静かに言う。
「さあ、行くたい。今日は、ちゃんと学ぶ日たい」
ヒロ九ラッピングバスは、那覇市街地を抜け、まず旧海軍司令部壕へ向かった。
昨日までのような派手なMCはない。
香澄もマイクを持たず、窓の外を見ている。
伊織は地元沖縄の人間として、いつもより少し低い声で話した。
「ここからは、楽しい観光だけじゃないさー。沖縄に来たなら、ちゃんと見て、ちゃんと考えてほしい場所があるわけ」
旧海軍司令部壕に到着すると、ヒロインたちは自然と口数が減った。
地下へ続く階段。
冷たい空気。
薄暗い通路。
壁に残る痕跡。
そこには、戦争が本当に人間の生活の中に入り込み、人を追い詰めたという現実があった。
梨乃は、地下壕の暗さに肩をすくめた。
「暗いだで……怖いだで……」
いつもの梨乃なら、ここで何か頓珍漢なことを言って沙羅に突っ込まれるところだった。
だが、今日は違った。
誰も笑わなかった。
のどかが梨乃の横に立つ。
「怖いって思うんは、変なことじゃないけぇ」
伊織も頷く。
「そうさー。ここは、怖いって感じることも大事だと思う」
ヒロインたちは、展示を一つ一つ見ていく。
千鶴は、看護を学ぶ者として、戦時下の医療や負傷者の姿を想像してしまう。
「医療って、人を助けるためにあるはずなのに……戦争の中では、助けたい人がいても、助けきれない状況があったんですね」
つばさは、遺された言葉や資料の前で立ち止まる。
「一人一人に家族がいて、言いたいことがあって、帰りたい場所があったんですよね。歴史って言うと遠く感じるけど、ここにあったのは人の声だったんだと思うとです」
凪は地下壕の構造を見ながら、静かに言う。
「安全管理という言葉では追いつかない状況です。安全な場所が奪われるということ自体が、どれほど恐ろしいかを感じます」
ひなたは資料を見つめる。
「組織が極限状態に置かれた時、命より命令や体面が優先されることがあります。それがどれだけ危険か、現代の運営にも通じる教訓です」
香澄は、いつもの明るさを消していた。
「昨日まで、あんなに笑っていた沖縄に、こういう場所があるとですね……知らんまま盛り上がるだけでは、いかん気がします」
莉央は、普通の日常が奪われることに胸を痛める。
「髪型とか服とか、写真映えとか、そういう小さな楽しみが普通にあることって、当たり前じゃないんですね」
真白は物流に関わる者らしく、別の角度から考える。
「道が壊れる。物が届かん。人が動けん。そうなると、暮らしはあっという間に壊れてまうんやね」
ゆりえは静かに言う。
「笑顔の写真を撮れることも、平和があるからなんですね」
柚葉も頷く。
「強い写真より、普通に笑っている写真の方が、ずっと大切な時がありますね」
菜々子支配人は、全員を見回す。
「私たちは人前に立つ仕事をしとる。楽しいことを届けるだけじゃなくて、こういう場所で感じたことも、自分の中に持っておかんといかんたい」
そして、のどかは誰よりも静かだった。
広島にルーツを持つ被爆四世。
のどかにとって、戦争の記憶は教科書の中だけのものではない。
もちろん、沖縄戦と広島の原爆被害は同じものではない。
けれど、普通の暮らしが壊され、若い命が失われ、人が人でいられない状況へ追い込まれるという一点で、のどかの中では深くつながっていた。
のどかは壁を見つめ、低く言った。
「戦争って、ほんまに、人を人でなくしてしまうんじゃね」
誰もすぐには返せなかった。
伊織が静かに頷く。
「だから、ちゃんと学ばないといけないさー」
伊織は、地元沖縄で教員を目指している。
いつもは明るく、酒にも強く、豪快に笑う彼女が、この時は真剣そのものだった。
「沖縄戦を学ぶって、誰かを責めるためでも、政治的な言い合いをするためでもないと思う。イデオロギーで相手を叩く材料にしたら、亡くなった人たちに失礼さー」
伊織は続ける。
「何が起きたのか。普通に暮らしていた人たちが、どうして戦争に巻き込まれたのか。若い人たちが、なぜ危険な場所に立たされたのか。正しい平和学習って、事実を見て、命の重さを考えて、同じことを繰り返さないために、自分の頭で考えることだと思うわけ」
その言葉は、地下壕の冷たい空気の中で静かに響いた。
千鶴はそっと頷いた。
「教える人が、そういう姿勢でいてくれるのは、大事だと思います」
のどかも言う。
「広島でもそうじゃけぇね。怒りだけでも、悲しみだけでも足りん。ちゃんと知って、ちゃんと受け止めて、次に渡すことが大事なんよ」
旧海軍司令部壕を出た時、外の光が眩しかった。
誰もすぐには話さなかった。
地上の風が、さっきまでより少しだけありがたく感じられた。
ヒロ九ラッピングバスは、さらに南へ進む。
次の目的地は、ひめゆりの塔と、ひめゆり平和祈念資料館だった。
バス車内は静かだった。
香澄はマイクを握らない。
梨乃も、窓の外をじっと見ている。
千鶴は膝の上で手を重ねている。
伊織は前を向いたまま、何も言わない。
やがて、ひめゆりの塔に到着した。
資料館では、沖縄戦に動員された女子生徒たちの記録が伝えられていた。
ヒロインたちは、その事実に言葉を失う。
自分たちよりも年下の女子たち。
学校に通い、友だちと話し、家に帰り、未来を持っていたはずの少女たち。
その少女たちが、戦争に巻き込まれ、命を落とした。
香澄は小さく言った。
「同じくらい、もっと若い子たちもいたとですね……」
千鶴は、看護学生として強く受け止める。
「看護をするために動員されて、でも、自分たちも守られなかった。助ける側の人たちも、まだ守られるべき若い人たちだったんですよね」
つばさは涙をこらえながら言う。
「声を聞きたいです。怖かったこと、帰りたかったこと、言いたかったこと……本当はもっと、たくさんあったと思うとです」
凪は静かに拳を握る。
「命を守る仕組みが崩れると、若い人たちまで危険な場所へ追い込まれる。安全とは、設備だけではなく、社会そのものが守られている状態なんだと思います」
ひなたは資料を見つめる。
「準備や計画があっても、命を守るという前提が失われれば、すべてが破綻します。運営の責任とは、本来、人を守るためにあるべきです」
莉央は声を震わせる。
「おしゃれをしたり、髪を整えたり、友だちと笑ったり、そういう普通のことができる時間を、もっと大切にしないといけないですね」
真白は、ゆっくり言う。
「家に帰れること、学校に行けること、働いてご飯を食べられること。それがどれだけ大事か、忘れたらあかんです」
ゆりえは展示写真を見つめる。
「笑顔を残す仕事をしているからこそ、笑顔が奪われる時代を繰り返してはいけないと思います」
柚葉はいつもの鋭い口調ではなく、静かに言った。
「強さを見せる写真より、普通に生きている写真の方が、本当はずっと強いのかもしれません」
菜々子支配人は、全員へ向けて言う。
「戦隊ヒロインは、子どもたちの前にも立つ。だから、楽しいだけじゃなくて、命の重さをちゃんと分かっとる人でありたいね」
梨乃は資料を見つめながら、ぽつりと言った。
「若い子たち、怖かっただろうな……帰りたかっただろうな……」
その言葉は素朴だった。
だが、その場にいる誰の胸にも残った。
そして、のどかは誰よりも長く展示の前で立ち止まっていた。
広島の記憶を背負う家に生まれた者として、沖縄の少女たちの記録を前にすると、言葉が簡単には出てこなかった。
のどかは、静かに言う。
「うちらは、強くなるために柔道しとるとか、戦隊ヒロインしとるとか、そう思いがちじゃけど……本当に強いって、誰かを倒すことじゃないんよね。誰かが普通に生きられる世の中を守ることなんじゃと思う」
伊織も頷いた。
「平和って、ただ戦争がないってだけじゃないさー。人が、人として暮らせること。学校へ行けて、家に帰れて、笑えて、好きなことができること。それを守るために、私たちはちゃんと学ぶ必要があるわけ」
資料館を出た後、ヒロインたちはひめゆりの塔の前で静かに手を合わせた。
ここでは、誰も喋らなかった。
香澄も、菜々子も、ひなたも、千鶴も、つばさも、凪も、のどかも、伊織も、莉央も、真白も、ゆりえも、柚葉も、梨乃も。
それぞれが、それぞれの思いで手を合わせる。
のどかは、誰よりも長く祈った。
伊織も、地元の人間として深く頭を下げた。
梨乃は小さく手を合わせながら、ぽつりと言う。
「みんなが帰れる場所があるのが、平和だで」
誰も突っ込まなかった。
その言葉は、今日の梨乃の中から自然に出た、まっすぐな答えだった。
ひめゆりの塔を後にする時、ヒロインたちは誰も騒がなかった。
黒煙バスに戻っても、しばらく車内は静かだった。
香澄はマイクを持たない。
ひなたも資料を閉じている。
千鶴は、前日に受け取った非売品の戦隊ヒロインてぬぐいをそっと握った。
「昨日は、ヒロインとして認めてもらえた気がしました。今日は、ヒロインとして何を大切にしなきゃいけないか、少し分かった気がします」
菜々子が頷く。
「そうたい。戦隊ヒロインは、笑顔を作るだけじゃない。笑顔が続く世の中を大事にすることも必要たい」
伊織は静かに言う。
「沖縄に来たなら、楽しい場所だけじゃなくて、こういう場所にも向き合ってほしいさー。平和学習は、暗い話をするためじゃない。これからを明るくするために必要なんだと思う」
のどかは窓の外を見ながら、小さく笑う。
「うちらが守るんは、イベントの笑顔だけじゃないけぇね」
梨乃がぽつりと言った。
「今日は、静かなクエストだっただな」
菜々子は優しく答える。
「そうたい。戦うクエストじゃなくて、忘れんためのクエストたい」
黒煙バスは、糸満へ向かう道をゆっくり走る。
前日までのような爆笑はない。
けれど、車内には清らかで強い空気があった。
ヒロ九の沖縄遠征は、笑いと拍手だけでは終わらない。
その土地に残る痛みを知り、手を合わせ、忘れないと決めること。
それもまた、戦隊ヒロインたちに必要なクエストだった。




