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ヒロインズ・リンク 〜戦隊ヒロインプロジェクト〜  作者: スパイク


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1067/1202

『白いエプロンの工作員――娘の知らない、母の極秘任務』 第3話 『国家は娘を消せと命じた』 ――白桃パフェの向こうで、四人は祖国を敵に回す

ジェネラス・リンクが流した情報は、まだ完全な真実ではなかった。


白石陽菜の実父が誰なのか。


実母が今、どこで何をしているのか。


二十年前、誰が出生記録を書き換え、誰が白石家への養子縁組を成立させたのか。


敵が手にしているのは、断片だけだった。


だが断片だからこそ、政府内部の人間は恐れた。


完全な証拠が表へ出てからでは遅い。


白石陽菜の出生が公になれば、歴代政権が封印してきた秘密作戦、外交上の裏取引、情報機関同士の不正な協力関係まで、一本の糸でつながってしまう。


ジェネラス・リンクの狙いは、真実を自ら暴露することだけではない。


国家に恐怖を植えつけ、国家自身の手で陽菜を排除させることだった。


     ◇


波田巌蔵が呼び出されたのは、霞が関の官庁街から少し離れた、表札のない灰色の建物だった。


正面玄関には警備員が二人。


受付には組織名がない。


渡された入館証にも、ただ数字が印字されているだけだった。


案内された地下の会議室には窓がなかった。


机の上には資料も筆記具もない。


議事録を残さない会議。


出席者の名前すら、どこにも記録されない。


波田の向かいに座る三人の男は、自分たちの組織を「政府」とは呼ばなかった。


彼らが使った言葉は、ただ一つだった。


当局。


中央に座る男が、感情のない声で告げた。


「白石陽菜に関する情報漏洩の可能性が高まっています」


「そんなことは分かってる」


波田は腕を組んだ。


「怪文書が出回り、大学にも侵入された。だからオイラを呼んだんだろ」


「それだけではありません」


男は続ける。


「国外の非公認組織が、旧政府資料保管庫から流出した記録へ接触した形跡があります」


「ジェネラス・リンクか」


「組織名を断定する段階にはありません」


「名前なんざどうでもいい。陽菜を狙ってる連中がいる。それをどう止めるかを話せ」


当局側の三人は、誰も表情を変えない。


波田は嫌な予感を覚えた。


彼らは陽菜を守る方法について話すために、自分を呼んだのではない。


中央の男が言う。


「情報拡散が不可避と判断された場合、対象の無力化を行います」


波田の眉が動く。


「無力化とは何だ」


「言葉どおりです」


「だから、具体的に言え」


沈黙。


その沈黙だけで、意味は十分だった。


事故。


病死。


失踪。


あるいは、何らかの事件へ巻き込まれた形にする。


社会から白石陽菜という存在を消し、出生の証拠そのものを失わせる。


波田は机へ拳を叩きつけた。


「そんなこと、オイラが許さん!」


鈍い音が会議室へ響く。


しかし、男たちは瞬き一つしなかった。


「波田さん。あなたの許可を必要とする案件ではありません」


「十八の娘だぞ」


波田は立ち上がる。


「本人は何も知らねえ。自分が誰の子かも、どうして白石家へ来たのかも、何が国家機密なのかも知らねえんだぞ!」


「知識の有無は問題ではありません」


「何だと」


「存在そのものが証拠です」


波田は男へ詰め寄ろうとした。


だが、両脇の警備担当者がわずかに動く。


ここで暴れても何も変わらない。


一人を殴れば、別の者が命令を引き継ぐ。


相手は官僚個人ではない。


顔のない国家権力そのものだった。


「白石陽菜の実父が誰であるか、公になった場合の影響は予測不能です」


男は淡々と続けた。


「実母の過去についても同様です。二十年前の作戦記録が発掘されれば、複数の国との関係に重大な影響が生じます」


「だから、陽菜を殺すのか」


「国家を守るための措置です」


波田は男を睨んだ。


「国家ってのはな、国民を守るためにあるんじゃねえのか」


「一人の国民と国家全体を同列には扱えません」


「その一人を切り捨てて守った国家に、何の意味がある」


誰も答えない。


波田は踵を返した。


扉へ向かったところで、背後から声が飛ぶ。


「二十年前も同じ判断をされたはずです」


波田は足を止めた。


「母親から娘を引き離し、出生記録を封印した。その結果、二人とも生存した」


波田は振り返らずに答えた。


「生き残ることと、生きることは違うんだよ」


会議室を出た波田は、人気のない廊下で胸ポケットを探った。


胃薬の小さなケースを取り出す。


一錠。


少し考える。


もう一錠。


口へ入れかけて、用法を思い出した。


一日二錠。


午前中にすでに一錠飲んでいた。


波田は二錠目だけを飲み、残りをケースへ戻す。


「国家権力より、説明書の方が融通利かねえな」


声に出してみたが、笑えなかった。


     ◇


数日後、波田は白石家を訪れた。


白石源三郎は定期検査で病院へ出かけている。


陽菜も大学。


応接室には波田と杉本恵の二人だけだった。


白いエプロン姿の恵が、静かに紅茶を淹れる。


湯の音。


茶葉の香り。


陶器が触れ合うかすかな音。


表面上は、客をもてなす家政婦と、旧知の客人の穏やかな時間だった。


だが二人にとっては、二十年前の関係が戻る瞬間でもあった。


上司と部下。


政府高官と工作員。


命令を出す者と、実行する者。


波田は競馬新聞を持っていたが、開きもしなかった。


恵がカップを置く。


「本日は、随分とお顔色が優れませんね」


「お前に言われたくねえ」


「私は健康でございます」


「二十年ぶりに世界中へ怪しい紅茶を注文してる家政婦が、健康そのものに見えるか」


「最近は通信販売が便利になりましたので」


波田は睨んだ。


恵は笑顔を崩さない。


短い沈黙の後、波田は低い声で言った。


「当局が動いた」


恵の指先が、ティーポットの取っ手へ触れたまま止まる。


「どの程度でございましょう」


「最悪だ」


「具体的には?」


波田は恵を見る。


「秘密が漏れるくらいなら、陽菜を消す」


応接室の空気が一変した。


恵の表情は動かない。


だがカップを置く動作が、ほんの一瞬だけ遅れた。


「どなたが、その判断を?」


「聞くな」


「指揮系統は?」


「聞くなと言っている」


「実働を担当する部署は?」


「恵」


波田の声が強くなる。


「殺しに行く相手の住所を聞く顔で質問するな」


「私は白石家の家政婦でございます」


「家政婦は政府の実働部署を三段階で確認しねえ」


「一般的な危機管理でございます」


「お前の一般は、二十年前から一般じゃねえ」


恵は一度、目を伏せた。


それから静かに尋ねる。


「陽菜さまは、いつから処分対象なのでしょう」


波田は答えられない。


出生の瞬間から、陽菜は国家にとって危険な存在だった。


当時の秘密協定に、最悪の場合の排除条項が含まれていた可能性もある。


波田自身、すべてを知らされていたわけではない。


「二十年ぶりに命令する」


波田は言った。


恵が顔を上げる。


一瞬だけ、二人は完全に昔の上司と部下へ戻った。


「勝手に動くな」


恵は波田を見つめた。


「二十年前の最後のご命令は、娘を手放せというものでございました」


波田の顔が歪む。


「生かすためだった」


「今回は、陽菜さまが殺される可能性を承知で、動くなと?」


「お前が動けば、連中は確信する。東洋のマタ・ハリが生きていて、白石陽菜を守っているとな」


「すでに、かなりのところまで知られております」


「だからこそだ」


「では、何もせず待てと?」


「オイラが何とかする」


「どのように?」


波田は答えられない。


正式な権限はない。


実働部隊もない。


当局へ正面から逆らえば、自分自身が拘束される。


二十年前の機密を知る人間として、陽菜より先に処理される可能性さえあった。


恵は、その沈黙だけですべてを理解した。


「旦那さまには?」


「まだ話すな。源三郎の体に負担をかける」


「承知しております」


「陽菜にも絶対に気づかせるな」


「それも、承知しております」


波田は立ち上がった。


「頼むから、今度だけは命令を聞け」


恵は深く頭を下げる。


「善処いたします」


波田は足を止めた。


「お前が“善処する”と言った時は、絶対に従わねえ時だ」


「長いお付き合いでございますね」


「笑い事じゃねえ」


「笑ってはおりません」


「その顔で言うな」


二十年ぶりの上司と部下の会話は、命令不服従の確認だけで終わった。


     ◇


波田はその足で、新橋ヒロ室へ向かった。


地下会議室に呼ばれた安岡真帆は、波田の顔を見るなり眉をひそめた。


「顧問、胃薬の匂いがします」


「匂いで分かるものなのか」


「最近、飲みすぎです」


「当局と話してみろ。水みたいに飲みたくなるぞ」


真帆は冗談を返さなかった。


波田が軽口を使う時は、深刻な話を持ってきた時だと知っている。


「当局は、秘密が漏れるなら陽菜を消す」


波田は、前置きなく告げた。


真帆の顔から血の気が引く。


「消す、とは?」


「聞き返すな。お前なら分かる」


真帆は両手を机の上で組んだ。


陽菜の笑顔が浮かぶ。


イベントの台本へ何度も目を通す姿。


困っている子どもへ真っ先に駆け寄る姿。


元総理に「可愛らしいねぇ」と言われ、数日間ずっと機嫌がよかった姿。


その少女を、国家が都合の悪い証拠として排除しようとしている。


「陽菜さんは、何も知りません」


「当局にとっては関係ねえ」


「国民を守るための国家が、国民を殺すのですか」


「連中は、国民一人と国全体を天秤にかけてる」


「間違っています」


「分かってる」


真帆は黙り込んだ。


政府へ逆らえば、政治家としての将来は終わる。


官僚や政界との人脈を失う。


危険人物として監視され、立候補さえ難しくなるかもしれない。


長い年月をかけて築いてきたキャリアが、一度の選択で崩れる。


それでも、答えは決まっていた。


「私は陽菜さんを守ります」


波田が真帆を見る。


「お前の経歴も将来も、全部吹き飛ぶぞ」


「構いません」


「簡単に言うな」


「簡単ではありません」


真帆の声が僅かに震えた。


「私は政治家になりたいと思っています。制度を変えたい。いつか自分の責任で政策を決めたい」


真帆は唇を結ぶ。


「ですが、陽菜さん一人を守れずに、何を変えるというのですか」


波田は何も言えなかった。


「国家に背いた人間として政治生命を失うなら、それまでです」


「陽菜には知られねえぞ」


「結構です」


「感謝もされねえ」


「それで構いません」


真帆は静かに答える。


「何も知らず、普通に笑っていてくれれば、それで十分です」


     ◇


真帆は西園寺綾乃にも事実を伝えた。


通信機器をすべて外へ出し、会議室の扉を施錠する。


普段の綾乃は感情を表へ出さない。


危険な相手へも柔らかく微笑み、京言葉の奥に本心を隠す。


しかし真帆が、


「当局は必要であれば、陽菜さん本人を排除します」


と告げた瞬間、綾乃の笑みが消えた。


「排除?」


「白石陽菜という存在を消す、という意味です」


綾乃の右手が震えた。


恐怖ではない。


怒りだった。


机の上の紙コップが、指先へ触れて小さな音を立てる。


「国いうんは、何のためにあるんどす?」


真帆は答えない。


「十八の女の子を守るためやのうて、その子を殺して秘密を守るためにあるんどすか?」


「綾乃さん」


「陽菜はんは、何も知りまへん」


「分かっています」


「毎朝、白いリボンを結んでもろて、大学へ行って、新しいパフェの発売日を楽しみにしてるだけの子どす」


綾乃は立ち上がった。


「そないな子を、存在そのものが証拠や言うて消す?」


その声に、いつもの柔らかさはない。


「誰が命令したんどす」


「まだ特定できません」


「特定します」


「感情だけで動かないでください」


綾乃は真帆を見た。


「これは感情やおへん」


「では何ですか」


「優先順位の確認どす」


綾乃は静かに言った。


「国家機密より、陽菜はんの命を先に守ります」


真帆も頷く。


「私もです」


二人の立場は違う。


真帆は制度の中から守ろうとする。


綾乃は制度の外から守ろうとする。


だが結論だけは同じだった。


     ◇


その週末。


陽菜、恵、綾乃の三人は、大学近くのカフェを訪れた。


目的は、期間限定の新作スイーツ。


白桃とアールグレイのプリンパフェ。


少なくとも陽菜の目的は、それだけだった。


恵と綾乃にとっては、旧情報網と新情報網の停戦交渉である。


三人は窓際の席へ案内された。


陽菜はメニューを両手で持ち、目を輝かせている。


「見てください。白桃が五切れも載っています」


恵は窓の外に停まった黒い車を確認する。


綾乃は壁の鏡へ映る、背後の男性客の手元を見ていた。


陽菜だけがパフェの写真を見ている。


「上には白いリボンの形をしたチョコも載っています」


「ようできてますなぁ」


綾乃は、男が同じページを十分以上読み続けている雑誌へ目を向けながら答える。


恵は運ばれてきた水のグラスを手に取り、底面に何も仕掛けられていないことを確認する。


陽菜が二人を見る。


「お二人とも、入口ばかり見ていますね」


「人の出入りが多いお店どすなぁと思うて」


「繁盛している証拠でございます」


「ダイエット中ですか?」


「違います」


二人は同時に答えた。


やがてパフェが運ばれてくる。


陽菜がすぐスプーンを持つ。


綾乃が止めた。


「陽菜はん、写真は撮らんでよろしいの?」


陽菜の顔が固まる。


「危ないところでした」


国家の工作員より先に、パフェの撮影忘れを察知した綾乃。


陽菜は正面、斜め上、白桃のアップ、リボン型チョコのアップと、何枚も撮影を始める。


その間に恵が小声で言う。


「古い茶葉と新しい茶葉は、別々に保管した方がよろしいかと存じます」


旧情報網と新情報網を、安易に統合すべきではないという意味だった。


綾乃が返す。


「別々に置いといたら、互いに同じ相手を敵やと思うて潰し合いますえ」


「香りが合わなければ、全体が台無しになります」


「一度混ぜてみんことには分かりまへん」


陽菜が顔を上げた。


「紅茶の話ですか?」


二人は同時に答える。


「はい」


陽菜はパフェを一口食べた。


「でも、このパフェは白桃と紅茶が一緒だからおいしいんですよ」


恵と綾乃が黙る。


「違う味でも、ちゃんと組み合わせればおいしくなるんじゃないですか?」


本人は完全にスイーツの話をしている。


だが、その一言が二つの情報網の問題に対する答えになっていた。


綾乃が微笑む。


「陽菜はんが、混ぜた方がええ言うてはりますえ」


「陽菜さまはパフェのお話をしておられます」


「せやけど、正論どす」


恵は白桃を一切れ口へ運んだ。


「情報の照合に限って、協力いたしましょう」


「互いの協力者へ勝手に手ぇ出さんこと」


「そちらも、旧回線へ無断で侵入なさらないこと」


「交渉成立どすなぁ」


世界規模の諜報協定が、白桃パフェの横で成立した。


陽菜は何も知らず、白いリボン型のチョコを最後まで残している。


「これは最後に食べます」


「大切なものは、最後に取っておく方どすか?」


「白いリボンには、誰にも先に触らせません」


陽菜は明るく言った。


恵の目が、ほんの僅かに揺れる。


綾乃も黙った。


陽菜は気づかず、白桃を食べ続ける。


     ◇


パフェを食べ終えた陽菜は、二人を交互に見た。


「最近、お二人は仲がいいですね」


「そう見えますか?」


「はい。紅茶のお話ばかりしていますから」


綾乃が笑う。


「好みは、あまり合うてまへんけどなぁ」


「喧嘩するほど仲がいいって言いますよ」


恵と綾乃は顔を見合わせる。


互いの情報網が通信妨害を行ったことを、陽菜は紅茶の好みを巡る小さな喧嘩だと思っている。


陽菜はさらに続けた。


「恵さんが綾乃さんのお母さんでも、年齢的にはおかしくないですよね」


綾乃が紅茶をむせた。


「陽菜はん」


「ごめんなさい。女性に年齢の話をしてはいけませんでした」


「そこやおへん」


恵は、辛うじて平静を保っている。


陽菜は首を傾げた。


「でも、恵さんが私のお母様だったら、綾乃さんはお姉さんみたいになりますね」


二人は完全に黙った。


何も知らない陽菜は、時折、驚くほど正確に真実の中心を踏み抜く。


「どうしたんですか?」


恵は水を一口飲む。


「白桃が少々、喉へ詰まりました」


「大丈夫ですか?」


「問題ございません」


綾乃は窓の外を見ながら、小さく呟く。


「敵より手強いどすなぁ」


「何がですか?」


「白桃どす」


     ◇


一方、新橋ヒロ室では、波田と真帆が陽菜を守る方針を巡って対立していた。


波田は、陽菜の活動を縮小し、安全な場所へ留めるべきだと主張する。


「表へ出すな。狙われる機会を減らせ」


真帆は反対する。


「隠せば、当局が処理しやすくなります」


「だからって、陽菜を人前へ出し続けるのか」


「全国規模の青少年育成キャンペーンへ起用します」


「正気か」


「知名度を上げます。誰もが顔を知る存在にすれば、事故や失踪へ見せかけることが難しくなります」


「陽菜を盾にする気か!」


波田が怒鳴る。


真帆も引かなかった。


「顧問が、これまでしてきたことと同じです」


波田は黙った。


陽菜を人気ヒロインとして表舞台へ出す。


衆目の中へ置き、簡単には消せない存在にする。


それは、もともと波田が選んだ方法だった。


「私は陽菜さんを政治的に利用しています」


真帆は苦しそうに認める。


「守るためとはいえ、本人へ知らせず活動を増やそうとしている」


「なら、やめろ」


「やめれば、当局にとって処理しやすい存在になります」


正解はない。


隠しても危険。


表へ出しても危険。


波田は机の上の競馬新聞を広げた。


上下が逆だった。


真帆が言う。


「顧問。新聞が逆です」


「今日は逆目が来る気がする」


「競馬の話ではありません」


「オイラだって少しくらい現実逃避したいんだよ」


真帆はため息をつき、波田の前へ胃薬を置く。


「飲みすぎないでください」


「もう今日の分は飲んだ」


「では、これは明日用です」


「国家より管理が厳しいな」


     ◇


その頃、白石家と陽菜の大学周辺には、見慣れない人物が現れ始めていた。


白石家の前を、毎日同じ時刻に通る宅配業者。


工事予定がないのに電柱を調べている作業員。


大学の門近くで、長時間スマートフォンを見続ける男。


構内の植栽を整えるふりをしながら、陽菜の移動を記録する女性。


彼らはジェネラス・リンクの工作員ではない。


当局のエージェントだった。


目的は保護ではない。


秘密が漏れたと判断された瞬間、確実に動けるよう監視している。


ある日、陽菜は大学前に立つ男へ親切に声をかけた。


「何かお探しですか?」


男は一瞬、返答に詰まる。


「いえ、別に」


「受付は反対側ですよ」


「大丈夫です」


「キャンパスマップをお持ちしましょうか?」


「結構です」


「遠慮なさらなくても」


監視対象本人から道案内を受けかけ、当局のエージェントは予定より早くその場を離れた。


陽菜は友人へ言う。


「最近、道に迷う方が多いですね」


友人は男の背中を見る。


「昨日も同じ人がいなかった?」


「よほど方向感覚がないんですね」


陽菜は最後まで疑わなかった。


     ◇


数日後の夜。


新橋ヒロ室の地下にある、普段は倉庫として使われている小部屋へ、波田、真帆、綾乃、恵の四人が集まった。


陽菜には知らせていない。


白石源三郎にも、まだ伏せている。


真帆が会議室として使えるよう机を整え、盗聴確認を済ませていた。


机の中央には、コンビニで買った白桃プリンが四つ並んでいる。


真帆が、長時間の会議になることを見越して用意したものだった。


波田がプリンを見る。


「何だ、これは」


「夜食です」


「なぜ白桃なんだ」


「新商品だったので」


綾乃が小さく笑う。


「今週は白桃に縁がありますなぁ」


恵だけが何も言わず、部屋の出入口を確認している。


波田は重い声で切り出した。


「ここから先、相手はジェネラス・リンクだけじゃねえ」


真帆が資料を開く。


「白石家周辺に二名、大学周辺に三名。当局の監視員と思われる人物を確認しています」


綾乃が続ける。


「ヒロ室の活動予定にも、不正な照会が入ってます」


恵は白いエプロンの上で両手を重ねた。


「監視経路を無力化いたします」


波田が睨む。


「派手にやるな」


「善処いたします」


「その言い方をやめろ」


真帆が波田へ向き直る。


「顧問。私たちが当局の監視を妨害すれば、国家への敵対行為と判断される可能性があります」


「分かってる」


「それでも続けますか?」


波田は黙った。


正式な権限はない。


背後に国家権力もない。


今の自分にあるのは、二十年前の後悔と、陽菜を守るという意思だけだった。


「オイラは、国家に正面からは逆らえねえ」


三人が波田を見る。


「部隊も権限もねえ。真正面からやり合えば潰される」


波田は白桃プリンを一つ取った。


「だから、正面からはやらねえ」


綾乃の口元へ、僅かな笑みが戻る。


「ようやく話が合いましたなぁ」


真帆もプリンを手に取る。


恵は迷わず言った。


「娘の命より重い国家機密など、私にはございません」


波田は恵を見る。


二十年前、国家の命令で母親から娘を引き離した男。


その男が今、国家を欺いて母娘を守ろうとしている。


「分かった」


波田は短く答えた。


「四人で陽菜を守る。ただし、本人には何も知らせるな」


「もちろんどす」


「承知しました」


「かしこまりました」


四人の極秘同盟が成立した。


綾乃が白桃プリンの蓋を開ける。


「溶ける前にいただきまひょ」


波田が顔をしかめる。


「オイラは甘いものが苦手なんだ」


真帆が冷静に返す。


「糖分は思考力を維持します」


「そういう問題じゃねえ」


恵がスプーンを差し出す。


「会議中に倒れられては困ります」


「オイラを心配してるのか、食えと脅してるのか、どっちだ」


「両方でございます」


波田は観念して一口食べる。


「……甘い」


「プリンですから」


国家を敵に回しかねない四人の同盟は、コンビニの白桃プリンを食べながら結成された。


     ◇


同じ頃。


陽菜は白石家の自室で、大学近くのカフェが発表した次の新作情報を見ていた。


「白いリボンのモンブラン……」


画面を見つめ、目を輝かせる。


自分の命を巡り、四人が国家へ背を向けたことなど知らない。


白石家の外では、一人の男が門を監視していた。


男は通信端末へ短い報告を送る。


対象H、行動確認。

周辺協力者に変化あり。

消去準備を継続する。


送信を終えた直後、門の向こうに人影が立った。


白いエプロン姿の杉本恵。


いつからそこにいたのか、男には分からない。


恵は門越しに、穏やかに微笑む。


「何か御用でございましょうか?」


男は答えず、その場を離れようとする。


恵は追わない。


歩幅。


利き手。


靴底に付着した泥。


通信端末をしまったポケット。


呼吸の乱れ。


二十年間眠っていた東洋のマタ・ハリの目が、男のすべてを記憶していく。


「随分と、不躾なお客さまでございますね」


二階の窓から、陽菜の明るい声が聞こえた。


「恵さん! 今度は白いリボンのモンブランですって!」


恵の表情が、一瞬で親切な家政婦のものへ戻る。


「ただいま参ります、陽菜さま」


門へ背を向け、屋敷へ戻る。


白いエプロンのポケットでは、二十年前の端末が震えている。


当局は、娘を消せと命じた。


母は、娘の夕食を用意しながら国家を欺くことを決めた。


そして陽菜だけは、次の新作スイーツを楽しみにしていた。

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