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ヒロインズ・リンク 〜戦隊ヒロインプロジェクト〜  作者: スパイク


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炎都バクー、黒い原油の影――美雪、幻影の中から綾乃を救い出す

バクーの夜は、炎の色をしていた。


カスピ海から吹く風が、近未来的な高層ビル群のガラス面を撫でる。丘の上には炎を思わせる三本の超高層タワーが光り、旧市街の石壁は金色に照らされていた。古い隊商都市の面影と、莫大なオイルマネーによって築かれた現代都市のきらめきが、同じ夜景の中で並んでいる。


アゼルバイジャンの首都バクー。


天然ガスと油田の街。古くから「炎の国」と呼ばれ、地表から燃え上がる天然ガスの神秘と、カスピ海沿岸の巨大エネルギー都市としての力強さを併せ持つ。石油、港湾、金融、物流。東西を結ぶ玄関口として発展したこの街には、富と権力と欲望が集まる。


そして欲望が集まる場所には、必ず闇も集まる。


世界最高峰のイリュージョンカンパニーファントム・オブ・ミラージュの新作公演が、このバクーで行われることになった。


演目は、「Flame of Mirage――炎の幻影」。


巨大な炎柱の中から高田美雪が姿を現し、燃え盛る舞台が一瞬で白い鳩の群れへ変わる。炎、煙、鏡、光を極限まで使った、バクーという街にふさわしい壮麗なステージだった。


だが、美雪と西園寺綾乃の本当の任務は別にある。


石油関連企業、投資ファンド、慈善財団を装った組織を経由し、莫大なオイルマネーがテロ組織とジェネラス・リンクへ流れているという情報が入っていた。二人は、その資金洗浄ルートを探るため、バクーの超高級ホテルで行われるエネルギー関連のVIPレセプションへ潜入する。


綾乃は、いつものように美雪一座の大学生スタッフとして会場に立った。


黒のドレス。

控えめな真珠。

整った髪。

穏やかな笑み。


京都の老舗繊維商社・西園寺商店の令嬢として身につけた所作は、どこの国の上流階級の場でも不思議なほど馴染む。招待客たちは、彼女を「礼儀正しい日本の女子大生スタッフ」としか見ていなかった。


だが、美雪は出発前に言っていた。


「今回の相手は、今までと違います」


「はい」


「元情報機関の人間が混ざっています。観察される側になる可能性があります」


綾乃は静かに一礼した。


「承知しております」


「無理はしないこと」


「はい」


その返事は落ち着いていた。


だが任務は、想定より早く危険な方向へ動いた。


綾乃は石油関連企業の役員夫人と自然に会話を始め、カスピ海航路、投資ファンド、慈善事業の話題へと流れを作った。いつものように、相手は少しずつ心を開き始める。


そこへ一人の男が近づいてきた。


黒いスーツ。

柔らかな笑み。

だが、目だけが笑っていない。


元情報機関出身と見られる要注意人物だった。


「君、日本から?」


「はい。京都から参りました」


「京都。いい街だ」


「ありがとうございます」


「どこかで会ったことがある気がする」


綾乃は、微笑みを変えなかった。


「光栄どすけど、初めてお目にかかります」


「本当に?」


「はい」


男は笑った。


その隣で、ジェネラス・リンク側の人物がスマートフォンを操作し、何かの写真データと綾乃の顔を見比べている。


空気が一段冷えた。


綾乃はすぐに察した。


――身元が割れかけている。


だが、彼女は逃げなかった。


急に退けば、完全に疑われる。


会話を続けながら、カップの持ち方だけを変える。美雪との事前合図だった。


舞台袖で、巨大な炎柱の前に立っていた美雪のイヤホンへ、短い信号が届く。


危険。撤収支援要請。


美雪の表情は変わらなかった。


観客の前で、彼女は炎を背負いながら微笑む。


「Ladies and Gentlemen――」


声は落ち着いていた。


「今夜は、予定にない幻影をご覧に入れましょう」


ホテルの大広間の照明が一瞬落ちる。


炎が立ち上がる。


天井から赤い布が降り、白煙が床を這う。


観客は歓声を上げた。


予定外の演出など、ファントム・オブ・ミラージュでは珍しくない。誰も不審に思わない。


男たちが綾乃へ近づく。


「少し、別室で話を聞かせてもらえるかな」


綾乃は静かに微笑んだ。


「お仕事中ですので、後ほど」


「今だ」


退路は塞がれた。


それでも綾乃は取り乱さない。


目線だけを少し下げる。


相手に恐怖を見せず、挑発もしない。


その時、炎幕が会場を横切った。


熱はない。

だが本物に見える。


一瞬、全員の視線が炎へ向く。


その隙に、黒いマントをまとった美雪が綾乃の横を通り過ぎた。


「そのまま」


美雪の声が、耳元で聞こえた。


次の瞬間、鏡の壁が現れた。


綾乃の姿が三重にも四重にも映る。


男たちが一瞬迷う。


「どれだ?」


「そこにいる!」


しかし、鏡が割れた時、綾乃は消えていた。


観客席から拍手が沸き起こる。


「すごい!」


「助手が消えた!」


「これも演出か!」


美雪は舞台中央で優雅に一礼する。


「ファントム・オブ・ミラージュでは、助手も時々、炎の中へ消えます」


会場は笑いと拍手に包まれた。


だがその裏で、綾乃は舞台裏の搬入口へ移動させられていた。美雪の一座のスタッフが完璧なタイミングで彼女を保護している。


美雪は凄かった。


戦闘ではない。


銃も使わない。


誰にも救出劇だと気づかせず、ショーとして成立させた。


世界最高の奇術師にしかできない脱出だった。


任務は、完全成功ではなかった。


資金洗浄ルートの一部、関係する石油ファンド、ダミー慈善団体、港湾会社の情報は掴めた。現地当局と各国情報機関が動き、一部の口座は凍結された。


しかし黒幕は逃げた。


ジェネラス・リンクの上位関係者には届かなかった。


半分成功。


失敗ではない。


だが、勝ち切れなかった。


その夜。


カスピ海を望む遊歩道で、美雪と綾乃は反省会をしていた。


夜風は涼しく、遠くに炎を模した高層タワーが輝いている。卓上には、アゼルバイジャンの伝統的な紅茶。細いグラスに注がれた濃い紅茶に、甘いジャムとナッツ菓子が添えられていた。


綾乃はグラスを両手で包む。


「今日は、助けていただきました」


美雪は静かに紅茶を飲む。


「助けるのも師匠の仕事です」


「完全に読まれかけていました」


「はい」


「私の失敗どす」


「いいえ」


美雪は首を振る。


「相手が強かった。それだけです」


「でも、黒幕には届きませんでした」


「半分届きました」


「半分、逃げられました」


「半分、守れました」


綾乃は黙った。


カスピ海の暗い水面を見つめる。


「怖かったです」


初めて、そう言った。


美雪は微笑まなかった。


ただ静かに頷いた。


「それでいい」


「怖いと思えたなら、次はもっと強くなれます」


「怖さを知らないエージェントは、長く続きません」


綾乃は小さく息を吐いた。


「今まで、うまくいきすぎておりました」


「そうですね」


「少し、慢心していたかもしれまへん」


「それを今日気づけたなら、大きな成功です」


綾乃は、はんなりと微笑んだ。


「美雪さんは、負けても上品にまとめはりますな」


「負けていません」


「半分成功どすな」


「そう。半分成功」


二人は静かに笑った。


その笑顔は穏やかだったが、綾乃の目は変わっていた。


この夜、彼女は初めて修羅場を知った。


誰にも疑われない才能が、万能ではないこと。


近づきすぎれば、相手もこちらを見ること。


そして本物の危機の中で、冷静でいることの難しさ。


綾乃はこのバクーで、エージェントとして一段成長した。


一方、新橋ヒロ室。


報告書を読み終えた遥室長は、胸に手を当てて息をついた。


「綾乃ちゃん、無事で本当に良かったのら」


「美雪さん、さすがなのら」


「ショーの一部として救出するなんて、格好良すぎるのら」


その声には、心からの安堵があった。


だが隣の波田顧問は、眉間に深いしわを寄せていた。


「波田顧問?」


遥室長が声をかける。


「どうしたのら?」


波田は報告書の一文を見つめていた。


対象者に身元を疑われる。撤収支援により離脱。


その文字が、過去を呼び起こす。


白石陽菜の実母。


かつて波田の直属だった、政府諜報部門の伝説的エージェント。要人へ近づき、心を開かせ、秘密を引き出し、世界を動かした女。


彼女もまた、最初に危険な視線を向けられた時期があった。


そしてそこから、闇社会に名が知られる存在へ変わっていった。


綾乃が、ますます似てきた。


能力だけではない。


危険な距離まで踏み込むところが。


波田は重く息を吐く。


「……似てきたな」


「え?」


遥室長が聞き返す。


波田はすぐに顔を作った。


「いや、眉間のシワがな。俺の親父に似てきたなって話だよ」


「急に遺伝の話なのら?」


「歳取ると顔が家系図になるんだよ」


「意味が分からないのら」


「俺も分からねぇ。だから歳なんだよ」


遥室長は呆れながらも笑った。


「無理やりすぎるのら」


波田も笑った。


だが、その目は笑っていなかった。


――頼むぞ、美雪。


――あの子を、陽菜の母と同じ道へ行かせるな。


炎の都バクーで、綾乃は初めて危険を知った。


任務は半分成功。


しかしその半分の悔しさと恐怖こそが、彼女を本物のエージェントへ近づけていく。


そして同時に、世界の闇もまた、静かに西園寺綾乃という名を覚え始めていた。

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