表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヒロインズ・リンク 〜戦隊ヒロインプロジェクト〜  作者: スパイク


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
1051/1144

ロンドン紅茶諜報戦――綾乃、スコーンの横で世界の闇をほどく

ロンドンの空は、いかにも秘密を抱えていそうな灰色だった。


石造りの街並み、歴史ある劇場、王宮文化、金融街の高層ビル、黒いタクシー、赤い二階建てバス。古いものと新しいものが、何事もなかったかのように並んでいる。


イギリス・ロンドン。


世界有数の金融都市であり、外交、文化、芸術、情報が交差する街。美術館も劇場も宮殿もある。表通りには紳士淑女が歩き、裏通りには何百年分の噂が積もっている。敏腕エージェント高田美雪にとっては、華やかな劇場であり、危険な盤面でもあった。


今回、世界最高峰のイリュージョンカンパニーファントム・オブ・ミラージュが招待されたのは、ロンドン中心部の超高級ホテル。


新作公演は、「Royal Illusion――王宮の幻影」。


近衛兵を思わせる赤い隊列が一瞬で白い鳩へ変わり、巨大な時計塔を模した舞台装置から美雪が現れる。フィナーレでは劇場全体が美しいティーガーデンへ変わる、英国趣味をこれでもかと詰め込んだ優雅なショーだった。


もちろん、目的はそれだけではない。


超高級ホテルで行われる慈善財団のアフタヌーンティー。そこに、慈善財団を隠れ蓑にしたテロ支援団体と、ジェネラス・リンクにつながる人物が接触するという情報が入っていた。


美雪は控室で資料を閉じる。


「綾乃さん。今回は紅茶です」


西園寺綾乃は、白い手袋を整えながら静かに頷いた。


「こぼさへんようにします」


「そこじゃありません」


「冗談どす」


「冗談の温度が低いですね」


「京都では常温どす」


美雪は少し笑った。


表向き、綾乃は美雪一座の大学生研修スタッフ。京都の名門国立大学に通う女子大生で、今日はホテルの給仕補助として潜入する。


だが、その実態は政府エージェント見習い。


しかも最近、見習いとは思えない速度で成果を上げている。


アフタヌーンティー会場は、まさに格式の塊だった。


白いクロス。銀食器。三段スタンドに並ぶサンドイッチ、スコーン、ケーキ。紅茶の香り。壁には古い肖像画。窓の外には雨に濡れたロンドンの街。


綾乃は黒を基調とした上品なスタッフドレスで、そこに自然に立っていた。


派手ではない。

だが、所作が美しい。

京都の老舗商家で身につけた立ち居振る舞いは、英国式の格式にも妙に馴染んだ。


ある英国紳士が声をかける。


「日本から来た学生さんですか?」


綾乃は柔らかく一礼する。


「はい。京都で学んでおります」


「学生には見えませんね」


「よう言われます」


「外交官のお嬢さんかと」


「単位に追われる普通の大学生どす」


紳士は笑った。


誰も疑わない。


この上品な女子大生が、今まさに会場全体の暗号を読み解いていることを。


綾乃は紅茶を注ぎながら見ていた。


誰が砂糖を入れたか。

誰が入れないか。

誰がスプーンを時計回りに置いたか。

誰がカップの取っ手をわざと左へ向けたか。


一見ただの作法。


しかし、裏社会では作法が合図になる。


イヤホンから美雪の声が入る。


「何か見えました?」


「奥の丸テーブルどす」


「根拠は?」


「全員、紅茶を飲んでへんのにカップの位置だけ変えてはります」


「……そこ?」


「あと、一人だけ砂糖二杯」


「甘党では?」


「いいえ。砂糖を入れる手が、緊張してへんのに少し遅い。合図どす」


美雪は舞台袖で苦笑する。


「紅茶でそこまで分かる?」


「お茶は嘘つきまへん」


「名言ですね」


「使ってよろしおす」


その頃、美雪のショーが始まった。


巨大な時計塔の針が逆回転し、赤い近衛兵の隊列が一瞬で消える。観客が息を呑んだ次の瞬間、白い鳩が客席上空へ舞い上がり、美雪が時計塔の上に現れた。


会場は拍手に包まれる。


その瞬間、美雪が短く言う。


「今」


綾乃はポットを持ち、問題の丸テーブルへ向かった。


「失礼いたします。紅茶のおかわりでございます」


誰も顔を上げない。


綾乃は自然にポットを置き、ナプキンを整えるふりをする。指先だけが動き、極小盗聴器がテーブル裏へ吸い付いた。


一秒半。


完璧。


だが、ここで小さな問題が起きる。


スタッフ用のトレーに乗っていたスコーンが一つ、ころりと転がった。


綾乃は一瞬だけ目で追った。


スコーンは絨毯の上で止まる。


綾乃は何事もなかったかのように拾い上げ、近くのスタッフへ渡した。


「こちら、任務から脱落しました」


スタッフが真顔で受け取る。


「了解しました」


美雪はイヤホン越しに吹き出しそうになった。


「スコーンに任務があるんですか?」


「今日は全員、静かに動いておりますさかい」


「スコーン以外はね」


盗聴器から会話が流れる。


「慈善基金は予定通り動く」


「北欧経由で洗う」


「ジェネラス・リンクへの送金は来月」


「中東側には別名義で流せ」


決定的だった。


英国当局、欧州情報機関、日本政府が同時に動く。


慈善財団を隠れ蓑にした資金供給ルートは、アフタヌーンティーの香りに紛れて静かに崩れていった。


任務終了後。


ロンドンの夜。


雨上がりの橋の上で、美雪と綾乃は紙コップの紅茶を片手に歩いていた。


美雪が言う。


「今日のタイトルは決まりましたね」


「何どす?」


「王宮の紅茶は嘘を映す」


綾乃は少し考えて、うなずいた。


「悪くありまへん」


「上からですね」


「京都の感想どす」


美雪は笑った。


「それにしても、紅茶と砂糖で暗号を読むとは」


「京都でも、お茶席は情報戦どす」


「怖いですね、京都」


「ロンドンも大概どす」


二人は街灯の下で立ち止まる。


美雪が少し真面目な声になる。


「綾乃さん。最近、成果が大きすぎます」


「叱られております?」


「褒めています。でも、気をつけて」


「はい」


「要人に近づきすぎる人間は、こちらが見るだけでなく、相手からも見られます」


綾乃は紅茶を見つめ、静かに頷いた。


「承知しております」


「本当に?」


「はい」


そして、はんなり笑う。


「せやけど、今日はスコーンに見られてました」


美雪は吹き出した。


「それは警戒対象外です」


一方、日本・新橋ヒロ室。


波田顧問と遥室長は、ロンドン任務の報告書を読んでいた。


遥室長は感心しきりだった。


「綾乃ちゃん、また大手柄なのら。紅茶の作法で暗号を見抜くなんて、普通できないのら」


波田も深く頷く。


「見事だ。想定以上だな」


「美雪さんの指導もいいのら」


「ああ。美雪もよく見ている」


波田は報告書の一文に目を止めた。


各国要人との接触距離、極めて自然。警戒反応なし。


その瞬間、波田の表情が少しだけ変わった。


白石陽菜の実母。


その存在はトップシークレットであり、遥室長さえ知らない。かつて波田が政府諜報部門の責任者だった頃の直属の部下。小柄で童顔、圧倒的な美貌と社交性で要人に近づき、闇社会で東洋のマタハリと恐れられた女。


綾乃は似ている。


美貌ではなく、間合いが。


誰にも警戒されず、要人の懐へ自然に入るあの危うさが。


遥室長が首を傾げる。


「波田顧問。何かありました?」


波田は一瞬、完全に固まった。


「え?」


「今、すごく神妙な顔してたのら」


「いや、あれだ」


「どれなのら?」


波田は慌てて腹を押さえた。


「昨日、ちょっと飲み過ぎちゃったかなぁ~。いやぁ、英国の報告書読んでたら胃が紅茶になっちまったよ。歳考えねぇとなぁ、ハハハ!」


遥室長は半目になる。


「胃が紅茶になるわけないのら」


「なるんだよ、年寄りは。紅茶と焼酎が混ざるとな、こう、伯爵みてぇな胃もたれが来るんだ」


「意味が分からないのら」


「俺も分かんねぇ。だから飲み過ぎなんだよ」


遥室長は呆れた顔でため息をついた。


「本当に気を付けてくださいなのら」


「おう、反省反省」


波田は笑って誤魔化した。


だが、胸の奥では笑っていなかった。


――綾乃は優秀すぎる。


要人に近づきすぎる。


あの子を、闇の側に引きずり込ませてはならない。


波田は報告書をそっと閉じた。


ロンドンの紅茶は嘘を映した。


そして新橋の報告書は、波田だけが知る過去の亡霊を映していた。


世界最高の奇術師と、はんなり京美人のエージェント。


その任務はまた成功した。


だが、成功が重なれば重なるほど、世界の闇もまた、彼女たちを見始める。


そのことを、波田巌蔵だけは知っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ