胡蝶蘭だけが働いている――雪乃、仙台分室からノースフロントを本気で立て直す
ノースフロントは、新体制で再スタートを切ることになった。
現場リーダーは、北海道苫小牧市出身の美人広報担当・高沢雪乃。
もう一人の現場リーダーは、いわきの太陽のようなトロピカルダンサー・るみねぇ。
そして総監督は、芹沢遥室長。
三人によるトロイカ体制である。
だが、新体制には最初から大問題があった。
拠点である。
新橋ヒロ室の一角には、たしかに「ノースフロント」の札がかかっていた。
しかし、そこにあったのは執務机ではない。
ノムさんから贈られた立派な胡蝶蘭。
しかも、異様に綺麗に咲いていた。
白い花はつやつや。葉は青々。支柱の角度も完璧。鉢の周りには水受け、霧吹き、栄養剤、温湿度計まである。
雪乃は静かに言った。
「……ここ、オフィスですよね?」
遥室長は目をそらす。
「一応そうだら」
そこへ、霧吹きを持ったまさにゃんと黒崎茉莉花が現れる。
茉莉花は小倉弁で言う。
「いやぁ、この子ら、よう咲いとるやろ? 朝と夕方で葉っぱの顔が違うんよ」
雪乃。
「葉っぱの顔……」
まさにゃんも真剣だった。
「胡蝶蘭は会話が大事や」
茉莉花が頷く。
「そうそう。ほったらかしたら、すぐ拗ねるけんね。こげん綺麗に咲いとるんやけ、ちゃんと褒めてやらんと」
遥室長が小声で言う。
「茉莉花ちゃん、すっかり世話係だら」
茉莉花は胸を張る。
「お節介やないよ。命を預かっとるんよ」
美しい話だった。
ただし、机の上には資料が山積み。
椅子には段ボール。
電話機は古く、鳴った形跡がない。
ホワイトボードには「北を頑張る」とだけ書かれている。
雪乃は結論を出した。
「ここでは、北日本を動かせません」
遥室長。
「だら?」
まさにゃん。
「胡蝶蘭は動かせる」
雪乃。
「胡蝶蘭ではなく、ノースフロントを動かしたいです」
こうして雪乃は、まず拠点整備に着手する。
新橋は残す。
ただし実務拠点ではなく、東京側連絡窓口とする。
そして本命は仙台。
雪乃の出向元である世界的スポーツ用品メーカー仙台支社のフロア一角を借り受け、ノースフロント仙台分室を設置することになった。
仙台分室は、新橋とは別世界だった。
大型モニター。
オンライン会議システム。
白く明るいデスク。
整った資料棚。
高速回線。
コーヒーメーカー。
壁には東北・北海道の広域地図。
スポンサー対応用の小会議室まである。
るみねぇは入った瞬間、声を上げた。
「うわぁ、すげぇべ! ここなら仕事はかどっぺ!」
雪乃は穏やかに頷く。
「仙台なら、東北各県への移動も組みやすいです。スポンサーとの調整も早くなります」
るみねぇ。
「いわきからも新橋行ぐより楽だべ。これ、ほんと助かるわ」
その頃、新橋では。
まさにゃんが電話番に任命されていた。
肩書きは、ノースフロント総監督補佐。
仕事内容は、ほとんど鳴らない電話を取ることと、胡蝶蘭の世話。
茉莉花もお節介で手伝う。
「まさにゃん、水やりすぎたら根腐れするけん、そこ気をつけんといけんよ」
「分かってる。これは俺の現場や」
「いや、花屋さんやないんやけどね」
電話が鳴る。
まさにゃんが飛びつく。
「はい、ノースフロント新橋です!」
相手はコピー機の営業。
まさにゃんは丁寧に断る。
「現在、胡蝶蘭以外は足りております」
茉莉花が吹き出す。
「そこ、コピー機って言わんと!」
一方、仙台分室では、雪乃とるみねぇが本格的な会議を始めていた。
ホワイトボードには、北日本全域の地図。
北海道。
青森。
秋田。
岩手。
宮城。
山形。
福島。
新潟。
雪乃はペンを持つ。
「まず、ノースフロントは広すぎます。北海道と東北を一括で見るには、移動距離が大きすぎます」
るみねぇも真剣な顔で頷く。
「だよねぇ。札幌と仙台、同じ北って言っても遠すぎんだわ」
雪乃。
「エリアを三つに分けます。北海道ブロック、北東北ブロック、南東北・新潟ブロック」
るみねぇ。
「いいべ。あと冬場は移動計画、夏と同じにしちゃダメだかんね。雪で全部狂う時あっから」
雪乃はすぐメモする。
「冬季イベントは都市部集中。屋外イベントは避ける。交通予備日を設定」
るみねぇ。
「あと、玲香ちゃんと柚希ちゃんね。あの二人、悪い子じゃねぇんだけど、噛み合わねぇのよ」
雪乃。
「玲香さんは都市型、即断即決。柚希さんは地域密着型で丁寧。方向性は違いますが、役割分担すれば強みになります」
るみねぇは目を丸くする。
「雪乃さん、もう分かってんだ」
雪乃は微笑む。
「広報は、人の癖を見る仕事でもありますから」
さらに二人は、スポンサー連携、防災イベント、スポーツ教室、雪国向け装備、学校訪問、自治体連携、ジェネラス・リンクの北日本での活動傾向まで話し合う。
内容はかなり本格的だった。
雪乃。
「スポーツメーカーとしては、子ども向け運動教室、防寒ウェア、防災用品との連動ができます」
るみねぇ。
「ダンス教室も混ぜられっぺ。寒い地域ほど、体動かすイベントは大事だし」
雪乃。
「さらに、アイスホッケーやスキー、スケートも北ならではの柱にできます」
るみねぇ。
「雪乃さん、ホッケーできんだもんね」
雪乃は少し照れる。
「昔の話です。でも、強めのショットならまだ打てます」
るみねぇは笑う。
「それ、任務で使いどころありそうだべ」
会議は進む。
新橋とは違い、仙台では本当にノースフロントが動き出していた。
遥室長はオンラインで二人の報告を受け、満足そうに頷く。
「やっぱり、この形で正解だら」
画面の向こうで、雪乃は落ち着いて言う。
「仙台分室を軸に、北日本の情報と現場を集約します。新橋は東京側調整と連絡窓口で十分です」
その瞬間、新橋側の画面にまさにゃんが映る。
背後には満開の胡蝶蘭。
「こちら新橋、異常なし」
茉莉花も横から顔を出す。
「胡蝶蘭も元気っちゃ」
雪乃は一瞬だけ沈黙した。
「……ありがとうございます」
るみねぇは爆笑する。
「新橋、花だけ元気だべ!」
遥室長も笑いを堪えきれない。
「まあ、平和でええだら」
こうしてノースフロントは、新橋と仙台の二拠点体制で動き出した。
新橋では胡蝶蘭が咲く。
仙台では雪乃とるみねぇが北日本の未来を組み立てる。
片方は花の楽園。
片方は最新鋭オフィス。
落差は激しい。
だが、それでいい。
役割がはっきりしたことで、ノースフロントはようやく前へ進み始めた。
北日本の広い空の下、雪乃の静かな改革が始まる。
そして新橋では今日も、まさにゃんと茉莉花が胡蝶蘭に話しかけていた。
「今日も綺麗やな」
「ほんと、よう咲いとるっちゃ」
ノースフロント新橋窓口。
今日も電話は、鳴らない。




