味噌カツ会議は甘くない――ヒロ室東海、自動車王国に手を出しかける
ヒロ室東海(仮称)の次なる会議は、名古屋市内の有名味噌カツ店で開かれた。
参加者は、赤嶺美月、山田真央、稲生明日香、伊吹真白、藤堂隼人補佐官、そして芹澤遥室長。前回のフードコート会議では、ラーメンと餃子を食べながら地域ごとの特色を語った。方向性は見えてきたが、まだ正式名称もない。拠点もない。予算も薄い。ヒロ室東海は、相変わらず「仮称」のまま走り出していた。
ただし、美月だけは機嫌が良かった。
「いやぁ、新型車両はええわ~。鶴橋から名古屋まで快適やったわ~」
今回は、名阪を結ぶ私鉄特急の比較的新しい車両を狙い撃ちして乗ってきた。時刻表と車両運用を研究し尽くした成果である。ただし、最高級特急ではない。
「でもな、ひのとりではないねん。けちのんがなぁ、プレミアム料金は自腹やって言うねん。国民の皆様の税金やからって。ほんまに夢がないわ」
隼人補佐官は丁寧に返した。
「その話は、もう三回目ですね」
「大事な話は何回でもするんや」
一方、明日香は豊川から私鉄で、真白は大垣から東海道線で来ていた。真白は自社のカンガルーマークのトラックではなく、きちんと電車移動だった。
「仕事ではありませんので」
真白らしい返答だった。
味噌カツが運ばれてくると、真央の目が輝いた。
「さあ、ここからが本番だで」
真央は、戦隊ヒロイン加入前にこの店でアルバイトしていたことがある。そのため、味噌カツについて妙に詳しかった。
「まずな、カツは揚げたてが命だで。衣がサクッとして、でも中の肉は固くなっとらん状態。ここに味噌をかけるんだけど、ただドバッとかけりゃええってもんじゃにゃあ」
真央は箸を持ったまま語り始める。
「八丁味噌系の味噌だれは、甘みとコクが強いでかんわ。だから量を間違えると、カツの味が全部味噌に負ける。逆に少なすぎると、名古屋の味噌カツとして物足りん。衣の上に、薄く均一に乗せながら、でも肉の熱で少しなじませる。ここが難しいんだわ」
美月は感心した。
「真央、急に職人みたいになるやん」
「そりゃバイトしてたでよ。味噌のかけ方で店長に何回も注意されたがね」
真央はさらに続ける。
「しかもな、味噌だれは時間が経つと重くなる。熱いカツにかけた瞬間の伸びが大事だで。ソースみたいにサラッと流れるわけじゃない。粘る。でも粘りすぎたらあかん。この“ちょうどええ重さ”が名古屋の味だわ」
遥室長まで聞き入っていた。
「真央ちゃん、説明が上手いねぇ。味噌カツが文化財みたいに聞こえる」
明日香も静かに頷く。
「三河の味噌文化も深いだら」
美月がすかさず言う。
「また尾張と三河始まるんか?」
真央が胸を張る。
「味噌は東海の誇りだで」
その場が和やかになり、会議は順調に始まった。
美月と真央からは、次回以降のイベント案がどんどん出た。
美月は発信力を軸に提案する。
「東海はご当地対決が強い。尾張対三河、遠州対駿河、岐阜の堅実さ、三重の突進力。全部動画にできるで。短尺でも伸びるし、配信でも企画にしやすい」
真央も乗る。
「名古屋だけでやったらあかんでよ。春日井、刈谷、豊川、浜松、静岡、岐阜、四日市。地域ごとに顔を出さんと、東海全体の地盤強化にはならんわ」
遥室長は大きく頷いた。
「地域密着で、楽しいものを作る。その方針はいいねぇ」
隼人補佐官もメモを取っていた。
そこまでは良かった。
問題は、美月の次の一言だった。
「愛知県いうたら、世界一の自動車メーカーの本拠地やん」
隼人補佐官の箸が止まった。
美月はまったく気づかず続ける。
「良いクルマを安く作るためなら手段を厭わへん、ドケチで有名なあの会社や。ネームバリュー抜群やし、スポンサーについてもらえたら、予算かけた大規模イベントできるで。隼人補佐官、頼むわ」
真央が拍手した。
「それええがね!」
明日香も静かに頷く。
「東海らしさはあるだら」
真白も真面目に言う。
「物流や製造業との連携にも広がります」
なぜか遥室長まで、にこにこしている。
「隼人くん、あの会社には大学の同級生も先輩も多いでしょ」
隼人は珍しく即座に拒否した。
「絶対にダメです」
美月が首を傾げる。
「なんでや。世界的企業やで。ヒロ室東海が世界に羽ばたくには最高のパートナーやん」
隼人は言葉を選んだ。
「あの会社は、非常に優秀です。世界的にも素晴らしい企業です。合理化、改善、コスト意識、品質管理、すべてが徹底しています」
「ほなええやん」
「徹底しすぎているんです」
真央が笑う。
「隼人さん、遠回しだがね」
隼人は咳払いした。
「つまり、パートナー企業にも非常に高い水準を求める会社です。予算、納期、成果、効果測定、全部が厳しい。こちらの企画書が一枚でも甘いと、そこを徹底的に詰められます」
美月は腕を組む。
「要するにケチで細かいんやな」
「私はそうは言っていません」
「顔に書いてあるで」
隼人はさらに続ける。
「加えて、広報担当者が非常に優秀です。非常に優秀ですが、確認事項が多い。表現、ロゴ、発言内容、写真の角度、登壇者の言葉選び、すべてチェックが入る可能性があります」
明日香がぽつり。
「面倒そうだら」
隼人は即答した。
「はい」
全員が笑った。
隼人は慌てて言い直す。
「いえ、非常に丁寧な企業対応が必要という意味です」
美月は逃がさない。
「今、面倒って顔してたやん」
「していません」
「してた」
「していません」
遥室長が穏やかな駿河弁で言った。
「隼人くん、お願いね。大学の同級生や先輩に、ちょっと話だけでも聞いてもらえばええら?」
隼人は青ざめた。
「遥さん、それは“ちょっと”では済まないやつです」
美月は楽しそうに煽る。
「炎のランニングバックやろ? 世界一の自動車メーカーのディフェンスライン、突破してきてや」
「大学時代のディフェンスの方がまだ優しかったです」
隼人は完全に追い込まれていた。
だが、彼は元官僚である。
逃げ道を作る技術はある。
隼人は資料をめくった。
「それより、真央さん」
「何だで?」
「お父様が、春日井の地元製紙メーカーにお勤めですよね」
真央が目を丸くした。
「そうだで。父ちゃん、工場勤務だわ」
隼人は一気に話を変えた。
「その会社は、地域に根付いた大きな製紙拠点です。春日井の街と一緒に発展してきた存在で、紙づくりを通じて生活や産業を支えてきた企業です。地域密着イベントとしては非常に相性がいい。まずは春日井で、その製紙メーカーとタイアップする企画を進めましょう」
美月がじっと見る。
「逃げたな」
隼人は丁寧に言った。
「戦略的優先順位の整理です」
明日香が静かに言う。
「言い方が官僚だら」
真白も頷く。
「でも現実的です」
遥室長はくすっと笑った。
「隼人くん、上手に避けたねぇ」
隼人は真顔で返した。
「避けていません。春日井の地域資源を最大限に活用する判断です」
真央は少し考え、やがて嬉しそうに笑った。
「春日井でやれるなら、ええでよ。父ちゃんの会社なら話もしやすいかもしれんし、紙のイベントとか面白そうだわ」
美月も渋々頷いた。
「まあ、春日井から固めるのはええな。真央の地元やし」
隼人はほっとした。
自動車王国への突撃は、ひとまず回避された。
ただし、美月は最後に釘を刺した。
「あの自動車メーカーの件、忘れてへんからな」
隼人は味噌カツの皿を見つめながら答えた。
「できれば、忘れてください」
遥室長は穏やかに微笑む。
「隼人くん、期待してるでね」
隼人は思った。
味噌カツは甘辛い。
だが、この会議は甘くない。
ヒロ室東海(仮称)の次なる舞台は、春日井。
真央の地元、製紙の街である。
そしてその背後では、世界一の自動車メーカーという巨大すぎる宿題が、まだ静かに隼人を睨んでいた。




