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魔人3

木下刑事が去りその姿が見えなくなると川口も花藤が手にする空き缶に煙草を入れた。

「行きますか」

花藤は吸い殻の入った空き缶を捩じり潰しゴミ箱へと投じた。

「実家は何年ぶりですか?」

しかし花藤は答える。

「お前はここまででいい」

「はい?帰らないんですか?実家・・・」

「川口、ありがとうな」花藤の別れの言葉だった。

「隊長!!なぜですか?」

川口はまだまだ、というより最後まで花藤をサポートするつもりだった。

だが花藤は薄い笑みを浮かべ木下を見ていた。

そして川口に背を向け歩き始めた。

それを見た川口は目を潤ませ、ビールの空き缶を落とし両手を握りしめ、意を決して言った。

「花藤・・・!陸士長・・・!」

「川口三等陸尉!」花藤は振り返ると両踵を合わせ直立し川口に斬れるような敬礼をした。

川口が震えながら答礼をすると花藤は、笑みを浮かべた。

それは川口が誰よりも早くレンジャーでの訓練で最も過酷な最終踏破を終えた時に見せてくれた笑みと同じものだった。

「田中さんを!」

川口は花藤が幼馴染みを見つけ出し、自衛隊に帰ってきて欲しかった。

だが花藤の笑みを見てそれが叶うことは無いのだろうという事を知った。

そして花藤も田中はもういないのだろうという事を確信してしまっている。

花藤は去った。

そして川口の目に溜まった涙は頬を伝え落ちた。


花藤は歩き続け浅草から西に2キロほど、上野付近にいた。

花藤はコンビニエンスストアに立ち寄り缶コーラとラッキーストライクを買い求めた。

缶コーラのタブを引き起こし一口飲んでからタバコのビニールを剥がしラッキーストライクを一本取り出し口に咥えた。ライターは持っていない。誰かにライターを借りようと道行く人々に目を向けた。

五分ほど待っていると対象が見つかった。

ジャージを履きダウンジャケットを羽織っている。もう日が落ちてから時間が経つというのにサングラスをかけて煙草を咥えている男だった。


夜にサングラス?ファッションなのかバカなのかは知らないが、それが人ではない事だけは分かる。

花藤はポケットを探るふりをしながら男が歩み寄ってくるのを待つ。

「なあアンタ、火を貸してくれないか?」

男は訝し気に花藤を見るが返事をすることも無く立ち去ろうとする。

「おい、お前だよ」花藤が通り過ぎようとするその肩を掴むと男は花藤の手を振り払うように肩を回し花藤に振り返った。その瞬間に花藤の掌底が男の顎を撃ち抜いた。

脳震盪を起こし倒れかける男を花藤は肩を貸すように抱え路地裏と言うより建物の間の細い隙間へと連れ込んだ。

街灯の光が直接照らすことの無い薄暗い隙間だった。

花藤は傍らに落ちていた紐で男の両手を後ろ手に縛ると座らせ頬を張った。

「聞こえてるだろ?おい」

そう言って更に男の頬を叩く。

「しかしクセエな」

明日の朝に出すためのゴミなのか幾つものポリバケツに飲食店の生ゴミの詰まったビニール袋が入っていた。その周りの地面には回収業者の仕事には含まれないのだろう、すっかり干からびた残飯が散らばっている。

「なんだ・・・おまえ・・」

男はようやく脳震盪から回復し始めたようだ。

「田中はどこにいる?」

「はあ?なに?田中?なんだお前は!?」

花藤は男の髪を掴んで壁に叩きつけて言った。

「おい、大きい声は出すな。首の骨をへし折るくらい一瞬だ。意味は分かるか?」

「いってえ・・なんだ!お前は!?」

花藤は今度は髪を強く掴む。

「待て!!なんだよお前は!」

「大きい声を出すなって、ライター、持ってるだろ?」

「あぁ?ライター?ケツのポケットにある」

男は立ち上がろうとするが花藤に抑えられた。

「座ってろ、こっちか?」

花藤は男のズボンの右後ろのポケットからライターを取り出した。

たったこれだけのことでもこの男は右利きだと言う重要な情報が得られる。


花藤は口に咥えたラッキーストライクに火を点け、深く二度吸い込んだ。

花藤の一日の喫煙本数は幽霊小屋から自室へと帰り咥える一本と、就寝前の一本。一日二本。それだけだ。

意外かどうかは分からないが自衛官の喫煙率は一般人より高めだろう。

過酷な訓練の癒しに煙草を吸う自衛官は多い。

幽霊小屋で自発的に身体を鍛え続けている花藤の場合はどちらかと言うと習慣のようなものだが。

鍛え抜かれた自衛官の身体は煙草くらいで衰える物ではない。

一日に20本も30本も吸えるのであれば別かもしれないが、自衛官はそれほど暇ではない。

スポーツ選手のような明確な目的もないままに身体を酷使し溜まって行くストレスを煙草で解消しようとする自衛官は少なくないという事だ。


花藤は紫煙を男の顔へ吹きかけた。

「田中の事を知っているなら話せ」

「だからぁ!誰だよ田中って!知らねえよ!」

「そうか知らないか、すまなかったな」

花藤が後ろ手に縛った男の両手に手をかけると、男は舌打ちしながらも早く解けとばかりに身体を捻り花藤に背を向けた。その瞬間に花藤の両腕が男の首に絡みつき頸動脈を締めあげると男は気絶した。


人は頸動脈を締められると容易に気絶する。

これは脳に送られる血液が止められた事で気絶するわけではなく、人体の防衛反射だ。

心臓から送り出される血液の実に20%が頸動脈を通じて重量比で言えば人体全体の2%に過ぎない脳へと送られている。酸素の消費量ならば25%が脳で消費されている。

その膨大な血流を圧迫すると人体の防衛機能は急激に血圧が上昇したと判断し、血管を拡張させ血圧を下げ同時に心拍数を極度に低下させ結果的に脳への血流を大幅に下げてしまう。そして人は気絶する。

気道を締めて呼吸を断つ事とは全く違う人体の防衛反射、へーリング・ツェルマーク反射だ。

それは締め上げる手を放してやれば数秒、長くても数十秒で意識は回復するが花藤はそのまま締めあげ続けた。

花藤は二度か三度か煙草を吹かしてから手を放し口を半開きに気絶している男を見た。そして傍らに落ちていた鶏の骨、手羽元と思われる骨を男の口に中に差し込み奥まで差し込んだ。

鶏の骨をもう一本拾い更に押し込んだ。

気絶したままの男の気道が塞がれ、ギュッ・・ゲェッと蛙のような音を鳴らすが花藤は更に三本目の鶏の骨を男の喉へと押し込んでから右手の指で男の気道を摘まんで辛うじて開いていた空気の通る隙間を埋めてやった。


花藤が煙草を吐き捨てる頃には男は窒息死していた。

瞼は落ち身体は弛緩し花藤が抑える気道にも反応が無くなり脈拍も感じられなくなった。

花藤はもう一本のラッキーストライクを取り出し火を点け男を見た。

「死んだのかよ」

そう言って男の瞼を押し上げて眼球を煙草で撫でた。

ジュウ・・・と音がしたが男は反応しない。

花藤は煙草を咥え大きく吸い男の顔面に紫煙を吹きかけるが、まるで反応のない男の半開きの口中に煙草を突っ込むとジュウゥゥという音と共に煙草の火は消え男の口から煙が上がった。

花藤は満足そうに口角を歪め立ち上がり、そして立ち去った。


花藤は再び歩き続け人ごみの中で前方から歩いてくる一人の男に目を付けた。

男が歩いてくる。

男が数メートルまで近づいたところで花藤は目線を下に向け僅かに肩を下げ右手をジャケットに差し込んだ。

それを見た男は躓きよろめいた。間に別の女性が入り込む形になり男の姿が隠れた。

だが、男は全神経を花藤に向けているだろう。

花藤はジャケットからスマートフォンを取り出し耳に当て歩いて行く。

男も何事も無かったかのように歩き去って行った。

花藤は振り返り男の後ろ姿を見る。

年齢は40前後だろうかスーツを着たサラリーマン風の男。

だがあれは人ではない。


人にはパーソナルスペースと言う物がある。

言い換えればテリトリーだ。

それは場所、状況、対象によって異なる。

愛する者同士が寝室を同じくしているのならばその距離は限りなくゼロになるだろうし、同じ室内でも場所は会議室で対象がただの同僚であるならばその距離は拡がるし、屋外で赤の他人に対するパーソナルスペースはさらに拡がるだろう。

しかしパーソナルスペースを犯されたからと言って直ちに対象を力で排除することは無いだろう。多くの人は対象に嫌悪感を向けるか自ら対象から距離を取るかだ。

だが、そうとはならない状況もある。

それは自らの生存に対する危険がある場合だ。


例えば戦場に派遣された兵士。

対象が女子供ではなく髭を生やした男性であるならば、そのパーソナルスペースはより拡がるだろう。

その男の手にAK47アサルトライフルがあったのならば、それが見えた時点で既にパーソナルスペースを侵されている事になり、それに対し向ける事になるのは嫌悪感ではなく銃弾だ。

当然だ。戦場とは殺すか殺されるかの極限の状況なのだ。

殺されてから殺すことは出来ない。ならば先に殺すしかないのだ。


そういった状況を経験した者は戦地を後にし帰郷したとしても安穏と過ごすことが出来ない事がある。

多くの兵士は戦地を去り故郷へと帰ればパーソナルスペースのスイッチを平穏用へと切り替え、一人の元兵士となるだろう。だが平穏な生活に戻ってもそのスイッチを切り変えることが出来ずに兵士のままでしか居られない者もいる。

PTSDの症状の一つ、過覚醒だ。

そう言った者は平穏の中でも常に身の危険を感じ殺意を剥き出しに過ごすことになる。


さっきの男の反応はそれに近いものだ。

だから男は花藤から距離を取ろうと躓いたふりをした。

身構えたように見えた花藤がジャケットから何を取り出すのか分からなかったからだ。

あの男がPTSDに苦しんでいる戦場帰りの兵士ならば仕方がないだろう。

この、少なくとも見た目は平和な日本にも一人くらいはいるかもしれない。

だが花藤は今日一日だけでそういった不自然に他人から距離を取ろうとする者を既に数人は見た。

元兵士が無関係な女を盾にする可能性は限りなく低いし、ヤツらの身体そしてその身のこなしは兵士のそれではなかった。

ならばなぜヤツらは身の危険を感じたかのような行動をとるのか?

人に殺される危険がある者。それは人を殺している者だからだ。

ヤツらは人ではない。殺人鬼だ。今、この東京で人を殺している鬼だからこそ自身に及ぶ殺意にも敏感なのだ。


18年ぶりの東京は殺人鬼がうろつく魔都になっていた。

そして行方不明の田中。

この二つは無関係なのか?

無関係であって欲しい。

認めたくもない。

だが・・・・。


北の冷たい箱に収められた一人の自衛官。

5年以上、誰からも視線を向けられることなく、誰とも会話することがなかった。

普通の人間なら精神に異常をきたすだろう。


自衛官、花藤廉也。

冷酷で感情もなく無表情で他人の努力をへし折る鉄仮面と呼ばれた男。

だが、その鉄仮面の下にあるのは普通の人間だった。部下の成長を喜ぶどこにでもいる男だった。

だから花藤は自身でも気が付かないうちに精神を破壊され幽霊へと成り落ちていた。

人の目に映らない幽霊は、人が見ることが出来ない鬼が見えるのか。


魔都で鬼を見た幽霊は今、鬼を殺す魔人と化していた。








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