第8話 違反遺物と、ルナと、ギルが本気を出した夜
《オーレン》の月の八日。届いたのは一週間の遅延を経て判明した「遺物の真実」でした。
ルナが感じた「懐かしさ」の正体と、彼女の鋭敏な感知が暴いた禁忌の「違反遺物」。
弟子の成長が組織に評価される一方で、クインシーは深夜の静寂の中、独り「本気」の牙を剥きます。
《オーレン》の月の八日。
引き継ぎ書類が、届いた。
七日遅れだった。
前の管理担当者が異動の混乱で書類を別部署に誤送していた、
という説明が添えられていた。
俺はその説明を読んで、眉間の皺を一本増やした。
おいおい、そいつクビにしてしまえ。
え? 一度の失敗でひどいって?
バカいうな。
こっちは、命かけてんだぞ。
書類の内容を確認した。
問題の木箱——ルナが「悲しい感じがする」と言っていたもの——
の正体が判明した。
「記憶の残滓が封じられた遺物」。
かつて存在した誰かの、強烈な記憶と感情が、物体の中に固着したものだ。
精神熟達者が死の際に意図せず放出した精神波が、周囲の物体に刻まれる——
そういう現象が、まれに起きる。
この箱の場合、その「誰か」は数十年前に亡くなった人物で、
生前に地下三階の管理を担当していた人物だという。
「懐かしい感じ」。「会ったことない人の懐かしさ」。
ルナが感じたのは、おそらく、その人物の記憶の残滓だ。
俺は書類をしばらく眺めた。精神熟達者が死の際に放出した精神波——
それは、俺にもいつか起きることだ。
誰かの「器」に宿り、知らない誰かが「懐かしい」と、
感じる何かになるかもしれない。
まあ、どうでもいい話だ。
問題は、管理外に放置されていた箱の方だ。
* * *
城下町の路地で、ルナが発見した箱。
あの日の夕方に通報書類を提出したが、
翌日、組織の回収チームが確認したところ——箱は一つではなかった。
路地の廃屋の中に、同じ種類の箱が七点まとめて放置されていた。
「記憶の残滓」ではない。
「記憶の抽出器」だ。
人の記憶を強制的に引き抜き、封じ込める遺物。
使い方によっては精神への重篤な干渉が可能な、
製造・所持・流通すべてが禁止されている「違反遺物」だった。
誰かが、意図的に廃屋へ隠していた。
組織が動き始めた。
俺の管轄ではない部署が調査を担当することになったが——
発見の端緒がルナの感知だったため、
「特殊遺失物管理室の貢献」として記録された。
うんうん。よかったね。
ちゃんと見てるひとは見てるんだ。
おじさんもうれしいよ。
その報告書が、今朝、上役から俺に送られてきた。
「クインシー主任の部署のものか、よくやった。
弟子の育成が実を結んでいるようだ」という一文が添えられていた。
俺はその一文を読んで、茶を一口飲んだ。
気道に入ってむせた。
俺ももう年だな。
* * *
「ししょー、あれ、大事なことだったんですか?」
ルナが、折りたたみ椅子の横にしゃがんで、俺を見上げた。
「そうだ」
「どのくらい大事なものなんですか?」
「違反遺物の不正保管だ。相当大事だ」
「わあ」 ルナが、目を丸くした。「わたし、そんなすごいのを見つけてたんですか」
「そうだ。見つけたのはお前だ。よくやったな」
「でも意味はわかってなかったです」
「わかっていなくて正解だ。あそこに近づいていたら危なかった」
「そうか〜」 ルナが、少し考える顔をした。
「……でも、なんか、あの箱、嫌な感じがしてたんですよね。
怖い、ってわけじゃないんですけど」
「どんな感じだ」
「なんか……空っぽになる感じ、っていうか。中身を取られるような感じ、かな」
俺は、ルナを見た。
ほう、なかなかスルドイじゃないか。お前さんは。
いいねぇ。
弟子が優秀なのは、悪くない。
「記憶の抽出器」が放出する精神波は、感知能力の高い者ほど影響を受けやすい。
ルナの食感知は、精神波の変質を「匂い」として処理するが——
遺物の「意志」のようなものも、何らかの形で受け取っている可能性がある。
「次からも、嫌な感じがしたら、すぐに報告しろ」と俺は言った。
「何の匂いかわからなくても、嫌な感じがした、それだけでいい」
「はい!」
「怖い感じも、同様だ」
「はい!」
「悲しい感じも」
「......はい」
ルナが、少し静かに頷いた。
「さっきの引き継ぎ書類の箱、その人、どんな人だったんですか?」
「記録には詳しく載ってないな。
数十年前に地下三階を担当していた人物だということだけだ」
「そっか。……なんか、優しい感じがしました。会ったことないけど」
「そうか」
ま、俺も会ったことないんだけどな。
そのときは、あちこちいろんなところに仕事に行っていたから。
「ししょーも、死んだらそういうのが残りますか?」
俺は、在庫目録のページをめくった。
「さあな」
「わたしのも、残ったりしますか?」
「食欲の残滓が残るんじゃないか」
「ひどい!」
ぷーっと頬を膨らませて、
このあと夕方帰るまで、口きいてくれなかった。
悪かったよ。ゴメンな。
* * *
夕刻を過ぎて、ルナが帰った後。
俺は報告書の整理をしていた。
違反遺物の発見。
ルナの貢献として記録された実績。
上役からの評価。
査定に向けた積み上げが、一段、進んだ。
これは予定外のことだった。
ルナが「嫌な感じ」と言って路地を指したのは、食感知の偶発的な反応だ。
俺が「使える」と判断して組んだズルではない。
ルナが——ルナ自身の感知で、俺の計算の外で、実績を作った。
もちろん、嬉しいんだろうな。たぶん。
当り前じゃないか。
でも......
それが、少し。
俺には、名前のつけにくい何かとして残った。
自分に対しては、「嬉しい」とか「誇らしい」とか、
そういう言葉は俺の辞書にはない。
ただ——まあ、悪くない報告書だ、とは思った。
在庫目録を開いた。
* * *
そのとき、倉庫の奥で、音がした。
低い、不規則な音だ。
精神波の揺れを伴っている。
俺は立ち上がった。
棚の奥——記憶の残滓の木箱があった棚の、さらに奥。
そこに、別の気配があった。
これは、今日の昼間はなかった。
俺は棚の間を進んだ。
松明の光が届きにくい場所だ。
在庫目録を持ちながら、精神波を読みながら、慎重に進む。
棚の最奥。
小さな木箱が、動いていた。
正確には——箱の中の何かが、封印を内側から押している。
精神波が脈打っている。
規則的ではなく、生き物の呼吸のような不規則さで。
俺は箱の前にしゃがんだ。
封印の紋様を読む。
古い紋様だ。おそらく五十年以上前のもの。
紋様の設計が今とは異なる——現在の様式では補修が難しい種類だ。
「押す力」が、じわじわと強まっている。
今夜か、明日か。
このままではどちらにせよ、封印が破れる。
俺はしばらく、その箱を見た。
ルナがいれば、もっと早く察知できたかもしれない。
だが今夜はもういない。
仕方がない。
俺がやるしかないかぁ。
* * *
俺が本気を出すのは、久しぶりだった。
「本気」という言葉が正確かどうかはわからないが——
少なくとも、「地下三階の窓際業務」として俺が使っている術式の出力とは、
桁が違う。
封印の補修には、二つのアプローチがある。
一つは、古い紋様の設計を読み解いて、同じ方式で補強する。
時間がかかるが、安定する。
もう一つは、古い設計を解除して新しい封印を上書きする。
速いが、「解除の瞬間」に遺物が完全な解放状態になる——
その数秒間をどう凌ぐかが問題だ。
今夜は時間がある。
一つ目のアプローチで行く。
俺は椅子を棚の前に引いてきて、腰を落ち着けた。
古い紋様を、精神波で一本ずつ「読む」。設計思想を理解する。
かつての術師がどういう意図でこの封印を組んだかを、跡から辿る。
それができれば、同じ思想で「補強」することができる。
俺って、優秀だからな。
だろ?
時間をかけて、丁寧にやった。
途中で茶が冷めた。飲まないまま、続けた。
途中で松明が一本、燃え尽きた。交換せずに、続けた。
三時間ほどかかった。
封印が、安定した。
押していた力が、止まった。
木箱が静かになった。
俺は椅子から立ち上がって、背中を伸ばした。
関節がバキバキ鳴った。
在庫目録を開いた。
《オーレン》八日。
・違反遺物の発見に関する報告、上役より受領。
・ルナの貢献として記録済み。
・夜間、棚の奥にて古い封印の劣化を確認。補修処置を実施。所要三時間。
・術式の使用:相応に消費した。
・胃痛:本日は軽度——作業に集中していたため、忘れていた。
ペンを置いた。
冷めた茶を一口飲んだ。
旨くなかった。
だが悪くもなかった。
「食欲の残滓」と茶化した昼間の冗談は、弟子を危うい深淵から遠ざけるための彼なりの親心。
夜の帳が下りた地下三階で、老練な術師は古びた封印と対峙し、三時間の死闘を静かに制しました。
冷めた茶を飲み干し、胃痛を忘れて目録を綴るその横顔は、紛れもなく一人の「守護者」のそれでした。




