第35話 ルナが荷造りを失敗した話と、石を一個持っていこうとした話
《リーヴァ》の月の一日。
出発まで、二日だ。
朝、ルナが降りてきた。
両手が、塞がっていた。
右手に大きな鞄。
左手に小さな鞄。肩に布の袋。
コートのポケットが両方ふくらんでいた。
「おはようございます、ししょー」
「……何をしているんだ」
「荷物の確認です! 全部持ってきました」
「全部」
「はい! 何が必要で何が不要か、ししょーに確認してもらおうと思って」
俺は、ルナの全体を見た。
大きな鞄は、明らかに規定の「大きな鞄一つ」の基準を超えている。
「机の上に全部出せ」
「はい!」
ルナはなんだか楽しそうに鼻歌を歌いながら、並べていた。
* * *
机の上に、ルナの荷物が並んだ。
着替え四着。タオル二枚。
訓練用の紙と羽根ペン一式。
在庫目録の写し(手書き)。
薄い本三冊(参考書)。
包み紙に包まれた何か三つ(「非常食です」とルナが言った)。
小さな瓶二本(「城の水の方が合うかもしれないので」とルナが言った)。
靴の予備一足。
手袋ふたつ。
マフラー(「《リーヴァ》月でも夜は冷えるかもしれないので」とルナが言った)。
そして、コートのポケットから出てきたもの——石が、二個。
茶色の石と、カーネリアンだ。
「石を持っていくのか?」と俺は尋ねた。
「……持っていきたくて」
「何のために?」
「なんか、お守りみたいな感じで」
「石にお守りの効果はない」
「でも、持っていきたいです」
俺は、石を見た。
茶色の石——最初からあった石だ。ルナが来る前から机の端にあった。ルナが来た初日、「石ですね」と言った石だ。
カーネリアン——査定の翌日にルナが買ってきた。「勇気の石」と言われている。「石に勇気はない」と俺は言った。「でも、なんかいいじゃないですか」とルナは言った。
「……一個にしろ」と俺は言った。
「どっちにしますか」
「お前が決めろ」
ルナが、二個の石を両手に乗せた。右手に茶色の石、左手にカーネリアン。交互に見た。また交互に見た。
「……カーネリアムにします」
「そうしろ」
「勇気の石ですから」
「石に勇気なんてものはないぞ」
「でも、なんかいい感じがしますよ?」
「……わかった、持っていけ」
* * *
荷物の整理を始めた。
「着替えは二着でいい。二週間なら洗濯ができる」
「でも、二着は少なくないですか」
「洗えば同じだ」
「……じゃあ二着にします。あと、この本は」
「必要なものだけ持て。全部持っていくな」
「でも、訓練中に参考にしたくて」
「一冊にしろ」
「どれにしますか」
「一番読んでいないものだ。移動中に読め」
「……一番読んでないのはこれです」 ルナが、薄い本を一冊取り出した。「『遺物の年代測定と精神波残滓の相関について』です。難しそうで後回しにしてました」
「なぜ持ってきた」
「必要かと思って」
「……じゃあ、移動中に読め。その時間はたっぷりあるからな」
「はいっ!」
非常食は一つに減らした。小瓶は不要と言ったが「一本だけ」とルナが押した。靴の予備は荷物に戻した。手袋は必要だと認めた。マフラーは不要と言った。
「でも夜は冷えますよね」
「馬車に毛布がある」
「そっか」
「以上だ」
「……荷物、だいぶ減りましたね」
「最初が多すぎたんだ」
「でも、全部必要なものですよ?」
「そうは見えなかったぞ」
「……じゃあ、ししょーの荷物は何が入ってるんですか。教えてくださいっ」
* * *
俺は、自分の鞄を見た。
着替え二着。書類一式(依頼書・身分証・調査記録用の紙)。羽根ペンと予備のインク。在庫目録の写し。携帯用の松明と発火具。それと——
鞄の外ポケットに、小さな金属製の入れ物が入っていた。
灰皿だ。
俺が十年以上前に手に入れて、今も持っている。タバコは今は手元にない。禁煙中ではなく、入手できないだけだ。城下町の店には、ここ二年、在庫がない。ガストロノミアなら——あるかもしれない。
あるかもしれない、と思ったから、灰皿を持っていくことにした。
それだけだ。
「着替えと書類と必要な道具だな」と俺は言った。
「石は?」
「持っていかない」
「え、なんで?」
「必要がない」
「でも——」 ルナが机の端の石を見た。六個、並んでいる(カーネリアンはルナが持つ)。「ししょー、石、置いてっちゃうんですか」
「戻ってくる」
「……そっか」 ルナが、少し考えた。「じゃあ、わたしが一個持っていくから、ここには六個残ってて、戻ってきたらまた七個になるんですね」
「そうだな」
「それでいいです」
「そうしろ」
* * *
荷物の確認が終わって、午後の訓練に移った。
今日は来歴読解の最終確認——出張で使う遺物の種類に近いものを選んで、感知の精度を確かめた。
「今日の訓練、出張の準備ですか」とルナが聞いた。
「そうだ。ガストロノミアでは十二点以上の遺物を扱う。城の地下三階と違い、管理されていない環境の遺物だ。精神波の状態が不安定なものも含まれる可能性がある」
「不安定なものって、どういう感じがしますか」
「ざわざわする感じだ」
「……ざわざわ」
「お前の言葉で言えば、そうだ」
「なんか、わかります。この棚の端の箱、少しざわざわするんですよね。以前から」
「E列の端か」
「はい。でも、危ない感じじゃなくて、なんか——落ち着かない感じ、みたいな」
「記録しておく。戻ってから確認する」
「はい。……でも、わたし、不安定な遺物でも、ちゃんと感知できますかね」
「今日の訓練で確認する。やってみなければわからない」
「やってみます」
ルナが遺物に集中していくのがわかる。
俺はそれを頼もしそうに見守っていた。
* * *
夕刻、ルナが帰り支度をした。荷物が、来たときより少し軽くなっていた。
「ししょー、出発の準備、他にすることはありますか?」
「身分証は用意できているか」
「はい。昨日、事務局で発行してもらいました」
「書類の確認は?」
「はい。大丈夫です。済ませました!」
「当日は南門前に、《リーヴァ》月三日の朝一刻に集合だ。遅れるな。遅れたら置いてくぞ」
「ししょーひどいですぅ! ぜったい遅れません! たぶん……」
なんで、そこで自信がなくなるんだよ。
最後まで、元気に返事しておけ。
「だから、遅れるなと言っている」
「遅れません!!」
「……わかった」
ルナが、コートの前を合わせた。ポケットにカーネリアンが入っているのが、わずかにふくらんで見えた。
「ししょー、楽しみですね」
「仕事だ」
「でも楽しみです」
「まあ、そうだな」
「ししょーも楽しみですか」
「……仕事だぞ」
「そっか」 ルナが、小さく笑った。「おやすみなさい、ししょー。明後日まで」
「ああ」
* * *
螺旋階段の足音が、遠くなった。
地下三階に、静寂が戻った。
机の端に、石が六個、並んでいた。茶色が二個、白っぽいの一個、蛇紋岩一個、石英一個、頁岩一個。カーネリアンは今、ルナのポケットの中にある。
俺は在庫目録を開いた。
《リーヴァ》の月、一日。
・出発まで二日。荷物確認。ルナが石を二個持っていこうとした。
一個に減らした。カーネリアムを選んだ。
「勇気の石ですから」——石に勇気はない。
・E列の端の箱にざわざわ感あり——要確認(帰還後)。
・灰皿を鞄に入れた。理由は、ある。
・机の端の石:六個(カーネリアムはルナが持つ)。
・出発まで:二日。
ページを閉じた。
「楽しみですね」とルナが言った。
「仕事だ」と俺は答えた。
二回も。
それでいい。




