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世界最強の精神熟達者、解除不能の師弟契約で無能少女を育てることになった俺の終わらない修行の日々  作者: ちとせ鶫
第7章 ガストロノミアへの依頼と、出発前夜と、ルナが荷造りを失敗した話

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第35話 ルナが荷造りを失敗した話と、石を一個持っていこうとした話

 《リーヴァ》の月の一日。


 出発まで、二日だ。


 朝、ルナが降りてきた。


 両手が、塞がっていた。

 右手に大きな鞄。

 左手に小さな鞄。肩に布の袋。

 コートのポケットが両方ふくらんでいた。


「おはようございます、ししょー」

「……何をしているんだ」

「荷物の確認です! 全部持ってきました」

「全部」

「はい! 何が必要で何が不要か、ししょーに確認してもらおうと思って」


 俺は、ルナの全体を見た。

 大きな鞄は、明らかに規定の「大きな鞄一つ」の基準を超えている。


「机の上に全部出せ」

「はい!」


 ルナはなんだか楽しそうに鼻歌を歌いながら、並べていた。


     * * *


 机の上に、ルナの荷物が並んだ。


 着替え四着。タオル二枚。

 訓練用の紙と羽根ペン一式。

 在庫目録の写し(手書き)。

 薄い本三冊(参考書)。

 包み紙に包まれた何か三つ(「非常食です」とルナが言った)。

 小さな瓶二本(「城の水の方が合うかもしれないので」とルナが言った)。

 靴の予備一足。

 手袋ふたつ。

 マフラー(「《リーヴァ》月でも夜は冷えるかもしれないので」とルナが言った)。


 そして、コートのポケットから出てきたもの——石が、二個。


 茶色の石と、カーネリアンだ。


「石を持っていくのか?」と俺は尋ねた。

「……持っていきたくて」

「何のために?」

「なんか、お守りみたいな感じで」

「石にお守りの効果はない」

「でも、持っていきたいです」


 俺は、石を見た。


 茶色の石——最初からあった石だ。ルナが来る前から机の端にあった。ルナが来た初日、「石ですね」と言った石だ。


 カーネリアン——査定の翌日にルナが買ってきた。「勇気の石」と言われている。「石に勇気はない」と俺は言った。「でも、なんかいいじゃないですか」とルナは言った。


「……一個にしろ」と俺は言った。

「どっちにしますか」

「お前が決めろ」


 ルナが、二個の石を両手に乗せた。右手に茶色の石、左手にカーネリアン。交互に見た。また交互に見た。


「……カーネリアムにします」

「そうしろ」

「勇気の石ですから」

「石に勇気なんてものはないぞ」

「でも、なんかいい感じがしますよ?」

「……わかった、持っていけ」


     * * *


 荷物の整理を始めた。


「着替えは二着でいい。二週間なら洗濯ができる」

「でも、二着は少なくないですか」

「洗えば同じだ」

「……じゃあ二着にします。あと、この本は」

「必要なものだけ持て。全部持っていくな」

「でも、訓練中に参考にしたくて」

「一冊にしろ」

「どれにしますか」

「一番読んでいないものだ。移動中に読め」

「……一番読んでないのはこれです」 ルナが、薄い本を一冊取り出した。「『遺物の年代測定と精神波残滓の相関について』です。難しそうで後回しにしてました」

「なぜ持ってきた」

「必要かと思って」

「……じゃあ、移動中に読め。その時間はたっぷりあるからな」

「はいっ!」


 非常食は一つに減らした。小瓶は不要と言ったが「一本だけ」とルナが押した。靴の予備は荷物に戻した。手袋は必要だと認めた。マフラーは不要と言った。


「でも夜は冷えますよね」

「馬車に毛布がある」

「そっか」

「以上だ」

「……荷物、だいぶ減りましたね」

「最初が多すぎたんだ」

「でも、全部必要なものですよ?」

「そうは見えなかったぞ」

「……じゃあ、ししょーの荷物は何が入ってるんですか。教えてくださいっ」


     * * *


 俺は、自分の鞄を見た。


 着替え二着。書類一式(依頼書・身分証・調査記録用の紙)。羽根ペンと予備のインク。在庫目録の写し。携帯用の松明と発火具。それと——


 鞄の外ポケットに、小さな金属製の入れ物が入っていた。


 灰皿だ。


 俺が十年以上前に手に入れて、今も持っている。タバコは今は手元にない。禁煙中ではなく、入手できないだけだ。城下町の店には、ここ二年、在庫がない。ガストロノミアなら——あるかもしれない。


 あるかもしれない、と思ったから、灰皿を持っていくことにした。

 それだけだ。


「着替えと書類と必要な道具だな」と俺は言った。

「石は?」

「持っていかない」

「え、なんで?」

「必要がない」

「でも——」 ルナが机の端の石を見た。六個、並んでいる(カーネリアンはルナが持つ)。「ししょー、石、置いてっちゃうんですか」

「戻ってくる」

「……そっか」 ルナが、少し考えた。「じゃあ、わたしが一個持っていくから、ここには六個残ってて、戻ってきたらまた七個になるんですね」

「そうだな」

「それでいいです」

「そうしろ」


     * * *


 荷物の確認が終わって、午後の訓練に移った。


 今日は来歴読解の最終確認——出張で使う遺物の種類に近いものを選んで、感知の精度を確かめた。


「今日の訓練、出張の準備ですか」とルナが聞いた。

「そうだ。ガストロノミアでは十二点以上の遺物を扱う。城の地下三階と違い、管理されていない環境の遺物だ。精神波の状態が不安定なものも含まれる可能性がある」

「不安定なものって、どういう感じがしますか」

「ざわざわする感じだ」

「……ざわざわ」

「お前の言葉で言えば、そうだ」

「なんか、わかります。この棚の端の箱、少しざわざわするんですよね。以前から」

「E列の端か」

「はい。でも、危ない感じじゃなくて、なんか——落ち着かない感じ、みたいな」

「記録しておく。戻ってから確認する」

「はい。……でも、わたし、不安定な遺物でも、ちゃんと感知できますかね」

「今日の訓練で確認する。やってみなければわからない」

「やってみます」


 ルナが遺物に集中していくのがわかる。

 俺はそれを頼もしそうに見守っていた。


     * * *


 夕刻、ルナが帰り支度をした。荷物が、来たときより少し軽くなっていた。


「ししょー、出発の準備、他にすることはありますか?」

「身分証は用意できているか」

「はい。昨日、事務局で発行してもらいました」

「書類の確認は?」

「はい。大丈夫です。済ませました!」

「当日は南門前に、《リーヴァ》月三日の朝一刻に集合だ。遅れるな。遅れたら置いてくぞ」

「ししょーひどいですぅ! ぜったい遅れません! たぶん……」


 なんで、そこで自信がなくなるんだよ。

 最後まで、元気に返事しておけ。


「だから、遅れるなと言っている」

「遅れません!!」

「……わかった」


 ルナが、コートの前を合わせた。ポケットにカーネリアンが入っているのが、わずかにふくらんで見えた。


「ししょー、楽しみですね」

「仕事だ」

「でも楽しみです」

「まあ、そうだな」

「ししょーも楽しみですか」

「……仕事だぞ」

「そっか」 ルナが、小さく笑った。「おやすみなさい、ししょー。明後日まで」

「ああ」


     * * *


 螺旋階段の足音が、遠くなった。


 地下三階に、静寂が戻った。


 机の端に、石が六個、並んでいた。茶色が二個、白っぽいの一個、蛇紋岩一個、石英一個、頁岩一個。カーネリアンは今、ルナのポケットの中にある。


 俺は在庫目録を開いた。


 《リーヴァ》の月、一日。

 ・出発まで二日。荷物確認。ルナが石を二個持っていこうとした。

  一個に減らした。カーネリアムを選んだ。

  「勇気の石ですから」——石に勇気はない。

 ・E列の端の箱にざわざわ感あり——要確認(帰還後)。

 ・灰皿を鞄に入れた。理由は、ある。

 ・机の端の石:六個(カーネリアムはルナが持つ)。

 ・出発まで:二日。


 ページを閉じた。


 「楽しみですね」とルナが言った。

 「仕事だ」と俺は答えた。

 二回も。


 それでいい。

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