第34話 オルフェリアが「同行します」と言った日と、ギルが断れなかった話
《エルネ》の月の二十一日。
午前、螺旋階段の足音が聞こえた。
ルナではない。ルナの足音はいつも聞いて知っている——不規則で、途中で一段踏み外す。今の足音は、均一で、静かで、迷いがない。
その足音にも、覚えがあった。
オルフェリアだ。
俺は羽根ペンを置いた。今日は来訪の予定がなかった。
* * *
「失礼します」
オルフェリア・ソル・ヴェインが、地下三階の入口に立っていた。白い制服。笑顔がある。今日の笑顔は——いつもの「調査上の笑顔」だ。
「定期確認ではないな」と俺は言った。
「はい」 オルフェリアが、一歩入ってきた。「ガストロノミアの件でご相談があります」
「聞こえていたか」
「上役を通じて確認いたしました。遺物調査の出張依頼をお受けになるとのことで」
「そうだ」
「ルナさんも同行されると」
「そうだ」
オルフェリアが、少しの間、俺を見た。
何かを計測している時間だ、と俺には分かる。
「クインシー主任」
いつもは、「閣下」と呼ぶところ、あえて「主任」と呼んだ。
これは、何かあるなと、俺は思った。
「なんだ?」
「私も同行させていただけますか」
* * *
俺は、その言葉を静かに受け取った。
断る理由を、頭の中で並べた。
——定期監察の担当範囲は城内だ。城外への同行は通常の業務範囲を超える。
オルフェリアが言った。「城外での遺物調査には、監察局からの同行者を付けることが推奨されております。規程集の第七条です」
俺は、その条文を知っている。「推奨」だ。義務ではない。
そう断れるのだ。
「推奨であって、必須ではない」
「そうです。ただし、推奨を断る場合には上役への説明が必要です」
「上役はすでに依頼を承認している」
「承認の段階では同行者の有無は確認されておりませんでした。今から申請すれば、上役は推奨に従うよう指示を出す可能性が高い」
俺は、オルフェリアを見た。
「可能性が高い」——断言しない。しかし、確実にそうなることを彼女は知っている。形式上、断れない状況を、丁寧に積み上げている。
「……形式が整っている」と俺は言った。
「ありがとうございます」
「褒めていない」
「承知しております」
* * *
オルフェリアが椅子に座った。俺も座った。
少しの間、互いに何も言わなかった。
「なぜ一緒に来たい?」と俺は問い質す
「業務上の理由です」とオルフェリア。淡々と返す
「それだけなのか?」
オルフェリアが、少しの間、俺を見た。
「……ルナさんのことが、気になっています」
「監察上の意味でか?」
「そうです――」 彼女はひと呼吸あけて続けた。「それだけではないかもしれません」
俺は、その答えを受け取った。
「それだけではないかもしれません」——オルフェリアが自分の動機を全部言葉にしないのは、俺と同じだ。
「ガストロノミアで、お前は何かを知っているか」と俺は聞いた。
オルフェリアの精神波が、わずかに——変化した。「調査上の警戒」ではない。別の何かだ。
「……知っていることと、確認したいことがあります」
「教えてもらえるか」
「今は、まだ」
「そうか」
俺は、羽根ペンを手に取った。
「同行を許可する」と言った。
「ありがとうございます」
「ただし、行動は基本的に俺とルナに合わせてもらう。単独行動は城内のルールに準じて事前報告制だ」
「承知しました」
「それと——ルナに余計なことを言うな」
オルフェリアが、少し間を置いた。
「余計なこと、とは」
「お前が知っていることと確認したいことを、ルナに先に伝えるな。俺が先に聞く」
また、間があった。
「……わかりました」
* * *
オルフェリアが帰り支度をした。
立ち上がって、書類を整えた。いつも通りの動作だ。
螺旋階段の方へ向かいかけて、立ち止まった。
「クインシー主任」
「なんだ?」
「出発は《リーヴァ》月三日とのことでしたが——荷物はどの程度の量を想定していますか」
「馬車一台の乗り合いを取ってある。一人一つの大きな鞄と、手荷物一つが基準だ」
「ルナさんには伝えましたか」
「明日リストを渡す」
「……余計なお世話かもしれませんが」オルフェリアが少し笑った。「ルナさんは、荷物を持ちすぎることになると思います」
「そうだろうな」
「お気をつけください」
「わかった」
* * *
螺旋階段の足音が、均一に遠くなった。
地下三階に、静寂が戻った。
俺は、机の上を見た。依頼書の隣に、在庫目録がある。羽根ペンがある。石が七個、並んでいる。
「知っていることと確認したいことがある」——オルフェリアがガストロノミアについて何かを知っている。それが何かは、今は教えてもらえない。
「今は、まだ」。
この言葉を、俺は以前にも聞いた。「今のところ何もしない」——あのときと同じ構造だ。情報を持っていて、行動しないことを選んでいる。しかし今回は、同行を選んだ。
「今のところ何もしない」が、動き始めている。
俺は在庫目録を開いた。
《エルネ》の月、二十一日。
・オルフェリア来訪6回目:ガストロノミア同行の申し出。
「城外の遺物調査には監察局同行が推奨」——形式は整っていた。
断らなかった。「業務上の理由です」「それだけではないかもしれません」
「知っていることと確認したいことがある」
「今は、まだ」——何かを知っている。
何かが、ガストロノミアにある。
「ルナに余計なことを言うな。俺が先に聞く」と言った。
彼女はわかりましたと了解の返事。
三人での出張が確定した。
・机の端の石:七個。
ページを閉じた。
三人。
俺とルナと、オルフェリア。
三年前の出張は一人だった。次の出張は、三人だ。
——これが何を意味するのか、今夜は考えないことにした。




