表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界最強の精神熟達者、解除不能の師弟契約で無能少女を育てることになった俺の終わらない修行の日々  作者: ちとせ鶫
第6章 査定の月と、最後の修行と、ギルが初めて正直に答えた話

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
32/36

第32話 査定が終わった翌日と、石が七個になった話

 《エルネ》の月の五日。


 朝、目が覚めた。


 地下三階は、いつも通りだった。


 遺物の棚が、いつも通りに呼吸していた。松明の光。埃の匂い。静寂。机の端の石が、六個、並んでいた。


 査定が終わった翌日の朝も、地下三階はいつも通りだった。当然だ。遺物は査定の結果を知らない。棚の配置は変わらない。石は増えていない。


 俺は在庫目録を開いた。


 昨日の「査定まで:○日」のページが、まだそのままだった。


 今日の日付を、次のページに書いた。


     * * *


 朝、ルナが降りてきた。


「おはようございます、ししょー」


「来るのが早い」


「今日も早く目が覚めました」


「昨日も早かった」


「なんか、最近ずっと早く起きちゃって」


「季節の変わり目だ。《エルネ》の月は朝の光が変わる」


「ししょー、そういうの詳しいですよね」


「在庫目録に書いてある」


「そっか」 ルナが、棚にコートを掛けた。それから、ポケットをごそごそした。「ししょー、石持ってきました」


「何の石だ」


 ルナが、手のひらに乗せたものを差し出した。


 丸みのある、薄い橙色の石だ。表面が少し透けていて、光に当てると内側から光るような色をしている。


「城下町の石屋さんで買いました。査定が終わったら持ってこようと思って、昨日の帰りに」


「……何の石だ」


「お店の人に聞いたら、カーネリアンって言ってました。勇気の石、って言われてるらしくて」


「カーネリアンは酸化鉄を含む玉髄だ。橙色の発色は鉄の含有量による。『勇気の石』というのは後から付いた俗称だ」


「でも、なんかいいじゃないですか、勇気の石」


「石に勇気はない」


「でも、そう言われてる石が、査定の翌日に増えるのはいい感じがします」


 俺は、少しの間、その石を見た。


「……机の端に置け」


「はい!」


 ルナが、机の端に石を並べた。茶色が二個、白っぽいの一個、蛇紋岩一個、石英一個、頁岩一個——そして橙色のカーネリアン一個。


 七個になった。


     * * *


 午前の訓練は、来歴読解の復習だった。


 査定が終わったからといって、訓練を止める理由はない。次の査定まで、訓練は続く。


 今日の課題は「昨日と同じ三点を、もう一度感知して比較する」だ。前回の感知と今回の感知を照合することで、感知の安定性を確認する。


「一点目、金属製小箱」


「はい」


 ルナが、箱を手に取った。目を閉じた。


 三分ほど経って、報告書を書いた。


 俺は読んだ。


 前回の報告書と比べた。


 内容が、一致している。「残滓の濃淡から接触時期を推測する」という記述も、今回も同じ場所に出てきた。


「二点目」


「はい」


 三点全部を終えて、俺は三回分の報告書を並べた。


 昨日の三枚と、今日の三枚。


「どうでしたか」と聞いた。


「ほぼ同じだと思います」


「そうだ。感知が安定している」


「よかった。なんか、日によって変わったりしないか心配で」


「感知の質が安定しているということは、訓練として定着したということだ」


「そっか」 ルナが、少し考えた。「じゃあ、わたし、ちゃんとできるようになったんですね」


「そうだな」


「やった」


 「やった」が出た。今日は、いつも通りの「やった」だった。


     * * *


 昼過ぎ、ルナが在庫目録の整理をしていた。


 俺は、机の上に昨日の三枚と今日の三枚を並べたまま、しばらく見ていた。


 六枚の報告書。


 最終報告書の添付資料は、昨日提出した三枚だ。今日の三枚は提出しない。ただ、俺の手元に残る。


 これは、「嘘のない嘘」の外にある。


 査定のために書かせた報告書でも、フレーミングのための証拠でもない。ただ、ルナが今日、感知したものを書いた。それだけだ。


 俺は、今日の三枚を在庫目録の新しいページに挟んだ。記録として残す。


「ししょー」とルナが言った。


「なんだ」


「今日の在庫目録、どこまで整理しますか」


「D列の補完が終わったら今日はいい」


「はい」


 ルナが、在庫目録に向き直った。


 俺は、机の上を片付けた。羽根ペンを洗った。インク壺の蓋を閉めた。在庫目録を棚に戻した。


 いつも通りの午後だった。


     * * *


 夕刻近く、ルナが在庫目録を棚に戻した。


「ししょー、今日のD列、終わりました」


「そうか」


「これで、《アルデン》月からの補完、全部終わりました」


「よくやった」


「えへ」


 ルナが、帰り支度をした。コートを取って、鞄を持った。


 机の端の石を、七個、順番に見た。


「石、七個になりましたね」


「そうだな」


「なんか、いい感じがします」


「そうか」


「ししょー、七個の石、どんな感じですか」


「どんな感じとは」


「なんか、増えてきたじゃないですか。最初の頃は三個だったのに。今は七個で——なんか、ぎゅっとしてる感じがします」


「ぎゅっとしている、というのは」


「なんか、詰まってる感じ。中身が濃い感じ。上手く言えないですけど」


 俺は、石を七個、見た。


 茶色が二個。最初からあった。白っぽいの、蛇紋岩、石英、頁岩——ルナが一個ずつ持ってきた。カーネリアン、今日。


 一個ずつ、来るたびに増えた。


「……そうだな」と俺は言った。


     * * *


「ししょー、来週も来ていいですか」


「当然だ」


「再来週も?」


「そうだ」


「ずっと?」


「もちろん」


 ルナが、少し笑った。


「はいっ!」


 螺旋階段の方へ向かいかけて、一段目に足をかけた。振り返った。


「ししょー」


「なんだ?」


「今日、ありがとうございました」


「何に対する礼を言ってるんだ? お前は」


「いつも通りの一日で、ありがとうございました」


 俺は、それを聞いた。


 「いつも通りの一日」——ルナはそれに礼を言った。


「……ああ」と俺は言った。


 ルナが、螺旋階段を上がっていった。


 途中で一段踏み外した音がした。


 いつも通りだった。


     * * *


 地下三階に、静寂が戻った。


 遺物の棚が、いつも通りに呼吸していた。机の端の石が、七個、並んでいた。今日のカーネリアンが一番端にある。橙色が、松明の光を受けて、少し光っていた。


 俺は椅子に座った。


 在庫目録を取った。


 今日のページを開いた。羽根ペンを手に取った。


 書き始めた。


 《エルネ》の月、五日。査定翌日。

 ・来歴読解の復習——三点、安定。

  「感知が安定している」「ちゃんとできるようになったんですね」——そうだな。  

 ・D列の補完、完了。カーネリアンが増えた。石が七個になった。

  「勇気の石」らしい。石に勇気はない。

  しかし、査定の翌日に橙色の石が増えた。

  「いつも通りの一日で、ありがとうございました」——ルナが言った。


 羽根ペンが、紙の上で歩みを止めた。


 「まあ、いい」と書こうとした。


 《ヴェスタ》の月の終わりごろから、何度も書いてきた言葉だ。「来るなと言えば来ないか」と聞いたとき。「合理的な人って毎日パン代払いませんよね」と言われたとき。「変わる理由がないです」と言われたとき。何かを受け取って、しかし全部は言えなくて、「まあ、いい」で閉じてきた。


 今夜も書こうとした。


 手が、止まった。


 「まあ、いい」——今夜は、その言葉が来なかった。


 何かが違う。何が違うのか、言葉にならない。しかし「まあ、いい」では——今夜の地下三階に、合わない。


 俺は、羽根ペンを置いた。


 机の端の石を、七個、見た。


 カーネリアンが、橙色に光っていた。


 在庫目録を、また開いた。


 続きを書いた。


 ・机の端の石:七個。

 ・次の査定まで:まだまだ先は長い。


 それだけ書いた。


 ページを閉じた。


 「まあ、いい」は書かなかった。


 書かなかったことが、何かを意味するのかどうか——わからない。


 ただ、今夜は、書かなかった。


 それだけだ。


 遺物の棚が、いつも通りに呼吸していた。松明の炎が、小さく揺れた。カーネリアンが、橙色に光っていた。


 地下三階は、静かだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ