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世界最強の精神熟達者、解除不能の師弟契約で無能少女を育てることになった俺の終わらない修行の日々  作者: ちとせ鶫
第1章 掃き溜めの師弟

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第3話 地下三階の新しい日常と、才能ゼロの使いみちを編集

地下って場所はな、不思議なもんだ。

地上じゃ忘れられてるものが、妙に長生きする。


埃をかぶった木箱。

誰も触らなくなった記録。

封印だけ残って、中身の意味を失った遺物。

そういう連中が、静かに積み上がっていく。


で、人間も案外似たようなもんだ。


表で使い道がなくなった奴から、下へ沈む。

誰にも見られない場所で、仕事とも呼べん作業を続ける。

俺はまあ、そういう場所で五年ほど、遺物番をやってる。


静かで悪くない。

誰にも期待されないってのは、案外平和なんだ。


……そう思ってた。


そこへ現れたのが、あの弟子だ。


精神干渉はゼロ。

才能もゼロ。

訓練所の査定なら、即日返品でもおかしくない。


そのくせ、パンの匂いだけは化け物じみてる。


しかも本人は、自分が変だって自覚がない。

笑うし食うし迷子になるし、こっちの胃を痛める才能だけは一級品だ。


だがまあ——

地下三階って場所は、時々そういう“規格外”を拾う。


役に立たないはずのものが、

気づけば一番深いところを見つけることがある。


これは、そんな話だ。


……たぶん。

《フォルナ》の月の六日。


 師弟修行、初日。

 俺は朝の第一刻に地下三階へ降り、

 在庫目録を確認し、

 遺物の状態を一通りチェックしてから、

 折りたたみ椅子に腰を落ち着けた。

 いつもの手順だ。

 そこに今日から、ひとつだけ違うことが加わった。


    * * *


 第二刻を少し過ぎたころ、

 ルナが螺旋階段を降りてくる足音がした。

 軽やかな足音だ。

 地下三階の重い空気の中で、少しだけ浮いている。


「おはようございます、ししょー!」

 ルナが扉を開けた。頬が少し赤い。走ってきたのかもしれない。

「遅いぞ」

「ひぅ、ごめんなさい! 途中でいい匂いがして寄り道しちゃいまして......」

「またか。どこで油売っていたんだ?」

「二階の廊下です。どなたかお弁当を持って歩いてらして......」

「それで?」

「五秒だけ、着いていきそうになっただけ......大丈夫です!」


 何が大丈夫なのかよくわからんな、こいつは。

 俺は目を閉じて、湧き上がる苛立ちを五秒数えて鎮める。

 それが五秒で済んでいるのは、

 まだ良心的と言うべきか。


「座れ」と俺は静かに告げた。「訓練を始める」


     * * *


 最初の訓練は、「精神の膜を張る」という基礎中の基礎だ。

 精神熟達者の能力の根幹は、自分の精神波を制御することにある。

 外部からの精神波を遮断する「膜」を張れなければ、

 干渉も、操作も、何もできない。

 俺が十二歳の訓練所で最初に叩き込まれたことだ。


 ルナに、その説明をした。

 「はい!」と返事は一丁前に元気に返ってくる。

 目を閉じ、両手を膝の上に置き、背筋を伸ばした。

 その姿勢が、また妙に絵になっていた。「瞑想する聖女」。


 俺は精神波の測定器を準備した。

 王立訓練所の標準的な計測器具だ。

 術師の精神波の出力と制御精度を数値化する。

 入所時の基準値を計測する際に使う道具で、

 俺がここに赴任した時に一応持ってきていた。

 五年間、一度も使っていなかったが。


 計測を開始した。

 数値が、出た。

 俺は、その数値を三秒間見た。

 測定器が壊れているのかと思って、自分の手に当てて試した。

 正常な数値が出た。


 ルナに当て直した。

 さきほどと同じ数値が出た。


「……どうでしたか!」

 ルナが目を開けて、期待した顔で聞いた。

「次の訓練に移る」と俺は言った。

「え、もうですか? 早いですね!」

「……そうだな」

 俺は測定器を棚の上に置いた。数値については、言わないことにした。


     * * *


 午後、俺は発想を変えることにした。

 「精神干渉の訓練をする」という方向は、一旦棚上げだ。

 才能がゼロという事実は変わらない。

 訓練を続けても、数値は変わらないだろう。

 それはもう、今朝の計測で確認した。

 ならば——別の方向を試す。


「ルナ」

「はい!」

「目を閉じろ」

「はい」

「この倉庫の中で、いつもと違う匂いがするものはあるか」

 ルナが、目を閉じたまま、鼻をかすかに動かした。数秒の沈黙。

「……あります」

「どこだ」

「あの棚のあたりです。奥から三番目の、下から二段目あたり。なんか、焦げてるみたいな匂いがします。でも焦げじゃなくて……熱くなってる、みたいな。精神波っぽい感じの匂いです」


 俺は立ち上がった。

 棚の前に行き、ルナが指した場所を確認した。

 木箱が一つ。

 封印の紋様が刻まれた、「要注意」の札がついた箱だ。


 俺が感知したのは——三分後だった。

 箱の封印が、内側から少しずつ劣化していた。

 精神汚染の遺物が変質を始めている初期段階の兆候だ。

 このまま放置すれば、数日以内に封印が破れる。

 そうなれば、精神波の漏出が始まる。


 俺はルナより三分遅く、それを察知していた。

「……正確だ」と俺は言った。

「ほんとですか!」

「今感じたものを、もう少し詳しく説明できるか」

「えっと……なんか、ピリピリする感じの匂いで、あと少しだけ甘い気もして。焦げてる感じは、熱くなってるじゃなくて、こう……崩れかけてる、みたいな匂いです。ちゃんと伝わってますか?」


 俺は棚の前に立ったまま、少しの間、考えた。

 この子は「匂い」として認識しているが、

 実際に感知しているのは精神波の変質だ。


 封印の劣化が放出する精神波の変化を、食感知の延長として捉えている。

 遺物の精神波は、食材のそれとは性質が違う——

 にもかかわらず、この子は「匂い」として処理できている。

 ……使えるかもしれない、という考えが、昨日より少し、具体的になった。


「よくやった」と俺は言った。

「えっ」

「この棚の封印が劣化していた。お前が気づいたのは、俺より三分早かった」

 ルナが、ぱっと顔を明るくした。

「やった! じゃあまた、パンを買ってもらえるんでしょうか?」

「……成果次第と言った」

「これは成果じゃないですか!?」

「……まあ」


 俺は棚から離れた。

 封印の修復処置を施しながら、考えていた。

 査定の基準を「精神干渉能力」ではなく、「遺物管理への特殊貢献」に読み替えさせることができれば——上役の認識を、ほんの少し書き換えれば——。


 これは嘘ではない。ルナは実際に機能している。

 ただし、「精神熟達者の弟子」としてではなく、

「地下三階の遺物番の鼻」として、だが。


 まあ、それは俺が考えることだ。

「処置が終わったら、今日の記録をまとめる」と俺は言った。「お前も覚えておけ。どの棚で、どんな匂いがしたか」

「はい! あと、パンは——」

「大丈夫だ。買ってやる」

「やったー!!」


     * * *


 その日の夕方、ルナが帰った後、俺は在庫目録を開いた。


 今日、ルナが自発的に報告してきた棚の異変は、三件だった。

 俺が事前に把握していたのは、そのうち一件だ。

 残り二件は、ルナの報告で初めて確認した。

 どちらも初期段階の微細な変質で、精神熟達者としての俺の感知が、

 遅れをとっていた。

 

 遺物の精神波に長年さらされた影響か、あるいは俺自身の感知能力の問題か。

 ——まあ、たいしたことではない。

 ルナのパン代を経費として計上できるかどうかについては、

 明日考えることにした。


《フォルナ》六日。訓練初日。

 ・精神干渉能力:ゼロ(測定済み・追加訓練の見込みなし)。

 ・遺物感知:規格外。

 ・活用方針:転換を決定。

 ・パン代:立て替え済み(三個分)。

 ・経費計上:検討中。

 ・胃痛:本日は軽度。(理由は不明)

人を育てるってのは、もっと立派な行為だと思ってた。

弟子に背中を見せて、

導いて、

才能を開花させて、

最後には「師匠、あなたのおかげです」とか言われる。

そういうもんだと、昔は思ってた。

現実は違う。

腹を空かせた弟子が、地下倉庫で「パンの匂いがします!」とか叫ぶ。

遺物より先に菓子を感知する。

査定基準は崩壊する。

経費申請は通らん。

胃薬だけが減っていく。

……だが、不思議なもんでな。

静かだった地下三階が、少しだけ騒がしくなる。

誰も来なかった廊下に、足音が増える。

冷めた茶を飲む時間に、誰かの笑い声が混ざる。

そんな些細な変化を、俺は案外嫌っていないらしい。

たぶん、人間ってのは、完全に一人では鈍るんだろう。

遺物も、人間も、長く閉じ込めてると、少しずつ変質する。

だからまあ——

地下には地下なりの換気が必要だ。

その役目が、よりによって「底なし胃袋の聖女」だったってだけの話だ。

……さて。

明日もまた、地下三階へ降りる。

パン代の経費申請書を書きながらな。

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