表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界最強の精神熟達者、解除不能の師弟契約で無能少女を育てることになった俺の終わらない修行の日々  作者: ちとせ鶫
第6章 査定の月と、最後の修行と、ギルが初めて正直に答えた話

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
29/36

第29話 査定まで二十日と、ルナが初めて「怖い」と言った話

 《オーレン》の月の十二日。


 査定まで、二十日だ。


 在庫目録に数字を書きながら、俺はその事実を確認した。二十日。《エルネ》の月の初旬——査定月の最初の週に、最終査定がある。


 《フォルナ》月の九日にルナが来てから、二百七十三日が経った。


 机の端の石が、六個、並んでいた。


     * * *


 朝、ルナが降りてきた。


「おはようございます、ししょー」

「来るのが遅いぞ」

「途中でちょっと、寄り道してました」


 だいたい予想はつくが、あえて聞いてみた。


「どこに?」

「厨房の近くです。今日の昼ごはんの確認」

「確認しなくていい」

「でも、今日はおいしいシチューで——」

「訓練を始めろ」

「はーい」


 ルナが、コートを棚に掛けた。いつも通りの動作だ。《オーレン》の月になってから、ルナのコートはまた一枚薄くなっている。夏の終わりに差し掛かる頃だ。


 しかし、ルナの精神波が——いつもと、少し違う。


 俺は、それを感知した。


 乱れではない。怒りでも不安でもない。ただ、いつもより少し——密度が高い。何かを抱えているときの精神波だ。


 俺は、何も言わなかった。


     * * *


 午前の訓練は、来歴読解の応用だった。


 今日は俺が事前に状態を確認していない遺物を使う。ルナが感知した内容を、俺が後から確認するという順番だ。ルナの感知精度を「答え合わせなし」で試す。


「この箱です」と俺は言って、E列の中段から薄い金属製の箱を出した。


 ルナが、両手で受け取った。目を閉じた。


 いつもより少し、集中するまでの時間が長かった。


「……一人です」とルナが言った。「女性の感じがします。年齢は……中年か、少し上か。なんか、几帳面な感じがして、精神波がきっちりしてます。感情は——穏やかで、でも、なんか、少し疲れた感じもある」


「続けろ」


「この箱、すごく大事にしてた感じがします。でも、自分のためじゃなくて——誰かのために大事にしてた感じ。自分の外に向いた大事さ、みたいな」

「そこまでか」

「......あと、なんか、この人、もういない感じがします。残滓が、昔のものだから」


「そうだ」と俺は言った。「この箱は三十年前に寄贈された遺物だ。所有者は当時四十代の女性で、职人として精密な道具を扱う仕事についていた——精神波の『几帳面さ』はその影響だ。『自分の外に向いた大事さ』は正確だ。この箱は彼女の娘に渡す予定だったが、娘が先に亡くなったため、寄贈された」


 ルナが、箱をそっと机の上に置いた。少しの間、箱を見ていた。


「......娘さんに渡せなかったんですね」

「そうだ」

「なんか、悲しいですね」

「感知の記録として、それを別途残しておけ」

「はい」


 ルナが、紙に何かを書いた。それから、少しの間、書いた紙を見ていた。


     * * *


 昼過ぎ、在庫目録の補完作業をしていたとき、ルナが急に手を止めた。


「ししょー」

「なんだ」

「一個聞いていいですか」

「なんだ」


 ルナが、在庫目録から顔を上げた。少し、俺を見た。


「......査定って、どうなったらいいんですか」

「どういう意味だ」

「なんか、ちゃんとわかってないんですけど——通ったら、どうなるんですか」


「契約期間が延長される。俺の職が継続する。お前の訓練が続く」

「通らなかったら?」

「お前が処分される」

「わたしだけですか」


 俺は、手を止めた。


 ルナが、俺を見ていた。いつもの目だ。怒っていない、怖がっていない——ただ、聞いている。


「師弟契約の条件によっては、俺も評価に影響を受ける」と俺は言った。

「影響を受ける、というのは」

「査定の結果が俺の評価に直結する」

「......それだけですか」


 三秒。五秒。


 「それだけですか」——《ヴェスタ》月二十五日に、ルナは同じ言葉を使った。あのときも、俺は「それだけだ」と答えた。


 今日も、同じ答えを返せる。


「......それだけだ」


 ルナが、俺を見たまま、少しの間、黙っていた。


「そっか」


---


 夕刻近く、ルナが帰り支度をしていた。

 コートを取ろうとして、やめた。


「ししょー」

「なんだ」

「......なんか、怖いです」


 俺は、ルナを見た。


「怖い、というのは?」

「なんか——査定が近づいてる感じがして。よくわからないんですけど、なんか、怖い感じがします」

「感知しているのか」

「感知というか......なんか、雰囲気、みたいな感じで。ししょーの精神波が、最近少し、張ってる感じがするので」


 俺は、その言葉を受け取った。


 自分の精神波が「張っている」と、ルナに感知されていた。俺が意識してコントロールしているつもりの領域を——ルナは外側から読んでいた。


「怖いのは何故だ」と俺は聞いた。


「......ししょーに、迷惑をかけたくないです」

「なぜそう思う」

「なんか、わたしのせいで、ししょーが困ることがあったら嫌だから」


 俺は、椅子から立ち上がった。

 棚の方へ歩いて、少しの間、棚を見た。遺物たちが、いつも通りに呼吸していた。


「ルナ」

「はい」

「お前のせいで、俺が迷惑を被ったことはない」


 ルナが、少しの間、黙っていた。


「......ほんとですか」

「本当だ」

「ししょーが、ほんとのことを言ってるかどうか、わかりますか?」

「わかるか」

「......なんか、精神波で、嘘ついてる人はわかる気がします。嘘ついてるとき、なんか、少しざわざわする感じがして」

「今、俺の精神波はどうだ」


 ルナが、少しの間、感知した。


「......ざわざわしてないです」

「そうだろう」

「......ほんとに、迷惑じゃなかったんですか」

「お前が来てから、俺の胃は痛くなり続けているが——それはお前のせいではない」


 ルナが、くすっと笑った。


「それ、わたしのせいですよね」

「そうとも言える」

「どっちですか」

「......まあ」

「まあ、ってどっちですか」

「お前のせいかもしれない。しかし、迷惑だとは思っていない」


     * * *


 ルナが、少しの間、それを受け取った。


「......ありがとうございます、ししょー」

「礼はいい」

「でも、言いたいので言いますね」

「わかった」


 ルナが、コートの前を合わせた。螺旋階段の方へ向かいかけて、少し止まった。


「ししょー」

「なんだ?」

「査定、絶対通ります。わたし、頑張るので」

「お前の頑張りだけが査定を決めるわけではないが」

「でも、頑張ります」

「......そうしろ」

「はい!」


 ルナが、螺旋階段を上がっていった。

 途中で一段踏み外した音がした。いつも通りだった。


     * * *


 地下三階に、静寂が戻った。


 遺物の棚が、いつも通りに呼吸していた。


 俺は椅子に座って、少しの間、棚を見た。


 「お前のせいで迷惑を被ったことはない」——本当だ。


 ルナが来てから、胃は痛くなった。眠れない夜が何度かあった。報告書の設計に時間がかかった。在庫目録の文字が変わった。城下町に久しぶりに行った。星を三十秒見た。


 それは全部——迷惑ではない。


 迷惑ではない、という言葉の意味を、俺は今夜初めて、正確に受け取った気がした。


 「お前のせいかもしれない。しかし、迷惑だとは思っていない」——あの言葉は、嘘ではなかった。


 今まで言えなかった言葉の中で、初めて——全部、本当だった。


 俺は在庫目録を開いた。


 《オーレン》の月、十二日。

 ・来歴読解応用課題:答え合わせなし。

  「娘さんに渡せなかったんですね」——正確。ルナが「怖い」と言った。

  「ししょーに迷惑をかけたくないから」。

  「お前のせいで迷惑を被ったことはない」と言った。

  ルナが精神波で確認した——「ざわざわしてない」。本当だった。

  迷惑だとは思っていない。今夜、その意味を初めて正確に受け取った。

 ・机の端の石:六個。

 ・査定まで:二十日。


 ページを閉じた。


 二十日。


 まだ、やることがある。


 しかし今夜は——この記録だけで、十分だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ