第21話 年の最後の日と、石が五個になった話
《ノクス》の月の三十日。
年の、最後の日だ。
明日から《ヴァルナ》の月——春の神の月、新しい年の最初の月が始まる。
俺は在庫目録を開いた。去年の《ノクス》三十日のページが、頭の中にある。「《ノクス》の月、三十日。年が終わった。」一行だけだった。ルナが「さびしい」と言った、あの一行だ。
今年は、何行になるかは、まだわからない。
* * *
朝、ルナが降りてきた。
今日は両手に荷物を持っていた。コートのポケットがふくらんでいた。鞄が、いつもより重そうだった。
「おはようございます、ししょー」
「荷物が多いな」
「年の最後の日じゃないですか」
「だから何だ?」
「なんか、いろいろ持ってきたくなって」
ルナが、鞄をおろして、机の端にいくつかのものを並べ始めた。
紙に包まれた何か。小さな瓶。布の袋。そして最後に、平たい石をひとつ。
「石、持ってきたのか?」
「はい。今日は特別なので」
「何が特別なんだ?」
「年の最後ですよ」
ルナが、石を机の端に置いた。白っぽい、丸みのある石だった。今まであった四個——茶色が二個、白っぽいの一個、緑がかった蛇紋岩一個——の隣に、新しい白い石が並んだ。
五個になった。
「これは何の石なんだ?」
「川原で拾いました。昨日。形がきれいだったので」
「川原の石は石英が多い。これは石英だな」
「せきえい?」
「水晶と同じ成分だ。白く透けて見えるだろう」
「あ、ほんとだ! 透けてる!」 ルナが、石を持ち上げてランプに透かした。「きれい。水晶なんですか」
「水晶ほど純粋ではない。しかし、同じ仲間だ」
「へえ〜」 ルナが、石を丁寧に机の端に戻した。「じゃあ、ちょっと高級感ありますね、今日から」
「石に高級感はないぞ」
「ありますよぉ。だって、綺麗なじゃいですか」
まあ、本人が気に入ってやってるからいいか。
俺にしたら、ただの道端の石ころと大差ないんだがな。
ま、それでいいか。ルナが気に入ってるのなら。
* * *
午前の訓練は、C列七番の封印更新だった。
十五日に報告したあの箱だ。その後、俺が封印材の準備を進めていた。
ルナに感知の役割を与えた。俺が封印を剥がし、新しい封印材を施していく過程で、ルナが「波の密度」を言葉で報告し続ける。
「今は、どうだ?」
「......さっきより軽い感じがします。詰まってたのが、少し、広がった感じ」
「そうだ。封印を剥がしたから、内部の波が膨らんでいる。次の段階で締め直す」
「締め直す、って」
「新しい封印材を当てながら、精神波で圧縮する。お前には見えないが、感知できる可能性がある」
「やってみます」
俺は、封印材を施した。精神波を通して、内部の密度を均一に整えていく。
「......あ」とルナが言った。
「何だ?」
「なんか、整ってく感じがします。さっきまでのざわざわが、なくなってきて——均一になってる感じ、する」
「正確だ」
「ほんとですか」
「均一化が、感知できている」
「やった!」 ルナが、小声で言った。箱の近くだから静かにしていたが、声に喜びが滲んだ。「地味にすごくないですか、これ」
「地味ではない」俺は封印材を固定しながら答えた。「精神干渉なしで遺物内部の状態変化を感知できる術師は、ほとんどいない」
「……ほんとですか」
「本当だ」
ルナが、少しの間、黙った。
「ししょー、わたし、なんかすごいですか」
「能力の種類が特異だ。すごいかどうかは、使い方による」
「じゃあ、使い方次第ですごくなれる?」
「そうだ」
「じゃあ、これからも頑張ります」
「そうしろ」
* * *
昼過ぎ、ルナが「紙に包まれた何か」を開いた。
パイのようなものが出てきた。薄い生地に、何かが詰まっている。甘い匂いがした。
「《ヴァルナ》の月の初日に食べる、年越しのお菓子なんです。今日の夜食べるやつなんですけど、ししょーにも」
「年越しの菓子を昼に食べるのか」
「ししょーと食べたかったので、持ってきましたよ」
俺は、受け取った。
一口食べた。
林檎と蜂蜜と、少しの香辛料が入っていた。甘すぎない。生地が薄くて、サクッとした。
「どうですか?」
「......悪くない」
「やった!」 ルナが、自分のを手に取った。「これ、毎年この時期だけ売ってるんです。《ヴァルナ》の月の初日に食べると、新しい年がいい年になるって言われてて」
「迷信だな」
「でもいいじゃないですか、迷信でも」
「まあ」
「ししょーの新しい年も、いい年になるといいですね」
俺は、パイの最後のひとくちを口に放り込んだ。
いい年、というものが何を指すのか、よくわからない。査定を通過する年か。ルナが成長する年か。胃痛が減る年か。
多分、全部だ。
「お前もな」と俺は言った。
ルナが、少し目を丸くした。それから笑った。
「ありがとうございます」
感謝しなければならないのは、俺の方だな。
でも、なんか言っちゃうと軽くなる気がするから、
言わないけどな。
恥ずかしいからじゃないからな。
そこ、間違うなよ? 絶対だ。
* * *
午後、ルナは在庫目録を読んでいた。
俺は、C列七番の封印更新の記録を在庫目録に書いた。作業内容、封印材の種類、完了後の精神波の状態。ルナの感知報告の内容も、参考記録として付記した。「封印更新作業中の状態変化の感知:正確」と書いた。
それから、新しいページに今日の日付を書いた。
《ノクス》の月、三十日。
そこで、少し止まった。
去年の同じ日に、俺は一行だけ書いた。「年が終わった。」
今年は何を書くか——まだ夜が来ていない。ルナが帰るまで、今日の記録は書かない。
俺は、ページを開いたまま、在庫目録を置いた。
* * *
夕刻になった。
ルナが在庫目録から顔を上げた。
「ししょー、今年の最後に、一個聞いていいですか」
「なんだ? いってみろ」
「わたしが来てから、ししょーの胃は何回痛くなりましたか」
「数えていない」
「毎日ですか」
「だいたい」
「......ごめんなさい」
「謝らなくていいと言った」
「でも——」
「お前が謝るようなことは、一度もなかった」
ルナが、少し黙った。
「ほんとですか」
「本当だ」
「ししょーって、そういうことは嘘をつかないですよね」
「......そうだな」
ルナが、机の端の石を、五個、順番に指先でつついた。茶色、茶色、白っぽいの、蛇紋岩、今日の石英。
「ししょー、わたし、来年も来ていいですか」
「また同じことを聞くのか」
「だって、また聞きたくなったので」
「来年もお前は俺の弟子だ。来年も修行がある。来年もパン代は続ける」
「血契があるからじゃなくて?」
「もちろんだ……来ていいんだ」
ルナが、笑った。今度は、くすっとでも、小さくでもない笑いだった。少し大きく、少し長く、笑った。
「はい」
* * *
ルナが帰り支度をした。コートの前を合わせて、鞄を持って、螺旋階段の方を向いた。
一段目に足をかけて、振り返った。
「ししょー」
「なんだ」
「今年は、ほんとうにありがとうございました」
「礼を言うことではない」
「でも、言いたいので言います。今年、ここに来られてよかったです。ここが好きで、修行が好きで、ししょーが——」
ルナが、少し止まった。
「ししょーが、師匠でよかったです」
俺は、何も言わなかった。
しばらく、ルナが俺を見ていた。答えを待っているわけではない。言葉が来なくても、ルナは困らない顔をしていた。
「......来年もよろしく頼む」と俺は言った。
「はい!」
ルナが、笑ったまま、螺旋階段を上がっていった。
足音が、一段、また一段と遠くなった。
途中で一段踏み外した音がした。
いつも通りだった。
けがしないよう、祈っておいた。
* * *
地下三階に、静寂が戻った。
遺物の棚が、いつも通りに呼吸していた。C列七番の箱は、新しい封印の中で静かになっていた。松明の光が、机の端の石を照らしていた。
五個。
茶色が二個、白っぽいの一個、蛇紋岩一個、石英一個。
俺は在庫目録を開いた。今日の日付のページだ。《ノクス》の月、三十日。
書き始めた。
《ノクス》の月、三十日。
・C列七番・封印更新:完了。
・ルナの感知報告:正確。封印更新中の状態変化を言葉にした——
「均一になってく感じ」。記録に値する。
年越しのパイを食べた。林檎と蜂蜜。悪くなかった。
「ししょーが師匠でよかったです」——何も言えなかった。
「来年もよろしく頼む」と言った。それだけだった。
・石英が増えた。机の端の石:五個。
・査定まで:八十九日。年が、終わった。
ページを閉じた。
去年の一行と、今年の記録が、同じ目録の中にある。
去年は「年が終わった」と書いた。
今年も、同じ言葉で終わった。
しかし、今年のページには、その前にたくさんのことが書いてある。C列七番。林檎のパイ。石英。言えなかった言葉。来年もよろしく。
同じ言葉で終わる、別の一年だった。
俺は冷めた茶を一口飲んだ。
《ヴァルナ》の月が、明日から始まる。
新しい年が、来る。
第四章 了




