表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界最強の精神熟達者、解除不能の師弟契約で無能少女を育てることになった俺の終わらない修行の日々  作者: ちとせ鶫
第4章 夜の神の月と、仕上げと、ルナが初めて黙って座っていた話

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
20/36

第20話 中間報告提出と、ルナが何も知らなかった話

《ノクス》の月の十五日。


 朝、ルナが降りてきた。


「おはようございます、ししょー」

「来るのが早いな」

「なんか今日、早く目が覚めて」 ルナが、机の端の石を見た。「石、まだ四個ですね」

「そうだな」

「今日も増えないですかね」

「知らん。増えんだろ勝手には」


 ルナが、コートを脱いで棚に掛けた。いつもより薄着だった。


「今日、暖かくないですか、外」

「《ノクス》の月の十五日前後は、夜が最も長くなる代わりに、昼間が一時的に暖かくなることがある。地熱の影響だ」

「へえ! ししょー、そういうのよく知ってますね」

「在庫目録に書いてある」

「あ、そっか。わたしも読めばよかった」

「読め」

「はーい」


     * * *


 午前の訓練は、在庫目録の口頭報告だった。


 今日は棚の巡回後、俺に向かって「今日の地下三階の状態」を言葉で報告させる課題だ。巡回してきたルナが、机の前に立った。


「B列、全棚確認。封印状態、すべて安定。精神波の揺れ幅、通常範囲内。変質の兆候、なし。……C列、全棚確認。封印状態、安定。ただし、C列七番の上から五段目——去年の記録と比較して、精神波の質がわずかに重くなっている気がします。変質ではないと思うんですけど、一応」


 俺は、メモを取った。


「重い、というのは」

「なんか、こう——詰まってる感じ、というか。去年と比べてるわけじゃないんですけど、他の箱よりちょっと密度が高い感じがして」

「確認する」


 俺は立ち上がり、C列七番に向かった。上から五段目の箱に手を当てた。

 確かに。

 精神波の密度が、わずかに高い。変質ではない。ただし、封印が馴染みすぎて内部の波と同調しかけている——放置すると、半年後に問題になる可能性がある。


「正しい」と俺は言った。

「ほんとですか!」

「変質ではない。しかし、同調の兆候がある。今月中に封印の更新が必要だ」

「わたし、よくわかりましたね」

「そうだな」

「えへ」


 俺は、メモに「C列七番・封印更新・要対処」と書いた。

 この感知結果は、記録しておく価値がある。


     * * *


 昼前に、俺は立ち上がった。


「俺は少し出る」

「どこにですか」

「上役への書類提出だ。一刻ほどで戻る」

「はーい」 ルナが、在庫目録から顔を上げた。「何か持っていくものありますか」

「ない」

「じゃあ、ここ見てます」

「何も触るな」

「はーい」


 俺は、机の端に置いてあった提出封筒を手に取った。六枚の報告書が入っている。封は昨日のうちにしてある。


 螺旋階段を上がった。


     * * *


 上役の執務室は、地上の四階にある。


 廊下は人が少なかった。《ノクス》の月の十五日は、年の折り返しの節目とされていて、午前中は各局が書類提出で動く日だ。廊下の端に、似たような封筒を抱えた術師たちが数人歩いていた。


 俺は、そちらを気にしなかった。


 四階の執務室の前に、受付の書記が座っていた。


「クインシー閣下、中間報告書のご提出ですね」

「そうだ。これを」

「お受けします」 書記が、封筒を受け取った。「ご署名を」


 俺は、差し出された台帳に名前を書いた。

 書記が、封筒の表書きを確認した。受理印を押した。


「確かに受領いたしました。審査結果は、《カルン》の月の初旬にご通知します」

「わかった」


 それだけだった。

 俺は、廊下に出た。


     * * *


 廊下を歩きながら、少し止まった。


 窓の外に、午前の光があった。《ノクス》の月の十五日の昼だ。確かに、今日は少し暖かい。ルナの言った通りだった。


 提出が、終わった。


 六枚の報告書。三つの実績。「精神干渉ゼロ」は巧みに周縁化された。査定官が受け取るのは、「遺物感知を実務に応用しつつある弟子」という像だ。それは事実だ。嘘は一文字もない。


 しかしこれは嘘だ。

 この矛盾は、もう動かない。提出封筒は今、書記の手元にある。


 俺は、廊下の窓の前に立った。

 外に、光があった。


 《ノクス》の月の、折り返しの日の光だ。ここから先は、少しずつ夜が短くなる。《ヴァルナ》の月が来て、《フォルナ》の月が来て、また一年が始まる。


 ルナが来てから、初めての年の折り返しだ。


 ——去年は、ここに一人で立っていた。


 俺は、窓から目を離した。螺旋階段の方へ歩いた。


     * * *


 地下三階に戻ると、ルナが机の端に座っていた。

 在庫目録を読んでいるのかと思ったが、違った。


 ルナは、何も持っていなかった。


 机の端に座って、石の四個を眺めていた。何も言わず、何もせず、ただ座っていた。

 こんな大人しい顔も持っているのかって、ちょっと新発見だった。

 面白いな、こいつは、


「戻ったぞ」と俺は言った。


 ルナが顔を上げた。


「おかえりなさい、ししょー」

「......何をしていたんだ?」

「なんか、ぼーっとしてました」

「在庫目録は?」

「読んでました。さっきまで。でも、なんか——なんでもないです。おかえりなさい」


 ルナが、少し笑った。


 俺は、コートを椅子に掛けた。机の前に座った。


「終わりましたか、ししょー」

「ああ」

「よかった」

「......何がよかったのか、お前にはわからないはずだが」

「わかんないですけど」 ルナが、石をひとつ指先でつついた。「ししょー、最近ずっと書類仕事してたじゃないですか。それが終わったんですよね、なんか」

「そうだな」

「じゃあ、よかったです」


 俺は、何も言わなかった。

 ルナが、石から指を離した。また、石を眺めた。


     * * *


 しばらく、互いに静かにしていた。

 ルナは石を眺めていた。俺は机の前で目を閉じていた。


 「ルナが初めて黙って座っていた」という状況が、地下三階に成立していた。訓練でもなく、報告でもなく、質問でもなく——ただ、いた。


 五分ほど経って、ルナが口を開いた。


「ししょー」

「なんだ」

「C列七番の箱は、いつ封印更新しますか」

「今月中にする」

「私は何か手伝います?」

「感知の確認として同席させる。ただし触るな」


「はい」 ルナが、少し考えた。「封印更新って、どうやるんですか」

「今の封印を剥がして、新しい封印材を施す。精神波の状態を確認しながら密度を整える作業だ」

「むずかしいですか」

「俺には難しくない」

「そっか。……ししょー、わたし、いつかそれできるようになりますか」

「封印更新は、精神干渉の応用技術だ。お前には向いていない」

「そっか」 ルナが、それを静かに受け取った。「でも、感知はできますよね」


「今日の報告で、できると証明した」

「じゃあ、感知担当でいいです」

「お前にしか選択肢がない」

「でも、わたしは感知で及第点がもらえたじゃないですか」

「そうだな」

「じゃあ、十分です」


 俺は、ルナを見た。


 ルナが、また石を眺めていた。満足そうだった。何が十分なのか、何が足りていて何が足りていないのか——そういうことを、ルナはあまり考えない。今あるものを、今あるまま受け取る。


 それが、この三ヶ月で俺が観察してきたルナだ。


     * * *


「ししょー」

「なんだ」

「来年も、ここに来ていいですか」

「来年というのは」

「《ヴァルナ》の月になったら、また一年が始まりますよね。来年の一年も、わたし、ここで修行したいです」

「血契がある以上、来年もお前は俺の弟子だ」

「そうじゃなくて」 ルナが、少し首を傾けた。「血契があるからじゃなくて、わたしが来たいから来る、って話です」


 俺は、その言葉を少しの間、受け取った。


「来るなと言えば来ないか」

「いえ、来ますよ」

「前と同じ答えだな」

「はい! 同じですよ?」 ルナが、当然のように言った。「変わる理由がないです」


 俺は、何も言わなかった。


「......ししょー」

「なんだ」

「来年も、パン代の支給は続きますか?」

「もちろん、続けるさ」

「やった!」


     * * *


 夕刻になって、ルナが帰り支度をした。


「ししょー、明日の修行は?」

「C列七番の封印更新の準備をする。お前は在庫目録の読解を続けろ」

「はい」 ルナが、コートの前を合わせた。「《ノクス》の月って、あと何日ありますか」

「十五日だ」

「そっか。今日が折り返しですね」

「そうだな」

「年の後半も、よろしくおねがいします、ししょー」

「......ああ」


 ルナが、螺旋階段の方へ向かった。一段目に足をかけて、振り返らなかった。今日は振り返らなかった。


「おやすみなさい」

「ああ」


 足音が、遠くなった。


     * * *


 地下三階に、静寂が戻った。


 遺物の棚が、いつも通りに呼吸していた。C列七番の箱が、わずかに重い密度を持ったまま、眠っていた。机の端の石が、四個、並んでいた。


 俺は在庫目録を開いた。


 《ノクス》の月、十五日。

 ・中間報告書:提出完了。受領印、確認。

        審査結果は《カルン》の月の初旬。

 ・C列七番・封印更新:今月中に実施予定。

       ルナが、封印更新への同席を希望した。

       「感知担当でいいです」「十分です」——そういうやつだ。

       「来年も来ていいですか」「変わる理由がないです」——そうだな。

 ・机の端の石:四個。

 ・査定まで:百三日。


 ページを閉じた。


 提出が終わった。山場の一つを、通過した。


 嘘は一文字もなかった。


 それでも嘘だった。


 その矛盾のまま、俺はこれからも続ける。百三日、報告書をもう一枚、審査を一つ——そうやって積み重ねていく。


 ルナは何も知らない。


 知らないまま、「変わる理由がないです」と言う。


 ——まあ、いい。


 ランプの炎が、小さく揺れた。


 夜の神の月の、折り返しが、静かに終わった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ