第15話 監察官の三度目と、確信と、ギルが初めて追い詰められた話
また来た。三回目だ。
今回は笑顔の質が違う。
そして俺は、ついに“膜”の操作を指摘された。
そんな、胃痛が最高値を更新した日の話。
《ヴェスタ》の月の二十日。
オルフェリア・ソル・ヴェインから、文書が届いた。
「壁龕封印飽和事案に関する確認のため、近日中に伺いたい」
近日中、というのは、三日後だった。
俺はその文書を受け取ったとき、一つだけ確信した。
今回は、違う。
いつもと、違う。
これまでの「定期監察」でも「定期確認」でもない。事案が発生した。その事案において、俺が何をしたかを、彼女は調べに来る。
準備を始めた。
え? 不安だって? 大丈夫。まかせておけ。
* * *
三日間、俺は壁龕の事案の記録を整理した。
対応チームへの連絡の経緯。俺が単独で行った処置の詳細。その判断の根拠。ルナの早期感知と通報の記録。すべて、正確に記録してある。嘘は一文字もない。
問題は——「俺が単独で針穴制御を行った」という事実だ。
これは、地下三階の「窓際業務担当」が行う処置の範疇を、大きく超えている。あの術式は、現役の最上位精神熟達者レベルの出力が必要だ。対応チームのリーダーも「よくあの状態で一人で」と言っていた。
それが記録に残っている。
オルフェリアは、その記録を読む。
そして、問う。
「窓際部署の主任が、なぜその処置が可能だったのか」と。
* * *
「ししょー、今日もあの人来ますか」
朝、ルナが降りてきながら言った。
「来るぞ」
「三回目ですね。なんか、よく来ますね」
「事案があったからだ」
「わたし、何か答えること出てきますか?」
「壁龕の日のことを、正確に話せ。感じたこと、したこと、すべてだ」
「はい。......ししょー」と答えつつも、少し不安そうにこちらを窺っている
「なんだ?」
「わたし、ちゃんと言語化できますか。あの日のこと」
俺は少し、考えた。
「お前は、あの日の朝に何を感じた?」
「全体的にざわざわしてる感じ、って言いました」
「その後は?」
「一番奥から来てるって」
「それを、今のお前の言葉で言えるか」
「えっと......地下三階全体の精神波の底が、いつもより高くなってる感じで、震源が最奥の壁龕方向だった、みたいな」
俺は、少し止まった。
「......それでいい。そのまま言え」
「そんなにうまく言えてましたか?」
「言語化訓練の成果だ」
ルナが、ぱっと顔を明るくした。「やった!」
* * *
オルフェリアは第三刻に来た。
今回は、笑顔がなかった。
正確には——笑顔はある。礼儀として、ある。しかしその笑顔の質が、これまでと違った。これまでは「仕事上の笑顔」だった。今日は「調査上の笑顔」だ。
その違いを、俺は入室の瞬間に感じた。
「クインシー閣下、お時間をいただきありがとうございます。壁龕の事案について、確認させていただきたいことがございます」
「どうぞ」
「まず、事案発生当日の経緯を、詳しくお聞かせいただけますか」
俺は、準備していた説明を話した。
朝の巡回でルナが全体的な異変を感知したこと。俺が確認して、壁龕からの精神波の漏出を確認したこと。ルナを地上に走らせて守衛に知らせたこと。その間、俺が単独で処置を行ったこと。対応チームが到着して引き継いだこと。
オルフェリアは、一つ一つ手帳に書きながら聞いた。
「単独での処置、というのは、針穴制御のことですね」
「そうです」
「あの処置は——」
「対応チームが到着するまでの緊急対応です。封印が破裂すれば、地下三階全体への影響が出る。対応チームへの二次被害を防ぐためにも、事前に圧力を下げる必要がありました」
「その判断は正しいと思います」
一拍、置いた。
「ただ」とオルフェリアが続けた。「あの処置に必要な術式の出力は、この部署の業務水準として想定されているものを、相当に超えています」
「緊急時ですので」
「緊急時であることは理解しています。ただ、クインシー閣下——」
オルフェリアが、手帳を閉じた。
これまでとは違う動作だった。手帳を閉じて、俺を正面から見た。
「率直にお聞きします」
「どうぞ」
「あなたの現在の術式出力の水準は、この部署の『窓際業務担当』の水準ではありませんね」
俺は、一瞬だけ止まった。
一瞬だけ。
気づかれた? いや、冷静に。冷静にだ。
疑ってるのは、ルナじゃない、のか?
「緊急時には、普段以上の出力が出ることがあります」
「そういうことは、あり得ます」
「ですので——」
「クインシー閣下」
オルフェリアの声が、少し変わった。柔らかいが、真っすぐだった。
「私は精神熟達者です。あなたも精神熟達者です。私たちは、お互いの精神波を、ある程度読むことができる。あなたがこれまで三回、私の前で『膜』を操作したことも、わかっています」
沈黙が落ちた。
俺は、何も言わなかった。
「《フォルナ》の月に初めてお会いしたとき、〇・一秒。《オーレン》の二十二日に、〇・二秒。今日は——まだです。ただ、今この瞬間、あなたの精神波が微細に変化したことは、感知しました」
俺は、ルナの方を見た。
ルナが、俺とオルフェリアを交互に見ていた。状況を理解しているかどうかは、わからない。
「ルナ」と俺は言った。「棚の確認をしてきてくれ」
「......はい」
ルナが、奥の棚へ向かった。
* * *
ルナが離れてから、俺はオルフェリアを見た。
「何を確認したいのですか」
「あなたが、何者かを、確認したい」
「私はエドガー・ギルバート・クインシー。特殊遺失物管理室の主任です」
「それは知っています」
「それ以上は——」
「かつて『静寂の審判者』と呼ばれた精神熟達者の記録が、組織の古い文書にあります」
俺は、何も言わなかった。
久々に聞いたわ。昔の二つ名。
こいつのターゲットは、俺か......。
「その術師が、現在どこにいるかは、記録から追えなくなっています。十年ほど前から」
「そうですか」
「クインシー閣下」
「何でしょう」
「私はあなたを告発しに来たわけではありません」
俺は、オルフェリアを見た。
「ただ、確認したかった。あなたが、私が思っているような人物であるかどうかを」
「どういう人物だと思っているのですか」
「能力を隠して、窓際部署に潜んでいる人。理由はわからない。しかし、隠す理由がある人」
俺は、少しの間、黙った。
あ、そっち? ルナの能力を疑っての訪問じゃなかったってこと?
俺の正体について疑ってたのか。
別の意味で、問題じゃないか。
この安息の地下室から、追い出されないようにしなければ。
「......それが事実だとして、あなたはどうするつもりですか」
「今のところ、何もしません」
「今のところ、というのは?」
「弟子の育成に問題があれば、査定で判断されます。それが組織の手順です。その手順の外で私が動く理由は、今のところありません」
「今のところ?」
「そうです」
もう一度、沈黙があった。
オルフェリアが、手帳を再び開いた。
「壁龕の事案について、もう一点確認させてください。弟子のルナさんが感知した時点で、あなたはすでに異変に気づいていましたか」
切り替えが、早かった。
「ルナの方が、俺より早かった」
「どのくらい早かったですか」
「正確には計測していませんが、体感で三分から五分」
「それは、弟子の感知能力が主任のそれを上回っていたということですか」
「遺物の精神波の変質を、特定の種類の感知で捉えるなら——上回っている、と言えます」
「特定の種類の感知、というのは」
「食感知です」
オルフェリアが、少し目を細めた。
「......食感知で、封印の飽和を感知した」
「食感知は、精神波の質の変化を、匂いの変化として処理します。封印の飽和が引き起こす精神波の質の変化を、ルナは『全体的にざわざわした感じ』として捉えた。通常の精神熟達者の感知とは別の回路ですが、早期発見という点では有効でした」
「......なるほど」
オルフェリアが、手帳に書いた。
「ありがとうございました」
* * *
帰り際、オルフェリアがルナに声をかけた。
「ルナさん、あの日の朝に感じたことを教えていただけますか」
「はい!」 ルナが棚から戻ってきた。「地下三階全体の精神波の底が、いつもより高くなってる感じで、震源が最奥の壁龕方向でした」
オルフェリアが、少し驚いた顔をした。
「......精確な表現ですね」
「言語化訓練してます!」
「主任に?」
「はい。最近始めました」
オルフェリアが、俺を見た。
その目が、今日初めて、「調査」でも「確認」でもない、別の何かを持っていた。
「......そうですか」
それだけ言って、扉へ向かった。
扉の前で止まった。振り返った。
「クインシー閣下」
「何でしょう」
「査定まで、あと何日ですか」
「百十八日です」
「......そうですか」
オルフェリアが出ていった。
* * *
扉が閉まった。
ルナが「……なんか、今日は長かったですね」と言った。
「そうだな」
「ししょー、大丈夫ですか?」
「大丈夫だ」
「なんか、難しい話してましたよね。わたし、棚のとこにいたからよく聞こえなかったですけど」
「業務上の確認だ」
「そっか。......あの人、なんか、今日は少し違う感じがしました」
「どう違ったんだ?」
「なんか......前より、ちゃんと見てる感じ。ししょーのことを」
俺は在庫目録を開いた。
「気のせいだ」
「そうですか」
ルナが、しばらく俺を見ていた。それから「おやすみなさい」と言って、螺旋階段を上がった。
* * *
《ヴェスタ》二十日。
・オルフェリア・ソル・ヴェイン、三度目の来訪。「確認」。
膜の操作について、正面から指摘された。
「〇・一秒、〇・二秒、今日は——まだです」。今日は使わなかった。
使う必要がなかった。すでに、知られていた。
疑惑ではなく——確信、に変わった。「今のところ何もしない」。
その言葉を信じるかどうかは、まだわからない。
・ルナの言語化:壁龕の件、文句なし。査定まで百十八日。
・胃痛:最高値、再更新。
ページの端に書いた。
(付記)「今のところ」という言葉が、今夜は重い。
「疑惑」は「確信」に変わり、
ギルの隠してきたものが初めて照らされました。
それでも、ルナは隣にいて、言語化は確かに進んでいる。
師弟の物語は、ここからさらに深まります。




