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世界最強の精神熟達者、解除不能の師弟契約で無能少女を育てることになった俺の終わらない修行の日々  作者: ちとせ鶫
第3章 守護の月と、積み重なるもの

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第14話 大騒ぎの遺物と、ルナと、地下が揺れた夜

《ヴェスタ》十五日。

地下三階がざわつき、壁龕が飽和し、俺の胃はそれどころではなくなりました。

ルナは走り、俺は針穴を開け、地下が揺れます。

そんな夜の話です。

 《ヴェスタ》の月の十五日。


 それは、特に何の予兆もなく始まった。


 朝の巡回でルナが「なんか、全体的にざわざわしてます」と言った。


「どの棚だ」

「どの棚というか……全体的に、です。

 なんか、普段の地下の匂いと違う感じがします」

「どう違う」

「なんか……緊張してる感じ、みたいな?」


 俺は在庫目録を置いた。立ち上がって、自分でも感知した。

 確かに——何かが、いつもと違う。


 精神波の全体的な底上げ、とでも言えばいいか。

 個々の遺物ではなく、地下三階全体の精神波の「地盤」が、

 微細に揺れている。

 こういう現象は、複数の遺物が連鎖的に反応しているときに起きる。


「どこが一番強いか、わかるか」


 ルナが目を閉じた。鼻をひくひくさせた。


「……一番奥です。棚の、一番奥の方から来てます」


     * * *


 棚の最奥に、古い木製の壁龕へきがんがあった。


 俺がここに赴任してから、一度も開けたことがない。

 在庫目録には「壁龕・封印済み・内容物不明・開封禁止」とだけ書いてある。

 前任者の記録も同じだ。

 さらに前の記録も、同じだ。

 何十年も前から、誰も開けていない。


 その壁龕から、精神波が漏れていた。


 微細ではなく——かなり、漏れていた。


「ルナ、下がれ」

「え、でも——」

「下がれ」


 言葉の端から何かを感じ、ルナが後ろへ下がる。

 入れ替わるように、俺は壁龕に近づいた。


 封印を確認した。

 外側から見る限り、封印の紋様は無事だ。

 亀裂もない。

 しかし、精神波は漏れている。

 封印の内側から、何かが「押している」のではなく——

 封印の素材そのものが、何かを「通している」。


 これは、封印の劣化ではない。


 封印が「飽和」している。


 中の精神波の密度が限界を超えて、

 封印の素材の分子レベルの隙間から滲み出している状態だ。

 このまま放置すれば、封印が破裂する。


「ルナ」

「はい!」

「今すぐ、螺旋階段を上がれ。地上に出て、守衛に知らせろ。

『地下三階の最奥壁龕から精神波の漏出あり、緊急対応要請』と伝えろ。

 そのままで待て」


「ししょーは?」

「俺はここにいる」

「一人でですか?」

「いいから行け」

「でも——」

「ルナ」


 俺は、ルナを見た。


「走れ」


 ルナが、一秒だけ俺を見て——それから螺旋階段へ向かって走った。

 足音が遠くなった。


     * * *


 一人になった。


 俺は壁龕の前にしゃがんだ。


 封印の飽和というのは、稀な現象だ。

 だが、百年以上密封されたままの遺物なら、起きないことはない。

 問題は——中身が「内容物不明」だということだ。


 未知の遺物が、封印の限界近くまで精神波を蓄積している。


 取り得る選択肢は三つだ。


 一つ、封印を強化して飽和を抑える。

 ただし、中身がわからない遺物への封印強化は、逆効果になるリスクがある——

 遺物の種類によっては、圧力をかけることで爆発的に反応する場合がある。


 二つ、封印を部分的に「緩めて」精神波を少しずつ逃がす。

 コントロールが極めて難しいが、飽和の爆発的な解放は防げる可能性がある。


 三つ、なにもしないで待つ。

 組織の対応チームを待つ。ただし、その間に封印が持つかどうか——わからない。


 俺は三十秒、考えた。


 二つ目の方法を選んだ。


     * * *


 精神波を少しずつ逃がすには、封印の一点に極めて細い「針穴」を開ける。その針穴から、コントロールしながら精神波を外に流す。同時に、漏れた精神波が周囲に広がらないよう、俺が「受け皿」になって吸収する。


 体に悪い。


 はっきり言えば、非常に体に悪い。未知の精神波を自分の意識に流し込むのは、職業的な自殺に近い行為だ。しかし、「受け皿なしで針穴を開ける」と、精神波が地下三階全体に充満する。そうなれば、後から来る対応チームへの影響も出る。


 やるしかない。


 俺は封印に指先を当てた。


 術式を組んだ。


 針穴を開けた。


---


 最初の精神波が流れ込んできたとき、俺は一瞬、それが何かわからなかった。


 「感情」だった。


 遺物の精神波が感情の形を持つことは、ある。

 記憶の残滓がそうだ。

 ただ、通常は「残り香」のような薄さだ。

 しかしこの壁龕から流れてきたものは——濃かった。


 強烈な、混乱した感情の塊だ。

 恐怖と怒りと、何か別のものが混ざり合っている。

 人間のものではないかもしれない。

 あるいは、複数の人間のものが混ざり合っているのかもしれない。


 俺は「受け皿」として、それを受け取った。


 受け取りながら、針穴のサイズをコントロールしながら、

 精神波の流れを調節した。

 多すぎれば俺が持たない。

 少なすぎれば封印の圧力が下がらない。

 均衡点を探しながら、作業を続けた。


 どのくらい時間が経ったか。


 背後で、螺旋階段を複数の足音が降りてくる音がした。


「クインシー主任!」


 組織の対応チームだった。

 三人。

 精神波の防護術式を展開しながら、俺の方に近づいてくる。


「状況は」


「壁龕の封印が飽和状態だ。今、精神波を少量ずつ逃がしながら、

 徐々に圧力を下げている。俺が受け皿になっている。

 代わりに誰かが続けられるか」


 チームのリーダーが、状況を確認した。


「......針穴の制御を、受け取ります。離してください」

「わかった」


 術式の制御を、リーダーに渡した。


 俺は壁龕から少し離れた。


 背中が、重かった。

 受け取った精神波の一部が、まだ意識の底に残っている感じがした。


     * * *


 対応チームが封印の処置を進めていた。


 俺は少し離れた棚の前にもたれて、意識を整えた。

 未知の精神波を受け取ったあとは、しばらく「自分の精神波」に集中して、

 異物を切り離す必要がある。


 そのとき、螺旋階段から、走る音がした。


 軽い足音だ。


「ししょー!!」


 ルナが降りてきた。俺を見つけて、駆け寄ってきた。


「来るな、と言った」

「守衛の人に渡してきました! ちゃんと伝えました!」

「だから戻ってくるなと言った」

「でも、ししょーが一人で——」

「俺は大丈夫だ」

「大丈夫ですか? なんか、顔が——」

「大丈夫だ」


 ルナが、俺を見た。


 俺の顔が、どう見えているかは、わからない。ただ、ルナの表情が、いつもとは違う。「おなかすいた」でも「やった!」でもない。もっと、静かな、心配の顔だ。


「……なんか、ししょーから、重たい感じがします」

「精神波の余波だ。じきに消える」

「重たいって、どんな感じの重たさですか」

「嫌な重たさだ」

「そっか」


 ルナが、俺の隣に、ただ立っていた。

 何も言わずに、立っていた。


 対応チームが作業を進める音が、棚の向こうから聞こえた。

 俺は意識の整理を続けた。

 ルナが隣で、じっとしていた。


 師弟リンクを通じて、何かが流れてきた。


 「心配している」というのとは、少し違った。

 もっと静かな、「ここにいる」という感覚だ。


 俺は何も言わなかった。


     * * *


 対応チームが壁龕の処置を完了したのは、夕刻近くだった。


 封印を一時解除して内部を確認し、新しい封印を施した。

 中身は——複数の精神干渉の遺物が、

 長年の間に互いの精神波を増幅させ合った結果、

 飽和状態になっていたものだった。百年以上、誰も知らなかった。


 チームのリーダーが俺に言った。


「主任、よくあの状態で一人で制御されましたね。

 対応チームへの連絡が遅れていたら、封印が破裂していた可能性があります」


「弟子が早く知らせてくれた」と俺は答えた。「早期報告のおかげだ」

「......弟子の方が気づいたんですか。早いですね」

「そういう能力がある」


 リーダーが、ルナを見た。ルナが「えへへ」と笑った。


 チームが引き上げた後、地下三階に静寂が戻った。


     * * *


 ルナが帰る前に、俺に言った。


「ししょー、すごかったですね」

「何が」

「あの、棚の奥で一人で対応してたの。怖くなかったですか?」

「怖くない」

「ほんとですか?」

「......たいしたことではない」

「そっかな〜」 ルナが、少し考えた。「わたしは怖かったです。走りながら、ししょーのこと、心配で」

「言われた通りにしただろう」

「はい。でも、心配でした」


 と、何かを感じて、ルナを見ると、とたんにぐしゃっと泣き崩れた。

 えぐえぐ、嗚咽を漏らしながら。

 きっと、緊張の糸が切れたのだろう。

 怖い思いをさせてしまったな。


「ほんとに、心配したんですよ。ししょー」


 だから、そっとその頭に手を置いてやった。

 それ以外、できなかった。


   * * *

 

 しばらくして、落ち着きを取り戻した地下三階で、

 俺は在庫目録を開いた。


「今日の報告書には、お前の早期感知と迅速な通報を記録する。実績として残る」

「そっか。……ししょー」

「なんだ」

「大丈夫でしたか、ほんとに」


 俺は、ルナを見た。


 「大丈夫だ」と言った。


 嘘ではない。

 ただし、「多少、意識に残ったものがある」という事実は、言わなかった。


「おやすみなさい」とルナが言って、螺旋階段を上がって帰っていった。


     * * *


 地下三階に一人になってから、俺はしばらく、壁龕の前に立った。


 新しい封印が施されていた。安定している。


 俺の意識の底に、まだわずかに異物が残っている。

 恐怖と怒りと、何か別のものが混ざり合ったもの。

 これは数日で消えるだろう。

 慣れた作業だ。


 在庫目録を開いた。


 《ヴェスタ》十五日。

 ・壁龕の封印飽和事案。ルナが全体的な異変を早期感知。

  通報が適切かつ迅速だった。俺が針穴制御を担当、

  対応チーム到着まで一人で処置。終了。

 ・弟子の感知精度:今日は文句なし。

 ・実績:重大事案への貢献として記録済み。

 ・意識への影響:軽微、数日で消える(予定)。

 ・胃痛:本日はなかった。

 ・理由:それどころではなかった。


 ページの端に書いた。


(付記)ルナが、隣でじっとしていた。何も言わなかった。それで、よかった。

大騒ぎの夜でした。

ギルは針穴制御、ルナは全力疾走、地下は揺れ、最後は涙。

でも、ふたりとも無事です。

次回も地下三階でお待ちしています。

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