第11話 査定まであと百五十日と、ルナと、秋の終わり
秋の終わりってのはな。
空気が静かになるぶん、人の本音が浮いてくる。
焦ってる奴、隠してる奴、守ろうとしてる奴——よく見える。
地下三階の胃痛持ちも、だいぶ追い込まれてきたらしい。
だがまあ、それでも日常は続くんだ。
《オーレン》の月の二十九日。
《オーレン》の月が終わる。
明日から《ヴェスタ》の月だ。
守護の女神の月——秋の末尾。
この月が終われば《ノクス》の月、
夜の神の月、年の最後の月になる。
そして年が明ければ、《アルデン》の月——
創造の神の月から、新しい年が始まる。
査定は《エルネ》の月だ。春。芽吹きの女神の月。
今日の時点で、残り日数は百五十三日だ。
俺は在庫目録を開きながら、その数字を静かに確認した。百五十三日。約五か月。
「悪くない」と思うか、「少ない」と思うか。
どちらでもあった。
* * *
「ししょー、今日で《オーレン》の月が終わりですね」
ルナが、棚の巡回から戻りながら言った。
「そうだ」
「一か月、早かったですね」
「そうだな」
「わたし、この一か月で何個パン食べたかな」
「数えていない」
「わたしも数えてないです。でもたくさん食べました」
「それだけ成果を出した、ということだ」
これは本当だ。《オーレン》の月のルナの感知実績は、
先月の倍近くになっていた。感知の精度も上がっている。
「匂いの種類」の表現が、最初に比べて具体的になってきた。
「焦げてるみたいな」「空っぽになる感じ」「いい感じの悲しさ」——
不正確なようで、実態に近い表現ができるようになっている。
「ししょー、来月も修行ありますよね」
「もちろんだ。あるぞ」
「じゃあ来月も成果出したら、パン代はししょ―持ちが続きますか?」
「......続ける」
「やった!」
ルナが、ぱっと笑った。その笑顔が、地下倉庫の薄明かりの中で光った。
俺は書類に目を戻した。
* * *
午後、俺は報告書の一覧を確認した。
《オーレン》の月の実績を整理する作業だ。
・感知実績:十七件。うち先行察知が六件。
・違反遺物の発見への貢献:一件。
・封印の異常を早期報告:三件。
記録の数字だけ見れば、「遺物管理における特殊貢献者」として、十分な実績だ。
問題は、査定官がその実績を「精神熟達者の弟子」として評価するかどうかだ。
精神干渉の訓練成果は——ゼロのままだ。
精神「感応」の能力は、桁違いなんだがな。
もうちょっと、干渉力に振り分けてくんない? お嬢さん。
測定器の数値は、最初と変わらない。
ルナの「精神干渉の才能」は、一ミリも伸びていない。
それは俺が一番よく知っている。
だから「査定の基準を書き換える」必要がある。
「精神干渉能力」ではなく「遺物管理への特殊貢献能力」として評価させる。
それが、俺のズルの核心だ。
そのための実績は、着々と積まれている。
問題は——オルフェリアだ。
* * *
オルフェリアが、どこまで気づいているか。
俺はそれを、《オーレン》の月の間ずっと、考え続けていた。
《フォルナ》の初回:帰り際に「膜」を〇・一秒読もうとした。
《オーレン》の二十二日:術式出力の水準について質問した。
膜を〇・二秒読もうとした。
この二点だけで判断すれば——
「疑っている」ではなく「気になっている」の段階だ。
疑惑は、まだそこまで深くない。
だが、「気になっている」が「疑っている」に変わるのに、どれだけかかるか。
俺が完璧に振る舞い続ければ——変わらないかもしれない。
ルナが何かをやらかせば——変わるかもしれない。
「ルナが何かをやらかす」という変数は、コントロール不能だ。
これが問題だ。
「ししょー」
ルナが、また棚の前にしゃがんで、俺を見上げた。
「なんだ」
「さっきの引き継ぎ書類がなかった木箱、今日は少し違う匂いがします」
俺は顔を上げた。「どう違う」
「なんか、前よりちょっと眠そうな感じです。
なんというか、静かになってきた感じ」
「……安定してきている、ということかもしれない」
「そうですか。……ししょー、あの箱の人って、怖い人でしたか?」
「記録にはない。数十年前の人物だ」
「そうか〜。なんか、怖い感じはしないんですよね。怒ってる感じもなくて。ただ、なんか……残ってる感じがして」
「残ってる、か」
「うん。なんか、まだここにいたかった人なのかな、って」
俺は、ルナをしばらく見た。
地下三階に「まだいたかった」人。
俺は五年間ここにいる。
俺も、ある意味では「ここにいたかった」側だ。
ただし目的は違う——あの人物が何を思ってここに残ったのかは、わからない。
「わからない」と俺は言った。「記録がないからな」
「そうですか」 ルナが、箱の方向をもう一度見た。「……なんか、悲しくないといいな、って思います。残ってるの」
「……そうだな」
* * *
夕刻。
ルナが帰る前に、俺は一つだけ言った。
「来月から、訓練の内容を少し変える」
「どう変わるんですか?」
「これまでは感知の練習が中心だった。
来月からは、感知した情報を『言語化する』訓練を加える」
「言語化?」
「お前が感じたことを、他の人間が理解できる言葉にする、ということだ」
「......難しいですか?」
「今のままだと......難しい」
精神干渉は、この言語化ができてこそ、事象に対して「干渉」ができる。
これを無意識下でもできるようにならなければならない。
あと、たったの150日足らずで。
マジだよ? お嬢さん。
「そうか〜」 ルナが、少し考えた。「でも、『いい感じの悲しさ』とか、
『嫌な感じの悲しさ』みたいな感じで言えばいいですか?」
「そういう方向だ。ただし、もう少し具体的な説明を加えられるようにする」
「はい! 頑張ります! あ、パン代はもちろんししょ―持ち、続きますよね?」
「がんばったら、続けてやる」
「やった!!」
ルナが、螺旋階段を上がっていった。
途中で「来月の限定パン、何食べようかな」という声がして、
それからしばらく一人で考えているような気配がして、
それから「やっぱり毎日メロンパンでもいいし、たまにクリームパンもいいし……」という声がして、遠くなって聞こえなくなった。
* * *
地下三階が静かになった。
俺は在庫目録を開いた。
《オーレン》の月の記録を締める。
《オーレン》の月、総括。
・感知実績:十七件。
・先行察知:六件。違反遺物発見への貢献:一件。
・封印異常報告:三件。
・弟子の成長:感知精度・言語化精度ともに向上傾向。
・査定まで:のこり百五十三日。
・ズルの進行:順調。
・オルフェリア:要注意のまま。
・胃痛:今月の平均、やや高め。
ページの端に書いた。
※(付記)机の端の石が、今月で三個になった。
ペンを置いた。
机の端を見た。
石が三個並んでいた。
茶色い石英が二個と、先週ルナが「なんか光ってます」と言って持ってきた、
少し白っぽい石が一個だ。
在庫目録にはないものが、机の端に増えていた。
俺は冷めた茶を一口飲んだ。
明日から《ヴェスタ》の月だ。
守護の女神の月。
秋の終わり。
査定まで残り、百五十三日。
ルナが「毎日メロンパンでもいい」と言っていた。
俺には毎日同じものが食べられるとは思えないが——
まあ、ルナはそういう人間だ。五か月後も、おそらく同じことを言っている。
それは、悪いことではないと思った。
名前のつけにくい何かとして、思った。
第二章 了
百五十三日。
長いようで、たぶんあっという間だ。
弟子は今日もパンのことを考えて、師匠は今日も胃を痛めてる。
……だが、そういう積み重ねの中でしか、人は誰かを守れない。
さて。冬が来るぞ、地下三階。




