第10話 監察官の二度目と、完璧な答えと、一枚目の亀裂
監察官ってのはな。
笑顔で来るくせに、目だけは獲物を追ってる。
今回のお嬢さんは、どうやら“確認”しに来たらしい。
何をかって? ……そいつぁ、胃痛持ちの男に聞いてやれ。
ま、今回も静かな修羅場ってやつだ。
《オーレン》の月の二十二日。
オルフェリア・ソル・ヴェインが来た。
今回は、予告があった。
三日前に「定期確認のため伺いたい」という文書が届いていた。
《フォルナ》の月に初めて来てから、一か月も経っていない。
通常、定期監察の間隔はもっと長い。
なにか、バレたか?
いや、そんな簡単には......
俺はその文書を受け取った日から、準備を始めた。
在庫目録の記録を見直した。
整合性を徹底的に確認した。
「違反遺物の発見」に関する報告書を整理した。
ルナの「感知実績」として記録された案件を、きれいに並べた。
嘘は書いていない。
ただし、「どの程度の術式をギルが使ったか」については、
今回も詳細を省いた。
聞かれていないことは答えない。
今日のルナには、一つだけ伝えてある。
「監察官が来る。いつも通りにしていろ」
「いつも通りって、どんな感じですか?」
「お前がいつもやっていることをやれ。ただし、遺物に無断で触れるな」
「はい!」
「それと、食べながら話すな」
「は——はい……」
「あと、今日は路地に出るな」
「はい」
「余計なことを言うな」
「はい!」
「……具体的に言うと、ブローチの匂いについてコメントするな」
「え、なんで?」
「するな」
「……はい」
あれ?
ひとつじゃなかったな。
ま、気にするな。俺は気にしない。そうだよな?
* * *
オルフェリアは、第三刻に現れた。
前回と同じ、白を基調にした監察局の制服。
同じブローチ。
同じ笑顔。
同じ、目の奥が笑っていない目。
ただ、今回は——少し違う入り方をした。
前回は「定期監察」として来た。
今回は「定期確認」として来た。言葉が違う。
「監察」は部署の全般的な確認だ。
「確認」は、特定の事案についての確認だ。
つまり今回は、議題がある。
「クインシー閣下、お時間をいただきありがとうございます」
「こちらこそ」
「先日の違反遺物の件について、改めて確認させていただきたいことがございます」
「どうぞ」
「発見の経緯を、詳しくお聞かせいただけますか」
俺は、準備していた説明を話した。
《フォルナ》の月の三十五日の夕刻、
弟子のルナが城下町への移動中に「嫌な感じがする匂い」を路地から感知した。
場所を記録して、帰館後に通報書類を提出した。
翌日、回収チームが確認した——という経緯だ。
オルフェリアが、手帳に何かを書きながら聞いていた。
「弟子の方が、路地の箱に近づいたことは?」
「ありません。感知して報告しただけです」
「感知の精度は?」
「場所の特定が正確でした。箱の性質については、
弟子自身は把握していませんでしたが、
『嫌な感じ』という表現が実態と一致していました」
「記憶の抽出器の精神波を、食感知で察知した、ということですね」
「そう解釈しています」
オルフェリアが、手帳から顔を上げた。
「興味深い事例ですね」
「そう思います」
「食感知で、精神汚染の種別まで判別できる、ということですか?」
「種別の判別というより——不快感の感知、という方が正確だと思います。
精神波の質が、通常の遺物とは異なることを、感覚として受け取るようです」
「……なるほど」
オルフェリアが、また手帳に書いた。
* * *
「弟子の方に、直接いくつかお聞きしてもよろしいでしょうか」
「もちろん」
オルフェリアがルナの方を向いた。
ルナが、背筋を伸ばした。「いつも通りに」と言ったにもかかわらず、
少し緊張した様子だった——珍しいことだ。
余計なことは言うなよ。
と、最後に目配せした。
ルナはというと、きょっとんとした顔してた。
あちゃー。わかってないよ、このお嬢さん。
大丈夫かな。
「あの日、路地で感じた匂いについて、もう少し詳しく教えていただけますか」
「はい!」 ルナが答えた。「なんか、空っぽになる感じがしました。
匂いというか、感じ、なんですけど。中身を取られるような感じ」
「取られる、というのは?」
「なんか、匂いを嗅いでいたら、自分の中の何かが引っ張られる感じがして。
嫌だったので、近づかないようにしました」
「それで、主任に報告を?」
「はい。ししょーに、嫌な感じがしたらすぐ言えって言われてたので」
オルフェリアが、ルナを見た。
それから、俺を見た。
「適切な指導をされていますね」
「いえ」と俺は言った。「基本的な安全確認の話をしただけです」
「基本的な、というにしては、効果的な運用ですね」
「......弟子の能力の特性に合わせた指示です」
オルフェリアが微笑んだ。
その微笑みに、何か混じっている気がした——が、確認できなかった。
「ルナさん、もう一点だけ」
「はい」
「あのとき感じた匂いが、ここにある遺物のどれかに似ている、
ということはありますか?」
ルナが、少し考えた。
棚を見回した。それから、記憶の残滓の木箱がある方向を見た。
「あの箱に、少し似てます」
「どの箱ですか?」
「あそこの、少し悲しい感じがする箱です。でも、あの箱はいい感じの悲しさで、
路地のは嫌な感じの悲しさでした」
沈黙があった。
オルフェリアが、その箱を確認した。
記録を照合した。「記憶の残滓」という分類が確認できたのだろう——
少し目を細めた。
「……興味深い表現ですね。『いい感じの悲しさ』と『嫌な感じの悲しさ』、ですか」
「はい。なんかそんな感じで。ちゃんと説明できなくてごめんなさい」
「いいえ、とても参考になります」
オルフェリアが、手帳を閉じた。
* * *
確認事項の後、オルフェリアが部屋を見回した。
遺物の棚を、順に確認している。
精神波を読んでいる——その動き方でわかる。
精神熟達者の目だ。
記録と照合している。
俺は、その間、何もしなかった。
在庫目録の記録は正確だ。
棚の状態も、記録通りだ。
先日の古い封印の補修については、「補修処置を実施」と書いてある。
術式の詳細は書いていないが——「補修した」という事実は書いてある。
オルフェリアが、先日ルナがほぼ触れかけた黒い木箱の前で、足を止めた。
「こちら、先月の記録に補修処置とありますね」
「はい。封印の劣化が進んでいたため、夜間に処置しました」
「どの程度の処置でしたか?」
「古い様式の封印でしたので、設計を読み解いてから同方式で補強しました」
「それは......かなりの技術が必要な作業ですね」
「慣れていますから」
オルフェリアが、俺を見た。
「三時間、とありますね」
「......はい」
「お一人で?」
「ええ」
また、沈黙があった。
オルフェリアの目が——少し、違う見方をしていた。
「管理記録の確認」ではなく、もっと直接的に、俺を見ていた。
「クインシー閣下」
「何でしょう」
「差し支えなければ、ご自身の現在の術式出力の水準を、教えていただけますか」
俺は、一瞬、間を置いた。
「標準的な、この部署の業務に必要な水準です」
「標準的な、というのは、どの程度を指しますか?」
「遺物の封印確認と、軽微な補修が行えるレベルです」
これは嘘ではない。「軽微な補修」という定義が、
俺の場合と標準的な術師の場合で、だいぶ違うかもしれないが——
「軽微な補修が行えるレベル」という文言は正確だ。
何を疑っている?
「……先ほどの古い封印の補修は、通常『軽微』には分類されませんが」
「設計の読み解きに時間がかかっただけです。
処置自体の難度は、さほどでもありませんでした」
オルフェリアが、微笑んだ。
その微笑みの中に——前回帰り際に感じた、あの「読もうとする」気配があった。
今回の方が、少し長かった。
俺は「膜」を、〇・二秒だけ厚くした。
前回は〇・一秒だった。
今回、それが必要かどうかを考えて——必要だと判断した。
それだけの理由がある目だった。
オルフェリアが、目を逸らした。
「ご協力いただき、ありがとうございました」
「こちらこそ」
一気に力が抜けそうになり、あわてて気を引き締めなおした。
危ない。顔にでそうになった。
* * *
帰り際、扉のところで、オルフェリアが振り返った。
「ルナさん」
「はい!」
「棚の確認、毎日されているんですか?」
「はい! 朝に一回と、午後に一回です」
「それで、あの記憶の残滓の箱も、毎日確認しているんですか?」
「はい! 今日は、少し穏やかな感じでした」
「穏やか、というのは?」
「なんか、安心してる感じ、みたいな。最初に見つけたときより、おだやかです」
オルフェリアが、何かを考えるような顔をした。
「……ありがとうございます」
扉が閉まった。
* * *
ルナが「ちゃんと答えられましたか?」と聞いた。
「大丈夫だろう」と俺は言った。
「よかった! なんか、緊張しました」
「珍しいな。緊張するのか」
「あの人、なんか……鋭い感じがするので」
「そうだな」
「ししょーは緊張しませんでしたか?」
「しない」
「すごいですね」
お、ルナにはバレてないのか。
リンク切れたのかな?
俺は在庫目録を開いた。
嘘だ。
「緊張」という言葉が正確かどうかはわからないが——
今日は、《フォルナ》の初回よりも「膜」の管理に集中した。
帰り際の〇・二秒は、前回より長かった。
オルフェリアが、何に気づいているのか——まだわからない。
だが、気づいていることがある、ということは——わかった。
《オーレン》二十二日。
・定期確認:通過。違反遺物の件、経緯の説明に問題なし。
・ルナの答え:良好(「いい感じの悲しさ」と「嫌な感じの悲しさ」——
これを上手く報告書に使えるかもしれない)。
・オルフェリア・ソル・ヴェイン:今回、術式出力について質問あり。
・精神干渉膜:〇・二秒使用。前回より長い。
・疑惑の深度:不明だが、前回より深い。
ページの端に書いた。
※要注意の度合い:更新。胃痛:本日は高め。
隠し事が上手い奴ほど、細かい違和感に怯える。
〇・一秒が〇・二秒になる――それだけで胃が痛くなるんだ。
だが厄介なのは、監察官の嬢ちゃんも、たぶん気づいてることだな。
まだ踏み込まない。だが、見ている。
……秋ってのは、秘密が深くなる季節らしい。




