第80話 猫カフェ「ねこまち」の新しい試み
1週間後 猫カフェ「ねこまち」 開店前
朝の光が差し込む猫カフェ。美久は、いつもより30分早く店に来ていた。
今日は特別な日。初めて猫人間のお客を迎える日だ。
「緊張するわね」
美久が店内を見回す。
いつもの猫たちも、なんとなくそわそわしている。茶トラのマロンは窓辺で外を見張り、白猫のミルクは隅で丸くなり、キジトラのトラは天井の梁の上から様子を伺っている。
「大丈夫です、きっとうまくいきます」
ユイが励ます。
入り口に新しい看板が追加された。
『猫人間の方も歓迎します』 『初めての方は、最初にお声かけください』 『一緒に、新しい日常を作りましょう』
美久の手書きの文字が、温かみを感じさせる。
10時、開店と同時に最初のお客が入ってきた。
地下で暮らしていたミユキだった。
猫の耳と尻尾を持つ20代の女性。薄いピンクのワンピースを着て、緊張で震えている。耳がぴくぴくと動き、尻尾は足の間に隠れていた。
「い、いらっしゃいませ」
美久も緊張していた。
「あの...私、猫人間なんですけど...大丈夫でしょうか...」
ミユキの声は震えていた。50年間、地下でしか生きてこなかった彼女にとって、地上の店に入るのは人生で初めての経験だった。
「はい、大歓迎ですよ」
美久が精一杯の笑顔を作る。
「お好きな席にどうぞ。窓際がおすすめです」
ミユキが恐る恐る窓際の席に座る。
クッションに座った瞬間、ほっとしたような表情を見せた。
「あの...メニューは...」
「こちらです」
美久が新しく作ったメニューを渡す。
そこには、人間用のメニューと並んで、猫人間用のメニューも載っていた。
『マタタビティー(猫人間様限定)』 『焼き魚プレート(小骨抜き済み)』 『ミルクプリン(猫でも安心な乳糖カット)』
「すごい...私たちのことを考えてくれてる...」
ミユキの目に涙が浮かんだ。
その時、店内にいた常連の田中さんが声をかけた。
「あら、新しいお客様?」
田中さんは70代の優しい女性で、毎日のように通っている。
最初、ミユキの耳を見て一瞬驚いたが、すぐに笑顔になった。
「まあ、可愛い耳ね。本物なの?」
「は、はい...」
ミユキが縮こまる。
「素敵じゃない。私も若い頃、猫になりたかったのよ」
田中さんの屈託のない笑顔に、ミユキの緊張が少し解けた。
「触ってもいいかしら?」
「え...あ、はい...」
田中さんが優しくミユキの耳を撫でる。
柔らかくて、温かくて、本物の猫の耳そのものだった。
「ふわふわね」
撫でられて、ミユキが思わず「にゃん」と声を出した。
「あっ...すみません...つい...」
顔を真っ赤にするミユキ。
「いいのよ、自然でいいじゃない」
「私も猫を撫でると、つい『よしよし』って言っちゃうもの」
田中さんの優しさに、ミユキの表情が和らいだ。
美久がコーヒーとチーズケーキを運んでくる。
「シロコさん特製のチーズケーキです」
「地下の方のレシピも参考にしたそうですよ」
一口食べて、ミユキの顔が輝いた。
「美味しい...!」
「地下で食べていた味に、地上の技術が加わってる...」
店の猫たちも、ミユキに興味を示し始めた。
マロンが膝に乗ってきて、ミルクが隣に座る。
「猫たちも、仲間だって分かるのね」
田中さんが微笑む。
この日、ミユキは2時間も店にいた。
帰り際、彼女は深々と頭を下げた。
「ありがとうございました」
「50年ぶりに、地上で普通にお茶が飲めました」
「また来てくださいね」
美久が温かく見送る。
ミユキが帰った後、田中さんが言った。
「いい子ね、あの子」
「人間も猫人間も、結局同じなのよ」
「みんな、美味しいものと温かい場所が好き」
小さな一歩だが、確実な一歩だった。




