第7話 崖から落下→即死からの異世界転生
2024年4月20日 午後4時45分 祢古町への道
細い山道を歩き続けていると、突然視界が開けた。
「あ...」
眼下に小さな集落が広がっている。雨に煙る古い木造家屋が点在し、まるで水墨画のような幻想的な光景だった。屋根瓦は雨に濡れて鈍く光り、煙突からは薄っすらと煙が立ち上っている。時の流れが止まったような、静謐で美しい風景。
「祢古町...?」
でも、何かがおかしい。人の気配がない。窓に明かりは灯っているが、人影は見えない。風が建物の隙間を吹き抜ける音だけが、かすかに聞こえてくる。まるで、人だけがいなくなった町のような、不思議な静寂。そして、どこからか微かに聞こえる子供の歌声。
『おなかすいた おなかすいた みんなどこ』
不気味な歌声に、ユイの背筋が凍った。
「美久さんは、ここで何を...」
その時だった。
ユイが携帯電話を取り出し、この幻想的な光景を写真に撮ろうとした瞬間——
足元の石が雨で滑りやすくなっていた。濡れた苔の上に置いた足が、ずるりと滑る。バランスを崩したユイの体が、重力に引かれるまま道の脇の急な崖に向かって転がり落ちる。
「うわっ!」
落下の恐怖。
風切り音が耳を打ち、目の前が回転する。枝が頬を引っかき、石が膝を打つ。痛みと恐怖が一緒になって襲いかかる。肺から空気が押し出され、叫び声も出ない。重力に引かれて加速していく体。止まらない。止められない。
でも不思議と、頭に浮かんだのは美久のことだった。
(美久さん...会いたかった...もっと話したかった...)
あの優しい笑顔、暖かい声、石鹸の香り。猫カフェで過ごした短い時間が、走馬灯のように蘇る。美久さんの手首のアミュレット、あの不思議な光。きっと、何か大切な意味があったんだろう。
(ブログ、いつも読んでました...3年間、毎日...)
3年間、毎日のように読み続けた文章。励まされた言葉の数々。孤独な日々を支えてくれた、唯一の光。学校で一人ぼっちの時も、進路に悩んだ時も、いつも美久さんのブログが心の支えだった。
(本当の話、聞かせてほしかった...祢古町で何があったのか...)
落下は一瞬のようで、永遠のようだった。体が岩にぶつかる鈍い音。骨が軋む感覚。そして、頭を強く打った瞬間、世界が真っ白になった。
意識が薄れていく中、ユイは不思議な声を聞いた。雨音や風音とは違う、優しい女性の声。まるで子守唄のような、暖かい響き。どこか懐かしく、母親の声のようでもあった。
「大丈夫よ...」
その声は、どこか懐かしい感じがした。まるで、遠い昔に聞いたことがあるような。1000年前の記憶が、薄っすらと蘇るような感覚。
「あなたの願い、叶えてあげる...」
温かい光が、ユイの体を包み込む。痛みが和らぎ、恐怖が消えていく。光は金色で、まるで夕陽のように優しかった。体が浮き上がるような、不思議な感覚。
「美久さんに会えるわ...」
「本当の自分に、なれるわ...」
「そして、世界を救う鍵となるわ...」
最後の言葉の意味は分からなかった。でも、なぜか心が安らいだ。
そして、深い暗闇に包まれて、全ての感覚が遠ざかっていった。痛みも、寒さも、雨の感触も、全てが消えていく。
最後に聞こえたのは、遠くから響く鐘の音。それは現代の音ではない、もっと古い、神秘的な響きだった。まるで、時空を超えて響いてくるような。
佐藤ユイの人間としての人生は、その瞬間に終わりを告げた。
しかし、新しい人生が、今まさに始まろうとしていた。




