第6話 雨の中の決意
2024年4月20日 午後3時 県北部山間地域
ついに、ユイは行動を起こすことにした。
「今日こそ、絶対に見つける」
朝から降り続いていた小雨が、午後になって本降りになってきた。でも、ユイの決意は揺るがない。リュックサックには、手作りの地図、懐中電灯、水、カロリーメイト、そして携帯の充電器を詰め込んだ。傘は持ってこなかった。両手を自由にしておきたかったから。
電車の窓から見える景色が、だんだん山深くなっていく。都市部の灰色のビル群から、緑豊かな田園風景へ。古いディーゼル車両は、ガタンゴトンと単調なリズムで線路を刻んでいく。シートの背もたれは硬く、ユイの背中に食い込むような感触だった。車内には数人の乗客しかいない。みんな地元の人のようで、ユイだけが浮いているような気がした。
車窓を流れる風景は、まるで時間を遡っているようだった。近代的な建物が消え、茅葺き屋根の古い家屋が点在し、人工的な音が自然の音に置き換わっていく。雨に煙る山々が、墨絵のように美しく、そして不気味だった。
バスに乗り換えると、さらに山奥へ向かう。エンジンの音が変わり、道路の舗装状態も悪くなる。窓の外の空気は、都市部とは明らかに違っていた。針葉樹の深い香り、湿った土の匂い、そして時折鼻をくすぐる野生動物の気配。まるで、文明から切り離された別世界に向かっているようだった。
目的地の最寄りバス停に到着した時、天気は急激に悪化し始めていた。雲行きが怪しくなり、空気が重く湿っぽくなる。そして、冷たい春雨がぽつりぽつりと頬を叩き始めた。バス停には屋根もなく、すぐにずぶ濡れになった。
「傘、忘れた...いや、持ってこなかったんだった」
でも、引き返すつもりはなかった。ここまで来て、諦めるなんてできない。制服のブレザーを頭にかぶり、ユイは山道へ足を向けた。
手作りの地図を頼りに歩く山道は、想像以上に険しかった。舗装道路から林道へ入ると、足元は小石混じりの土道になる。靴底に石が食い込み、時々バランスを崩しそうになる。車通りもない、静寂に包まれた山道。聞こえるのは、風が木の葉を揺らす音と、自分の足音、そして雨の音だけ。
「音無神社...どこだろう」
地図によれば、音無神社の先に祢古町への道があるはずだった。
雨は次第に強くなっていく。最初はぽつりぽつりだった雨粒が、やがて頬や首筋を冷たく濡らし始める。ユイの制服はじわじわと湿気を吸い、重くなっていく。髪の毛も雨に濡れて額に貼り付く。化粧もしていないのに、顔がべたべたする感じが不快だった。
雨に濡れた自分の姿は、きっと惨めに見えるだろう。でも、それでも歩き続けた。足元の泥が靴に付着し、歩くたびにグチャグチャと音を立てる。
「寒い...」
4月の山は、思っていたより寒かった。雨に濡れた体から、体温がどんどん奪われていく。歯がカチカチと鳴り、指先の感覚が鈍くなってくる。でも、歩き続けた。ここで止まったら、もう二度と勇気が出ないかもしれない。
「絶対に見つける。美久さんの秘密を」
(私も、美久さんみたいに特別になりたい)
(何か、人生を変えるような体験をしたい)
その想いだけが、ユイの足を前に向かわせていた。雨で視界が悪くなり、道を間違えそうになる。でも、不思議と恐怖はなかった。むしろ、何か大きなものに導かれているような感覚があった。
1時間ほど歩いた頃、ユイは古い石碑を見つけた。雨に濡れた石の表面は滑りやすく、苔が生えて緑色の斑点を作っている。文字は読めないほど風化していたが、形状は神社の参道入り口によくある石碑だった。
「これが音無神社の...」
石碑の脇から、さらに細い道が続いている。足元はぬかるみ、一歩ごとに靴が泥にめり込む感触がある。しかし、その道の先に、何か特別なものが待っているような予感がした。空気が変わった。より神聖で、より危険な何かを孕んだ空気。
「ここから先が、祢古町への道?」
雨は本降りになっていた。視界は悪く、前方が霞んで見える。雨粒が顔を打ち、まぶたを重くする。しかし、その雨さえも、この場所では神秘的な意味を持っているように感じられた。まるで、異世界への洗礼のような。
「帰った方がいいかな...」
一瞬、理性が警告を発した。でも、ユイの足は前に向かった。ここで引き返したら、一生後悔する。濡れた枝が頬を叩き、泥が靴の中に入り込んでも、彼女は歩き続けた。
まるで、運命に導かれるように。
そして、その予感は正しかった。この先に、本当に運命が待っていたのだから。




