第5話 秘密の町を探すオタク女子の執念
2024年3月25日〜4月19日 ユイの部屋
あの日から約1ヶ月が経った。
ユイの6畳の部屋は、散らかった資料で足の踏み場もなくなっていた。プリントアウトした地図、手書きのメモ、図書館で借りた古い郷土史の本。机の上にはノートパソコンが開きっぱなしで、液晶画面の青白い光が顔を照らしている。キーボードの文字が擦れて消えかけているのは、使い込んだ証拠だった。
窓の外からは、桜が散り始めた4月の風が入り込んでくる。ひらりと舞う花びらが、開け放った窓から部屋に舞い込んで、資料の上に静かに落ちる。その花びらは、まるでユイの心境を表すように、どこか儚げに見えた。春の暖かい風が、プリントアウトした紙をパラパラとめくっていく。
ユイは毎日のように、美久のブログを読み返していた。マウスをクリックする音だけが、静寂を破る。特に、最新の記事について何度も検証していた。画面には付箋機能で無数のメモが貼り付けられている。
『祢古町という場所に行ってきたの!結果から言うと...また猫に嫌われました〜!でも今回はレベルが違った!町ごと追い出された!笑』
「この明るさ、絶対に作ってる」
ユイの指は、キーボードを叩く音を立てながら動いていた。カタカタという小さな音が、部屋に響く。あの日、猫カフェで見た美久の表情、言葉を選ぶような仕草、そして何より手首のアミュレット。全てが、このブログ記事の嘘を物語っていた。
「美久さんは何かを隠している。そして、その何かはきっと重要なことなの」
学校が春休みに入ってから、ユイは祢古町について徹底的に調べ始めた。それは表向きの理由で、本当は現実逃避だった。進路希望調査の白紙、友達のいない学校生活、何もない自分の未来。そんな現実から目を逸らすために、美久さんの「秘密」に夢中になっていた。
市立図書館の古いパソコンは、起動音がうるさくて、キーボードも使い込まれてテカテカと光っている。検索窓に「祢古町」と打ち込む度に、かすかにプラスチックのきしむ音がする。図書館特有の古い紙とカビの匂いが鼻を突く。
しかし、祢古町に関する情報はほとんど見つからない。公式な地名データベースにも載っていない。画面に映る「該当なし」の文字が、ユイの目を刺した。
わずかに見つかるのは、個人ブログや掲示板の断片的な情報だけ。
『猫が異常に多い場所』 『地図に載っていない町』『行った人が帰ってこない』
そして、最も不気味な書き込み。
『あの町には「魂を集める者」がいる』 『コレクターと呼ばれる存在が、人の感情を食べる』 『1000年前から、ずっと待っている』
「これ...都市伝説?それとも...」
背筋がゾクッとした。でも、美久さんは確実にそこに行った。記事の詳しさ、写真の構図、文章の生々しさから、実際に体験したことは間違いない。そして、無事に帰ってきている。
一週間の調査で、ユイは手作りの地図を作成した。色とりどりのマーカーで線を引き、付箋を貼り、正確ではないが、大まかな位置は特定できそうだった。紙をめくる音、ペンで線を引く音、そんな小さな音だけが部屋に響いていた。深夜まで作業を続けて、目が充血している。
古い地図サイト『消えた地名アーカイブ』で、決定的な情報を見つけた時、ユイの心臓は跳ね上がった。
「あった!祢古町!」
その瞬間、椅子から立ち上がったユイの膝が机にぶつかって、コップの水がこぼれた。冷たい水が書類を濡らす感触。でも、ユイはそれどころではなかった。
画面には、戦前の古い地図が表示されている。そこには確かに「祢古町」の文字があった。しかし同時に、不安な情報も記載されている。
『携帯電話の電波が届かない』 『GPSが正常に作動しない』 『時間の流れが異常』 『住民の記憶に欠落がある』
明らかに普通の場所ではない。そして、地図の隅に小さく書かれた注釈。
『魂喰いの環注意』
(魂喰いの環...?)
でも、美久さんは帰ってきた。それが、ユイの支えだった。憧れの美久さんが無事に帰ってきたなら、きっと大丈夫。いや、もしかしたら、美久さんは何か特別な力を持っているのかもしれない。あのアミュレットと関係があるのかも。
ユイは気づいていなかった。この「調査」という行為が、実は現実逃避だったということに。
教室で一人ぼっちでお弁当を食べる孤独感。部活動に入らず、放課後はまっすぐ家に帰る虚しさ。進路希望調査に書く夢がない焦燥感。親との会話もない、空虚な家庭生活。
そんな自分の人生から目を逸らすために、美久さんの「秘密」に夢中になっていたのだ。でも、それでもいい。何もない日常より、謎を追いかけている今の方が生きている実感がある。
(美久さんの見た世界を、私も見てみたい)
(美久さんと同じ体験をしたら、私も変われるかもしれない)
部屋の空気は重く、春の風が運んでくる花の香りも、ユイには遠く感じられた。でも、心の奥底では小さな炎が燃えていた。それは好奇心という名の炎。そして、変わりたいという切実な願い。
そんな淡い期待を抱きながら、ユイは調査を続けた。
その小さな期待が、やがて大きな奇跡を呼ぶことになるとは、まだ知る由もなかった。




