06.変わらないもの
あたたかな春の日差しを受け、ついついまどろみたくなるような昼下がり。
春眠暁を覚えず。昼食を食べ終えた後に行われる体育の授業は、よりいっそう億劫なものになった。
「うー……長距離走とかまじ勘弁。さっき食べたお昼ご飯リバースしちゃうよぉ」
と、中学の頃からの腐れ縁である佐々木佑香がしくしくと泣き事を言う。昔っから食い意地だけは張っていて、それに加え寝汚くずぼらでとんでもなくマイペースなのだが、どこか憎めない奴だ。
「吐くのはいいけど、茂みのほうでこっそりやってね」
にべもなく私は言った。
「冷たいやつだなぁ」と佑香は唇を尖らせるが、この程度の軽口は日常茶飯事なので別段気にすることはない。
「まあ、気持ちはわかるけどね。私もどちらかというと長距離は苦手。短距離走のほうがいいや。つらいのは一瞬だから気持ち的に楽だし」
「うんうん」
佑香は同意する。
くだらない会話をしながらの準備運動を終え、私たちは位置へとつく。
体育教師がピストルを掲げ、スタートの合図を鳴らした。ぱぁんと大気中に破裂音が響くと同時に生徒が一斉に飛び出した。
最初の数分間は並走していた佑香だが、じわじわと私との距離が開いていった。
おおかた、食い過ぎで調子が悪いのだろう。無理して私のペースに合わせることはない。そう伝えると、「いやはや、何のこれしき」と、あんたどこの武士だよと突っ込みたくなるような台詞を吐いた。
間もなくして、遥か後方より「小泉よ! 私の屍を越えて行け!」とわけのわからない叱咤激励が飛んできたけれど、彼女にはこれを機に食事量を減らすことを強くお勧めしたい。
私は額にうっすらと滲んだ汗を手の甲で拭い、天を仰いだ。
ぼんやりとした淡い水色の空に、優しい日差し。ふうわりと凪ぐ風。今日はどう考えても素晴らしいお出かけ日和ではありませんか。ああ、なんで私、必死こいて走ってるんだろう。
ちなみに放課後は特に予定がないので、昨日の続きをしようと密かに目論んでいた。インドア万歳!
「ハロー、小泉さん。昨日はありがとね」
香坂さゆりだった。けっこうな距離を走ったというのに息はまったく乱れていない。それどころか、汗一つ掻いておらず天使の笑顔を浮かべられるほどの余裕っぷり。見た目にそぐわずタフだな。華奢な身体のどこにそんな体力があるのか、不思議でならない。
「ううん、私こそ。おかげで帰るのが楽しみなんだ。今日はギルドの依頼こなしつつ、生産のほうに手をつけてみようかと」
「いいと思う!あと盾完成したから送っといたよ。ログインしたらメッセージみておいてね」
「わかった」
肩を並べて私たちは走った。ちらりと彼女の白い横顔を盗み見る。
実を言うと、今朝から幼稚園の時の話をいつ、どのタイミングで切り出そうか密かに悩んでいた。
女ジャイアンとして恐れられ、花より団子で人形遊びやおままごとより外で駆けまわるほうが好きだった、いつも鼻水を垂らしていたあのタケちゃんが今ではクラス一番の美少女である。にわかに信じがたいが紛れもない事実だ。
「タケちゃん」
ぽそっと私は呟いた。
「あ。ようやく気づいたのね」
何時気づいたの?と彼女は言う。「今朝」と私は答えた。
「私、入学式のときから小泉さん……ううん、蛍ちゃんのことみていたんだけど蛍ちゃんってば全然気づかないんだもん。同じクラスになったら流石に気づくかな~って期待してたんだけど……んもうっ」
乾いた笑いしか出なかった。だって、雰囲気違いすぎやしないか!?
「姓が変わってたし……見た目も変わったじゃん。そんなのわかんないよ」
苦し紛れの言い訳を一つ。
「親が中学の時に再婚したのよ。まあ、小学校低学年以降はずっと会ってないものね。しょうがないか。……蛍ちゃんは昔っから変わってないわね」
「そう?」
そうだよ。とさゆりは言った。
「面倒見がいいところとか。全部あの頃のまま」
「……そうか?」
どちらかというと放任主義なのだが。さっきだって佑香の屍を軽々と越えていったし。
「あともう少しでゴールだわ。もうひと頑張りね」
私は頷く。真っ直ぐ前を見据えると、数メートル先に足元がお覚束ない女子生徒の姿が目に入った。さゆりの言う通り、あともう少しでゴールなのだが……まさか最後の最後で燃え尽きたか。今にも倒れそうだ。
ゆらゆらとよろめく身体。いけない、倒れる。
私は駆け寄り、咄嗟のところで小さな身体を受け止めた。
「もしかして、貧血?」
女子生徒の顔を覗くと、肌は真っ白を通り越して蒼白。唇は血の気がなく紫色だった。少女はずるずると座り込んでしまう。
「先生、この子、貧血で動けないみたいなので保健室に連れて行ってもいいですか」
私は手を上げ、教師に告げる。
体育教師は、「おう、いつもすまんな。頼むぜ」と動揺したふうでもなく、慣れた様子で私の付き添いを許可した。すまんな、じゃねえよ。あんたも手伝えよ。
「歩ける?」
そう訊ねると少女は弱々しく「ごめん、無理」と答えた。相当しんどいらしく、一歩も動けそうにもない。
私は「失礼」と一言断りを入れて彼女を抱えた。俗に言うお姫様抱っこである。ずしりと腕にのしかかる重さに、うっと声を漏らしそうになったが私はすんでのところで耐えた。
さゆりはというと形の良い唇をきゅっと結び、肩をぷるぷる震わせ必死に笑いをこらえていたが、とうとう我慢の限界を迎え、派手に噴き出す。
「相変わらず漢前すぎるわよ。私はそんな蛍ちゃんが、すき」
知っていたか、さゆりよ。君が昔、けちょんけちょんに叩きのめしていた子らを私が淡々と介抱していたことを。さゆりが小さな暴君と呼ばれていたのに対し、当時の私も不本意ながら別の名を授かっていた。
その名も、歩く救急車。実に不名誉な異名であった。




