25.波乱の予感
「あー食った食ったぁ」
ジーンはログインするなりソファにどかっと腰を沈めてくつろぎ始めた。こいつを見ているとどうも調子が狂う。我が道を行き過ぎていて、どこから突っ込めば良いのかわからない。とりあえず、腹いっぱい幸せいっぱいで何よりだ。
「お前なあ。第一声がそれかよ」
呆れた口調で私は言う。
「あんだよ。悪ぃか」
「悪いも何も、ここはお前んちのリビングじゃないからな。だらしないったらありゃしない」
「へいへい。ちゃあんとお前の座るスペース空けといてやるから、そうカリカリしなさんな。これだから甘えん坊太郎は」
「はあ? 意味わかんないだけど。変なものでも食ったのか」
思いっきり顔を顰めてやったが、ジーンはにやにやと笑うだけだ。
その後も私の頭をがしがしと乱暴に撫でくり回したかと思えば、無遠慮に頬をつねったり突っついたりしてくる。お前は小学生かと突っ込みたくなったが、それはまだましなほうだ。
なんと、羽交い締めにしてソファへと引きずり込んできたのである。身の危険を感じた私は、四肢をばたつかせ必死に抵抗した。
「ちょっと! いったいなんなの!?」
「んー。プロレスごっこ? なんかこう、無性に関節技試したくなってきたっつうか」
「ふざけんな。本能の赴くままに試すやつあるか! 離せっ。離せってば」
「はっはっはっ。だいじょーぶだいじょーぶ。お前HP多いし余裕だろ」
「そういう問題じゃねえ! それ以上やってみろ。今後一切、料理作ってあげないんだからな!」
彼は少し考え込むような仕草をしたけれど、すぐに何事もなかったかのように私の上へと圧し掛かってきた。私とジーンの醜い攻防は続く。
「ふうん。そうきたか……カノンのくせに生意気だな。くらえっくすぐりの刑!」
「ひゃっ。くすぐったい! くすぐったいから、やめろって。やっ……やだっ」
とうとう私は我慢できなくなって、涙目になりながら降参を申し出た。身を捩らせ、嫌々と頭を振り、恥を忍んで嗚咽交じりに「やめてよぉ」と懇願した。
だのに、ジーンは許しちゃあくれない。
こいつ、悪魔か。あるいは、血も涙もないロボットなのだろうか。
めいっぱい私が嫌だと訴えているのにも関わらず、ジーンは耳を貸すどころか、より性質の悪いほうに関心を寄せているみたいだった。
「おお。いい眺め。いつもの涼しい顔はどこいったのやら」
「鬼! 悪魔! 重いから退けろよぉっ……」
ついにマウントポジションを取られ、彼に見降ろされる側になった私。何たる屈辱。いっそのこと殺せ! と叫んでやりたいがここはぐっと堪える。
次にくすぐりの刑をされたものなら今度こそ発狂する自信がある。それは頑としてでも、死に物狂いで阻止しなければならない。イニシアティブを取られた私に残された道はただ一つ。交渉だ。
「要求は何だ」
身代金要求された被害者の家族かっ。駄目だ。私の頭は相当やられているらしい。
「そうだな。俺の言うこと聞いてくれたら解放してやってもいいぜ」
「乗ってくるんかいっ」
嫌な予感しかしない。私は身構えた。
「ダンジョン【オリヴァー・グレイス研究所】に付き合え。ここの適正レベルは49。俺たちはその条件を満たしている。レベリングするにはうってつけじゃん。どうよ」
【オリヴァー・グレイス研究所】とは。サイコホラーじみた雰囲気のダンジョンで、例によって私の苦手なアレなのである。
今の今まで渋っていたのだが、背に腹は代えられない。何せ私の人権がかかっているのだ。
「あーもう! わかったってば。いいよ、行ってやる! まどろっこしいやつだな」
「よし。男に二言はないな?」
男じゃないがこの際どうでもいい。「ない! ないから!」と私は叫んだ。
「いい返事だ」にやりとジーンは不敵に笑う。「あとで泣いても後悔すんなよ?」
「泣くもんか。そっちこそ覚悟しとけよ」
私はジーンを睨みつけた。彼の挑戦的な視線に負けぬよう、真っ直ぐに。
「そうこなくっちゃ。やっぱりお前、最高だよ」
少年めいた笑みを浮かべるジーンにけしかけられ、まんまと私は言質を取られる。
そんな中、入浴のため言って一時離席していたフィオさんが戻ってきた。一悶着あった私たちを見てかなりぎょっとしていたが、すぐに気を取り直して「一つ聞いてもいいかな」と尋ねてきた。私はジーンを押し退けて「どうぞ」と答える。
「これはいったいどういう状況なの?」
「こいつひどいんですよ。嫌だって何回も言ってるのに無理やり……」
「人聞き悪いな。そうでもしないと俺たち先進めねーじゃん。慣れちまえばこっちのもんだって」
「だって。初めてだし、怖いし。どうせまたひどいことするんだろ」
「しないしない。優しくするって。な?」
絶対嘘だ。嘘に決まってる。
疑心暗鬼になっている私の傍で、フィオさんが「ど、どういうこと!?」とひどく取り乱した様子で(しかも何故か半泣きだった)ジーンに詰問していた。
「あ、フィオさんは強制参加なー。フォロー頼みてぇし」
「え、フォロー?」
「これからダンジョン行くんだけど。駄目?」
「なんだ。そういうこと……」
フィオさんは胸をなでおろし、「大丈夫だよ。行こうか」と快諾。
「あとはヒーラーか。テディさん来るかな」
私はすくっとソファから立ち上がった。
「んあ? リリィはどうしたよ」
「ジーンが来る少し前に落ちた。明日早いんだってさ」
「まじかよ。あー……テディさんか……はあ」
ジーンがうんざりした顔をする。そりゃあまあ、隙あらば尻を揉まれる彼の気持ちを考えるとわからないでもないが、一種の等価交換だと思って割り切ってもらうしかあるまい。
「彼ならそろそろ来るんじゃないかな。それまでは各自、自由行動ってことで」
はーい、と間延びした声で私とジーンは返事する。
空き時間は有効に使わねば。私は料理の材料を調達すべく街へ転移し、ハウスを後にしたのだった。
海の都【ルッカ・ロッカ】に着いて真っ先に私が向かったのは港にある卸売市場だ。
【ルッカ・ロッカ】では主に漁業や造船業が盛んで、市場はいつも活気に溢れている。私はすれ違う人々をすいすい避けながら海沿いの道を早足で歩く。カモメが数羽、けたましい鳴き声を響かせて頭上を飛び交っている。風を切り、海を渡る彼らの羽は思いのほか小さい。その小さな身体にはいったいどれほどの力が秘められているのだろう?
しばし思考に耽っていると卸売市場に到着した。人混みを掻き分けて店の前へと躍り出る。
今日はパエリアとフィッシュアンドチップスの材料の買いに来たのだ。魚介類を安く仕入れるにはここが一番なのである。
手際良く会計を済ませ店を離れると、すぐそこに見知った顔があった。
「よう、まな板チャン。元気にしてた?」
ソランである。ニタリとした下衆い笑顔を隠そうともせず私に近寄ってきた。
「あー……悪いけど今あんたに構ってる暇ないんだよね。話なら今度にして」
素気無く私は答える。
「冷たいな。俺とオマエの仲だろ。そんなに急いでどこ行こうってんだ」
「レベリングも兼ねてこれからダンジョンに行くの! それじゃあまたな」
早口で捲し立てながら踵を返すと背後から「それ、空きはあんの?」という問いを投げかけられる。
「あるっちゃあるけど今ヒーラー待ちだよ」
ふうん、あっそうとソランが呟き、
「行くわ。他のメンツにも伝えといて」
となんの脈絡もなく言い放った。
「えっ」
「だーかーら。俺が手伝ってやるって言ってんじゃん。この俺様が。もしかして聞こえなかった?」
「いやいやいや、そもそもあんたヒーラーじゃないだろ。盾二人もいらないし、どうするんだよ」
「問題ない。ヒーラーならここにいる」
ソランは私の胸に人差し指を突き立て、はっきりと言った。
「オマエだよ、オマエ。白騎士の回復スキルを最大限に生かすいい機会だ。盾は俺がやる。うっかり惚れんなよ?」
「誰が惚れるか! ばっかじゃないの」
ソランはやる気満々だ。引き下がる気配なんてまるでない。
おお、神よ。どうしてこうなった。
げんなりとした心持ちでパーティーメンバーに連絡を取ると意外にもフィオさんは歓迎モードで、快く了承。ジーンはというと、テディさんの魔の手から逃れられる! と大喜びしていた。
この先起こる大惨事に怯えながら、私は泣く泣くソランをパーティーに迎えたのだった。




