21.その指先はわたしの心をなぞる
テディさんがフィオさんに伝言してくれたおかげで、私とジーンが帰還してすぐにリリィの歓迎会が開かれることになった。イノセント・ブルーのメンバーはリビングに集まり、各々の顔を見合わせると一斉に乾杯をした。そこには主役であるリリィの姿もあり、あたかも以前から所属していたかのように、その場に溶け込んでいた。
「カノンちゃんってば、なかなか帰ってこないからぁ心配したのよ~。ほらぁリリィちゃんもなんか言ってやりなさいよぉ
テディが身体をしならせながらリリィに同意を求めた。女子二人の会話のように思えるが残念ながら片方はオネエだ。
「そうそう。てっきり迷子になっちゃったのかなってテディさんと話していたのよ。何かあったの?」
「なんか鬼族の変な男に絡まれてたぜ。楽しそうになんの話をしてたんだか」
しまいにゃあキスされてやんの、とジーンは嫌味たっぷりに言い放った。彼の要らぬ発言に思わず舌打ちしたい気持ちになったがすでに後の祭りだ。場の空気が一変し、お祝いムードが冷やかしの方向へとすり替わってゆくさまを、私は瞬時に感じ取った。
「カノン君。鬼族の男って、まさか……」
リリィがわなわなと震える。そのまさかであった。彼女の予想は見事に的中していた。
「やっだぁ、カノンちゃんナンパされたのん!? やるじゃなぁい! みんな聞いてぇ。カノンちゃんってばぁ余所の男といい感じだったらしいわよぉ」
かたやテディさんはというと、嬉々としてそのネタを大声で吹聴して回っている。
「なんや、カノン君口説かれたんか。ルーキーのくせに隅に置けへんなぁ。これじゃああっちゅうまに余所もんに取られてしまうやろ。どっかのだれかさんは涙目やな」
とアンナは目を細めて笑った。
「こら、アンナ。無闇に煽るのはよしなさい。そして、ジーンもジーンです。気になるのは判るけれど、意地悪するのはほどほどにね。ブーメランになるからね、それ」
フィオさんはギルドマスターらしく冷静に、当たり障りなく注意した。
しかし、人の目というものはとても正直なもので、彼の眸には隠しきることができない好奇心が滲み出ていたのを私は見逃さなかった。唯一、これを一大事としてとらえているのはリリィだけであった。
「そんな大したことじゃない。先日たまたま知り合った人が同年代だって判明して、長話に興じてしまっただけだから」
私はあえて事も無げに言った。
「だけど、さっきキスがどうとか言ってなかった?」
リリィが鋭く指摘した。
「頬にね。口じゃないからノーカウントだ」
幸か不幸か、私は今の今までファーストキスというやつを体験したことがない。特にファーストキスに強いこだわりを持っているわけでもないので、犬にかまれたと思って忘れようとしていたのだが。
「なにそれ! どちらにせよ最低じゃない、アイツ」
「そんなのわかりきってることさ。これくらいどうってことないよ」
憤慨しているリリィを諫めながら私は他人事のように呟いた。
不思議なことに彼女が興奮すればするほど、私は客観的になれたし、落ち着いていられたのだった。
あの時はあんなにどきどきしていたというのに、今では痛いくらい静かだ。胸の内の嵐はとっくに止んでしまった。
「ん~……若いっていいわねぇ。そのうちオフ会に誘われちゃったりして」
テディさんが茶化すように言う。
「オフ会? なんですか、それは」
聞き慣れないフレーズだった。
「オンライン上で知り合った人たちが、現実で会って遊んだり会話したりすることだよ」
フィオさんが辞書から引用した文をまるっと読み上げたかのように答え、
「老婆心ながら言うけれど、参加するなら相手が安全な人物かどうか判断した上でね」
と、ぴしゃりと釘をさした。好奇心でいっぱいだった雰囲気が一変した。
「大丈夫です。考えなしの行動はしません」
わかっている。内心むっとした私の気持ちを機敏に察したアンナさんは、やれやれと肩を竦めながらフィオさんのわき腹を小突いた。
「こォら、フィオ。子ども扱いしたらあかん。カノン君かて自分の行動に責任持てる年頃なんやし、あんま過保護だとおっさん言われるで」
「おっさんって……」
「現役高校生からしてみれば十分おっさんやろ。一人だけ若い気でいるん? 嫌やわぁ」
「そりゃあね、たしかにカノンくん比べたらおっさんですけどっ?!」
フィオさんは咳払いをした。
「ええと、その。子ども扱いしているつもりはないんだ。大切な仲間だからこそ大事にしたいし、守ってあげなくちゃって……」
「で、でたー。ちょー心配性の過保護奴~」
「もう! 君、黙りなさいよ。僕、いたって真面目な話してるんですからね」
揶揄するアンナさんの額を指で弾くフィオさん。
「……出会って一カ月程度の付合いしかない私でも、大事に思ってくれているんですか」
私は躊躇いがちに尋ねた。
「時間なんて関係ないよ。もちろん、君もそうだろう?」
そのとおりであった。ともに過ごした時間が短いからといって、相手を大切に思う気持ちが一時的なものとは限らない。恋に落ちるのと同じく、大切に思う気持ちもまた人との出会いの中で芽生え、思い出を苗床に育っていくものなのだ。
愚問であったと私は思い、頷いた。
「……数ヶ月前、別サーバーで悲しい事件があったんだ。ちょうど君みたいな年頃の子が事件に巻き込まれてしまってね。その件もあって、僕は少し神経質になっていたのかも。よそよそしかったり、冷たく感じたのであれば謝るよ。面目ない」
フィオさんは深いため息をつき、うつむいた。
「いいえ。私こそ……少し誤解していました」
和解というほど喧嘩らしい喧嘩はしていないのだが、互いに感じていた蟠りが解消されたので結果オーライだ。
今まで霧がかって見えなかった景色が徐々に鮮明になってゆくみたいに、私の心もまた鮮明さを取り戻していった。
「ちなみに、その『悲しい事件』ってのは何なんだよ」
ジーンがそこらでは滅多にお目にかかれないような立派な骨付き肉を握りしめ、私たちの会話に口を挟んだ。
「おまえ、肉似合うな」
ぽろりと本音が漏れた。その件に関しては誰しもが納得し、頷いた。俗に言う漫画肉と呼ばれるやつで、野生的な印象が強い魅惑のアイテムである。人狼族であり、がさつなところがある彼にとてもマッチしており、豪快に肉を引きちぎる姿は「ワイルドやなぁ」とアンナが感心するほどであった。真面目な話をしていたはずなのにどうも締まらない。全てジーンのせいだ。
「そうだねえ。話してもいいけれど……。でも、その前に」
フィオさんがテディさんに目配せをする。
「はいはーい! カノン君が白騎士になったお祝いに、新しい装備を作りましたぁん!」
はいどうぞ、と満点の笑顔で装備を手渡される。私はアイテムボックスに新装備一式が収納されているかを確認し、しかと受け取ったのだとわかると、アイテムボックスを閉じて「受け取りました。ありがとうございます」と礼を言った。
すると、イノセント・ブルーの人々は「着ないの?」と催促をはじめた。
「えっ」
「はよう着替えんかい」
ばしっとアンナさんに尻を叩かれた。
私は慌ててアイテムボックスを開き、新装備を選択する。
『こちらの装備を装着しますか?』
イエス以外に選択肢など無い。私は腹をくくった。
瞬く間に装備が一新されてゆく。
さて、みんなの反応やいかに。
「わぁ! カノン君王子様みたい!」
まず初めにリリィが歓声を上げた。
「王子って……」
なんだかちょっぴり恥ずかしい。私は「やめてよ、照れるから」と言って、ジーンの影に隠れた。この中で身体が一番大きいのは彼なのだ。身を隠すにはうってつけだった。
「だーめ。よくみせてごらんよ。せっかく似合ってるのに、もったいないでしょう」
「そうそう。とっても素敵よぉ。こんなかわいこちゃんな騎士に守ってもらえるだなんて、想像しただけで濡れちゃう〜」
テディさんの発言はさておき、フィオさんは容赦なく私をみんなの前へ引きずり出した。その拍子に鎖帷子や鉄靴がカチャカチャと音を立てるので、存在感が際立つ。
ひらりと白地の外套が翻る。厚手で丈夫そうではあるが不思議と重さを感じさせないその質感は、まるで羽のよう。外套の下からのぞくのは優美な模様が入った藍色のサーコート。篭手や鉄靴を装着してはいるものの全体的にスマートなデザインだった。
騎士といえばフルアーマーという印象であったため、良い意味で拍子抜けした。西洋の甲冑のような厳つい鎧も装備出来るらしいが、テディさんが機転をきかせてくれたおかげでどうやらそれは回避したようである。
「あとね。こっちもぜひ着てほしいの!」
テディさんが意気揚々と装備を渡してくるので、素直にそれを受け取り、ほぼ投げやりな気分で装着した。
「えっ」
ふわりふわりとレースが揺れる。
これはもしや、と思いくるりと回ってみる。膝下で裾が揺れ、おなじみのあの感覚が私を襲う。
「これってスカートじゃないですか!」
しかも一度たりとも着たことがない、男の浪漫であるあの衣装。
「いやああん。かわいいメイドさん!」
興奮を抑えきれないのかテディさんは飛んだり跳ねたりを繰り返す。その横でフィオさんが「おやおや」と慈しむように微笑み、アンナさんは「たまにはやるなぁ、オカマ!」と称賛していた。なんだこの狂った状況は。中身は女だとはいえ、外見は野郎なんだぞ。助けを求めるようにリリィに視線を送るが「えっと……似合ってるわよ」と苦しいフォローを入れるだけだった。
「なに盛りあがってんだ?」
ジーンはというと、マイペースに例の骨付き肉を頬張っていた。一連の流れを把握していないせいか、私の姿を認めるや否やぽかんと口を開けた。
「お、おま……」
「わあああ。見るなよう! あっち向いてろよ、ばか!」
さっさと着替えてしまえばいいのに、私はそんなことにも頭が回らずジーンに飛びかかる。「うおっ」と彼は悲鳴を上げ、体制を崩し、私を道連れにして倒れた。骨付き肉は華麗に宙を舞い、重力に従って地面に落ちる。
不意に、唇にやわらかなものが当たった。
私と、ジーンの唇が触れあったのだ。
――うそ。声にならない声が、空気に溶けてゆく。
ジーンの眸には、情けない顔をした青年が映っていた。
彼はじっと目を凝らし、その指先で私の輪郭をなぞった。そして、赤い舌を覗かせ、ちろりと己の唇をなめる。
その行為はまるで、うそじゃない、これはほんとうなのだと私に突きつけているみたいで――息が出来なくなる。
ほんものの嵐は突然やってくる。そいつは理不尽にも私の心を揺さぶり、容赦無く全てを奪い去っていった。




