20.どうか君のままでいて
意外なことにソランとの会話は弾んだ。
彼は畏まって話すようなタイプではなかったため、ついつい同級生と一緒にいる感覚で話し込んでしまったのだ。(念のため弁解させてもらうが、彼の実年齢にそぐわぬ子どもっぽい一面がそうさせていたのだと思う)
そんなわけで先日までいがみ合っていた私たちが今では打って変わってなごやかな雰囲気である。世の中どう転ぶかなんて誰にもわからない。
時折、会話の中で挟まれる過激な発言に眉を顰めたりもしたが、それらが一貫していると判ればもはや清々しさすら感じる。
「あんた、ゲスだな」と私が皮肉を言うと、ソランは「褒め言葉よ」と平気で言ってのけた。しかもとびっきりのゲスな笑みを浮かべて。上等だよあんた。
さらに、聞く分だと彼は現在大学生なのだそうだ。一方的に現実世界の話題を振られて最初はびっくりしたけれど、彼はちっとも気にしたふうでもなく無防備に打ち明けた。
イノセント・ブルーの人たちとはまったく異なったタイプである彼に、私はある種の新鮮さを感じた。
そういえば私、知らないことばかりだ。
イノセント・ブルー――親切で頼り甲斐がある、善良な人たち—―一緒にいると楽しくて、心地よくて、つい彼らの善意に甘えてしまうけれど。そのせいか、現実世界に戻った時、優しい夢から覚めてしまったような、一種の虚しさを抱くのである。
どうやら私は優しくされ過ぎたせいで、いつのまにか欲張りになってしまったらしい。
なんとなくタブーなような気がして、聞けずじまいな彼らの現実。たぶん、特別隠しているわけではない。わざわざ話さないだけであって、尋ねればふつうに答えてくれるだろう。ただ、わきまえているだけなのだ。
私は知っている。感じている。彼らがおとなであることを。
「じゃあ俺、そろそろ行くわ」
「おう」
私たちは席を立った。視線を上げると、そこにはジーンがいた。
「うわっ。いつからそこに」
私が叫ぶと、
「ついさっきだよ!」
すかさずジーンは突っ込みを入れた。ふさふさの尻尾を揺らし、不満げに唸り声を上げながら「なんかしんねーけど、リリィがすげぇ心配してたからよ……」とこぼしたのであった。わざわざ迎えに来てくれたらしい。
「いやぁ悪いね、独り占めしちまって。あんまり絡むとリリィに睨まれそうだし御暇しますか」
ソランは企んだような悪い笑みを浮かべて言った。
「おい。まさかそれが目的じゃねえだろうな。リリィにかまってもらえると思ってわざと私にちょっかいかけてるんじゃ」
私はドスをきかせた声でソランに詰め寄った。彼は私の反応に気を良くしたのかニヤついた顔を隠しもせず「さぁどうだろうね」と明後日の方向を見た。
「いいじゃねえか。楽しかったろ」
「たっ楽しくなんか」
「嘘つけ。楽しかったって顔に書いてる」
ソランはそう言うと、乱暴に私の腰を掴んで引き寄せた。あまりに急だったため私は逆らうこともできず、勢いよく彼の胸に飛び込む形となる。わっぷ、と悲鳴を上げたあと私は身を捩りながら恨めしげにソランを睨んだ。彼は新しいおもちゃを見つけた子どものように爛々と目を輝かせて、いたずらっぽく私の頬に口づけを落とした。
「あ」
一瞬、何が起きたのか理解できなかった。けれども、唇が離れてからようやく実感した。頬にソランの唇の感触があったことを。しかし仮想空間の出来事なので、実際のところは脳がそう錯覚しているだけだ。
その事実にやっとこさ脳の処理が追いつくと、私の顔はたちまち熱くなった。非難しようにも「あう」とか「うぐぅ」といった言葉にもならない妙ちくりんな声では迫力に欠けるというものだ。あと、巷でいう萌えキャラを目指しているわけじゃあない。
「俺は、楽しかったぜ」
満足そうにソランは言った。
そりゃあ楽しいだろう。さんざん人をからかって遊んでおいて、つまんないっていうやつもどうかと思う。「うむ。やはり絶壁には食指が動かんな。絶壁卒業したら考えてやらないでもない」と人の神経を逆なでするような発言をした際は、流石に「死んでくれ」と懇願してしまったけれど。
空からスレイプニルが降り立つと、ソランは黒い外套を翻してその背に跨った。
「またな」
夜風が枯れ葉を揺らすような囁きだった。
シューベルトの魔王は熱に浮かされた人間の息子を誘惑する。こっちにおいで、素敵なものがたくさんあるよ、と。
彼もまた、同じなのだろうか。「またな」の一言に込められた甘い罠にはまる私を見て、密かにほくそ笑むのだろうか。いいや、ソランの事だ。きっとこれっぽっちも考えていやしない。そう結論付けると私は幾分か冷静になれた。これは勘違いだ、この胸の高鳴りは錯覚なのだと。
その様子をジーンは静かに見守っていたのだが、どういうわけか彼の顔が今までと違って見えた。うまく説明できないけれど底知れぬ何かが彼を突き動かしているような、そんな気配を感じた。
魔王陛下がお帰り遊ばせたので私は「帰ろうか」とジーンに声を掛ける。だが、彼はじっと固まったまま動かない。怪訝に思い、嫌がるとわかっていながらも自慢の尻尾を引っ張ってみたが、ぴくりともしなかった。どうしたの、変なものでも食ったか? と訊ねる。ここでようやっと「いいや。そうじゃない」とジーンは頭を振った。ならばどうして? と私は改めて問う。彼は歯切れの悪いのたのたした声で「わからない」と答えた。
「わからない?」
私は問うと、ジーンはいらついた口調で、「だから、わからねえもんはわからねえっていってんだろ」と言う。
それは本当らしく、彼自身も困惑していた。適切な言葉がみつからない、といったふうにもやもやした気持ちを持て余しているようだった。私はなんとなく宥めてやりたいような気分になって、手入れの行きとどいた尻尾を優しく、丁寧に撫でてやる。
「おい。俺が何も言わないことをいいことに触ってんじゃねえ」
ジーンが目を三角にして私を睨んだ。
「だめか?」
私が僅かに首を傾げる。すると、彼は「いや……別に」と口籠もりつつ「だめじゃない」と控えめに尻尾を差し出した。
「今だけだからな」
いつになくおとなしいジーンの態度に私は慄いた。
「おまえ、どっか悪いんじゃないのか。具合悪かったら早く寝ろよ。レベル上げ明日でもいいし」
「大丈夫だって言ってんだろ! 何回も言わせんじゃねーよ、ばか!」
馬鹿とはひどい言われようだ。でもいつもの調子に戻ってきたのでよしとするか。
「うん。そうだな。おまえはマイペースで、末恐ろしいくらいポジティブで傍若無人で口が悪くって、つまりそのまんまだな」
「褒めてるのか貶してるのかどっちかにしろよ」
「悪いな。これでも褒めたつもりだ」
まじかよ、とジーンは真顔で言った。もちろん、まじである。私はゆっくりと頷いた。
「何もかもあけっぴろげでそのまんまのおまえのほうが、好きだよ」
さっきみたいに得体の知れない生き物のようになられては、どう接したらいいのかまるでわからないし、ほとほと困り果ててしまうのだ。それならいつものジーンがいいと、私は繰り返す。
「ふん」ジーンは鼻を鳴らす。「馬鹿にしやがって」
すっかりいつもの調子になって、私はおどけて笑ってみせた。
「ところでよ」
ジーンが問う。
「あの魔王みてーな男が言ってた、絶壁ってなんなんだ?」
ぎぎっ。そんな擬音語がぴったりなほど顔を引きつらせた私に、無慈悲なさらなる追いうちが待ち受けていた。
「あと、おまえら絵面的にすげーやばかった。俺の回りにはそういうやつらしかいないのかと思っちまったぜ」
うん。ノーマルな男からしてみれば、あの絵面にぞっとするかもしれない。中身が何にせよ、姿はどちらも男である。とくに日々テディさんから猛烈アタックを受けているジーンにとっては、悪夢のような光景に映っただろう。伊達に野郎に尻を追っかけられていない。南無三。




