16.お姫様は二人もいらない
特にこれといったアクシデントもなく、概ね順調に放課後を迎えることができた。
今日はほぼ座学であったため、わずかに尾てい骨が痛んだ。教室にある木の椅子はお世辞にも臀部に優しいとは言えない。臀部の肉付きが薄い私は、もれなくクッションを敷きたいくらいだった。
もとより、人間の身体は座るという行為自体が不自然なことであり、長時間は身体に負担がかかるとされている。つまるところ、程良く体を動かしたいのだ。
前置きはさておき。散歩がてらカフェへ行こうと思う。
無性にキャラメルラテが飲みたい、というのが本音なのだが私は目当ての人物に声をかけるべく、後ろを振り返った。
「香坂さん。ちょっと前にオープンした喫茶店なんだけど、寄ってみない?」
さゆりは教科書とノートを丁寧に揃えているところだった。
「ええと。駅の裏側にある喫茶店?」
「そそ」
始業式から変わらず座席が出席番号順なので、真後ろにさゆりがくることは必然だった。しかもそれが再会した幼なじみだと考えると、運命を感じなくもない。
「出来たばっかりだから、人が多いかもしれないけど」
「ううん。いこいこ! 私チーズケーキが食べたいな。あるかなぁ」
「チーズケーキってケーキの中でもわりとポピュラーなほうじゃん。あるでしょ」
「そうよね。あるわよね」
彼女は平常通りの穏健さで、女子ならではのトークを弾ませた。甘いもの、いいよね。かくいう私も甘いものに目が無いので口角が上がっている。
私は彼女にならい教材を整理し、鞄に押し込んだ。ついでにクリアファイルの中に今朝配られた提出期限が近いプリントがあるかを確認する。それもまた鞄の中に入れた。
「さ、いこうか」
「うん」
必要最低限のものだけを入れた鞄を肩に担ぎ、席を離れた。
「小泉ちゃーん、どうしたのー良い女捕まえちゃってさぁ。珍しい組み合わせだよね。もしかして……デートぉ? オマエも隅に置けないねェ」
こんな無駄な煽りをするやつはクラスに一人しかいない。私の顔はあからさまに険しくなる。
「おい佑香。なに人聞き悪いこといってんだよ。三枚におろされてぇのか」
普段はめったにこんな言葉づかいをしない私だが、いつも以上に神経質かつ口調が荒くなってしまうのにはとある理由がある。
男子からのヘイトがとりわけきついのだ。現にひそひそと「なあ……まさか、香坂までもが小泉の毒牙に……?」とか「いやだ! 嘘だと言ってくれ。俺のマイエンジェル」といった囁き声が聞えてくる。私が一体全体何をしたというのだ。ささやかな女子トークをすることさえも許されないのか。ただ友人をお茶に誘っただけだというのに。佑香の言葉はもはや暴力だ。
「だって、小泉と香坂さんってあまり接点ないじゃん? しいていえば席が前後ってくらい?」
「幼なじみなんだよ。仲良くして悪いか」
「まじで!? 初耳なんだけど」
「幼稚園のときにすごく仲良くしてもらったの。だけど蛍ちゃんってば全然気づいてくれなくって」
佑香は目を眇め、
「うわぁ。小泉サイテー。こんなかわいい子フツー忘れるぅ? 信じらんねえー」
と私を罵った。
「うっさいな。雰囲気変わっててわかんなかったんだよ」
女ジャイアンだったんだぞ! とは口が裂けても言えない。
「それはそうと、昔の小泉ってどんなんだったのぉ? どれ、私に教えてごらん。黒歴史とかー黒歴史とかー」
「本人のいる目の前で堂々と聞くか? ふつう」
けらけらと笑う佑香に私はめまいがした。
「あ、雨……」
さゆりがぽつりとつぶやく。
窓の向こうは鈍色の空と窓ガラスを打ち付ける雨粒が視界を覆っている。糸のように降る雨は地上を黒々と濡らしているのだろう。
「そういや、今朝の天気予報では降水確率三十%だったな」
一日ずっとぶ厚い雲が空を覆っていたので、もしやと思ってはいたが見事に的中した。
「私は傘持ってきたもんねー。天気予報なくったってよゆーよゆー。佑香さまの勘をなめてもらっちゃあ困るぜ」
こいつの野生の勘は侮ってはいけない。俗に言う第六感とやらが人より優れているのだ。もういっそのこと野生にかえればいいんじゃないかと私は思う。
「傘が無い……」
そう言って小さな悲鳴を上げたのはクラスの委員長、五十嵐さんだ。おさげに結われた長い黒髪、学校の規定通りに着用している制服姿はまさに委員長。成績優秀で勤勉、生活態度も良しという生徒の鑑のような少女である。
周囲からほぼ押しつけられるような形で委員長の座についた彼女だが、嫌な顔を一つせず淡々と仕事をこなしている姿に私は尊敬と好意を抱いていた。
そんな彼女が珍しく困惑し、眉を曇らせている。
いても立ってもいられず、私は咄嗟に声をかけた。
「五十嵐さん。よかったら私の傘使いなよ」
鞄から折りたたみ傘を取り出し、五十嵐さんに差し出す。
彼女はぎょっとした顔で私と傘を交互に見比べ、
「受け取れません。小泉さんが濡れてしまいます」
と言って首を横に振った。私は、ああそれなら、と続ける。
「大丈夫。折り畳み傘は置き傘で普通の傘も持ってきてるんだ。つまり、二本あるわけ。質素でかわいくない傘だけど、濡れるよりましだろ?」
「そりゃあ、まあ……」
私はぐいぐいと折り畳み傘を五十嵐さんに押し付ける。彼女が躊躇いがちに受け取ったのを確認し、私は満足げに頷いてみせた。
「じゃあ、私たち行くから」
また明日、と言って手を振り教室を出る。そのあとをさゆりが追う。
こうして再び教室は普段の喧騒を取り戻した。去り際に佑香が何かを叫んでいたような気がしたけど、私は振り返らない。
どうせろくでもないことだ。
だから、私は振り返らない。
喫茶店につくと私たちは各々好きなものを注文した。
ほどなくして、注文した品を店員によって丁寧にテーブルに並べられる。私の前にはミルフィーユとキャラメルラテを。さゆりの前にはチーズケーキとホットコーヒーが置かれた。
私はゆったりと椅子にもたれながら、ウエットティッシュで手を拭う。
店員が離れていったのを見はからい、話を切り出した。
「昨日の妙な二人組なんだけど。あいつらって香坂さんの元仲間ってことで合ってる?」
合っている、とさゆりから肯定の言葉が返ってくる。
「蛍ちゃん……。さっきからずうーっと思ってたんだけど、香坂さんっていうのナシね! 一応、これでも幼なじみなんだよ?」
「……ええっと。さゆり?」
「うむ。よろしい」
ごほん、とさゆりが咳払いをする。
「あの二人ね、女の子のほうがニナ、男の子のほうがソランっていうんだけど……。元は同じギルドで、固定を組んでたのよ」
「固定?」
「固定パーティー。気の合うメンバーだとか、プレイスキルがだいたい同じくらいの人たちでパーティを組むと効率良くダンジョン攻略できるでしょう? メンバーを固定させることによって細かく計画練ったり装備集めやすくなったり……。いろいろメリットがあるのよ」
さゆりはポーションミルクを手に取り、コーヒーカップに垂らした。私はその様子を眺めながら、キャラメルラテを口に含む。
「なかなかガチ勢揃いのパーティーでね。早期攻略目指しているだけあって、相応のプレイスキルが要求されるのよ。自分で言うのもなんだけど、そこそこ腕に自信があったし、実際、それなりに頼られてたほうだと思う。だけどだんだんまわりと考え方が合わなくなっていって……それで抜けたの」
「そこまでは想像ついたんだけどさ。それとは別件でニナって子と何かあったんじゃないの?」
ミルフィーユをフォークで突きつつ、私はちらりとさゆりを見る。彼女は苦虫を噛み潰したような顔でスプーンを握りしめていた。
「ニナ、ね……」
よくよく見ると、スプーンが曲がっていた。ユリ・ゲラーも真っ青な曲がりっぷりである。
「えっと。さゆりさん……? スプーンが曲がってるんですけど」
あと、目が怖いです。
「あら、いけない。ついつい力が入っちゃって」
どうやら幼少時の馬鹿力は今でも健在らしい。私は慄きつつも「で、どうなの?」と続きを促した。
「話が長くなっちゃうけれど、結論からいうとあの子は固定パーティーのお姫様なのよ」
「はあ?」
「だから、お姫様」
さゆりは繰り返す。
「お姫様は二人もいらないの」




