第8話
空間モニターには、迷宮周辺の森の様子が鮮明に映し出されていた。
先ほど落とし穴に落ちた偵察隊の三人は、粘着性の網に絡まったまま身動きが取れず、完全に無力化されている。彼らの悲鳴は森の奥までは届いていないようだ。
問題は、そのさらに後方で展開されている本隊の動きだった。
バートンが、みすぼらしい装備の探索者たちを前にして声を荒らげている。
「さっさと歩け、この役立たずども! 貴様らのような借金まみれのゴミに、拒否権などあると思うな!」
バートンの傲慢な声が、シズクの索敵ネットワークを通じてコントロールルームに響き渡る。
集められているのは、どう見ても実戦経験の乏しいFランク探索者たちだった。彼らは怯えた表情で身を寄せ合い、バートンの後ろに控える重武装の特務部隊に武器を突きつけられている。
「お、お待ちください、査定官殿! 我々はただの素材採集が専門で、戦闘訓練など受けておりません!」
一人の初老の探索者が、震える声で懇願する。
「黙れ! ギルドに多額の借金がある分際で口答えするな。貴様らが罠に掛かって死ねば、その分だけ本隊の安全が確保される。それが貴様らの唯一の価値だ」
バートンは冷酷に言い放ち、護衛の特務部隊に顎でしゃくった。
部隊の一人が剣の柄で初老の男を殴り倒す。鈍い音が響き、男が地面にうずくまった。
「さあ、行け! 後ろに下がれば斬り捨てるぞ!」
俺は無意識のうちに、腰に下げた安物の鉄剣の柄を強く握りしめていた。
効率の悪いバカ。
それは、俺自身が十年間、周囲から投げつけられ続けてきた言葉だった。
万年Fランクの探索者として、効率が悪いと嘲笑されながらも、俺はこの初心者ダンジョンに通い続けた。俺にとっては、効率や利益よりも、弱い魔物たちとの無害で静かな日常の方がずっと大切だったからだ。
だが、ギルドは採算が取れないという理由だけで、俺の居場所の完全閉鎖とコア破壊を一方的に決定した。
あの時の理不尽な通告が脳裏をよぎる。
バートンは今、自分の出世と保身のために、無関係な弱者たちを使い捨ての駒として死地に追いやろうとしている。
「……マスター。心拍数が上昇しています。ご気分が優れませんか?」
シズクが心配そうに俺の顔を覗き込んできた。半透明の青白い光を帯びた彼女の瞳が、俺の感情の揺れを敏感に察知している。
「いや、大丈夫だ。ただ……少し腹が立っているだけだ」
俺は小さく息を吐き、モニターから視線を外した。
怒りに身を任せて力を行使すれば、バートンたちを消し炭にすることなど造作もない。今の俺の限界突破したステータスと、迷宮の防衛機構を使えば、彼らなど赤子同然だ。
だが、それは俺の望むやり方ではない。
◆ーーーー◆
「シズク。入り口から中層にかけての構造を、さらに書き換える。手伝ってくれ」
「承知いたしました、あなたのご意志のままに」
俺は莫大なポイントを消費し、迷宮の防衛網の再構築を始めた。
条件は一つ。「絶対に誰も死なせない」ことだ。
強制的に連れてこられた探索者たちはもちろん、バートンや特務部隊の連中であっても、命まで奪うつもりはない。
第一階層のマップを展開する俺の脳裏に、閉鎖作業の朝の光景が蘇る。
最後の別れを告げるために訪れた最下層。そこで出会った、寿命で消えかけのスライム。
あの辿々しい文字の張り紙と、十年間迷宮を愛してくれた俺への感謝。
最弱のマスターは、最後にコアと全権限を俺に託して消滅した。
あの小さなスライムからの贈り物が、今の俺の力の源だ。彼が守りたかったこの場所を、血で汚すわけにはいかない。
「まずは第一階層の通路だ。床の素材を泥沼に変更し、その上にスライムの粘液プールを配置する」
「粘液の粘度はどの程度に設定いたしますか?」
「足を踏み入れたら、靴が脱げて身動きが取れなくなるくらいでいい。致死性はないが、精神をゴリゴリ削る仕様だ」
「ふふっ。素晴らしい嫌がらせですね、マスター」
シズクが珍しく微かな笑みを浮かべ、俺の指示通りに迷宮の構造を書き換えていく。
さらに、通路の分岐点には落とし穴を連続で配置し、落ちた先は迷路のように入り組んだ地下空間に繋がるようにした。
「落とし穴の底には、分厚いクッション素材を敷き詰めてくれ。怪我をさせないように」
「はい。衝撃吸収率九十九パーセントの特製マットを配置いたします」
「それから、迷路の壁には微弱な幻覚作用のある胞子を散布しよう。恐ろしい魔物の影が見えるだけで、実際には何も襲ってこないやつだ」
「精神的な疲労を蓄積させるのですね。効率的かつ無害な防衛手段です」
武器を振るう隙も与えず、ただひたすらに戦意だけを奪い取る。それが俺の考えるおもてなしだった。
◆ーーーー◆
「ご主人様、新しいお茶をお持ちしました」
背後から声が掛かり、振り返るとメイド服に身を包んだリムがお盆を手に立っていた。
「ありがとう、リム。ちょうど喉が渇いていたところだ」
俺は受け取ったカップに口をつけ、温かい紅茶の香りに息をつく。
リムとシズクの完璧なサポートのおかげで、迎撃の準備は瞬く間に整っていった。
先代からコアを託されて以来、俺の内に宿る限界突破のステータスと莫大なポイントは、理不尽な暴力に立ち向かうための確かな切り札となっていた。
その覚醒の力とマスター権限を行使し、最初の防衛戦では、コア破壊にやってきたギルドの討伐隊を罠と進化した魔物で無傷のまま追い返すことに成功した。
あの時はまだ手探りだったが、今は迷宮の構造も、自分の力も完全に把握している。
マイホームの平穏を理不尽な暴力で脅かそうとする者たちには、迷宮の主として相応の洗礼を与えなければならない。
「マスター、すべてのトラップの連動確認が完了いたしました」
シズクの声に、俺はカップをテーブルに置き、再び空間モニターへと向き直った。
画面の中では、バートンに背中を蹴り飛ばされたFランク探索者たちが、涙目で迷宮の入り口へと足を踏み入れようとしている。
その背後では、特務部隊が剣を抜き、逃げ道を塞いでいた。
「準備は整った。来客の案内は任せるぞ、シズク」
「はい。彼らに、この迷宮の真の恐ろしさを教えて差し上げましょう」
準備は整った。次なる討伐隊の襲来に向け、俺たちの静かなる反撃が始まる。
強制参加させられた探索者たちをどう無事に保護し、バートンたちに絶望を味わわせるか。
俺は手元のコンソールに触れ、最初のトラップを起動させた。




