第7話
バートンの次なる手が、すぐそこまで迫っていた。
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目深に被った灰色のフードの隙間から、喧騒に包まれたギルド前の広場を見つめる。
石畳の上を行き交う探索者たちは、誰もが使い込まれた武器をガチャガチャと鳴らし、今日の稼ぎや新たな依頼についての話題で持ちきりだった。焼いた肉の匂いと、安酒の香りが入り混じった空気が漂っている。
俺は壁際に身を寄せ、気配を殺しながら彼らの会話に耳を傾けた。
「聞いたか? あの初心者向けのゴミ迷宮、ついに危険地帯に指定されたらしいぞ」
「ああ、討伐隊が全滅したって噂だろ。あそこは万年Fランクのバカが十年も通い詰めてた場所だ。効率ってもんを知らない無能の溜まり場だったのによ、一体何が起きてるんだ?」
「さあな。だが、ギルドが本腰を入れて潰しにかかるらしい。近づかないのが賢明だぜ」
大剣を背負った男が鼻で笑い、仲間たちと連れ立って酒場へと消えていく。
嘲笑交じりの声を聞き流しながら、俺は路地裏の指定された場所へ向かって歩き出した。
彼らの言う通り、俺は効率の悪いバカでいい。弱い魔物たちとの無害で静かな日常こそが、俺にとって何よりも大切なものだった。ギルドが採算を理由に完全閉鎖とコア破壊を決定したあの日から、状況は大きく変わってしまったが、俺の信念は少しも揺らいでいない。
他人の評価などどうでもいい。俺はただ、自分の居場所を守りたいだけだ。
湿った風が吹き抜ける路地裏の暗がりに、赤いフレームの眼鏡をかけた人影が待っていた。
ギルドの受付嬢であるエリーゼだ。
「……来てくれて、よかったです」
彼女は周囲を気にしながら、声を潜めて言った。その表情には、隠しきれない疲労と焦燥が浮かんでいる。いつもは綺麗に整えられている赤毛も、今日は少し乱れていた。
「わざわざ呼び出して悪かったな。街の様子がおかしいと聞いて、少し確認しておきたかったんだ」
「バートン査定官が、特務部隊を動かそうとしています。手段を選ばず、あの迷宮を潰すつもりです」
「特務部隊か。厄介な連中を引っ張り出してきたな」
俺は短く応じた。特務部隊といえば、ギルドが裏の仕事で使う非情な実力者集団だ。利益のためなら手段を選ばず、時には探索者さえも切り捨てる連中だと聞いたことがある。
彼女は震える手で、一枚の羊皮紙を差し出した。そこには、迷宮周辺の森に展開し始めた偵察部隊の配置図が記されていた。
「逃げてください。彼らは、普通の討伐隊とは違います。目的のためなら、どんな残酷な手段でも使います。あなた一人で立ち向かえる相手じゃありません」
「忠告はありがたい。でも、俺には守るべき場所があるんだ」
彼女の気遣いに感謝しつつ、俺は静かに首を振った。
「それに、あそこはもうただの洞窟じゃない。俺と仲間たちの、大切な家だからな」
エリーゼは何かを言いかけたが、俺の目を見て小さく息を吐き、それ以上は踏み込んでこなかった。
「……わかりました。でも、どうか無茶だけはしないでください」
「ああ、約束する。あんたも、これ以上俺に関わると危ない。気をつけて帰ってくれ」
俺は羊皮紙を受け取り、足早に路地裏を後にした。
迷宮へ帰還した俺は、真っ先に最下層へと足を踏み入れた。
かつては殺風景だった岩肌の通路も、今では淡い光を放つ植物が適度に配置され、歩きやすいように整備されている。
最下層の奥深く、ひんやりとした空気が漂うその部屋は、かつて寿命で消えかけのスライムだった前マスターがいた場所だ。
閉鎖作業の朝、最後の別れを告げるために訪れた俺に、彼は辿々しい文字の張り紙を残し、迷宮のすべてを託して消滅した。
俺は街で買ってきた小さな白い花を、彼がいた台座の跡にそっと置いた。
十年間、俺の地道な歩みを見守り続けてくれた最弱のマスターからの贈り物。彼が残してくれたこの場所を、理不尽な暴力で壊させるわけにはいかない。
「あんたが守りたかったものは、俺が引き継ぐよ」
誰に聞こえるわけでもない言葉を呟き、俺は台座に背を向けた。
「マスター。お帰りなさいませ」
居住区画に戻ると、背後から半透明の青白い光を帯びたシズクがふわりと姿を現した。
「ただいま。外の様子はどうだ?」
「迷宮周辺の森に、複数の怪しい影を確認しました。索敵ネットワークが、彼らの動きを正確に捉えています」
シズクの淡々とした報告に、俺は頷いた。エリーゼが言っていた通り、バートンの差し金である特務部隊の先遣隊がすでに動き出しているようだ。
部屋の奥から、メイド服に身を包んだリムが小走りでやってきた。彼女は手早くテーブルを拭き、湯気の立つカップを置いてくれる。
極上の紅茶の香りが、張り詰めた空気を少しだけ和らげた。
俺は椅子に腰掛け、カップを手に取った。
「焦る必要はない。彼らを迎え撃つ準備をしよう」
コアを継承したあの日、十年間の地道な行動が莫大なポイントに換算され、俺の隠しステータスは限界突破を果たした。その力と迷宮の機能を駆使すれば、どんな相手でも退けることができる。
「シズク、第一階層の構造を少し弄るぞ。侵入者を傷つけずに追い返すための、特別なおもてなしだ」
「承知いたしました。物理的な罠の配置を再構築します」
俺はポイントを消費し、迷宮の入り口付近の構造を書き換えた。
床石の裏に『ふかふかの落とし穴』を仕掛け、天井には『粘着性の網』を連動させたトラップを設置する。最初の防衛戦で討伐隊を無傷で追い返した時のように、今回も彼らの戦意だけを削ぐ構えだ。
罠の連動を確認し、俺は静かに侵入者を待った。
数時間後。
迷宮の入り口に足を踏み入れた偵察隊の三人は、音もなく作動した落とし穴に次々と飲み込まれた。
「な、なんだこの柔らかい床は!?」
「くそっ、網が絡まって動けねえ! 刃物も通らないぞ!」
彼らの狼狽する声が、シズクを通じて手元の空間モニターに響く。怪我一つ負わせることなく、彼らは完全に無力化されていた。
「まずは手応えあり、だな」
俺は紅茶を一口飲み、小さく息を吐いた。
だが、モニターに映る森の奥では、さらなる不穏な動きが始まっていた。
特務部隊の本隊が、無関係な一般の探索者たちを囮として迷宮へ向かわせようとしている姿が確認できたのだ。
バートンの執念が、新たな脅威を生み出そうとしている。
次なる波をどう迎え撃つか。俺は静かに思考を巡らせ始めた。




