第19話
操作盤の光が、薄暗い管理室に浮かび上がる。
ドーラを退かせた後、俺はすぐさま次の防衛機構を展開した。
「シズク、第三層の通路構造をパターンCに変更。動く壁と落とし穴を連動させてくれ」
「了解しました、マスター。直ちに実行します」
シズクがふわりと宙を舞い、青白い指先で空中のパネルを弾く。
モニターには、迷宮の各所で右往左往する侵入者たちの姿が映っていた。利権を狙う中堅クランの残党や、国の討伐軍の別動隊だ。彼らは欲に目が眩み、俺が新たに設置した理不尽な罠に次々と引っかかっている。
彼らの処理は自動防衛システムに任せつつ、俺は莫大なポイントを消費して、居住区画の改築を進めていた。
防衛線を強固にするだけでなく、俺たちの大切な居場所をより快適なものにするためだ。
「リビングの絨毯はもう少し厚みのあるものにして……魔物たちがくつろげるように、広場には温かい日差しを模した照明を設置しよう。それから、食堂の椅子も新調するか。みんなが揃って食事を楽しめるように、大きめの円卓がいい」
指先でパネルを操作するたび、ポイントが消費され、迷宮の奥深くに理想の生活空間が形成されていく。
ふかふかのソファ、広々としたダイニングテーブル、そしていつでも温かいお湯が出る大浴場。誰にも邪魔されない安全な場所で、仲間たちと悠々自適なスローライフを送る。それが俺のささやかな願いだった。
かつて、俺は万年Fランクと嘲笑され、効率が悪いと見捨てられたこの迷宮に十年間通い続けた。才能や効率を絶対視する社会では、俺の地道な努力は無価値とみなされていた。
だが、今は違う。この場所への愛着が、俺に強大な力を与えてくれた。
「マスター、居住区の空調設定が完了しました。魔物たちも新しい環境に喜んでいるようです」
「ありがとう、シズク。これで少しは落ち着けるな」
俺は満足げに頷いた。
だが、モニターの隅で点滅する赤い警告サインが、平穏な時間の終わりを告げていた。
画面の中心に映る一人の少年。勇者アルト。
彼だけは、他の侵入者たちとは全く異質の存在だった。
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「くそっ、なんだこのふざけた仕掛けは!」
アルトは泥水が溜まった落とし穴から這い上がり、聖剣を杖代わりに立ち上がった。
白銀の鎧はすっかり泥まみれになり、自慢の金髪も汚れている。
先ほどから、迷宮の構造が生き物のように変化し続けていた。通路が突然壁に塞がれたかと思えば、床が抜け落ちて泥沼に落とされる。
「正義の刃を阻む気か……だが、俺は負けない!」
アルトは気合いを入れ直し、目の前に立ち塞がった分厚い石壁を睨みつけた。
回り道を探す時間はない。彼は聖剣を上段に構え、全身の魔力を刃に集中させた。
「はあああっ!」
裂帛の気合いと共に振り下ろされた一撃が、石壁を真っ二つに両断する。
轟音と共に瓦礫が崩れ落ち、新たな道が開かれた。
だが、休む間もなく次の罠が襲いかかる。天井から粘着性の網が降り注ぎ、両側の壁が迫ってくる。
「こんな小細工で、俺を止められると思うな!」
アルトは網を聖剣で切り裂き、迫り来る壁の間に体を滑り込ませた。壁が閉じる寸前、強靭な脚力で地面を蹴り、間一髪で隙間を抜け出す。
罠が作動する前に、強引な力技で突破していく。泥に足を取られ、壁に挟まれそうになっても、持ち前の頑丈さと熱血で突き進む。
「待っていろ、邪悪な迷宮の主! 俺が必ず討ち果たしてやる!」
アルトは泥を払いもせず、再び駆け出した。
その瞳には、自分が世界を救うという微塵の疑いもない。
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「……信じられません。あの分厚い防壁を、物理的に破壊して進んでいます」
モニターを見つめるシズクの声に、珍しく焦りの色が混じっていた。
「罠の作動タイミングは完璧なはずです。ですが、あの勇者は罠にかかりながらも、強引に突破してきます。計算外の突破力です」
「まあ、そうなるよな」
俺は小さく息を吐き、背もたれに体を預けた。
アルトの動きは、相変わらず力任せで効率が悪い。落とし穴に落ちて泥まみれになり、動く壁に挟まれかけては力ずくで押し返している。
トラップ自体は確実に機能し、彼の体力を削っているはずだ。だが、それを補って余りある異常なステータスと、折れない心が彼を前へ進ませている。
「ご主人様、お茶が入りました」
静かな声と共に、リムがティーカップをテーブルに置いた。
立ち上る湯気から、芳醇な茶葉の香りが漂ってくる。俺がポイントを使って取り寄せた、極上の品だ。
「ありがとう、リム」
カップを手に取り、一口含む。温かい紅茶が、少し張り詰めていた胃の奥をじんわりと解きほぐしてくれた。
「マスター、このままでは居住区画まで到達されてしまいます。致死性の罠を起動すべきでしょうか」
シズクが不安げに尋ねてくる。
俺はモニターの中のアルトをじっと観察した。
泥まみれになりながらも、その瞳の光は少しも失われていない。
利権を狙うクランの連中や、欲に駆られた討伐軍の兵士たちとは違う。彼らからは、迷宮の資源を奪い取ろうとする浅ましい欲望が透けて見えた。
だが、アルトからはそんなものは一切感じられない。
「いや、致死性の罠は使わない。足止めと分断のままでいい」
「しかし……」
「あいつは、私欲や敵意で動いてるわけじゃないんだ」
俺はカップを置き、モニターを指差した。
「自分が世界を救うと本気で信じている。国から討伐しろと命じられ、それを純粋な使命感として受け取っているだけだ。真っ直ぐすぎるんだよ」
効率至上主義の国にとって、俺のような存在は邪魔なイレギュラーでしかない。だからこそ、国最強の勇者パーティという最大の刺客を送り込んできたのだろう。
静かな日常を守りたい俺と、迷宮の力を奪うか排除しようとする国家権力。
その対立の最前線に立たされているのが、あの世間知らずの少年だ。
「力でねじ伏せるだけじゃ、根本的な解決にはならない。あいつの背後にある国という厄介な存在をどうにかしない限り、俺たちの平穏な生活は手に入らない」
「では、どうされるおつもりですか?」
シズクの問いに、俺は立ち上がった。
「直接話をする。あいつのその頑固な思い込みを、少し解きほぐしてやる必要がある」
俺は腰に下げた安物の鉄剣に手を触れた。
十年間、毎日振り続けてきた相棒。見た目はみすぼらしいが、俺の手にはすっかり馴染んでいる。
「リム、悪いが後片付けを頼む。少し出迎えてくる」
「かしこまりました。お気をつけて」
リムが深く一礼する。
シズクもふわりと俺のそばに寄り添い、真剣な眼差しを向けてきた。
「マスターに危害を加えるようであれば、私が全力で排除します」
「頼もしいな。でも、なるべく穏便に済ませたいところだ」
俺は苦笑しながら、管理室の扉へ向かった。
モニターの映像では、アルトが最後の物理トラップである巨大な鉄球を、聖剣の一撃で粉砕したところだった。
砕け散った鉄球の破片が降り注ぐ中、彼は荒い息を吐きながら前を見据える。
その視線の先にあるのは、最深部の居住区へと続く、重厚な両開きの扉だ。
ついに、すべての罠を突破された。
「待っていろ、迷宮の主……!」
アルトの力強い声が、通信機越しに管理室まで響いてくる。
俺は小さく息を吸い込み、居住区の入り口へと続く通路へ足を踏み出した。
静かな日常を守るための、最大の対立が今、始まろうとしていた。




