第18話
「……野望なんて、ゆっくり昼寝することくらいしかないんだがな」
俺は苦笑しながら、モニター越しの勇者を見つめた。
熱血漢の彼に対し、俺が用意した警告用の仕掛けは果たして通用するのか。
静かな日常を守るための最大の試練が、今、幕を開けようとしていた。
「マスター。侵入者の魔力値が、これまでの比ではありません」
傍らに浮かぶシズクが、いつもより少しだけ硬い声で報告してきた。彼女の青い瞳が、空間に投影された映像を忙しなく追っている。
迷宮全体に張り巡らせた索敵用の植物群から、悲鳴のような信号が次々と送られてきているらしい。
「やっぱり勇者ってのは規格外か」
俺は手元の操作盤をいじりながら、居住区の空調を整える作業を一旦止めた。
最近は莫大なポイントを使って、俺たちがいかに快適に暮らせるかという改築に力を入れていた。ふかふかの絨毯を敷き詰め、いつでも温かいお茶が飲める休憩室を作り、さらには広々とした大浴場まで完備した。
誰にも邪魔されない、俺と仲間たちだけの理想のマイホーム。
だが、外の世界は俺たちを放ってはおいてくれない。
異常な高難度迷宮と化したこの場所に目をつけ、利権を貪ろうとする中堅クランや、国の討伐軍が連日のように押し寄せてきている。
彼らは効率と利益だけを求め、俺が十年間愛着を持って通い続けたこの場所を、ただの資源の山としか見ていない。
「まあ、こっちはこっちで準備を進めるさ」
俺はポイントを消費し、浅い階層に新たな仕掛けを次々と展開していった。
利益だけを求めて群がる連中には、徹底的に心を折る理不尽な罠を用意している。
例えば、歩いても歩いても同じ場所に戻る無限回廊や、足を踏み入れた瞬間に全身がベタベタの粘液まみれになる沼地だ。致死性はないが、探索のモチベーションを根こそぎ奪うには十分すぎる。
モニターの隅では、アルトに先行して迷宮に入り込んでいた討伐軍の残党が、粘液の沼に足を取られてパニックに陥っていた。
彼らは泥まみれになりながら、我先にと出口へ向かって逃げ帰っていく。
効率と利益だけを追求する侵略者たちにとって、成果ゼロで装備だけが汚れる状況は耐え難いのだろう。
だが、勇者アルトは違った。
「邪悪な罠め! 聖なる光よ、道を切り拓け!」
モニターの中で、アルトが白銀の聖剣を高く掲げた。
眩い光が刃から放たれ、粘液の沼を一瞬にして蒸発させる。さらに、無限回廊の壁を物理的に叩き割り、強引に直進ルートを作り出してしまった。
崩れ落ちる瓦礫の中を、彼は一切の迷いなく進んでくる。
「……おいおい、力技すぎるだろ」
俺は呆れ半分でその光景を眺めた。
迷宮の構造を無視して突き進むその姿は、まさに猪突猛進。罠の意味を根本から否定するような突破力だ。
彼の中では、この迷宮は世界を脅かす絶対的な悪であり、自分はそれを討ち滅ぼす正義の体現者なのだろう。その純粋すぎる思い込みが、彼の規格外の力をさらに底上げしているように見えた。
「あなた。このままでは、第一防衛線に到達するまで五分とかかりません」
「分かってる。ドーラを向かわせろ。ただし、無理はするなと伝えてくれ」
「了解しました」
シズクが静かに頷き、迷宮の奥で待機している防衛隊長へ指示を飛ばす。
◆ーーーー◆
第一防衛線として設定した、天井の高い広大な空洞。
そこに、赤い鱗を持つドラゴニュートの女性が立ち塞がった。身の丈ほどある大剣を肩に担ぎ、獰猛な笑みを浮かべている。
「アタシの宴会を邪魔する野暮天はアンタかい!」
ドーラが吠えると同時に、空洞の空気が震えた。
彼女は迷宮の防衛隊長であり、俺がポイントをつぎ込んで強化した頼れる仲間だ。豪快で大雑把な性格だが、戦闘となれば誰よりも頼りになる。
「魔物め! 貴様らが人々を苦しめる元凶だな!」
アルトは一切の躊躇なく地面を蹴った。
白銀の鎧が残像を引き、聖剣が鋭い軌道を描いてドーラへと迫る。
「甘いね!」
ドーラは大剣を振り下ろし、正面から聖剣を迎え撃った。
凄まじい金属音が響き渡り、衝突の余波で周囲の岩肌に亀裂が走る。
ドーラは持ち前の怪力で一気に押し込もうとする。並の探索者なら、この一撃で武器ごと吹き飛ばされているはずだ。
しかし、アルトは体勢を崩さなかった。
彼は聖剣の刃を滑らせるようにして大剣の圧力を受け流し、鋭い踏み込みから反撃に転じた。
洗練された剣技。無駄のない体重移動。
アルトの連撃が、ドーラの豪快な一撃の隙を的確に突いていく。
「やるじゃないか、坊や!」
ドーラは腕の鱗に浅い傷を負いながらも、楽しげに笑って打ち合いを続ける。
彼女の闘争心は全く衰えていない。むしろ、強敵を前にしてテンションが上がっているようだ。
大剣が空を切り裂き、聖剣がそれを受け止める。火花が散り、空洞内に轟音が響き続ける。
だが、モニター越しに戦況を分析していた俺は、冷静に二人の動きを見極めていた。
アルトの動きは確かに強力だ。
聖剣の威力も、彼自身の身体能力も、これまで侵入してきたどの探索者よりも桁違いに高い。才能に恵まれ、国中から期待を背負ってきたエリートなのだろう。
だが、若さゆえの力みがある。
一撃一撃に全力の魔力を込めすぎており、スタミナの配分を完全に無視している。短期決戦なら無類の強さを発揮するだろうが、長期戦になれば必ずボロが出る。
何より、力任せすぎて効率が悪い。
万年Fランクと馬鹿にされながらも、俺が十年間、地道に剣を振り続けて身につけた「無駄のない動き」とは対極にある戦い方だ。
「ドーラ、そこまでだ。下がれ」
俺は通信越しに短く命じた。
これ以上打ち合えば、ドーラが深い傷を負う可能性がある。彼女は俺の大切な仲間であり、ただの駒ではない。
俺の目的は、侵入者を皆殺しにすることではなく、平穏な日常を守ることだ。仲間を犠牲にしてまで勝つ意味はない。
「ちっ……マスターの命令じゃ仕方ないね。首を洗って待ってな!」
ドーラは舌打ちを一つすると、素早く後方に跳躍した。
そのまま空洞の壁に隠された通路へと飛び込み、あっという間に姿を消す。
「逃げたか……だが、確実に追い詰めている」
空洞に取り残されたアルトは、荒い息を吐きながらも、さらに奥へと続く通路を真っ直ぐに見据えていた。
その瞳には、自分が正義を執行しているという微塵の疑いもない。
俺はモニターから視線を外し、手元の操作盤に触れた。
力任せに突き進む勇者を、この先でどう迎え撃つか。
静かな日常を守るための防衛戦は、まだ始まったばかりだった。




